『H2$』パロディえんえん。@仮面の男
2011年10月20日 タカラヅカ ムラ版『仮面の男』、演出に関する感想の続き……こまった、東宝初日までに書き終わらない。
いやあ、すげえだらだら書いてるからなあ。二度と読み返せないくらい、いつもにも増してまとまりのない文章だ。自覚はあるが、このまま行く(笑)。
こだまっちの紹介がヘタなせいで、ルイーズ@みみは未亡人で、若い男の子ラウル@翔とつきあっていて、その上ルイ@キムにも見初められる男好きのする女と誤解される可能性がある。
わたしは、トップ娘役の演じるヒロインだし、かわいいみみちゃんのキャラクタもわかっているから、「ルイーズは清純な少女」てな思い込みで見ているから、それ以外の見方は想像してなかったけど、とにかく「未亡人」という単語はずーっと引っかかっていて。
ヅカ初見の団体さんとか、ミレディ@ヒメの歌を全部聞き取って正しく理解したんだろうか。
次は三銃士登場場面。
悪名高き『H2$』パロディ。
著作権的にセーフなのかどうかは知らない。ただ、「著作権の関係でDVDが発売されず、本公演でもなく、本拠地でもない外の劇場で3週間だけ上演した作品を観た人しかわからない」演出に、今回したのは演出家の浅慮さの表れだと思う。
パロディというのは、元ネタを知っていることが前提だ。知らない人が多いネタを嬉々として使うのはどうよ。
パロディ自体は、わたしは別に悪いと思っていない。
質のいいパロディが劇中に使われているのは、観客を「にやり」とさせる効果がある。知識を共有するものだけが持つ悦というか。ああこれは**という作品の**をパロってるんだな、憎いことするじゃないか、的な。
しかしこの『H2$』パロはあまりに安易なお笑いとして、『H2$』の表層だけを借りてきたに過ぎない。替え歌レベルっていうか。
ぶっちゃけ、「本の声」=アトス@まっつが登場したらウケるんじゃないの~? ってだけの、思いつきで作ったんじゃないの?
なんかすごーく安く「うわ、いいソレ、ウケる~~!」って、ひとりで手を叩いて喜んで、ただの一発ネタにしか過ぎないモノを、マジに描いてしまった気がする……。
実際、「本の声」=アトスが登場する瞬間、あそこが「パロディ」としての効果がいちばん大きく、その一瞬だけは笑えたと思う。意外な展開だったので。……もちろん、元ネタを知る人だけが。
そのあとえんえん続く『H2$』は冗長。メモの話とか、『H2$』本編でもスベっていたというか日本人面白くないよソレ、だったのに、伝票に焼き直して使っていて、さらに日本人ぽかーん、だし。
最初の一瞬、ネタひとつだけで終わっていればまだよかったのに、場面ひとつまるまる『H2$』だから、しつこいのなんのって。
パロディだけで長めの一場面を使い切った本公演作品ってナニかあった? 過去に例がないのは「斬新」とか「誰も思いつかなかった素晴らしいアイディア」なのではなく、「誰だってそれくらい思いつくけど、不要だから・間違っているから、過去に誰もしなかった」というだけのことだ。
元ネタを知るものだけが「にやり」とする、次元じゃない。だってえんえん一場面だもの。そんな下品な使い方に「知識の悦」なんか湧き上がるもんか。むしろ逆効果。辟易するってば。
ましてや、三銃士が無銭飲食をし、最後は居直り強盗のように剣を抜いて暴力で決着をつけようとするなんて、ありえない。
どこの無法者だよ。
てゆーかさ、この3人、誰?
パロディをやること、が目的になってしまっていて、作品にとって必要なことが無視されている。
三銃士というものへの説明がない。
「早わかり世界史」で、この舞台の背景説明をしていればともかく、水戸黄門とかやってなんの解説もないまま、観客がまったく知らない3人組が出てきてえんえん知らない作品のパロディをやり、客席の置き去り感半端ナイ。
『三銃士』という物語を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? 『H2$』を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? ……そのレベルの不親切さ。
ひとつでも大概なのに、同時にふたつの作品を「知っていて当たり前」という前提で持ち出してくる大衆向け作品ってどうよ? どんだけ観客を選ぶのよ?
三銃士がナニモノで、そこへ現れたロシュフォール@せしるという男が何者で三銃士とどういう関係で、さらに鳴り物入りで表れたダルタニアン@ちぎという男が何者で三銃士とどういう関係なのか。
基本的なところを一切描いていない。
やはり「早わかり世界史」を全カットして、「在りし日の三銃士」をやるべきだったよなあ。
画面的にも派手になったと思うんだ。
別にモリエール@咲ちゃんが出てきていいよ。
重厚なオープニングのあと、モリエールが「マダ~ム&ムッシュ♪」と出てきて「『仮面の男』をより楽しんでいただくために、登場人物の紹介をしましょう」と、空気無視したお気楽さを展開してくれていいよ。
本編と関係あることをやるならば。突然のお笑いテイストでも空気ぶち壊しでも、最低限、セーフだ。
カーテンが再度開くとそこに、アンヌ王妃@ミトさんを壇上に、ルーヴォア@ひろみ、ミレディ、ロシュフォールたちがぞろりと並び、貴族の男女とか侍従とか侍女とかも並んで華やかに、その中にはもちろんコンスタンス@あゆっちもいて。
その前、本舞台いっぱい使って銃士隊が勢揃いし、中央に三銃士とダルタニアンがセリ上がってくる。
で、4人で剣を合わせ、キメ台詞を日本語で言う。フランス語で言ってもいい、ただその前かあとにか、必ず日本語で言う。まず「伝える」こと、それがいちばん大切なの。
かっこいーダンスを踊る人々で観客に楽しませておいて、花道あたりにいるモリエールが三銃士とダルタニアンの説明をする。
今より少し前の時代なんですよ、と。
その解説の流れからルイ@キムが登場し、よーやく現代、ルイの悪趣味場面へつなぐ。
そうすれば、観客は『H2$』パロにとまどうだけで済み、「三銃士って誰? ダルタニアンって誰??」とならないで済む。
ラストのサン・マルグリット島での大階段を使った立ち回りにも呼応するのにな、「あの人たちと戦うのか!」的に。
ラストシーンの「久しぶりにやるか」で剣を合わせる三銃士とダルタニアン、「久しぶりに」って、あんたたち今までそんなのやってないやん! 今がはじめてなのに、久しぶりもナニもないやん! と観客がツッコミ入れることもなくなるのに。
三銃士の説明のなさも問題だが、ここでもうひとつ問題なのが、キーパーソンであるラウルの描き方。
てことで、またいつかの日にち欄へ続く。
明日は東宝初日だっ。
いやあ、すげえだらだら書いてるからなあ。二度と読み返せないくらい、いつもにも増してまとまりのない文章だ。自覚はあるが、このまま行く(笑)。
こだまっちの紹介がヘタなせいで、ルイーズ@みみは未亡人で、若い男の子ラウル@翔とつきあっていて、その上ルイ@キムにも見初められる男好きのする女と誤解される可能性がある。
わたしは、トップ娘役の演じるヒロインだし、かわいいみみちゃんのキャラクタもわかっているから、「ルイーズは清純な少女」てな思い込みで見ているから、それ以外の見方は想像してなかったけど、とにかく「未亡人」という単語はずーっと引っかかっていて。
ヅカ初見の団体さんとか、ミレディ@ヒメの歌を全部聞き取って正しく理解したんだろうか。
次は三銃士登場場面。
悪名高き『H2$』パロディ。
著作権的にセーフなのかどうかは知らない。ただ、「著作権の関係でDVDが発売されず、本公演でもなく、本拠地でもない外の劇場で3週間だけ上演した作品を観た人しかわからない」演出に、今回したのは演出家の浅慮さの表れだと思う。
パロディというのは、元ネタを知っていることが前提だ。知らない人が多いネタを嬉々として使うのはどうよ。
パロディ自体は、わたしは別に悪いと思っていない。
質のいいパロディが劇中に使われているのは、観客を「にやり」とさせる効果がある。知識を共有するものだけが持つ悦というか。ああこれは**という作品の**をパロってるんだな、憎いことするじゃないか、的な。
しかしこの『H2$』パロはあまりに安易なお笑いとして、『H2$』の表層だけを借りてきたに過ぎない。替え歌レベルっていうか。
ぶっちゃけ、「本の声」=アトス@まっつが登場したらウケるんじゃないの~? ってだけの、思いつきで作ったんじゃないの?
なんかすごーく安く「うわ、いいソレ、ウケる~~!」って、ひとりで手を叩いて喜んで、ただの一発ネタにしか過ぎないモノを、マジに描いてしまった気がする……。
実際、「本の声」=アトスが登場する瞬間、あそこが「パロディ」としての効果がいちばん大きく、その一瞬だけは笑えたと思う。意外な展開だったので。……もちろん、元ネタを知る人だけが。
そのあとえんえん続く『H2$』は冗長。メモの話とか、『H2$』本編でもスベっていたというか日本人面白くないよソレ、だったのに、伝票に焼き直して使っていて、さらに日本人ぽかーん、だし。
最初の一瞬、ネタひとつだけで終わっていればまだよかったのに、場面ひとつまるまる『H2$』だから、しつこいのなんのって。
パロディだけで長めの一場面を使い切った本公演作品ってナニかあった? 過去に例がないのは「斬新」とか「誰も思いつかなかった素晴らしいアイディア」なのではなく、「誰だってそれくらい思いつくけど、不要だから・間違っているから、過去に誰もしなかった」というだけのことだ。
元ネタを知るものだけが「にやり」とする、次元じゃない。だってえんえん一場面だもの。そんな下品な使い方に「知識の悦」なんか湧き上がるもんか。むしろ逆効果。辟易するってば。
ましてや、三銃士が無銭飲食をし、最後は居直り強盗のように剣を抜いて暴力で決着をつけようとするなんて、ありえない。
どこの無法者だよ。
てゆーかさ、この3人、誰?
パロディをやること、が目的になってしまっていて、作品にとって必要なことが無視されている。
三銃士というものへの説明がない。
「早わかり世界史」で、この舞台の背景説明をしていればともかく、水戸黄門とかやってなんの解説もないまま、観客がまったく知らない3人組が出てきてえんえん知らない作品のパロディをやり、客席の置き去り感半端ナイ。
『三銃士』という物語を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? 『H2$』を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? ……そのレベルの不親切さ。
ひとつでも大概なのに、同時にふたつの作品を「知っていて当たり前」という前提で持ち出してくる大衆向け作品ってどうよ? どんだけ観客を選ぶのよ?
三銃士がナニモノで、そこへ現れたロシュフォール@せしるという男が何者で三銃士とどういう関係で、さらに鳴り物入りで表れたダルタニアン@ちぎという男が何者で三銃士とどういう関係なのか。
基本的なところを一切描いていない。
やはり「早わかり世界史」を全カットして、「在りし日の三銃士」をやるべきだったよなあ。
画面的にも派手になったと思うんだ。
別にモリエール@咲ちゃんが出てきていいよ。
重厚なオープニングのあと、モリエールが「マダ~ム&ムッシュ♪」と出てきて「『仮面の男』をより楽しんでいただくために、登場人物の紹介をしましょう」と、空気無視したお気楽さを展開してくれていいよ。
本編と関係あることをやるならば。突然のお笑いテイストでも空気ぶち壊しでも、最低限、セーフだ。
カーテンが再度開くとそこに、アンヌ王妃@ミトさんを壇上に、ルーヴォア@ひろみ、ミレディ、ロシュフォールたちがぞろりと並び、貴族の男女とか侍従とか侍女とかも並んで華やかに、その中にはもちろんコンスタンス@あゆっちもいて。
その前、本舞台いっぱい使って銃士隊が勢揃いし、中央に三銃士とダルタニアンがセリ上がってくる。
で、4人で剣を合わせ、キメ台詞を日本語で言う。フランス語で言ってもいい、ただその前かあとにか、必ず日本語で言う。まず「伝える」こと、それがいちばん大切なの。
かっこいーダンスを踊る人々で観客に楽しませておいて、花道あたりにいるモリエールが三銃士とダルタニアンの説明をする。
今より少し前の時代なんですよ、と。
その解説の流れからルイ@キムが登場し、よーやく現代、ルイの悪趣味場面へつなぐ。
そうすれば、観客は『H2$』パロにとまどうだけで済み、「三銃士って誰? ダルタニアンって誰??」とならないで済む。
ラストのサン・マルグリット島での大階段を使った立ち回りにも呼応するのにな、「あの人たちと戦うのか!」的に。
ラストシーンの「久しぶりにやるか」で剣を合わせる三銃士とダルタニアン、「久しぶりに」って、あんたたち今までそんなのやってないやん! 今がはじめてなのに、久しぶりもナニもないやん! と観客がツッコミ入れることもなくなるのに。
三銃士の説明のなさも問題だが、ここでもうひとつ問題なのが、キーパーソンであるラウルの描き方。
てことで、またいつかの日にち欄へ続く。
明日は東宝初日だっ。
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