東宝版の幕が開き、今さら感満載だが、『仮面の男』ムラ版の演出についての感想、続き。
 映像にも残らず、「なかったこと」にされるムラ版だからこそ、なにがあってどう思ったかをちゃんと残しておきたい。
 ムラ版のみの幻の場面の感想ではなく、ムラ版全部まるっと。だから東宝と変化ナシのところも含まれている。
 てゆーか、本文書いたのは東宝版見る前だしなっ。えーっと、10月20日欄からの続きね。

 『H2$』パロの酒場場面あたりの感想から。

 ラウル@翔くんの描き方が、気に入らない(笑)。

 ラウルの手紙によってすべてが動き出すのに、ラウルとアトス@まっつの関係がちっとも描かれていない。
 ここ一場面しかないのは別にかまわない。
 問題は、描き方だ。

 ラウルがやったことは、「ボクのカノジョ」を三銃士に紹介する、ただそれだけ。

 たしかに、アトスとの兄弟愛を描く、物理的な時間はないんだろう。「本筋とは無関係なパフォーマンス」ばかりにかまけて、ストーリー部分を描いてない結果だが、こだまっちにとって「アイディア発表>芝居」という重要度なんだから、アトスとラウルの関係を描くのに「兄のアトスだ」という台詞ひとつしかなかったのは仕方がない。
 台詞はひとつ、たったひとことだけだが、とりあえず、アトスとラウルは同じ場面にいる。
 そして一緒にいる時間は、結構長い。

 つまり、時間を割く気がなくても、この「ただ同じ場面に出ている」状態を利用して、こだまっち的余った時間に「アトスとラウルの関係」を表現することは出来るんだ。

 アトスにはやることがたくさんある。
 ロシュフォール@せしるに悪事を暴かれたり、ダルタニアン@ちぎとのやりとり、三銃士たちとダルタニアンをどう思っているかを語ったりとかダルタニアンがどういう人かの説明台詞とか、短い間にいろいろ詰め込まれているので、ラウルどころじゃなくなっているのは、仕方がない。

 でもラウルはそうじゃない。
 三銃士に恋人のルイーズ@みみを紹介したあとは、やることがない。

 ただそこにいるだけ、モブの酒場の人たちと同じ扱い。
 主要人物、物語のキーパーソンの短い貴重な出番だっちゅーに、なんだこのどーでもいい演出。

 わざわざラウルに彼中心の場を与えなくても、彼がアトスをどう思っているか、どんな立ち位置でいるのかは、表現できる。

 だってアトス、無銭飲食しているんだもの。

 ふつーに考えてください。
 家族が目の前で犯罪を犯したと責められ、実際に悪事の証拠を突きつけられたら、あなたはどうしますか?

 無反応ではいられないよね? 赤の他人、どーでもいい行きずりの人ならともかく、家族だよ?

 三銃士が無銭飲食をしたと目の前でロシュフォールに暴かれているんだ、ふつーショック受けないか、ラウル?
 「父であり母である」敬愛する兄が、犯罪者……。しかも意気揚々とつれてきたカノジョの前だ、「あの有名な元三銃士」と紹介した手前もある。面子丸つぶれだよね、ラウル。
 銃士隊の面々が去ったあとに、「無銭飲食ってナニゴト?!」と兄を責めるくらいしそうなもの。

 それをしない、笑ってスルーしているってことは、アトスとラウルの間には信頼関係もナニも存在していないってことだ。
 その程度の間柄ってことだ。

 いくら「ラウルの手紙」でお涙頂戴したところで、この程度の関係なわけですよ。
 まあ、なんてうすっぺら。

 もっとも、無銭飲食という情けない罪を、ラウルに責めさせるわけにはいかなかったんだろうと思う。
 ふつうなら大事件。ファミリーもののドラマなら、それだけで1時間使っちゃうようなネタ。だから真面目にそれを追求させるとどうしても話が長くなるし、ここまでマイナスな事態から信頼関係を取り戻すのは難しいし。
 95分の公演時間、パフォーマンスが大事で本筋はそのうち40分あるかないかのショートストーリーで、「ショック! 一家の大黒柱が無銭飲食!!」というホームドラマを1時間描けるはずがない。物理的に不可能だから、スルーするしかなかった。

 つまり最初から無銭飲食なんかさせるなってことだ。

 こだまっちのウケ狙いのただの思いつきが、作品の根幹まで揺るがしている、悪い例の見本。

 「三銃士はどんなに落ちぶれても無銭飲食なんかしない!」という原作への冒涜という意味を離れ、「これはデュマ原作なんか関係ない、児玉明子作の『仮面の男』なんだから、こだまっちの中の三銃士は無銭飲食も居直り強盗もなんでもやる人間性の人たちなのよ!」ということだとしても、その「こだまっちの『仮面の男』」的にも、破綻しているんだ。
 アトスとラウルの兄弟愛が引き金になって、「仮面の男」の謎が暴かれ、すべての物語が動き出す……という、この作品を、こだまっち自身がめちゃくちゃにしている。
 バカ?

 三銃士は無銭飲食をするのではなく、ベタに人助けをしたためにロシュフォールに脅される、でいいじゃん。
 酒場でロシュフォールの部下に絡まれている娘とかを助けたところ、銃士隊を連れたロシュフォールに難癖を付けられ、成り行きで剣を抜いた、昔ならいざ知らず今はただの一市民なのに、お上の軍隊に剣を抜いたんだ、覚悟はあるんだろうなと、とても悪役らしい言動のロシュフォールに、ダルタニアンが登場して一喝、場を収める。
 助けてくれたのは友だちだからだよな、と喜ぶ三銃士にダルタニアンは冷たく「目こぼしは今回だけだ」でいいじゃん。
 三銃士は正義だけど権力がない、ロシュフォールは権力を笠に着る悪者、ダルタニアンはそんな三銃士を助けてくれたけどツンツンしている、と。
 話の流れは変わらず、間違いだけ正せる。

 『H2$』パロをやりたいがためだけの、無銭飲食……。
 そんなどーでもいいネタのためだけに、人格も人間関係もめちゃくちゃにされた三銃士とラウル、そして『仮面の男』という物語……。


 ラウルの描き方についてもうひとつ、ひっかかっている。

 ラウルは兄たちが「元三銃士」だと知っているんだから、ダルタニアンのことも知っているだろう。
 三銃士とダルタニアンの今の殺伐とした関係についても、コメント無し。

 せっかく同じ場面にいても、「三銃士」と「ラウルとルイーズ」にぱかっと分かれていて、互いへの干渉はほぼナッシング、別次元の存在。
 なのに、同じ場面にいる。なんて無意味。

 兄とその仲間たちが友を心配しているんだ、兄を愛しているなら、そんな兄の姿に心を動かさないか?
 ラウルだってダルタニアンとは顔見知りだろうし、個人的なつきあいがなくても、普段から話は聞いているだろうに。
 ツンツンしているダルタニアンへの不信を口にする三銃士たち、身内だけで話すことになる場面がせっかくあるんだ、ルイーズの腰を抱きながらでいい、ラウルに一言「兄さん……」と声を掛けさせ、アトスが目線で「大丈夫だ」と頷き、「俺はそうは思わない」という通常の台詞につなげるだけでいいのに。

 三銃士の話は三銃士に任せておいて、ラウルはひたすらルイーズとだけ関わる、カノジョと2コイチでこちょこちょ話しているだけ。
 兄の心の傷なんか興味ありません! 自分がラブラブだから幸せです! って演出しておいて、次の場面では「アナタは父で母でした」とか言われてもなー……。

 ほんとうに、なんのために同じ場面に出させているんだか。
 バカじゃないの、演出家。


 続く。

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