しつこくだらだら、ムラ版『仮面の男』の演出についての感想。

 問題の監獄場面、大囚人ナンバー。
 いちばんわかりやすく「だめ」と人に言いやすい、攻撃しやすいだめっぷり。
 先に話を聞いてから観た人たちがみんな口を揃えて言う言葉がある。

「あんなに長いとは思わなかった」

 そう。
 長いんだよ。

 場面変わって監獄。
 囚人たちが椅子に坐り、看守フェルゼン@がおりたちが鞭を持ってすごんでいる。
 そこへ現れる看守長サンマール@コマ。「鬼のサンマール!」とおびえる囚人たち。
 重々しく「今日の私は大変……」、ころっとコメディちっくに「機嫌がイイ!」、ほっとする囚人たち、「拷問は私自ら行う!」囚人たちすくみがる。そして鞭打ちへ。
 鞭打たれる囚人の呻き声が音階になっており、そのことに気づいたサンマールは部下たちを指揮して音楽になるよう鞭打たせる。
 拍手する部下たち、「オーケストラの指揮者のようです」と持ち上げるフェルゼン。
 それを聞いたサンマールが調子に乗る。「そう、私は指揮者!」と。
 それまでの重々しい喋り、重々しい音楽から、ころっと変わり、愉快で明るいショー音楽になる。
 サンマールも暗い色のロングコートを脱ぎ捨て、きらきらピンク衣装になり、「ディレクトール!」と歌い踊る。
 曲の中には囚人たちの運命を嘆くパートもあり、ダンスもあり、見応えはある。

 ただ何故かこの流れの中で、携帯電話が鳴る。

 わたしにはついに最後までわからなかった。
 この携帯の意味。
 ぽかーん、だった。

 囚人たちを脅すサンマールと看守たち、なのに突然鳴り響く携帯に興をそがれて犯人を探し回る。
 携帯はオケピから棒にくっつけられて差し出される。
 サンマールがそれを手に取って、切る。

 さらに場面は続き、白状しないなら全員死刑だと言い、部下たちが囚人たちへ一斉に銃を向ける。
 震え上がる囚人たち。
「撃てー!」のタイミングで、何故か、ゴーストバスター。
 音楽を聴きながら、徐々にノリ出し、踊り出すサンマール。「ゴーストバスター?!」と歌い出すタイミングで、サンマールのピンクジャケットのポケットからきらきらピンクデコの携帯を取り出した囚人@りんきらが、携帯を切る。
 ゴーストバスターの着メロは、サンマールのものだったらしい。
 りんきらから憮然と携帯を奪い返すサンマール。びびって囚人の列に戻るりんきら。
 携帯をポケットに戻したサンマールは、「仕方がない」と銃殺をやめて絞首刑のロープを囚人たちに配る。
 はい、ここから例のダチョウ倶楽部ネタな。
 誰かひとり犠牲になって殺されれば、他の者は助けてやる、と。
 並んだ囚人たちのセンターにいるホタテは「そんなことできるかよ」と反発。されど他の者たちが次々と「みんなのために死にます」と手を挙げる。
 それを見たホタテが「じゃあ俺も犠牲になります」と進み出ると、他の囚人たちが手のひらを返し「どうぞどうぞ」。
 ホタテは看守に引きずられ「なんでやねーん!」他、アドリブでいろいろ言いながら舞台奥へ。
 そこでホタテは、看守から天使の背負い羽を渡されて装着、首吊りロープはなんと天使の輪に早変わり!
 看守フェルゼンとホタテのいるセリがどんどん上がり、舞台前面ではサンマール賛歌で囚人・看守たちが一列に並んでラインダンス。ホタテも天使の羽をつけてコミカルにかわいらしく、楽しそうに踊りながら天に消えていく。

 カーテンが閉まり、首からロープをぶら下げた囚人たちの楽しげなラインダンスは続き、背景には打ち上げ花火が上がる。
 「看守長っていいよ♪」というサンマールの決め台詞で場面終了……かと思いきや、このあともまだ続く。
 音楽が盛り上がったりスローになったり、そのたびにダンスのテンポを変えながら、サンマールが退場していく。

 とにかく、長い。

 前もって「ひどい場面だよ」と聞いていた人たちが、みんな言うんだ。
「囚人の呻き声が音楽になる、それで看守か拍手するところで終わりかと思った」
 うん、そこまででも十分悪趣味だもんね。
 でも、その看守たちの拍手、みんなが「終わり」だと思ったところがプロローグだったなんて。
 みんな、「今度こそ終わりのはず」と思うんだ、曲の切れ間とかで。だって悪趣味で気分が悪くなり、しかも本筋とは無関係、いらない場面だってわかっている、こんないらないものはここで終わりだろう、いくらなんでもこれで終わりだろう……途中何度も「終わり」と思う、そしてそのたび裏切られる、「まだ続くの?」「いつまで続くの?」「まだ不愉快の上があるの?」と。

 ほんとに、最初のとこでやめときゃよかったのにねえ。
 鞭打ちと呻き声の和音……それを喜ぶサンマールと看守たち、で場面とキャラ説明には十分だ。
 そっから先のいくつにも分かれたパートは全部不要。


 過去のタカラヅカにも、拷問シーンや死刑シーンはいくらでもあった。
 だから、問題なのは拷問でも死刑でもない。
 罪のない人たちが無為に残酷に殺される、夢のタカラヅカでそんなものを見たくない、という意味で不評なのではまったくない。
 その「殺される人々」をふつうなら「可哀想」と観客は思う。そんなことを行う悪役に対し「ひどい」と観客は思う。そういう演出をする。
 悪役の悪を描き、虐げられる人々の悲しみを描き、そんな悪役に対峙する主人公サイドの正しさ、感情移入を煽る。
 拷問や死刑をタカラヅカで描くのは、そういうことだ。
 その表現がリアルだったりダークだったりする、度合いによって観客からさらりと流されたり拒絶反応が出たり、過去作品にもいろいろあった。
 しかし、どの作品だって拷問や死刑を「楽しい」「笑う」場面としては、描いてない。
 拷問も死刑も、楽しいことでも笑うことでもないためだ。
 「こんなに楽しい拷問! さあみんなで楽しもう!」「こんなに楽しい人殺し! さあみんなで殺して遊ぼう!」……とは、やらない。
 仲間だったはずのひとりをみんなで殺して「楽しい!」と歌い踊り、ラインダンスで花火。

 正気か。

 ブラック云々じゃなく、演出家の人格を疑う(笑)。

「さすが、子どもを亡くしたばかりの母親へ、その夫(主人公)に『なーに、子どもはまた作ればいいさ(いい笑顔)』と言わせた演出家だわ……」
 と、友人談。
 ああ、あったねええ、そんなトンデモ脚本が。

 こだまっちは宇宙人だから、人間の心は持ってない。仕方ないよね(笑)。


 続く。

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