ムラ版『仮面の男』、演出についての感想、続き。

 ラウル@翔の手紙からフィリップ@キム救出作戦まではいい。

 問題は次の場面。
 三銃士のなかでもっともしどころのないアラミス@きんぐの唯一の見せ場……ええっとその、アラミスの笑顔で恫喝、フィリップは道具ですがナニか?という場面。
 『シークレット・ハンター』のときもあったけど、登場人物ふたりがなにかしっとりと「いい話」をしているっぽい。しかし、会話は、電波。話がかみ合っていない。
 アラミスはなにかいいことを言っているっぽい。そんな雰囲気を出して話している。
 でも彼が言っていることは、酷い。

「我々三銃士の手によって、君が助けられたのも運命。君は君の運命を受け入れるべきだ。失敗しても運命だよ」
 と、要約するとこんなことを言っているんだ。

 ここですでに、三銃士とフィリップに信頼や友情が芽生えていれば、これは愛のある言葉になる。
 おびえて後ろ向きに……運命を否定して逃げ出すことしか考えていないフィリップを勇気づける言葉になる。

 が。
 実際は、そうじゃない。
 三銃士とフィリップの間には、ナニもない。
 ついさっき監獄から助け出しただけだ。
 なんの信頼も友情もない状態で、この台詞を言うってことは。

 泣いておびえるフィリップに「君を助けたのは我々だ。だから我々は君の命を自由に使っていい。ルイに復讐するために、君を使い捨てることにする。ルイとすり替えて王になってもらうけど、大丈夫、バレたとしても君が殺されるだけだから、私たちは痛くもカユくもない、大丈夫(いい笑顔)」と語った……ってことだ。
 ひでえ、アラミスひでえ!!

 これが、あきらかに「時間が足りなくて、言葉足らず、場面足らずになっているのね」ならあきらめもつく。
 サイトーくんの『エル・アルコン』を観た多くの人が「1本物にした方がよかったんじゃない?」と言ったように、あきらかに作品のスケールの方が大きくて、時間切れ感満々だったならば。

 しかし、『仮面の男』はそうじゃない。
 この直前に、「不愉快、いらない」監獄場面をえんえんえんえん見せられていたんだ。
 物語を描く時間も場面もいくらでもあった、なのに肝心の物語部分が描かれておらず、ストーリーとキャラクタが破綻している。
 ストーリーとキャラクタが破綻していたら、もう作品自体破綻してるじゃん、終わってるじゃん。
 それでもせめて、ストーリーでもキャラクタでもない部分、まったく無関係のパフォーマンス部分が秀でて素晴らしく、美しく感動でその場面だけでチケット代の価値があったと思えるものならば、「これは芝居じゃナイ、ショーなのよ」と思って楽しむことも、最後の手段としてアリだろう。
 しかしその無関係場面が、水戸黄門やダチョウ倶楽部、そして「死刑って楽しい! ラインダンス」……。

 アラミスの人格破綻台詞も、逃げ場なしのひどさ。
 そしてやっぱり、「国王を転覆」が気になる。


 それでも、そのあとのフィリップの銀橋ソロはいい。
 歌詞も、意味はわからないけど、一見ナニかよさそうなことを歌っている。
 キムの演技力、歌唱力を堪能できるので、トップスターの見せ場という点において、よい演出だと思う。

 フィリップのテーマソング、とーーってもいい曲なんだけど、歌詞はよくわからない。オープニングからして。
 オープニングはそれでも、複数の人たちで歌い継ぐし、辻褄があってなくても「これからはじまる本編で、そのわかんない部分が解き明かされるんだわ」的な期待がもてるからイイ。

 しかし、フィリップの銀橋ソロは、ほんとにフィリップひとりが心情を歌っているので、わけのわからなさがつらい。

 「この濁った世の中で大切な心を保てたらそれはこの仮面で守られて」ってナニ? これ日本語? 文章としても意味が通じてないし文法変。

 「この濁った世の中では、大切な心を保てない。もしも保てるとしたら、それはこの仮面で守られたからだ」が、正しい文章ですか?

 あのー、「仮面を被せられ幽閉されること」が、大切な心を保つことになるの?? むしろ心を壊す行為では? てゆーか「大切な心」ってナニ?
 世の中のほとんどの人は鉄仮面なしで生きているわけで、じゃあ他の人たちは「大切な心」とやらは持っていないの、「濁った世の中」に侵されて? 世の中の人がふつーに生きているならば、鉄仮面がないと「大切な心」を保てないフィリップって、どんだけ弱いの? これからは仮面なしで生きるわけだから、もう無理じゃん大切な心保てないじゃん、細菌だらけの世の中で生きられないから牢獄に戻れば?
 ……とまあ、ほんとにわけわかんない、わたしには。他の人にはわかっているのかもしれないが。

 ちなみに、このフィリップの銀橋ソロあたりで、幕が開いてから55分ほど経過(笑)。
 主役なのに。95分しかない芝居なのに。
 残り40分だ。さあどうする(笑)。


 フィリップのソロに客席がうっとり聴き入ったところで、すっかり存在を忘れていた、空気壊して登場する宿命、モリエール@咲ちゃん。
 アンヌ王太后のお誕生日祝いの出し物「朕は国家なり」を開演すると言う。
 またしても、「ちん」。
 その台詞、さっきもう聞きました……また同じことを言うの?
 どんだけちんちん好きなんだ、こだまっち。


 本舞台中央に、ふくらんだスカート、豪華ドレス姿の大女優@かおりちゃんがスタンバイ。髪の毛には風船。
 かおりちゃんはどんどん吊り上げられる。一応、風船の力で浮かんでいる、という設定らしい。
 舞台のかなり高い位置まで上げられた大女優は、おもむろにスカートを開く。
 中から、巨大なミラーボールが!!
 そして大女優は、大真面目な顔のまま、正面を見つめたまま、おもむろにミラーボールを回す!!

 噂に高い、「人間ミラーボール」場面。

 いやあ……。
 吊り上げられたかおりちゃんが、スカートをめくるあたりまでは、みんな「なにごと?」って黙って見守ってるんだけどね。
 手でミラーボールを回し出した瞬間に、失笑が起こる。

 わたしもつっこんだ、手動かよ?!(笑)と。

 でも、みんなが言うほど、わたしはこの演出嫌いじゃない。
 かおりちゃんが退団でさえなければ、最後の役がコレということを除けば、いっそ突き抜けていて楽しい演出だと思う。
 水戸黄門と違って、物語にまったく無関係ではないし、豪華で派手な役だし。ソロをこれでもかと披露できるわけだし。
 手動ミラーボールには失笑が起こるけど、ここは笑われてナンボだと思う。むしろ、回さなかった新人公演は不満だった。半端だ!と。ここまでやるからには、回せ、極めろ!と。

 ただ、ライトの当たり方が不満。
 美人のかおりちゃんが、なんとも不気味な顔になる。もっとふつーに顔が見えるようにしてくれよ。


 続く。

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