一大ページェントと瞼の母。@仮面の男
2011年11月4日 タカラヅカ ムラ版『仮面の男』演出に関する感想、続き。
一大ページェント場面。
人間ミラーボール@かおりの歌声のなか、不思議な生き物たちが現れる。
馬やタマネギ、にんじん、海の人。
とりあえず、かわいい。
みんなかわいいよ。トンデモなんだけど、それでもかわいい(笑)。
てゆーか、あのタマネギ衣装を着てかわいくしてしまう、タカラジェンヌのフェアリーっぷりがすごい。
同時期に某女性山盛りアイドルグループも、野菜着ぐるみみたいなコスチュームでCMに出てたけど、みんな微妙だったもの。
あっちのアイドルさんたちの方が、言い訳のきく年齢なのにねええ。ハタチを大幅にすぎたジェンヌたちの方がフェアリーってすごいわほんと。
闇の騎士たちもかっこいいし、この出し物を見守るルイ@キムたちという演出もいいと思う。闇の騎士たち登場のセリ上がりは、オープニングと呼応しているわけで、そのへんはうまいよね。
もちろん、全体的に説明不足過ぎるので、誰がどこまで仮面の男に関わっていて裏にナニがあったのか、わからないままなのはよくないんだけど。
三銃士たちが幼なじみのモリエール@咲ちゃんに頼んで、ルイ/フィリップ入れ替えのために仕組んだ大芝居、という設定。
芝居のどさくさで作戦決行、というのはいい。
よくある手法だけど、そーやって定番となっているのは、舞台が華やかになって良いことだから。困ったときは劇中劇ってくらい、頼りになるお約束の手法。
そこで人間ミラーボールやタマネギなのは、こだまっちのセンスが非凡ってことで(笑)。
ここの音楽も好きだなー。
気に入らない演出だからと芸人たち相手に剣を抜いて舞台へ上がる王様ってどうなん、とか、たかが芸人相手に走り回るだけでまったく役に立たない銃士隊とか、疑問はいろいろあるけどな。
前にも別項で書いたけど、ここでいちばん気に入らない演出が、「フランス語使う私ってかっこいい」と作者が悦に入っているだけ、としか思えない、フィリップ@キムの「はじめて会う母親への言葉がフランス語」ってやつ。
とても盛り上がる場面、観客も固唾をのんで見守るものすごーく重要な場面で、何故フランス語なの? ここ日本なんですけど。
以前『キル・ビル』っちゅー映画を見て爆笑した、アレと同じよね。英語を話すアメリカ人たちが、チャンバラをして「ここぞ!」というキメ台詞だけ日本語なの。とても無意味に。脈絡なくキメ台詞だけ日本語なのは、「突然わからない言葉を使うと、かっこいいから」ってだけだよね?
物語の流れを壊さないキメ台詞だけなら「わからない言葉」でもいいかもしれないけど、「母と息子の涙の対面」を「かっこいい」優先する気持ちがわからない。
ほんとうにこの作品を作った人は、人の心を理解しないんだなと思うのみ。
というか、アンヌ王太后@ミトさんが、ほんとに謎で。
ルイ/フィリップが入れ替わっていることにすぐにわかった、だって母親ですもの、というのはいい。
わからないのは、やはり作品の根幹の「仮面の男」関連について。
三銃士とダルタニアン@ちぎの年齢を誤魔化したために、全部壊れたのか?
ここがタカラヅカである以上、メインキャラをおっさんや老人で埋め尽くすわけにはいかない。だから、本来はかなりの年齢であるはずの彼らを青年に設定した。それはタカラヅカ的に正しい判断だと思う。
だがそのために、年代経過がわかりにくくなっている。
最初に「早わかり世界史」をやったわりに、年表が書けない。
何年にルイが生まれ、何年にフィリップはコンスタンス@あゆっちと出会ったのか、何年にフィリップが投獄されたのか、そして今が何年なのか。
フィリップに仮面を付けてバスティーユへ幽閉した黒幕はルイ、実行犯はルーヴォア@ひろみということになっている。
だから一大ページェントで闇の騎士たちが、一部のモノしか知らない「仮面」を付けていることで、ルイとルーヴォアだけが反応する。悪役チーム内でも、ダルタニアン、ロシュフォール@せしる、ミレディ@ヒメは反応しない。
アンヌ王太后はなにも知らないらしい。
これが、不思議なんだ。
コンスタンスは王太后の命令で、フィリップ養育に当たっている。そして、殺された。
アンヌさんは言う、フィリップの命を守るにはこうするしかなかった、監視の目が厳しくて手紙も書けなかった、って……。
この言い分が通るのって、いったい何年くらいだろう。
常識的に考えて、牢獄に監禁されて24時間監視されている人間でもない限り、ふつーに生活している人間が「監視の目が厳しくて手紙1通書けない」状況は、どれくらい継続できるだろうか?
たとえば5年経てば、手紙くらいは書けるんじゃないの? ほんとうに、捨てた息子のことを忘れていなくて、ずーっと彼を愛し心配しているなら、最初の数年は「もうひとりの息子ってナニ? もう忘れたわ、ほほほ」と振る舞って、そのあとに手紙を書くことは出来たでしょうに。
さらに不思議なのは、彼女の口調だと、フィリップが「鉄仮面を付けてバスティーユに監禁されていた」とは思っていなさそうだということ。
闇の騎士たちの仮面にも反応していなかったし、ナニも知らなかったらしい。
えー、コンスタンスは殺されています。彼女だけではなく、フィリップ養育に当たった人々は皆殺しです。そのことを、何年知らずにいられるものでしょうか?
わずかな間なら、コンスタンスと連絡が取れなくても不思議はないかもしれないけれど。何年もって……。
結論として言えるのは、アンヌ王太后は、フィリップのことなんか忘れていた、ってことだよね……。
守りたかったのはフィリップの命ではなく、自分の立場。
双子なんか生んでしまって、そのせいでフランス王家が揺れては困る。だから片方は抹殺したかった。王子を殺せないから、秘密裏に育てることにした。腹心の侍女コンスタンスに任せて、あとのことは知らない、興味ない。
手紙? 書きませんよそんなもの。コンスタンスと連絡? 取ってませんよ不必要。
たしかに、一大ページェントでの双子入れ替えはすぐにわかったんだろう。
捨てた息子が無事に成人していたことが、うれしくはあったんだろう。しかし、そっから先は全部嘘、そう言わないとまずいと思って泣きの演技スタート。辻褄合ってないけど、そこまで考えない。
第一、変じゃん。なんで芝居の最中に双子が入れ替わるの? それってかなり不穏なことだよね? ルイはどうなったの? フィリップ相手に泣いてる場合じゃない、ルイへの愛情もないってこと?
キムの演技が素晴らしいのでついもらい泣きしちゃう母子の再会場面だけど、脚本に書かれているのは、「人でなしの母」でしかないという。
結局ルイもフィリップもどーでもいい、自分保身しかアタマにない人。
もちろん、きちんとアンヌ王太后のことを描く時間がないということはわかる。
ならば、最初から彼女を出さなければいい。
ルイ/フィリップを入れ替えた、みんな気がついていない、だけでいい。アンヌ王太后は気付いたかもしれないけれど、台詞では特にナニも言わなかった、「あなた……?」とひとこと不審そうな声を掛けた、でもすぐに人目を気にしてなにごともない態度に戻ったとかで、それ以上描かれていないから、彼女がどう思ったかは観客にはわからない、でいいじゃん。
安易に「お涙頂戴」をやろうとして「ちょっといい話」をやろうとして、失敗している。
続く。
一大ページェント場面。
人間ミラーボール@かおりの歌声のなか、不思議な生き物たちが現れる。
馬やタマネギ、にんじん、海の人。
とりあえず、かわいい。
みんなかわいいよ。トンデモなんだけど、それでもかわいい(笑)。
てゆーか、あのタマネギ衣装を着てかわいくしてしまう、タカラジェンヌのフェアリーっぷりがすごい。
同時期に某女性山盛りアイドルグループも、野菜着ぐるみみたいなコスチュームでCMに出てたけど、みんな微妙だったもの。
あっちのアイドルさんたちの方が、言い訳のきく年齢なのにねええ。ハタチを大幅にすぎたジェンヌたちの方がフェアリーってすごいわほんと。
闇の騎士たちもかっこいいし、この出し物を見守るルイ@キムたちという演出もいいと思う。闇の騎士たち登場のセリ上がりは、オープニングと呼応しているわけで、そのへんはうまいよね。
もちろん、全体的に説明不足過ぎるので、誰がどこまで仮面の男に関わっていて裏にナニがあったのか、わからないままなのはよくないんだけど。
三銃士たちが幼なじみのモリエール@咲ちゃんに頼んで、ルイ/フィリップ入れ替えのために仕組んだ大芝居、という設定。
芝居のどさくさで作戦決行、というのはいい。
よくある手法だけど、そーやって定番となっているのは、舞台が華やかになって良いことだから。困ったときは劇中劇ってくらい、頼りになるお約束の手法。
そこで人間ミラーボールやタマネギなのは、こだまっちのセンスが非凡ってことで(笑)。
ここの音楽も好きだなー。
気に入らない演出だからと芸人たち相手に剣を抜いて舞台へ上がる王様ってどうなん、とか、たかが芸人相手に走り回るだけでまったく役に立たない銃士隊とか、疑問はいろいろあるけどな。
前にも別項で書いたけど、ここでいちばん気に入らない演出が、「フランス語使う私ってかっこいい」と作者が悦に入っているだけ、としか思えない、フィリップ@キムの「はじめて会う母親への言葉がフランス語」ってやつ。
とても盛り上がる場面、観客も固唾をのんで見守るものすごーく重要な場面で、何故フランス語なの? ここ日本なんですけど。
以前『キル・ビル』っちゅー映画を見て爆笑した、アレと同じよね。英語を話すアメリカ人たちが、チャンバラをして「ここぞ!」というキメ台詞だけ日本語なの。とても無意味に。脈絡なくキメ台詞だけ日本語なのは、「突然わからない言葉を使うと、かっこいいから」ってだけだよね?
物語の流れを壊さないキメ台詞だけなら「わからない言葉」でもいいかもしれないけど、「母と息子の涙の対面」を「かっこいい」優先する気持ちがわからない。
ほんとうにこの作品を作った人は、人の心を理解しないんだなと思うのみ。
というか、アンヌ王太后@ミトさんが、ほんとに謎で。
ルイ/フィリップが入れ替わっていることにすぐにわかった、だって母親ですもの、というのはいい。
わからないのは、やはり作品の根幹の「仮面の男」関連について。
三銃士とダルタニアン@ちぎの年齢を誤魔化したために、全部壊れたのか?
ここがタカラヅカである以上、メインキャラをおっさんや老人で埋め尽くすわけにはいかない。だから、本来はかなりの年齢であるはずの彼らを青年に設定した。それはタカラヅカ的に正しい判断だと思う。
だがそのために、年代経過がわかりにくくなっている。
最初に「早わかり世界史」をやったわりに、年表が書けない。
何年にルイが生まれ、何年にフィリップはコンスタンス@あゆっちと出会ったのか、何年にフィリップが投獄されたのか、そして今が何年なのか。
フィリップに仮面を付けてバスティーユへ幽閉した黒幕はルイ、実行犯はルーヴォア@ひろみということになっている。
だから一大ページェントで闇の騎士たちが、一部のモノしか知らない「仮面」を付けていることで、ルイとルーヴォアだけが反応する。悪役チーム内でも、ダルタニアン、ロシュフォール@せしる、ミレディ@ヒメは反応しない。
アンヌ王太后はなにも知らないらしい。
これが、不思議なんだ。
コンスタンスは王太后の命令で、フィリップ養育に当たっている。そして、殺された。
アンヌさんは言う、フィリップの命を守るにはこうするしかなかった、監視の目が厳しくて手紙も書けなかった、って……。
この言い分が通るのって、いったい何年くらいだろう。
常識的に考えて、牢獄に監禁されて24時間監視されている人間でもない限り、ふつーに生活している人間が「監視の目が厳しくて手紙1通書けない」状況は、どれくらい継続できるだろうか?
たとえば5年経てば、手紙くらいは書けるんじゃないの? ほんとうに、捨てた息子のことを忘れていなくて、ずーっと彼を愛し心配しているなら、最初の数年は「もうひとりの息子ってナニ? もう忘れたわ、ほほほ」と振る舞って、そのあとに手紙を書くことは出来たでしょうに。
さらに不思議なのは、彼女の口調だと、フィリップが「鉄仮面を付けてバスティーユに監禁されていた」とは思っていなさそうだということ。
闇の騎士たちの仮面にも反応していなかったし、ナニも知らなかったらしい。
えー、コンスタンスは殺されています。彼女だけではなく、フィリップ養育に当たった人々は皆殺しです。そのことを、何年知らずにいられるものでしょうか?
わずかな間なら、コンスタンスと連絡が取れなくても不思議はないかもしれないけれど。何年もって……。
結論として言えるのは、アンヌ王太后は、フィリップのことなんか忘れていた、ってことだよね……。
守りたかったのはフィリップの命ではなく、自分の立場。
双子なんか生んでしまって、そのせいでフランス王家が揺れては困る。だから片方は抹殺したかった。王子を殺せないから、秘密裏に育てることにした。腹心の侍女コンスタンスに任せて、あとのことは知らない、興味ない。
手紙? 書きませんよそんなもの。コンスタンスと連絡? 取ってませんよ不必要。
たしかに、一大ページェントでの双子入れ替えはすぐにわかったんだろう。
捨てた息子が無事に成人していたことが、うれしくはあったんだろう。しかし、そっから先は全部嘘、そう言わないとまずいと思って泣きの演技スタート。辻褄合ってないけど、そこまで考えない。
第一、変じゃん。なんで芝居の最中に双子が入れ替わるの? それってかなり不穏なことだよね? ルイはどうなったの? フィリップ相手に泣いてる場合じゃない、ルイへの愛情もないってこと?
キムの演技が素晴らしいのでついもらい泣きしちゃう母子の再会場面だけど、脚本に書かれているのは、「人でなしの母」でしかないという。
結局ルイもフィリップもどーでもいい、自分保身しかアタマにない人。
もちろん、きちんとアンヌ王太后のことを描く時間がないということはわかる。
ならば、最初から彼女を出さなければいい。
ルイ/フィリップを入れ替えた、みんな気がついていない、だけでいい。アンヌ王太后は気付いたかもしれないけれど、台詞では特にナニも言わなかった、「あなた……?」とひとこと不審そうな声を掛けた、でもすぐに人目を気にしてなにごともない態度に戻ったとかで、それ以上描かれていないから、彼女がどう思ったかは観客にはわからない、でいいじゃん。
安易に「お涙頂戴」をやろうとして「ちょっといい話」をやろうとして、失敗している。
続く。
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