一大ページェント終了と共に、終わるモノ。@仮面の男
2011年11月6日 タカラヅカ ムラ版『仮面の男』、演出についての感想。
三銃士たちは無事に、ルイ/フィリップ@キム入れ替えに成功した。
ここで、整理してみよう。
この『仮面の男』という物語は、ラウル@翔が牢獄でフィリップの素顔を見てしまったことにはじまる。
国王ルイに双子の兄がいることは国家機密、ラウルは口封じに殺された。
ここまでなら、物語はなにも動き出さない。ただの「仮面の男の説明」でしかない。
物語が動き出すのは、そうやって殺されたラウルの仇を討つため、兄のアトス@まっつが立ち上がったことによる。
「ルイへ復讐する」……これがアトスの動機であり、それによってフィリップが牢獄から助け出され、次にルイと入れ替えられる。
ルイへの復讐という動機がなければ、アトスはなにもしていないし、フィリップは永遠に牢獄の中だ。
ではこの「ルイへの復讐」はどうなったのだろう。
物語根幹の「理由」だ。動力だ。これが動いていないと、物語は動かない。
ところが、ルイ/フィリップ入れ替え作戦が成功した時点で、復讐は、忘れられている。
三銃士がルイとフィリップを入れ替えたのは、「復讐のため」であるはずだ。
ルイが暴君であるゆえに、フランスのために入れ替えるわけではない。
フランスのためならば、入れ替えるフィリップは賢王でなければならないのだが、フィリップの資質についての言及は一切ナイ。
泣いて逃げ出すことを考えている場面があるのみ、フィリップを王にしたところで国が良くなるという描き方はしていない。しかもアラミス@きんぐに「失敗したらそのときだ」と言わせ、フィリップの王としての素質の有無は重要視していないことを表現している。
フィリップを王にすることが入れ替えの目的ではない。
つまり、三銃士の目的はルイを誘拐することであり、その動機は復讐であるはずだ。
が。
いざ入れ替えが成功したとき、アトスは言う。「捕まえたルイをどうするか、それが問題だ」と。
復讐のためにルイを捕まえたはずなのに、どうするか決めてない??
復讐自体を楽しむために、どう料理しようか舌なめずりをしているわけではない。ほんとうに言葉通り、なにも決まっていないのだ。
『仮面の男』という物語の動力は、ルイへの復讐だったはずだ。
なのに、動機が忘れ去られている。
では、動機もナシに、なんのためにルイとフィリップを入れ替えたのか?
入れ替えたあとのフィリップに、王としての期待はまったくない。
捕まえたルイをどうするかも、まったく決めていない。
なにがしたかったの?
導き出される答えは、ひとつしかない。
入れ替え劇である、一大ページェントを、やりたかった。
三銃士が、ではない。
作者が、だ。
早わかり世界史をやりたかった、人間ボウリングをやりたかった、大囚人ナンバーをやりたかった……それらと同じ動機。
一大ページェントを、やりたかった。
人間ミラーボールや不思議なイキモノを出したかった、もう何回目のちんなのか「ちんは国家なり」と言わせたかった。
ただ、それだけ。
ストーリー上必要だから一大ページェントがあるわけじゃない。
現に、一大ページェントの直後に双子の入れ替えはすべてばれ、ルイはダルタニアン@ちぎに助け出される。
長々と一大ページェントをやったわけだが、全部無意味になった。
なくても問題がない。ルイが王宮を離れた時間なんて、ほんとうに数時間のことだろう。一度も王座を退くことはなかった、でも問題ないわ、数時間の不在なら。
こだまっちはほんとうに、アタマが悪いんだなあと思う。
いや、頭脳の問題ではなく、それをコントロールする感情部分に問題がある。
『天の鼓』でも感じたことなんだけど、物語の軸が途中で横滑りするの。虹人の物語を描いていたはずなのに、途中で帝の話に萌えてしまった。ふつうなら、どんだけ萌えても「この物語の主人公は虹人」と軸はそのまま、帝はおいしい悪役として花開く。
が、こだまっちは帝に萌えたら萌えた時点で、それまでの話は放り出して、帝の話を描きはじめてしまった。
幼児と同じ。おえかきをして遊んでいたところ、つみきが気になった。その瞬間、クレヨンを放り出して、つみきで遊びはじめる。
大人なら……いや、とりあえず幼児でなくなれば、なにかひとつのことをしていて、別のモノに気を取られても、全部投げ出してそっちに移らないよね。今やっていることに片を付けてから移る。
数学の計算をしている途中で、同じノートの続きに英作文ははじめないでしょう? 計算途中の同じ行から突然英文が書かれていたら、びびるわな。
人間だから、ひとつのことだけを考えていられる訳じゃない。気は散るさ。でも、理性で押さえつけて、「それはそれ」と分けて考える。
こだまっちは、ソレが出来ない。気が散ったら、散ったまま。感情を理性でコントロールできない。
だから、物語も横滑りする。
「ルイへの復讐」として描いていたはずの物語が、「一大ページェントをやりたい」にすり替わる。
ふつうの人なら、「ルイへの復讐」はそのまま継続して、その手段として「一大ページェント」をやる。復讐だけじゃ据わりが悪いから、「フランスのため」と美しい理由を付けて、フィリップが王に相応しい資質を持つ人物であることも表現する。
だがこだまっちはふつうじゃないから、そんなことは思いつかない。おえかきにあきた子どもが次のオモチャに夢中になるように、自分の大好きな「素晴らしいアイディア発表会」である、一大ページェントを描くことだけに夢中になる。
そんな作者によるモノだから、『仮面の男』には、まとまった軸が存在しないんだ。
作品は3つのパートに分かれている。
大囚人ナンバーまでは、こだまっちのパフォーマンス。ストーリーなし。なにしろまだ主人公は登場していない。
ラウルがフィリップを目撃、一大ページェントまでが、アトスの復讐。つまり、ストーリー部分。
そのあとの逃走劇はトップコンビと2番手の見せ場。ストーリーは、実はあまり関係ない。
3つのパートはそれぞれ別物。こだまっちが、ひとつの軸で物語を作っていないためだ。
一応、2つめのアトスの復讐を軸にしようとしたきらいはある。途中で忘れちゃったみたいだけど。
アトスは主人公じゃないから、ここを軸にしているところから間違ってるんだけどねー。
なにしろ、主人公が登場するのが、幕が開いてから50分後だからねー。
大囚人ナンバーが終わって、ようやくストーリーが動き出した、主人公が登場した!
と思った直後、一大ページェント終了と共に、ストーリーも終了。
物語を直接動かしていた復讐という動機が忘れ去られ、キャラクタたちは舞台の上で立ち往生。
誰ひとり、自分がなにをすればいいのか、わかっていない。
ルイを誘拐したのにそれでどうするか考えていなかった三銃士、ダルタニアンに追われて逃げ出したけれどそれでどうするつもりなの、フランスを出るの?
ルイでないことがばれ、ルイーズ@みみと共に逃亡するフィリップ、逃げてどうするの、フランスを出るの?
コンスタンス@あゆっちの復讐に生きると言いつつなにもしていないダルタニアン、たまたまルーヴォア@ひろみが実行犯だとわかるわけだが、そうでなかったらどうするつもりだったの、三銃士を殺したの?
軸のない物語は、誰ひとりナニもできない、どこへも行けない。
三銃士たちは無事に、ルイ/フィリップ@キム入れ替えに成功した。
ここで、整理してみよう。
この『仮面の男』という物語は、ラウル@翔が牢獄でフィリップの素顔を見てしまったことにはじまる。
国王ルイに双子の兄がいることは国家機密、ラウルは口封じに殺された。
ここまでなら、物語はなにも動き出さない。ただの「仮面の男の説明」でしかない。
物語が動き出すのは、そうやって殺されたラウルの仇を討つため、兄のアトス@まっつが立ち上がったことによる。
「ルイへ復讐する」……これがアトスの動機であり、それによってフィリップが牢獄から助け出され、次にルイと入れ替えられる。
ルイへの復讐という動機がなければ、アトスはなにもしていないし、フィリップは永遠に牢獄の中だ。
ではこの「ルイへの復讐」はどうなったのだろう。
物語根幹の「理由」だ。動力だ。これが動いていないと、物語は動かない。
ところが、ルイ/フィリップ入れ替え作戦が成功した時点で、復讐は、忘れられている。
三銃士がルイとフィリップを入れ替えたのは、「復讐のため」であるはずだ。
ルイが暴君であるゆえに、フランスのために入れ替えるわけではない。
フランスのためならば、入れ替えるフィリップは賢王でなければならないのだが、フィリップの資質についての言及は一切ナイ。
泣いて逃げ出すことを考えている場面があるのみ、フィリップを王にしたところで国が良くなるという描き方はしていない。しかもアラミス@きんぐに「失敗したらそのときだ」と言わせ、フィリップの王としての素質の有無は重要視していないことを表現している。
フィリップを王にすることが入れ替えの目的ではない。
つまり、三銃士の目的はルイを誘拐することであり、その動機は復讐であるはずだ。
が。
いざ入れ替えが成功したとき、アトスは言う。「捕まえたルイをどうするか、それが問題だ」と。
復讐のためにルイを捕まえたはずなのに、どうするか決めてない??
復讐自体を楽しむために、どう料理しようか舌なめずりをしているわけではない。ほんとうに言葉通り、なにも決まっていないのだ。
『仮面の男』という物語の動力は、ルイへの復讐だったはずだ。
なのに、動機が忘れ去られている。
では、動機もナシに、なんのためにルイとフィリップを入れ替えたのか?
入れ替えたあとのフィリップに、王としての期待はまったくない。
捕まえたルイをどうするかも、まったく決めていない。
なにがしたかったの?
導き出される答えは、ひとつしかない。
入れ替え劇である、一大ページェントを、やりたかった。
三銃士が、ではない。
作者が、だ。
早わかり世界史をやりたかった、人間ボウリングをやりたかった、大囚人ナンバーをやりたかった……それらと同じ動機。
一大ページェントを、やりたかった。
人間ミラーボールや不思議なイキモノを出したかった、もう何回目のちんなのか「ちんは国家なり」と言わせたかった。
ただ、それだけ。
ストーリー上必要だから一大ページェントがあるわけじゃない。
現に、一大ページェントの直後に双子の入れ替えはすべてばれ、ルイはダルタニアン@ちぎに助け出される。
長々と一大ページェントをやったわけだが、全部無意味になった。
なくても問題がない。ルイが王宮を離れた時間なんて、ほんとうに数時間のことだろう。一度も王座を退くことはなかった、でも問題ないわ、数時間の不在なら。
こだまっちはほんとうに、アタマが悪いんだなあと思う。
いや、頭脳の問題ではなく、それをコントロールする感情部分に問題がある。
『天の鼓』でも感じたことなんだけど、物語の軸が途中で横滑りするの。虹人の物語を描いていたはずなのに、途中で帝の話に萌えてしまった。ふつうなら、どんだけ萌えても「この物語の主人公は虹人」と軸はそのまま、帝はおいしい悪役として花開く。
が、こだまっちは帝に萌えたら萌えた時点で、それまでの話は放り出して、帝の話を描きはじめてしまった。
幼児と同じ。おえかきをして遊んでいたところ、つみきが気になった。その瞬間、クレヨンを放り出して、つみきで遊びはじめる。
大人なら……いや、とりあえず幼児でなくなれば、なにかひとつのことをしていて、別のモノに気を取られても、全部投げ出してそっちに移らないよね。今やっていることに片を付けてから移る。
数学の計算をしている途中で、同じノートの続きに英作文ははじめないでしょう? 計算途中の同じ行から突然英文が書かれていたら、びびるわな。
人間だから、ひとつのことだけを考えていられる訳じゃない。気は散るさ。でも、理性で押さえつけて、「それはそれ」と分けて考える。
こだまっちは、ソレが出来ない。気が散ったら、散ったまま。感情を理性でコントロールできない。
だから、物語も横滑りする。
「ルイへの復讐」として描いていたはずの物語が、「一大ページェントをやりたい」にすり替わる。
ふつうの人なら、「ルイへの復讐」はそのまま継続して、その手段として「一大ページェント」をやる。復讐だけじゃ据わりが悪いから、「フランスのため」と美しい理由を付けて、フィリップが王に相応しい資質を持つ人物であることも表現する。
だがこだまっちはふつうじゃないから、そんなことは思いつかない。おえかきにあきた子どもが次のオモチャに夢中になるように、自分の大好きな「素晴らしいアイディア発表会」である、一大ページェントを描くことだけに夢中になる。
そんな作者によるモノだから、『仮面の男』には、まとまった軸が存在しないんだ。
作品は3つのパートに分かれている。
大囚人ナンバーまでは、こだまっちのパフォーマンス。ストーリーなし。なにしろまだ主人公は登場していない。
ラウルがフィリップを目撃、一大ページェントまでが、アトスの復讐。つまり、ストーリー部分。
そのあとの逃走劇はトップコンビと2番手の見せ場。ストーリーは、実はあまり関係ない。
3つのパートはそれぞれ別物。こだまっちが、ひとつの軸で物語を作っていないためだ。
一応、2つめのアトスの復讐を軸にしようとしたきらいはある。途中で忘れちゃったみたいだけど。
アトスは主人公じゃないから、ここを軸にしているところから間違ってるんだけどねー。
なにしろ、主人公が登場するのが、幕が開いてから50分後だからねー。
大囚人ナンバーが終わって、ようやくストーリーが動き出した、主人公が登場した!
と思った直後、一大ページェント終了と共に、ストーリーも終了。
物語を直接動かしていた復讐という動機が忘れ去られ、キャラクタたちは舞台の上で立ち往生。
誰ひとり、自分がなにをすればいいのか、わかっていない。
ルイを誘拐したのにそれでどうするか考えていなかった三銃士、ダルタニアンに追われて逃げ出したけれどそれでどうするつもりなの、フランスを出るの?
ルイでないことがばれ、ルイーズ@みみと共に逃亡するフィリップ、逃げてどうするの、フランスを出るの?
コンスタンス@あゆっちの復讐に生きると言いつつなにもしていないダルタニアン、たまたまルーヴォア@ひろみが実行犯だとわかるわけだが、そうでなかったらどうするつもりだったの、三銃士を殺したの?
軸のない物語は、誰ひとりナニもできない、どこへも行けない。
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