ウサギとカメ、馬とクラゲ。@仮面の男
2011年11月10日 タカラヅカ まだ続いてる『仮面の男』ムラ版演出感想の続き。こいつを終わらせないと他が書けないっ。
飲んだくれる三銃士はかわいい。
捕らえたルイ@キムの処遇を考えていなかったり、弟を殺されたばかりのアトス@まっつはこんなむちゃくちゃな脚本演出で気の毒だなと思うけれど、ここだけを切り取って見る分には、かわいい男たちがかわいく絡んでいるのでかわいい。……つまりソレって、三銃士でも『仮面の男』でもなくてイイって話だけど(笑)。
「今夜の成功」と限定してしまったのが敗因。
そして、どーして今夜かというと、「祝して乾杯」と三銃士を飲んだくれさせたかったから。
酒飲みの歌をやりたい、それだけの理由で本筋を壊す。……なんてこだまっちらしい。
銃士隊とダルタニアン@ちぎは大騒ぎして三銃士を追ったり、ルイを助けたりしている。
その頃王宮ではフィリップ@キムとルイーズ@みみが逃避行中。
ええ、あの影絵のシーン。
影絵自体はいい。隠れて生きることしか許されない・友だちと遊んだりできないフィリップのために、コンスタンス@あゆっちが、ひとりでも出来る遊び……影絵を教えたのかと思うと、切ない。
子どもの頃の遊びなのに、フィリップが今でもそれが出来ること……それこそ人に教えられるくらい長けていることも、牢獄の中でひとりで繰り返し遊んでいたのかと思うと、超絶切ない。
だから、影絵が悪いわけじゃないんだよ。
鳥だの犬だのやっているうちは。
ウサギとカメが、いらん。
フィリップとも『仮面の男』ともまったく関係ないやん。
当時のフランスでポピュラーなおとぎ話だったんですか? 史実があって、これを入れなくてはならなかったの? チガウよね?
本筋に必要だから入れた、本筋に必要だからウサギとカメだった、というようには、まったく思えない。
むしろ、「素人が付け焼き刃でできる影絵が、ウサギとカメだけだった。だから必然的にウサギとカメになった」に思える。
まず、影絵をやりたい、という目的があり、それゆえにストーリーもキャラクタも、ここがタカラヅカであることも一切無視した結果が、「ウサギとカメ」である。
『仮面の男』全編を貫いている、本末転倒さ。
演出家のエゴ。
それを具現した場面だと思うために、不快さMAXレベル(笑)。
影絵というアイディア自体はいいんだから、それを自分でぶちこわすことないだろーに。ほんとアタマ悪いなー。
話している内容は噛み合ってないんだけど(なにしろウサギとカメだし)、それでもフィリップとルイーズの会話から歌にかけてはすごくいい。全編通してもっとも泣ける。
不快さMAXレベルなのに、いちばん泣けるってナニゴト(笑)。
キムみみがいいだけに、ほんとにくやしい。そのこともあり、さらにウサギとカメがムカつくのかも。
影絵のためにセットされたスクリーンに、次は疾走する馬の映像が映る。
紗幕の向こうには三銃士。よく見るとなにかしら台の上に乗り、「馬に乗っている」演技をしている模様。
しかしここは、カッコいい。映像も使い方次第。
でもさー、ひとつ聞きたいんだ。
サン・マルグリット島へ、ナニしに行くの?
死刑囚だけが送られる島だそうで。
そこへわざわざ向かうのは、何故? 理由が書かれていない。
国王誘拐犯であり、国王が双子であることを知った者は皆殺し必須、三銃士は国家をあげて追われているわけよね。捕まったら即口封じされるよね。
そこで何故サン・マルグリット島? 国外脱出ではなく? フィリップと落ち合う、待ち合わせ場所なだけで、場所自体はどこでも良かった、この島から国外へ脱出するってこと?
理由を教えてくれないと、何故島なのかがわからない。だって、島だよ? 船を着けられる場所は限られているだろうし、そこを押さえられてしまったら逃げ場ナシ、一網打尽にされるじゃん?
自ら袋小路へ逃げ込む意味は?
現に、銃士隊に待ち伏せされているし。
日本と違って、他国と陸続きのフランスで「脱出=船」ってわけでもないだろうし。通信手段が限られているから、「バレた=即国境封鎖」ってわけでもないだろうし。
ええ。何故マルグリット島なのかではなく、ポイントは「島」なのではないかと、思うのですよ。
つまり。
船~海中の場面をやりたかったから、島へ逃げたんじゃないか、と。
はじめて見た人がもれなくアゴを落とす、無意味なギャグ場面。
馬の場面から続き、三銃士は小さな船に乗り込む。酔っぱらいポルトス@ヲヅキがバランスを崩し、船は転覆、突如南国ムードな音楽になり、スクリーンにクラゲがふわふわ。
黒子が動かす台の上に腹這いで乗った三銃士がそれぞれ「泳げないんだ~~」とかわめきながらじたばたする。
こだまっち的には、馬の場面の格好良さとの落差を狙った演出らしい。
どちらも三銃士のテーマソング「Un Pour Tous」を歌わせている。馬の場面では格好良く「ひとりはみんなのために」と歌い、海の場面では「ひとりはみんなのためじゃなかったのか~~!」と言わせる。
「ル・サンク」に「歌詞に反して醜い争いをしながら泳いでいく三銃士」とあるのを読んだときに、心からがっくりと肩を落としたもんです。うわあ、ドヤ顔で「なんて秀逸な演出!」と思ってるよ、と。
島へ行く理由も説明されず、格好いい馬の場面は、海の場面をやりたいがための前振り。
こだまっちにとって「タカラヅカ」ってなんなんだろう、と思う一瞬。
馬の場面は格好いい。ここは映像を使った斬新な演出であり、かつ「タカラヅカ」である。
が、何故馬の場面があったかというと、そのあとのどーでもいいギャグ場面をやりたかったから。海の場面は「タカラヅカ」ではない、「タカラヅカ」がもっとも嫌うタイプのものだ。
「タカラヅカ」的なモノを道具にして、「タカラヅカ」が嫌うモノを創る。これは、「タカラヅカ」への陵辱ではないのか?
「タカラヅカ」的ではないから云々、の域を超えている。
日舞の発表会で、着物姿で古式ゆかしく踊る場面を真面目に作り、その次の場面でキテレツな現代衣装で登場して電子音楽で踊りまくる、日舞を観に来た人はびっくり、演出家が鼻息荒くドヤ顔しているのはこのキテレツ場面の方、キテレツ場面だけだとインパクト薄いけどなにしろ古めかしい日舞でやるから効果覿面でしょ、って……日舞観に来た人怒るわ。日舞を利用された、辱められたと憤慨するわ。それなら最初から日舞の発表会っていうなよ、利用するなよてなもんで。
タカラヅカの座付き演出家でありながら、何故タカラヅカを辱め、タカラヅカとファンを傷つけるようなことをするんだろう。わけわからん。
続く。
飲んだくれる三銃士はかわいい。
捕らえたルイ@キムの処遇を考えていなかったり、弟を殺されたばかりのアトス@まっつはこんなむちゃくちゃな脚本演出で気の毒だなと思うけれど、ここだけを切り取って見る分には、かわいい男たちがかわいく絡んでいるのでかわいい。……つまりソレって、三銃士でも『仮面の男』でもなくてイイって話だけど(笑)。
「今夜の成功」と限定してしまったのが敗因。
そして、どーして今夜かというと、「祝して乾杯」と三銃士を飲んだくれさせたかったから。
酒飲みの歌をやりたい、それだけの理由で本筋を壊す。……なんてこだまっちらしい。
銃士隊とダルタニアン@ちぎは大騒ぎして三銃士を追ったり、ルイを助けたりしている。
その頃王宮ではフィリップ@キムとルイーズ@みみが逃避行中。
ええ、あの影絵のシーン。
影絵自体はいい。隠れて生きることしか許されない・友だちと遊んだりできないフィリップのために、コンスタンス@あゆっちが、ひとりでも出来る遊び……影絵を教えたのかと思うと、切ない。
子どもの頃の遊びなのに、フィリップが今でもそれが出来ること……それこそ人に教えられるくらい長けていることも、牢獄の中でひとりで繰り返し遊んでいたのかと思うと、超絶切ない。
だから、影絵が悪いわけじゃないんだよ。
鳥だの犬だのやっているうちは。
ウサギとカメが、いらん。
フィリップとも『仮面の男』ともまったく関係ないやん。
当時のフランスでポピュラーなおとぎ話だったんですか? 史実があって、これを入れなくてはならなかったの? チガウよね?
本筋に必要だから入れた、本筋に必要だからウサギとカメだった、というようには、まったく思えない。
むしろ、「素人が付け焼き刃でできる影絵が、ウサギとカメだけだった。だから必然的にウサギとカメになった」に思える。
まず、影絵をやりたい、という目的があり、それゆえにストーリーもキャラクタも、ここがタカラヅカであることも一切無視した結果が、「ウサギとカメ」である。
『仮面の男』全編を貫いている、本末転倒さ。
演出家のエゴ。
それを具現した場面だと思うために、不快さMAXレベル(笑)。
影絵というアイディア自体はいいんだから、それを自分でぶちこわすことないだろーに。ほんとアタマ悪いなー。
話している内容は噛み合ってないんだけど(なにしろウサギとカメだし)、それでもフィリップとルイーズの会話から歌にかけてはすごくいい。全編通してもっとも泣ける。
不快さMAXレベルなのに、いちばん泣けるってナニゴト(笑)。
キムみみがいいだけに、ほんとにくやしい。そのこともあり、さらにウサギとカメがムカつくのかも。
影絵のためにセットされたスクリーンに、次は疾走する馬の映像が映る。
紗幕の向こうには三銃士。よく見るとなにかしら台の上に乗り、「馬に乗っている」演技をしている模様。
しかしここは、カッコいい。映像も使い方次第。
でもさー、ひとつ聞きたいんだ。
サン・マルグリット島へ、ナニしに行くの?
死刑囚だけが送られる島だそうで。
そこへわざわざ向かうのは、何故? 理由が書かれていない。
国王誘拐犯であり、国王が双子であることを知った者は皆殺し必須、三銃士は国家をあげて追われているわけよね。捕まったら即口封じされるよね。
そこで何故サン・マルグリット島? 国外脱出ではなく? フィリップと落ち合う、待ち合わせ場所なだけで、場所自体はどこでも良かった、この島から国外へ脱出するってこと?
理由を教えてくれないと、何故島なのかがわからない。だって、島だよ? 船を着けられる場所は限られているだろうし、そこを押さえられてしまったら逃げ場ナシ、一網打尽にされるじゃん?
自ら袋小路へ逃げ込む意味は?
現に、銃士隊に待ち伏せされているし。
日本と違って、他国と陸続きのフランスで「脱出=船」ってわけでもないだろうし。通信手段が限られているから、「バレた=即国境封鎖」ってわけでもないだろうし。
ええ。何故マルグリット島なのかではなく、ポイントは「島」なのではないかと、思うのですよ。
つまり。
船~海中の場面をやりたかったから、島へ逃げたんじゃないか、と。
はじめて見た人がもれなくアゴを落とす、無意味なギャグ場面。
馬の場面から続き、三銃士は小さな船に乗り込む。酔っぱらいポルトス@ヲヅキがバランスを崩し、船は転覆、突如南国ムードな音楽になり、スクリーンにクラゲがふわふわ。
黒子が動かす台の上に腹這いで乗った三銃士がそれぞれ「泳げないんだ~~」とかわめきながらじたばたする。
こだまっち的には、馬の場面の格好良さとの落差を狙った演出らしい。
どちらも三銃士のテーマソング「Un Pour Tous」を歌わせている。馬の場面では格好良く「ひとりはみんなのために」と歌い、海の場面では「ひとりはみんなのためじゃなかったのか~~!」と言わせる。
「ル・サンク」に「歌詞に反して醜い争いをしながら泳いでいく三銃士」とあるのを読んだときに、心からがっくりと肩を落としたもんです。うわあ、ドヤ顔で「なんて秀逸な演出!」と思ってるよ、と。
島へ行く理由も説明されず、格好いい馬の場面は、海の場面をやりたいがための前振り。
こだまっちにとって「タカラヅカ」ってなんなんだろう、と思う一瞬。
馬の場面は格好いい。ここは映像を使った斬新な演出であり、かつ「タカラヅカ」である。
が、何故馬の場面があったかというと、そのあとのどーでもいいギャグ場面をやりたかったから。海の場面は「タカラヅカ」ではない、「タカラヅカ」がもっとも嫌うタイプのものだ。
「タカラヅカ」的なモノを道具にして、「タカラヅカ」が嫌うモノを創る。これは、「タカラヅカ」への陵辱ではないのか?
「タカラヅカ」的ではないから云々、の域を超えている。
日舞の発表会で、着物姿で古式ゆかしく踊る場面を真面目に作り、その次の場面でキテレツな現代衣装で登場して電子音楽で踊りまくる、日舞を観に来た人はびっくり、演出家が鼻息荒くドヤ顔しているのはこのキテレツ場面の方、キテレツ場面だけだとインパクト薄いけどなにしろ古めかしい日舞でやるから効果覿面でしょ、って……日舞観に来た人怒るわ。日舞を利用された、辱められたと憤慨するわ。それなら最初から日舞の発表会っていうなよ、利用するなよてなもんで。
タカラヅカの座付き演出家でありながら、何故タカラヅカを辱め、タカラヅカとファンを傷つけるようなことをするんだろう。わけわからん。
続く。
コメント