そして、終幕。@仮面の男
2011年11月16日 タカラヅカ これで最後だ、『仮面の男』ムラ版演出の感想。東宝版は東宝版でつっこみたいこと山ほどある(笑)。
ダルタニアンがめちゃくちゃなのは置いておいて。
主役とヒロインがまた、えらいことに。
三銃士とルイーズ@みみの命と引き替えにと、幽閉を受け入れるフィリップ@キム。
「わたしも一緒に」と言い出すルイーズ。
心変わり、早っ。
だから、ルイーズが「ラウルの仇」とフィリップに斬りかかったのはほんの数時間前なのよ?
たった数時間でこの変わり様はひどい……どんだけフィリップがいい子で、ふたりの間にイイ空気が流れていたって、出会って数時間でこれはナイ……。
ほんとに、なんで一大ページェントと同じ日に、こんなことになってるんだろう。
数時間後にしなきゃならない理由がどこにあったんだ。
フィリップとルイーズが出会って何日か経っていたならまだマシだったのに。何日かでもやっぱり「心変わり、早っ」と思われるだろうけど、それは「早い」レベルであって、数時間後だと「ありえない・おかしい」レベルだよ……。
わざわざこんなおかしい演出をする理由が、舞台からは読みとれない。まともにする方法が星の数ほどあるのに、わざわざおかしいことをあえてしている。
作者がおかしいとしか思えない。
心変わり早っ、はともかく、フィリップとルイーズの最後の銀橋はいい。
ラヴシーン未満の、絆の芽生えみたいなあたりで止めてあるのもいい。
最後にオープニングと同じ仮面のセットが登場してくるのも。
……ただ、「ル・サンク」にあった「鉄の仮面は完全に修復され、まるでこれからの二人とフランスの未来を表すかのように、黄金に光り輝く」はよくわからない。そんな演出されてました、あの仮面?
映像に頼りすぎた結果だと思う。映像がうまく作れなかったら演出も崩壊、って、ここ映画館じゃないんですけどってな。
ルイーズの変心はおかしいけど、フィリップだけは筋が通っているのが、救い。
フィリップからしたら、牢獄から出てはじめて出会った女性に恋しても、至極普通のことだ。
秘密を共有する唯一の異性で、同じDNAを持つルイ@キムが一目惚れするほど好みのタイプの美女で、フィリップの唯一の身近な女性だったコンスタンス@あゆっちに似ているときたもんだ。
しかも命がけの逃避行、吊り橋効果抜群。
これで少年が恋に落ちないはずがない。
年上のおねーさんに憧れるように、少しおどおどと相手の顔色を確かめながら胸の内をつづるフィリップは、実にリアルだ。
もっとも、フィリップにリアリティを出してくれたのは、キムくんの演技力のなせる技とも言えるが。
ルイーズだって、時間経過のおかしさを除けば、彼女がフィリップに惹かれるのはわかるんだ。
あのきらきらした涙を、まっすぐな心を見せつけられて、「国王の双子の兄弟」という国家機密にに関わったために傷を負ったという点では同じ、そりゃ心も近付くわという。
みみちゃんがとてもリアルに、心の動きを表現している。
ちぎだってまっつだって、他の人たちだって、めちゃくちゃな役を、脚本を、なんとかしようと誠心誠意闘っていた。
ほんとに……なんて脚本、なんて演出だろう。
そして、ムラ版は闇に葬られた。
スカステ放送もなく、販売映像にも残らない。
東宝で削られた場面が「人道的に許されなかった」と判断された部分らしい。
もちろん、それらは差し替えられて当然の酷い演出だったが、それを抜きにしてもめちゃくちゃですよ、酷いですよ(笑)。
こんだけ長々だらだら書いた感想のほとんどは、差し替えとは関係ない部分だし。
だが、宝塚歌劇団100年弱の歴史の中で、前代未聞の出来事。
公式に謝罪の上、演出が変更になるなんて。
そんな「なかったこと」と抹殺しなければならない作品を、外部からの指摘がなければ今でも平気で上演していただろう、歌劇団のシステムに疑問を持つ。
現に生徒は稽古の段階で「この演出はおかしい」とこだまっちに進言したと聞く。しかしこだまっちは演出家は自分だと聞く耳持たず強行したと。
まさに暴君。
しかしこだまっちは植爺のような権力者だとか、名声のある人間でもないだろう。こだまっちを止めることは可能だったはずだ。生徒にその権限がななくても、劇団になら。
こだまっちがおかしいのは仕方ないとして、それを止められなかった劇団に、いちばんの問題があると思う。
こだまっちはおかしいと思うけれど、まったく無能だと思うわけじゃない。
クリエイターなんて、どこか常人と違っていても仕方ない部分はある。
彼女の才能や技術をうまくコントロールして、ひとに見せていいもの、客から金を取っていいものを作るのが、劇団の仕事だろうに。
こだまっちはショーを作ればいい、という意見も耳にするけど、あのー、今回差し替えになっている場面は、ほとんど「ショー」場面ですよ?
人間ボウリングだとか小人ダンスだとか大囚人ナンバーとか、全部歌とダンスの場面じゃん。芝居部分じゃない。
ショーでも同じことするって。歌とダンスだけで、人道に外れる表現を嬉々として「誰もやってない、私だけの素晴らしいセンス!」とやってくるって。やっちゃいけないことだから、今まであえて誰もやってないんだ、つーことが、理解できないだろうから。
たしかに、物語を正しく構築できない人だから、芝居よりショーの方が被害は少なくて済むだろうけどさ。今回の「差し替えになるほどのアレさ」は芝居もショーも関係ないよ。
必要なのは、「心」とか「常識」。
さらに、タカラヅカファンに向けて、タカラヅカで上演するんだから、「タカラヅカとしてのお約束」「萌え」。
それは監修によって、フォローできるはずだ。
つっても、今回に限らず、今の劇団のおえらいさんに、そんなことのできる能力のある人がいないことは、周知のこと。
こだまっちの名作である『龍星』がトウコちゃんの指図あってのように、生徒に任せたほうが、いっそまともなものができるんじゃないの?
ぶっとんだアレなクリエイター様とか、時代錯誤なおじいちゃんや、自己陶酔したおじさんたちより、生徒の方が、タカラヅカファンの萌えを知っている気がする。、もちろん、人によるだろうけど。
ダルタニアンがめちゃくちゃなのは置いておいて。
主役とヒロインがまた、えらいことに。
三銃士とルイーズ@みみの命と引き替えにと、幽閉を受け入れるフィリップ@キム。
「わたしも一緒に」と言い出すルイーズ。
心変わり、早っ。
だから、ルイーズが「ラウルの仇」とフィリップに斬りかかったのはほんの数時間前なのよ?
たった数時間でこの変わり様はひどい……どんだけフィリップがいい子で、ふたりの間にイイ空気が流れていたって、出会って数時間でこれはナイ……。
ほんとに、なんで一大ページェントと同じ日に、こんなことになってるんだろう。
数時間後にしなきゃならない理由がどこにあったんだ。
フィリップとルイーズが出会って何日か経っていたならまだマシだったのに。何日かでもやっぱり「心変わり、早っ」と思われるだろうけど、それは「早い」レベルであって、数時間後だと「ありえない・おかしい」レベルだよ……。
わざわざこんなおかしい演出をする理由が、舞台からは読みとれない。まともにする方法が星の数ほどあるのに、わざわざおかしいことをあえてしている。
作者がおかしいとしか思えない。
心変わり早っ、はともかく、フィリップとルイーズの最後の銀橋はいい。
ラヴシーン未満の、絆の芽生えみたいなあたりで止めてあるのもいい。
最後にオープニングと同じ仮面のセットが登場してくるのも。
……ただ、「ル・サンク」にあった「鉄の仮面は完全に修復され、まるでこれからの二人とフランスの未来を表すかのように、黄金に光り輝く」はよくわからない。そんな演出されてました、あの仮面?
映像に頼りすぎた結果だと思う。映像がうまく作れなかったら演出も崩壊、って、ここ映画館じゃないんですけどってな。
ルイーズの変心はおかしいけど、フィリップだけは筋が通っているのが、救い。
フィリップからしたら、牢獄から出てはじめて出会った女性に恋しても、至極普通のことだ。
秘密を共有する唯一の異性で、同じDNAを持つルイ@キムが一目惚れするほど好みのタイプの美女で、フィリップの唯一の身近な女性だったコンスタンス@あゆっちに似ているときたもんだ。
しかも命がけの逃避行、吊り橋効果抜群。
これで少年が恋に落ちないはずがない。
年上のおねーさんに憧れるように、少しおどおどと相手の顔色を確かめながら胸の内をつづるフィリップは、実にリアルだ。
もっとも、フィリップにリアリティを出してくれたのは、キムくんの演技力のなせる技とも言えるが。
ルイーズだって、時間経過のおかしさを除けば、彼女がフィリップに惹かれるのはわかるんだ。
あのきらきらした涙を、まっすぐな心を見せつけられて、「国王の双子の兄弟」という国家機密にに関わったために傷を負ったという点では同じ、そりゃ心も近付くわという。
みみちゃんがとてもリアルに、心の動きを表現している。
ちぎだってまっつだって、他の人たちだって、めちゃくちゃな役を、脚本を、なんとかしようと誠心誠意闘っていた。
ほんとに……なんて脚本、なんて演出だろう。
そして、ムラ版は闇に葬られた。
スカステ放送もなく、販売映像にも残らない。
東宝で削られた場面が「人道的に許されなかった」と判断された部分らしい。
もちろん、それらは差し替えられて当然の酷い演出だったが、それを抜きにしてもめちゃくちゃですよ、酷いですよ(笑)。
こんだけ長々だらだら書いた感想のほとんどは、差し替えとは関係ない部分だし。
だが、宝塚歌劇団100年弱の歴史の中で、前代未聞の出来事。
公式に謝罪の上、演出が変更になるなんて。
そんな「なかったこと」と抹殺しなければならない作品を、外部からの指摘がなければ今でも平気で上演していただろう、歌劇団のシステムに疑問を持つ。
現に生徒は稽古の段階で「この演出はおかしい」とこだまっちに進言したと聞く。しかしこだまっちは演出家は自分だと聞く耳持たず強行したと。
まさに暴君。
しかしこだまっちは植爺のような権力者だとか、名声のある人間でもないだろう。こだまっちを止めることは可能だったはずだ。生徒にその権限がななくても、劇団になら。
こだまっちがおかしいのは仕方ないとして、それを止められなかった劇団に、いちばんの問題があると思う。
こだまっちはおかしいと思うけれど、まったく無能だと思うわけじゃない。
クリエイターなんて、どこか常人と違っていても仕方ない部分はある。
彼女の才能や技術をうまくコントロールして、ひとに見せていいもの、客から金を取っていいものを作るのが、劇団の仕事だろうに。
こだまっちはショーを作ればいい、という意見も耳にするけど、あのー、今回差し替えになっている場面は、ほとんど「ショー」場面ですよ?
人間ボウリングだとか小人ダンスだとか大囚人ナンバーとか、全部歌とダンスの場面じゃん。芝居部分じゃない。
ショーでも同じことするって。歌とダンスだけで、人道に外れる表現を嬉々として「誰もやってない、私だけの素晴らしいセンス!」とやってくるって。やっちゃいけないことだから、今まであえて誰もやってないんだ、つーことが、理解できないだろうから。
たしかに、物語を正しく構築できない人だから、芝居よりショーの方が被害は少なくて済むだろうけどさ。今回の「差し替えになるほどのアレさ」は芝居もショーも関係ないよ。
必要なのは、「心」とか「常識」。
さらに、タカラヅカファンに向けて、タカラヅカで上演するんだから、「タカラヅカとしてのお約束」「萌え」。
それは監修によって、フォローできるはずだ。
つっても、今回に限らず、今の劇団のおえらいさんに、そんなことのできる能力のある人がいないことは、周知のこと。
こだまっちの名作である『龍星』がトウコちゃんの指図あってのように、生徒に任せたほうが、いっそまともなものができるんじゃないの?
ぶっとんだアレなクリエイター様とか、時代錯誤なおじいちゃんや、自己陶酔したおじさんたちより、生徒の方が、タカラヅカファンの萌えを知っている気がする。、もちろん、人によるだろうけど。
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