地味に女たちが戦って。@仮面の男
2011年11月17日 タカラヅカ 雪組『仮面の男』ばっか書いている、と友人からクレーム来てます。なんで他も書かないんだと。……すまんのう、書きたいキモチは山ほどあるんだよ、ゆーひさんがどんだけかっこよかったかとか、らんとむのいなせっぷりと姫花の神演技(笑)とか、ベニーが、ベニーが、とかみやるりがとかマカゼにきゅーん、とか、そりゃもおいろいろと。
しかし、雪組公演……劇団史から抹殺されるような珍作を、何回観たと思います? や、周囲の人間に回数を聞くと「わたしなんてまだまだだな」と思うけど、とりあえずムラで13回、東宝3回(3回遠征)は自分的にはよくやったと思う……あんな作品のために! あれっぽっちの出番のために! ろくにソロもないショーのために! ちくしょー、まっつがいなかったらこんなに時間もお金も使ってないよおおお、まっつめえええ。(論点がずれてる)
ああ、『ロミジュリ』が恋しい。
『ロミジュリ』のためなら、ベン様のためなら、どれだけ時間とお金使っても本望なのに、『仮面の男』『RSF』のためにこんなにがんばってしまったことが、くやしいです(笑)。
無駄に回数観ちゃった分、書きたいことも多くてなああ。
ムラ版について、くどくど書いた。
東宝でいろいろ変更されていたけれど、結局のところ破綻した話だということは変わっていない。
ムラ版は上演意義を問うほどのトンデモ作だったが、改変された東宝版は単に、つまらない作品になっていた。
とんがった部分を削ったら、そこにはただ平坦な大地がありました。……退屈……。
それでも、人道的倫理的に問題があるまま上演するよりは、よかったんだと思う。
改変してなお酷い人たちになった三銃士とか、放置されまくりのダルタニアンとか、初日は大ウケしたけど、2回目以降はネタバレしていため笑えないし。単に酷いなとしか(笑)。
いいんだ、フィリップ@キムとルイーズ@みみちゃん見てじーんとしているから。このふたりだけだもん、役柄としての救いは。
や、生徒はみんな熱演だけど、作品・キャラクタは感情移入どころの話ぢゃないからねー……。
東宝変更点について。
オープニングから早わかり世界史はそのまま。
ムラ版でルイ@キムが出てくるべきところで、ルイの肖像画の横の扉から、おぎゃあおぎゃあ、赤ちゃん抱いたコンスタンス@あゆっち登場。それに対をなす扉から同じく赤ん坊を抱いた大司教@ホタテ登場。
そして、ルイの肖像画からアンヌ王妃@ミトさん登場。
双子の王子が生まれた、片割れはコンスタンスがこっそり育てることになりました、という解説に。
これによって早わかり世界史に意味が出来たかというとそうではなく、モリエール@咲ちゃんの立ち位置がより不可思議になったという。
モリエールは別に、国家の大機密を知っているわけじゃないのになあ。双子隠蔽を見てきたかのように語る、謎の人に。
モリエールがすべて知り得ているなら、狂言回しとして物語の外側にずっといることになるが、あくまでもここだけ。いびつだわ。
赤ん坊ルイが「偉大な王になるだろう」と大司教に宣言されたのち、よーやくルイの肖像画からルイ本人登場。前に立つアンヌと入れ替わるカタチ。
ムラ版と同じ「俺様ルイ様ソング」を歌う。
が、こっからがチガウ。
わらわらと舞台上に人が出てくるのは同じだが、人間ボウリングではない。
淑女たちはボウリングピンの被り物を付けないし、巨大メガホンもボール係もいない。
ルイが淑女を取っ替え引っ替え、愛人たくさん、というのを台詞で説明する場面になった。
…………地味。
人間ボウリングも、ただっぴろい舞台(盆が全部見えるくらい、セット皆無)にただ人がわらわらいるだけの平面的な地味な画面だった。しかしとりあえず、ミュージカル場面ではあった。
それが立ち話に変更されると、その地味っぷりってばもお。
歌は替え歌になっていた。ボール係や侍従たちの歌が、曲はそのまま別の歌詞。
人間ボウリングの是非はともかく、出演者を眺めて楽しむのにはいい場面だったので、その魅力が落ちたことは残念。
特に、あすレオの見せ場がなくなったことは、残念すぎる。
ボール係は、目立つ役だったのよ。雪組に詳しくない人が決まって「ボール係やってた子たちって、誰?」と聞いてくるような、下級生売り出しには最適な役だったの。
あすレオは、りんきらとセットにされ、下手端でコーラス。
ボール係として突然歌い出した、あの美味しさとは雲泥の差。ただのコーラス、しかもセンターりんきらの脇としてじゃあ、コンビ売りにさえなっていない。
同期で体格も似た、きらきらした美形ふたりだからこその効果だったのに、ボール係の目立ち方は。
りんきら的にも、侍従たちのまとめ役的に美声を発揮していたムラ版の方がいいよなあ。役割がぼけてしまった感じ。
巨大メガホンだった朝風くんは、指揮者になっていた。……声を張り上げない分、やっぱ見せ場がなくなったのかなあ。わたしはメガホン役好きじゃなかったから、ノリノリで指揮をしている姿はいいと思うけど、やっぱり楽団にまざる役だから、役としての輝度が下がったかな。
てゆーか花道使わなくなったのね。ムラではオーケストラ役が4人、上手花道で熱演していたんだけど、3人に減って(ホタテが出世したから・笑)本舞台でちんまりとやっていた。
花道まで全部使う方が、華やかだわね。
出番が減ったというと、侍従役の下級生たち。ムラではボードを持って銀橋渡ったりして、顔見せ・顔売りという点ではとてもおいしかったのにねえ。
「ルイの悪趣味」と銘打った場面なのに、大して悪趣味じゃない。ただの好色。王様ならそれくらいふつーにありそうな範囲で、わざわざ説明してもらうほどでもないっていうか。
ムラでは「ルイ/フィリップってまだ若いよね、少年?」って感じだったから、ダルタニアンや三銃士の年齢など、いろんなところをスルー出来ていた。
しかしここで妻や愛人の話を説明されてしまうと、ルイが少年ではなくある程度の年齢だとわかってしまう。赤ん坊のルイをコンスタンスが抱いていたこともあり、ますます「この作品での、キャラの年齢設定」がやばいことに。
しかしこだまっちは、何故「女の醜い戦い」にこだわるんだろう。
ムラ版から疑問だった。人間ボウリングで「ルイの悪趣味」という場面であり、ここで描くべきは、淑女たちをピンに見立ててボールで倒して喜ぶルイのことだ。……ボールが投げられる前に勝敗は決まっており、わざわざボウリングにする意味もボールで倒す意味もなかったけど。
今夜のお相手はすでに決まっているのに、ルイに選ばれた淑女と、選ばれなかった淑女が暴力的に争う。ボールに倒されまいとこれまた暴力で抗う。王が決めたことに、その王の前で暴力で抗う淑女ってナニ? 不敬罪とか反逆罪にならないの? なんのために「女の醜い争い」をさせるの?
と、わけがわからなかったムラ版。
テンポ良くボウリングすればいいのに、女たちがぎゃーぎゃーやるから、さらに時間が掛かって冗長、つまらない場面になっていた。
それが東宝版で人間ボウリングはなくなった。……のに、やっぱり「女の醜い戦い」は描かれている。プログラムに文字でそう書かれていたはず。
描くべきは「ルイの悪趣味」で、女たちがつかみ合いや押し退け合いをすることはテーマではないのに、まだこだわっている。
こだまっちにとっての「女」って、こーゆーものなの?
続く。
しかし、雪組公演……劇団史から抹殺されるような珍作を、何回観たと思います? や、周囲の人間に回数を聞くと「わたしなんてまだまだだな」と思うけど、とりあえずムラで13回、東宝3回(3回遠征)は自分的にはよくやったと思う……あんな作品のために! あれっぽっちの出番のために! ろくにソロもないショーのために! ちくしょー、まっつがいなかったらこんなに時間もお金も使ってないよおおお、まっつめえええ。(論点がずれてる)
ああ、『ロミジュリ』が恋しい。
『ロミジュリ』のためなら、ベン様のためなら、どれだけ時間とお金使っても本望なのに、『仮面の男』『RSF』のためにこんなにがんばってしまったことが、くやしいです(笑)。
無駄に回数観ちゃった分、書きたいことも多くてなああ。
ムラ版について、くどくど書いた。
東宝でいろいろ変更されていたけれど、結局のところ破綻した話だということは変わっていない。
ムラ版は上演意義を問うほどのトンデモ作だったが、改変された東宝版は単に、つまらない作品になっていた。
とんがった部分を削ったら、そこにはただ平坦な大地がありました。……退屈……。
それでも、人道的倫理的に問題があるまま上演するよりは、よかったんだと思う。
改変してなお酷い人たちになった三銃士とか、放置されまくりのダルタニアンとか、初日は大ウケしたけど、2回目以降はネタバレしていため笑えないし。単に酷いなとしか(笑)。
いいんだ、フィリップ@キムとルイーズ@みみちゃん見てじーんとしているから。このふたりだけだもん、役柄としての救いは。
や、生徒はみんな熱演だけど、作品・キャラクタは感情移入どころの話ぢゃないからねー……。
東宝変更点について。
オープニングから早わかり世界史はそのまま。
ムラ版でルイ@キムが出てくるべきところで、ルイの肖像画の横の扉から、おぎゃあおぎゃあ、赤ちゃん抱いたコンスタンス@あゆっち登場。それに対をなす扉から同じく赤ん坊を抱いた大司教@ホタテ登場。
そして、ルイの肖像画からアンヌ王妃@ミトさん登場。
双子の王子が生まれた、片割れはコンスタンスがこっそり育てることになりました、という解説に。
これによって早わかり世界史に意味が出来たかというとそうではなく、モリエール@咲ちゃんの立ち位置がより不可思議になったという。
モリエールは別に、国家の大機密を知っているわけじゃないのになあ。双子隠蔽を見てきたかのように語る、謎の人に。
モリエールがすべて知り得ているなら、狂言回しとして物語の外側にずっといることになるが、あくまでもここだけ。いびつだわ。
赤ん坊ルイが「偉大な王になるだろう」と大司教に宣言されたのち、よーやくルイの肖像画からルイ本人登場。前に立つアンヌと入れ替わるカタチ。
ムラ版と同じ「俺様ルイ様ソング」を歌う。
が、こっからがチガウ。
わらわらと舞台上に人が出てくるのは同じだが、人間ボウリングではない。
淑女たちはボウリングピンの被り物を付けないし、巨大メガホンもボール係もいない。
ルイが淑女を取っ替え引っ替え、愛人たくさん、というのを台詞で説明する場面になった。
…………地味。
人間ボウリングも、ただっぴろい舞台(盆が全部見えるくらい、セット皆無)にただ人がわらわらいるだけの平面的な地味な画面だった。しかしとりあえず、ミュージカル場面ではあった。
それが立ち話に変更されると、その地味っぷりってばもお。
歌は替え歌になっていた。ボール係や侍従たちの歌が、曲はそのまま別の歌詞。
人間ボウリングの是非はともかく、出演者を眺めて楽しむのにはいい場面だったので、その魅力が落ちたことは残念。
特に、あすレオの見せ場がなくなったことは、残念すぎる。
ボール係は、目立つ役だったのよ。雪組に詳しくない人が決まって「ボール係やってた子たちって、誰?」と聞いてくるような、下級生売り出しには最適な役だったの。
あすレオは、りんきらとセットにされ、下手端でコーラス。
ボール係として突然歌い出した、あの美味しさとは雲泥の差。ただのコーラス、しかもセンターりんきらの脇としてじゃあ、コンビ売りにさえなっていない。
同期で体格も似た、きらきらした美形ふたりだからこその効果だったのに、ボール係の目立ち方は。
りんきら的にも、侍従たちのまとめ役的に美声を発揮していたムラ版の方がいいよなあ。役割がぼけてしまった感じ。
巨大メガホンだった朝風くんは、指揮者になっていた。……声を張り上げない分、やっぱ見せ場がなくなったのかなあ。わたしはメガホン役好きじゃなかったから、ノリノリで指揮をしている姿はいいと思うけど、やっぱり楽団にまざる役だから、役としての輝度が下がったかな。
てゆーか花道使わなくなったのね。ムラではオーケストラ役が4人、上手花道で熱演していたんだけど、3人に減って(ホタテが出世したから・笑)本舞台でちんまりとやっていた。
花道まで全部使う方が、華やかだわね。
出番が減ったというと、侍従役の下級生たち。ムラではボードを持って銀橋渡ったりして、顔見せ・顔売りという点ではとてもおいしかったのにねえ。
「ルイの悪趣味」と銘打った場面なのに、大して悪趣味じゃない。ただの好色。王様ならそれくらいふつーにありそうな範囲で、わざわざ説明してもらうほどでもないっていうか。
ムラでは「ルイ/フィリップってまだ若いよね、少年?」って感じだったから、ダルタニアンや三銃士の年齢など、いろんなところをスルー出来ていた。
しかしここで妻や愛人の話を説明されてしまうと、ルイが少年ではなくある程度の年齢だとわかってしまう。赤ん坊のルイをコンスタンスが抱いていたこともあり、ますます「この作品での、キャラの年齢設定」がやばいことに。
しかしこだまっちは、何故「女の醜い戦い」にこだわるんだろう。
ムラ版から疑問だった。人間ボウリングで「ルイの悪趣味」という場面であり、ここで描くべきは、淑女たちをピンに見立ててボールで倒して喜ぶルイのことだ。……ボールが投げられる前に勝敗は決まっており、わざわざボウリングにする意味もボールで倒す意味もなかったけど。
今夜のお相手はすでに決まっているのに、ルイに選ばれた淑女と、選ばれなかった淑女が暴力的に争う。ボールに倒されまいとこれまた暴力で抗う。王が決めたことに、その王の前で暴力で抗う淑女ってナニ? 不敬罪とか反逆罪にならないの? なんのために「女の醜い争い」をさせるの?
と、わけがわからなかったムラ版。
テンポ良くボウリングすればいいのに、女たちがぎゃーぎゃーやるから、さらに時間が掛かって冗長、つまらない場面になっていた。
それが東宝版で人間ボウリングはなくなった。……のに、やっぱり「女の醜い戦い」は描かれている。プログラムに文字でそう書かれていたはず。
描くべきは「ルイの悪趣味」で、女たちがつかみ合いや押し退け合いをすることはテーマではないのに、まだこだわっている。
こだまっちにとっての「女」って、こーゆーものなの?
続く。
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