肯定は明日へ続く。@雪組東宝千秋楽
2011年11月20日 タカラヅカ 息の合い方が、すごい。
『仮面の男』『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝千秋楽。
舞台もだが、客席。
拍手と手拍子すげえ。なにこの呼吸。
ただ席に坐って与えられているのではなく、客席もまた意志を持って舞台に関与している。
『仮面の男』のあの悲しい「早わかり世界史」への、エール。
これでタカラヅカを卒業する水戸黄門@しゅうくん登場時の拍手の大きさ、手拍子。
黄門様が投げキッスはじめたときゃー、歓声もの。
トンデモなことをやらされてきた生徒たちへのねぎらいと感謝。
なんつーかさ。
味方だからね! と言っているような気がした。
劇団や演出家がどうであろうと、観客は、ファンは、生徒の味方だから。愛するから、見守るから。
や、誰だって物事を悪くしたい破壊したい傷つけたいと思ってやっているわけじゃない。劇団も演出家も。それはわかっているし、目に見えないところでいろんな人たちが尽力しているのだと思う。
でも、わたしたちの目に見えるのは、タカラジェンヌの姿だけで。
彼女たちのけなげながんばりに感動するし、彼女たちを愛するがゆえに、いろんなものを飲み込んでいく。
かおりちゃんミラーボール登場はショーストップする勢いの拍手で迎えるし、ひろみちゃんはムラであったルーヴォアさんへの拍手がなかった分、ショー『RSF』米軍兵士でのセリ下がりで万感の拍手だし。まさかのヒメが声詰まらせて歌が揺れるし。
なんか、すごい。
「『RSF』の手拍子って、初心者置いてきぼりじゃないですか」
てなことを友人と話したっけね。
ただの同じリズムの手拍子じゃない。オープニングからチャッチャッチャチャチャ!チャチャチャチャ・チャチャチャ!だからなー、リピーター以外は絶対入れないんだ。
貸切とか初見の人が多い公演と、ファンの多い公演では手拍子の有無がきっぱり分かれる。
だから千秋楽、一糸乱れぬ手拍子に感動した。
すげえ!! ファンで埋め尽くされてる!!
千秋楽ってのはそういうものだけど、それがさらによくわかる作品だったから。
全編通してヒートアップ。空気がチガウ。
芝居の、あの水戸黄門からすでに泣けましたがナニか? わたしだけじゃないもん、友だちも泣けたって言ってたし! みんな泣くんだよ!!
ちくしょー、いいとこだよタカラヅカは。すごいとこだよ、タカラヅカは。
フィリップ@キムくんがまた、慟哭がえらいことになっていて。
被虐キャラとしてかわいらしくぽろぽろ泣くんじゃなくて、泣きすぎて顔こわいです、怒っているような、吠えているようなフィリップになっていた。
嘆きの獅子。
このフィリップは月じゃない。虐げられた太陽だ。
太陽を翳らせることは出来ない。そんなの、間違った状態。無理に曲げられた直線がきりきりしなりながら、弾け返す瞬間を、爆発する瞬間を待っているような、咆吼。
これはこれで、面白いフィリップ像だ。てゆーかやっぱキムくんって面白い。彼が真ん中で力を放出する、その様を眺めるのが好き。
どんな間違ったもの、歪んだものも、彼が真ん中で支えきる。彼の色に染めて、「ありかも?」と思わせるところまで持っていく。
ショーの歌声がまた、空気変える勢いで響き渡るし。歌ウマトップはいいわ、ほんとに耳福だわ。
キムくんはどこまで進化するんだろう。
アドリブを任されていたちぎくん、シナトラ@ひろみに絡むところでナニかしらやってくれるだろうと、多分劇場中の人が見守っているのにスルー、「え?」と思わせておいて、次のエリザベス・テーラー@リサリサとの絡みでオチにシナトラさん。おおっ、うまいね!
個人的に、「去っていく場所への愛と感謝」を述べられる人が好きだ。
卒業していく人には、それぞれの事情があるだろう。歩んできた道もチガウだろうし、立場もチガウ。
楽しいことだけじゃない、つらいことも多くあるだろう。闇を抱えて去っていく人だっているかもしれない。
それでも。
タカラヅカに入ろうと思ったのは自分自身で、そこで生きていたのは自分自身。
卒業するから、もうそこにはいなくなるから、過去だから、と振り返らず「これからは新しい人生を私らしく歩んでいきます」という決まり文句だけ、自分の未来だけを語るんじゃなくて。
その、現在と未来の自分を形作った、これから「過去」になる宝塚歌劇団への愛を語れる人が好きだ。
残る仲間たちへの礼儀とか謙虚さとかゆー意味ではなく、ただひとえに自己肯定だと思うんだ。
自分が卒業していく場を、愛していると言い切ること。愛してくださいと訴えること。それは、その愛しい世界の一員であった自分に誇りを持つことだ。
退団するトップスターが「これからも**率いる*組をよろしくお願いします」と言うのも、控えめな花を持った下級生が「タカラヅカ大好き!」と叫ぶのも。
自分の人生に翳りを持たない、いや、陰があったとしてそれすらすべてを肯定した、美しい姿だと思う。
そしてわたしは、必死になって拍手する。客席分の一でしかない、しがない存在だけど。感謝を音にする。
タカラヅカが好き。
それは、タカラヅカで生きたあなたたちを好きだということ。唯一無二の楽園で、唯一無二の存在だった、それぞれのタカラジェンヌへ、エールを送る。
過去の肯定は現在を肯定すること、そしてここから続く未来を肯定すること。
正しいよ。だから、前へ進め。
きらきらきれいなかおりちゃん、清々しく笑うしゅうくん、ほんわかひろみちゃん。ああほんとうに、いろんな姿を見てきたよ、ずっとずっと見てきたよ。
卒業する3人の紹介を、キムくんがはじめたときにウケた。水しぇんか!と。いやあ、キムくん、水先輩の遺伝子受け継いでるよね(笑)。
下級生順に、まずかおりちゃんの歌を褒め、しゅうくんのダンスを褒め、ひろみちゃんはどうするんだろう、流れからいって芝居かな、と思ったら、ビジュアルの話だった……(笑)。キム……なんて正直な……(笑)。
未だに『ロミジュリ』を引きずっているわたしは、マジで寂しい。
大公様、キャピュレット夫人、そしてパリス伯爵……。もう一度もう一度、あの日の『ロミオとジュリエット』が観たいんだ。
そう思えるほどのしあわせな時間をくれた人たち。
ありがとう。
『仮面の男』『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝千秋楽。
舞台もだが、客席。
拍手と手拍子すげえ。なにこの呼吸。
ただ席に坐って与えられているのではなく、客席もまた意志を持って舞台に関与している。
『仮面の男』のあの悲しい「早わかり世界史」への、エール。
これでタカラヅカを卒業する水戸黄門@しゅうくん登場時の拍手の大きさ、手拍子。
黄門様が投げキッスはじめたときゃー、歓声もの。
トンデモなことをやらされてきた生徒たちへのねぎらいと感謝。
なんつーかさ。
味方だからね! と言っているような気がした。
劇団や演出家がどうであろうと、観客は、ファンは、生徒の味方だから。愛するから、見守るから。
や、誰だって物事を悪くしたい破壊したい傷つけたいと思ってやっているわけじゃない。劇団も演出家も。それはわかっているし、目に見えないところでいろんな人たちが尽力しているのだと思う。
でも、わたしたちの目に見えるのは、タカラジェンヌの姿だけで。
彼女たちのけなげながんばりに感動するし、彼女たちを愛するがゆえに、いろんなものを飲み込んでいく。
かおりちゃんミラーボール登場はショーストップする勢いの拍手で迎えるし、ひろみちゃんはムラであったルーヴォアさんへの拍手がなかった分、ショー『RSF』米軍兵士でのセリ下がりで万感の拍手だし。まさかのヒメが声詰まらせて歌が揺れるし。
なんか、すごい。
「『RSF』の手拍子って、初心者置いてきぼりじゃないですか」
てなことを友人と話したっけね。
ただの同じリズムの手拍子じゃない。オープニングからチャッチャッチャチャチャ!チャチャチャチャ・チャチャチャ!だからなー、リピーター以外は絶対入れないんだ。
貸切とか初見の人が多い公演と、ファンの多い公演では手拍子の有無がきっぱり分かれる。
だから千秋楽、一糸乱れぬ手拍子に感動した。
すげえ!! ファンで埋め尽くされてる!!
千秋楽ってのはそういうものだけど、それがさらによくわかる作品だったから。
全編通してヒートアップ。空気がチガウ。
芝居の、あの水戸黄門からすでに泣けましたがナニか? わたしだけじゃないもん、友だちも泣けたって言ってたし! みんな泣くんだよ!!
ちくしょー、いいとこだよタカラヅカは。すごいとこだよ、タカラヅカは。
フィリップ@キムくんがまた、慟哭がえらいことになっていて。
被虐キャラとしてかわいらしくぽろぽろ泣くんじゃなくて、泣きすぎて顔こわいです、怒っているような、吠えているようなフィリップになっていた。
嘆きの獅子。
このフィリップは月じゃない。虐げられた太陽だ。
太陽を翳らせることは出来ない。そんなの、間違った状態。無理に曲げられた直線がきりきりしなりながら、弾け返す瞬間を、爆発する瞬間を待っているような、咆吼。
これはこれで、面白いフィリップ像だ。てゆーかやっぱキムくんって面白い。彼が真ん中で力を放出する、その様を眺めるのが好き。
どんな間違ったもの、歪んだものも、彼が真ん中で支えきる。彼の色に染めて、「ありかも?」と思わせるところまで持っていく。
ショーの歌声がまた、空気変える勢いで響き渡るし。歌ウマトップはいいわ、ほんとに耳福だわ。
キムくんはどこまで進化するんだろう。
アドリブを任されていたちぎくん、シナトラ@ひろみに絡むところでナニかしらやってくれるだろうと、多分劇場中の人が見守っているのにスルー、「え?」と思わせておいて、次のエリザベス・テーラー@リサリサとの絡みでオチにシナトラさん。おおっ、うまいね!
個人的に、「去っていく場所への愛と感謝」を述べられる人が好きだ。
卒業していく人には、それぞれの事情があるだろう。歩んできた道もチガウだろうし、立場もチガウ。
楽しいことだけじゃない、つらいことも多くあるだろう。闇を抱えて去っていく人だっているかもしれない。
それでも。
タカラヅカに入ろうと思ったのは自分自身で、そこで生きていたのは自分自身。
卒業するから、もうそこにはいなくなるから、過去だから、と振り返らず「これからは新しい人生を私らしく歩んでいきます」という決まり文句だけ、自分の未来だけを語るんじゃなくて。
その、現在と未来の自分を形作った、これから「過去」になる宝塚歌劇団への愛を語れる人が好きだ。
残る仲間たちへの礼儀とか謙虚さとかゆー意味ではなく、ただひとえに自己肯定だと思うんだ。
自分が卒業していく場を、愛していると言い切ること。愛してくださいと訴えること。それは、その愛しい世界の一員であった自分に誇りを持つことだ。
退団するトップスターが「これからも**率いる*組をよろしくお願いします」と言うのも、控えめな花を持った下級生が「タカラヅカ大好き!」と叫ぶのも。
自分の人生に翳りを持たない、いや、陰があったとしてそれすらすべてを肯定した、美しい姿だと思う。
そしてわたしは、必死になって拍手する。客席分の一でしかない、しがない存在だけど。感謝を音にする。
タカラヅカが好き。
それは、タカラヅカで生きたあなたたちを好きだということ。唯一無二の楽園で、唯一無二の存在だった、それぞれのタカラジェンヌへ、エールを送る。
過去の肯定は現在を肯定すること、そしてここから続く未来を肯定すること。
正しいよ。だから、前へ進め。
きらきらきれいなかおりちゃん、清々しく笑うしゅうくん、ほんわかひろみちゃん。ああほんとうに、いろんな姿を見てきたよ、ずっとずっと見てきたよ。
卒業する3人の紹介を、キムくんがはじめたときにウケた。水しぇんか!と。いやあ、キムくん、水先輩の遺伝子受け継いでるよね(笑)。
下級生順に、まずかおりちゃんの歌を褒め、しゅうくんのダンスを褒め、ひろみちゃんはどうするんだろう、流れからいって芝居かな、と思ったら、ビジュアルの話だった……(笑)。キム……なんて正直な……(笑)。
未だに『ロミジュリ』を引きずっているわたしは、マジで寂しい。
大公様、キャピュレット夫人、そしてパリス伯爵……。もう一度もう一度、あの日の『ロミオとジュリエット』が観たいんだ。
そう思えるほどのしあわせな時間をくれた人たち。
ありがとう。
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