声と技術と、心……そして、矢は放たれる。@仮面の男
2011年11月21日 タカラヅカ 東宝公演まで終わって告白。
結局、アトス@まっつの芝居で泣くことはなかった。
変だなあ、まっつファンはみんな「ラウルの手紙」で泣くらしいんだけどなあ(笑)。
『仮面の男』でわたしを泣かせてくれたのはひたすらフィリップ@キムくんですから。
わたしそもそも、まっつの芝居で泣くことほとんどないもんな。ベンヴォーリオ@『ロミジュリ』でツボ入りまくり、泣けてしょーがなかったときこそ、驚いた……『舞姫』青年館以来だと。
まっつの芝居は「泣く」という感情発散方法とは別のところで、わたしの琴線に触れるのだと思う。
しかしアトス様はなー、「フィリップ王子をなんとしても助け出すのだ」の、いかにも芝居がかった言い回しとか、気になったなー。
ベンヴォーリオの「嘘じゃない。毒を飲んで、自ら命を絶ったんだ」に通じる「今俺、芝居してます」系のわざとらしさ……。
まっつって、声優向きの人だなとか思う。
声優って、芝居心よりも反射神経・身体能力が必要だと、勝手に思っている。
ひとつの台詞を指示された通りのニュアンスで再現する力。そこに必要なのは役のキモチ以前に、技術。声帯を完全に支配して、同じ台詞を瞬時に何種類ものニュアンスで発声する。そのキャラがどう思うからこう言うのではなく、演出サイドの指示で求められている音を的確に出す。
この鍵盤叩いたらこの音が出ます的な。このテンポ、この音色でこのフレーズ出します的な。
まず自分の声を完全に支配し、技術としてどんな表現も瞬時に出来るところまでいった上でようやく、芝居心が関係してくる、というイメージなんだな、声優さん。芸術家というよりは、職人。
映画とかで、テレビタレントとかの素人が声をあてていると、まず芝居心だけで演じようとするから自爆している気がする。うまくキャラが合って、その芝居心だけで乗り切れる場合もあるけど、他の役はできない、今回限り。
まっつは声を操る。まず技術なイメージ。
まず芝居心があり、それゆえにその音になった、というより、まず技術でその台詞に相応しい音を出し、そのあとから心を載せる。
芸術家というより、職人。匠の技があり、その高い技術ゆえにハートを表現する。
そーゆータイプの役者さん好きなんだけど、まつださんってばときどき技術が先に出過ぎていて、わざとらしいっすよ……。
アトス様の、こぶしの回った「助け出すのだ~~あッ!」なんかほんと、メロディとしての効果優先ぢゃねえのって感じで。
わたしは声ヲタだし、まっつの声が大好きでその声のためだけに劇場へ通える人間だけど、芝居に関しては、彼は声を出していないときの方が好みだと思う。
声を正確に操ることが前面に出て、心が後付けになるんだもん、まつださん。
芝居が出来ない人ではないのに、もともと真面目で融通が利かないんだろう、技術を完璧に制御することに神経を使い、後先考えず感情だけで突っ走っちゃいましたテヘ、てな乱れ方をしない。
台詞や歌のないときの方が、心を優先した芝居をしている。
で、心を解放したときに、ときどきすごいモノを見せてくれる。ガード固いからなかなか内側は見せてくれないけど、ときおりすこっと殻が取れて無防備になる。
そんなときのまつださんは、すごい。
ベン様はいろいろ大変だったんだと思う。組替えして最初の公演、ポジションアップ、そして喉の不調。不安定でぎりぎりで、いつものように技術の鎧で自分を守れなかった。
それでなんかすごい面白いものがそこにあった。
プガチョフ@『黒い瞳』あたりまで、プレッシャーゆえか不安定さがあったなー。しかしブラット部長@『H2$』までくるともう彼のテリトリー、いつものまっつ。
アトス様も結局いつものまっつで、殻が取れない、門が開かれない。
ただ、最初の一時期だけ、愉快だった。初日はもちろん脚本通り、指示通りのふつーのまっつ。その翌日だ、いちばん面白かったの。
今回の『仮面の男』、お稽古段階から演出には相当疑問があったんだと思う。ジェンヌは与えられた作品や役に意見を言うことができないから、みんなそろって褒め称えやり甲斐を語っているけど、まっつももちろんそうしているけど、彼の場合あちこちで困惑していることが見えた。各種インタビューとかで……この正直モノめ(笑)。
で、疑問を飲み込んで懸命に演技し、いざ初日の幕が開いて。
観客からは、非難囂々。やっぱりおかしいんじゃん、この芝居、この演出! お稽古しながら疑問だったけど、その通りだったんじゃん! と、客席の空気から答えを得て。
こだまっちが変、と答えは出たけど、生徒は芝居を変えられない、変なこだまっちが要求する通りの変な芝居をしなくてはならない。
てことで、相当混乱したんだと思う。
さあ来た来た、不安定まっつ。
初日のコメディっぷりに観客がドン引きした(『仮面の男』という作品自体にね)ことがわかるから、その反動だろうか、アトス様、ドシリアス。
ちょ……っ、作品違ってますよ、どうするんですかその演技!!
「ラウルの手紙」の喪失っぷりの深さ、復讐ソングの熱、全編通しての酷薄さ……アトスさん別人入ってます。
いやあ、初日で作品にびっくり、絶望したあとだったので、まっつがころりと役作り変えてきたのを見たときは、感動しました。幕開きすぐの感想やメールで、「シリアス寄りになった」とか書いているのはそのせい。
このあたりのアトス様、マジ好みだった。安定してなくて、そのときどきに色が変わる。
が。
これって、ほんとにわずかな間だけだった。
どうも中の人が開き直ったみたいで。いつもの技術優先安心高品質まっつに落ち着いた。
それこそ、「助け出すのだ~~あッ!」と歌い上げちゃうような。
おちゃらけ演出はおちゃらけ演出、かっこつけるところはかっこつける、と割り切ったみたい。
ムラ2日目路線で行ってくれたら、好みだったのになあ。ベン様系の不安定さで。
で、安定すればするほどコメディはかわいくなっているし、もともとの持ち味、クールさは上がるし、東宝は演出変更で鬼畜ドSっぷりに磨きが掛かっているし、それはそれで楽しかったが。
ただ、感動して泣く芝居ではなかったなあ、アトス様。
『インフィニティ』初日をなにがなんでも観たいのは、いっぱいいっぱいのまつださんを見たいからだ。
そして、その翌日のまっつは、さらに見たい。
ぎりぎりまで引いた弓の弦みたいなんだ、初日は。で、翌日は矢が放たれる。ので、ここがいちばん破壊力。
で、その次からは安定しやがる。技術のある人って安定早すぎ。や、それがプロってもんですが。
『宝塚巴里祭2009』がまさにソレだった。2日目が鳥肌モノ。実際わたし、終わったあと貧血起こしたし(笑)。
初日のぎりぎりっぷりを知っているだけに、2日目の爆発のすごさがわかった。落差すげえよ。そして3日目はすでに安定……2日目の爆発的感動は夢幻……(笑)。
安定する前のまっつが見たい。安定高品質なのはいいけど、そこに落ち着く前こそが、いちばん面白いから。
……アトス様があの不安定なままだったら、きっと泣かせてくれたんだろうなあ。
見ていてすげーどきどきしたもんなあ。
いや、それでもアトス様も三銃士も好きだったけれど。彼らの掛け合いだけでパロ小説書けるくらいには(笑)。
結局、アトス@まっつの芝居で泣くことはなかった。
変だなあ、まっつファンはみんな「ラウルの手紙」で泣くらしいんだけどなあ(笑)。
『仮面の男』でわたしを泣かせてくれたのはひたすらフィリップ@キムくんですから。
わたしそもそも、まっつの芝居で泣くことほとんどないもんな。ベンヴォーリオ@『ロミジュリ』でツボ入りまくり、泣けてしょーがなかったときこそ、驚いた……『舞姫』青年館以来だと。
まっつの芝居は「泣く」という感情発散方法とは別のところで、わたしの琴線に触れるのだと思う。
しかしアトス様はなー、「フィリップ王子をなんとしても助け出すのだ」の、いかにも芝居がかった言い回しとか、気になったなー。
ベンヴォーリオの「嘘じゃない。毒を飲んで、自ら命を絶ったんだ」に通じる「今俺、芝居してます」系のわざとらしさ……。
まっつって、声優向きの人だなとか思う。
声優って、芝居心よりも反射神経・身体能力が必要だと、勝手に思っている。
ひとつの台詞を指示された通りのニュアンスで再現する力。そこに必要なのは役のキモチ以前に、技術。声帯を完全に支配して、同じ台詞を瞬時に何種類ものニュアンスで発声する。そのキャラがどう思うからこう言うのではなく、演出サイドの指示で求められている音を的確に出す。
この鍵盤叩いたらこの音が出ます的な。このテンポ、この音色でこのフレーズ出します的な。
まず自分の声を完全に支配し、技術としてどんな表現も瞬時に出来るところまでいった上でようやく、芝居心が関係してくる、というイメージなんだな、声優さん。芸術家というよりは、職人。
映画とかで、テレビタレントとかの素人が声をあてていると、まず芝居心だけで演じようとするから自爆している気がする。うまくキャラが合って、その芝居心だけで乗り切れる場合もあるけど、他の役はできない、今回限り。
まっつは声を操る。まず技術なイメージ。
まず芝居心があり、それゆえにその音になった、というより、まず技術でその台詞に相応しい音を出し、そのあとから心を載せる。
芸術家というより、職人。匠の技があり、その高い技術ゆえにハートを表現する。
そーゆータイプの役者さん好きなんだけど、まつださんってばときどき技術が先に出過ぎていて、わざとらしいっすよ……。
アトス様の、こぶしの回った「助け出すのだ~~あッ!」なんかほんと、メロディとしての効果優先ぢゃねえのって感じで。
わたしは声ヲタだし、まっつの声が大好きでその声のためだけに劇場へ通える人間だけど、芝居に関しては、彼は声を出していないときの方が好みだと思う。
声を正確に操ることが前面に出て、心が後付けになるんだもん、まつださん。
芝居が出来ない人ではないのに、もともと真面目で融通が利かないんだろう、技術を完璧に制御することに神経を使い、後先考えず感情だけで突っ走っちゃいましたテヘ、てな乱れ方をしない。
台詞や歌のないときの方が、心を優先した芝居をしている。
で、心を解放したときに、ときどきすごいモノを見せてくれる。ガード固いからなかなか内側は見せてくれないけど、ときおりすこっと殻が取れて無防備になる。
そんなときのまつださんは、すごい。
ベン様はいろいろ大変だったんだと思う。組替えして最初の公演、ポジションアップ、そして喉の不調。不安定でぎりぎりで、いつものように技術の鎧で自分を守れなかった。
それでなんかすごい面白いものがそこにあった。
プガチョフ@『黒い瞳』あたりまで、プレッシャーゆえか不安定さがあったなー。しかしブラット部長@『H2$』までくるともう彼のテリトリー、いつものまっつ。
アトス様も結局いつものまっつで、殻が取れない、門が開かれない。
ただ、最初の一時期だけ、愉快だった。初日はもちろん脚本通り、指示通りのふつーのまっつ。その翌日だ、いちばん面白かったの。
今回の『仮面の男』、お稽古段階から演出には相当疑問があったんだと思う。ジェンヌは与えられた作品や役に意見を言うことができないから、みんなそろって褒め称えやり甲斐を語っているけど、まっつももちろんそうしているけど、彼の場合あちこちで困惑していることが見えた。各種インタビューとかで……この正直モノめ(笑)。
で、疑問を飲み込んで懸命に演技し、いざ初日の幕が開いて。
観客からは、非難囂々。やっぱりおかしいんじゃん、この芝居、この演出! お稽古しながら疑問だったけど、その通りだったんじゃん! と、客席の空気から答えを得て。
こだまっちが変、と答えは出たけど、生徒は芝居を変えられない、変なこだまっちが要求する通りの変な芝居をしなくてはならない。
てことで、相当混乱したんだと思う。
さあ来た来た、不安定まっつ。
初日のコメディっぷりに観客がドン引きした(『仮面の男』という作品自体にね)ことがわかるから、その反動だろうか、アトス様、ドシリアス。
ちょ……っ、作品違ってますよ、どうするんですかその演技!!
「ラウルの手紙」の喪失っぷりの深さ、復讐ソングの熱、全編通しての酷薄さ……アトスさん別人入ってます。
いやあ、初日で作品にびっくり、絶望したあとだったので、まっつがころりと役作り変えてきたのを見たときは、感動しました。幕開きすぐの感想やメールで、「シリアス寄りになった」とか書いているのはそのせい。
このあたりのアトス様、マジ好みだった。安定してなくて、そのときどきに色が変わる。
が。
これって、ほんとにわずかな間だけだった。
どうも中の人が開き直ったみたいで。いつもの技術優先安心高品質まっつに落ち着いた。
それこそ、「助け出すのだ~~あッ!」と歌い上げちゃうような。
おちゃらけ演出はおちゃらけ演出、かっこつけるところはかっこつける、と割り切ったみたい。
ムラ2日目路線で行ってくれたら、好みだったのになあ。ベン様系の不安定さで。
で、安定すればするほどコメディはかわいくなっているし、もともとの持ち味、クールさは上がるし、東宝は演出変更で鬼畜ドSっぷりに磨きが掛かっているし、それはそれで楽しかったが。
ただ、感動して泣く芝居ではなかったなあ、アトス様。
『インフィニティ』初日をなにがなんでも観たいのは、いっぱいいっぱいのまつださんを見たいからだ。
そして、その翌日のまっつは、さらに見たい。
ぎりぎりまで引いた弓の弦みたいなんだ、初日は。で、翌日は矢が放たれる。ので、ここがいちばん破壊力。
で、その次からは安定しやがる。技術のある人って安定早すぎ。や、それがプロってもんですが。
『宝塚巴里祭2009』がまさにソレだった。2日目が鳥肌モノ。実際わたし、終わったあと貧血起こしたし(笑)。
初日のぎりぎりっぷりを知っているだけに、2日目の爆発のすごさがわかった。落差すげえよ。そして3日目はすでに安定……2日目の爆発的感動は夢幻……(笑)。
安定する前のまっつが見たい。安定高品質なのはいいけど、そこに落ち着く前こそが、いちばん面白いから。
……アトス様があの不安定なままだったら、きっと泣かせてくれたんだろうなあ。
見ていてすげーどきどきしたもんなあ。
いや、それでもアトス様も三銃士も好きだったけれど。彼らの掛け合いだけでパロ小説書けるくらいには(笑)。
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