ヲタクの相性と適性。@アリスの恋人
2011年11月26日 タカラヅカ チケットなくて、もう観られないかと思いましたよ、『アリスの恋人』……。
大劇場は座席券売り切れ、立ち見券のみ発売中、門の前にはサバキ待ちがずらり……。
なんかすごくなつかしい光景。最近のタカラヅカではめずらしい、人混みと活気。いいなあ。
ヲタク系文学少女(笑)だったわたしは、もれなく『不思議の国のアリス』のファンでした。アリスのパロディ小説なら幾通りも書けるわ!的な。
だから、そこにあるのはとてもよく見知った、「『不思議の国のアリス』のパロディ」でした……あー、既視感ばりばり(笑)。
今、『ペルソナ4』っつーアニメが夜中に放映されてて、ついこの間、アクセ作りするBGM代わりに1話から6話くらいまで一気見して、「あー、はいはい」と思ったアレをまんま思い出した。
なんというか……「なつかしい」。
ジュヴナイルのかほりというか。
わたしが若い頃に流行った「10代の少年少女向け・ヤングアダルト小説」を思い出した。まだ「ライトノベル」という言葉もジャンルもなかった頃の。
そして、それに影響受けて、それ系の物語を書きまくっていた若い頃の自分自身を。
うわー、なつかしー。そうそう、若い頃書いたわ、こんなの。
と思い、切なくなった。
もうわたし、若くないんだ。
若い頃のわたしなら書いた……でも、今のわたしなら、こーゆー話は「あえて」書かない。今のわたしのツボはもうそこにはないから。別の切り口になる。
というのはもう、わたしが「若くない」ということだ。
いや、おばさんなのは自覚してるけど、年齢とは別のところすら、こうやって間違いなく老化しているんだという現実を、思い知らされました(笑)。
小柳たんのヲタクシリーズ、第……何弾?
マンガ原作だとしても『アメリカン・パイ』はヲタクシリーズじゃないですよ。あれはただ自分の好きなマンガを「好きなの!」と言っていただけで、ヲタク云々以前に作品としても微妙。
『銀薔薇』『シャングリラ』『めぐり会いは再び』に続く、4作目かな?
マンガ・アニメ・ラノベ・ゲームという、日本が世界に誇るサブカルチャー、ヲタク作品。
小柳たんは正しいヲタク文化の担い手だね。
わたし、『めぐり会いは再び』の感想をきちんとUPできてないんだけど、書きかけのテキストからコピペすると、
ヲタクは、タカラヅカを救う!!
てな1文がありますのよ。
タカラヅカはヲタク文化と相性がいい。二次元を実体化する能力のあるカンパニーだからだ。
見たモノを見たままにしか受け入れられない一般人とちがい、ヲタクは紙の上やモニターの中の「現実にはいない」キャラクタに平気で恋ができる。視覚から脳へ届く前に自動変換機能が働くんだ。
「えー、所詮女でしょ? なんでわざわざ女が男の役やるの? 意味わかんない」と切り捨てられるのが常の一般人よりも、男役というファンタジーを受け入れられる因子を持っている。
娯楽はタダで手に入るもの、テレビやネットで自宅で好きなときに見るもの、と思いこんでいる一般人よりも、ヲタクは好きなモノに一途で金と時間の浪費を惜しまない。
「タカラヅカ」という名前だけで一般人が観に来た時代ではない、この消費の冷え込む現代、ヅカはもっとヲタクへ宣伝するべきだ。
そして、ヲタが喜ぶものの一部は、確実にヅカファンだって好きなんだ。
世紀の恋愛やかっこいいヒーロー、個性豊かな仲間たち、愛と友情と裏切りと戦い。時代も国も次元さえいつでもいい。色とりどりの髪の色、コスプレし放題。
現代日本のテレビ界じゃドラマ化できない二次元ジャンルを、どんどん三次元化するといい。
タカラヅカを救うのは、ヲタクだ。……てなことを考える。
もちろん、タカラヅカすべてがそうなるのではなく、伝統は残しつつ、一部にヲタ文化を導入していけばいい。その昔、タカラヅカではじめて『ベルサイユのばら』が上演されたように、相性のいい異文化を取り込んでいくことは必要だ。
小柳たんみたいな、わかりやすいヲタク属性を舞台に展開できる人は貴重だ。
ヲタ作家といえばサイトー、大野、生田と有名な人たちがいるけれど、彼らはヲタクの性というか、マニアックな臭いがする。
小柳たんはその点とても浅く、汎用性の高いヲタだ。タカラヅカが大衆向けエンタメである以上、マニアックよりライトであるべき。
小柳たんの『銀薔薇』『シャングリラ』『めぐり会いは再び』は、ゲームやラノベ好きなら「百万回見た・読んだ」よーな設定とキャラとストーリーのはず。
同じ話でも、その時代にキャッチーな絵柄で何百回と生産され、売られ続ける、みたいな。
それは正しいことだよね。
と、ここまでヲタク文化とヅカの相性を語っておいて。
上演する組は、選ぼうよ。
たしかに宙組『シャングリラ』は素晴らしいアニメっぷりだった。星組『めぐり会いは再び』も素晴らしいゲームっぷりだった。正しい絵柄のチョイスだ。
しかし、月組は……。
いや、キモチはわかる。
現ヅカ1かも、ってな美少年みりおくん主演、ヒロインは実年齢からして幼いフレッシュな新進娘役ちゃぴちゃんだ。
ジュヴナイルOKかと思うよね。
みりおくんはその実力ゆえになんとかこなしていたけど、他のみなさん……ってゆーかその、組カラーってゆーかは、もお……ええっと。
大変だな(笑)。
幼女がメインキャラになる系のメルヘンジャンルは、大人が演じて「世界」を構築するのがなかなか難しい。
いくら二次元に強いとはいえ、タカラヅカならなんでも来いってわけじゃない。
向き不向きはある。
みりおくんは美少年だが、持ち味はファンタスティックではない。
どっちかっつーとリアル系でしょう。
『STUDIO 54』でも柄違いの魔性の美少年役をあてられ、大変なことになっていたが……美形って大変だなあ、美貌ゆえに十把一絡げにされて。
美少年は全員がホモホモしいわけじゃないし、全員が地面から数センチ浮かび上がってカスミ食って生きてるわけじゃないのよ。
みりおくんの血の通った男らしさは、メルヘンよりはシリアスドラマの方がハマる。
また、堅実で地に足着いた月組の芸風もまた、メルヘンよりもシリアスドラマだ。
ルイス・キャロルよりシェイクスピア、『アリスの恋人』より『二人の貴公子』がハマる芸風なんだよなああ。みりおくんも、月組も。
主役の持ち味無視で自分のやりたいヲタク設定を繰り広げた、『銀薔薇』の失敗再び、な感じがする。
いや、失敗というと言葉が悪いな、別にソコまで致命的な事態じゃない。しかし、小柳たんは設定のみに酔って生きた役者をスルーするきらいがあるので、そこを今回は大きく感じてしまった。
『めぐり会いは再び』くらい、ぴたりとハマると楽しいんだけどなあ。
みりおくんやキムくんという、「見た目甘い美少年、でも持ち味は骨太」っていう子は、外見だけで甘いモノや軽いモノを押しつけられて大変だなと思ったナリ。
大劇場は座席券売り切れ、立ち見券のみ発売中、門の前にはサバキ待ちがずらり……。
なんかすごくなつかしい光景。最近のタカラヅカではめずらしい、人混みと活気。いいなあ。
ヲタク系文学少女(笑)だったわたしは、もれなく『不思議の国のアリス』のファンでした。アリスのパロディ小説なら幾通りも書けるわ!的な。
だから、そこにあるのはとてもよく見知った、「『不思議の国のアリス』のパロディ」でした……あー、既視感ばりばり(笑)。
今、『ペルソナ4』っつーアニメが夜中に放映されてて、ついこの間、アクセ作りするBGM代わりに1話から6話くらいまで一気見して、「あー、はいはい」と思ったアレをまんま思い出した。
なんというか……「なつかしい」。
ジュヴナイルのかほりというか。
わたしが若い頃に流行った「10代の少年少女向け・ヤングアダルト小説」を思い出した。まだ「ライトノベル」という言葉もジャンルもなかった頃の。
そして、それに影響受けて、それ系の物語を書きまくっていた若い頃の自分自身を。
うわー、なつかしー。そうそう、若い頃書いたわ、こんなの。
と思い、切なくなった。
もうわたし、若くないんだ。
若い頃のわたしなら書いた……でも、今のわたしなら、こーゆー話は「あえて」書かない。今のわたしのツボはもうそこにはないから。別の切り口になる。
というのはもう、わたしが「若くない」ということだ。
いや、おばさんなのは自覚してるけど、年齢とは別のところすら、こうやって間違いなく老化しているんだという現実を、思い知らされました(笑)。
小柳たんのヲタクシリーズ、第……何弾?
マンガ原作だとしても『アメリカン・パイ』はヲタクシリーズじゃないですよ。あれはただ自分の好きなマンガを「好きなの!」と言っていただけで、ヲタク云々以前に作品としても微妙。
『銀薔薇』『シャングリラ』『めぐり会いは再び』に続く、4作目かな?
マンガ・アニメ・ラノベ・ゲームという、日本が世界に誇るサブカルチャー、ヲタク作品。
小柳たんは正しいヲタク文化の担い手だね。
わたし、『めぐり会いは再び』の感想をきちんとUPできてないんだけど、書きかけのテキストからコピペすると、
ヲタクは、タカラヅカを救う!!
てな1文がありますのよ。
タカラヅカはヲタク文化と相性がいい。二次元を実体化する能力のあるカンパニーだからだ。
見たモノを見たままにしか受け入れられない一般人とちがい、ヲタクは紙の上やモニターの中の「現実にはいない」キャラクタに平気で恋ができる。視覚から脳へ届く前に自動変換機能が働くんだ。
「えー、所詮女でしょ? なんでわざわざ女が男の役やるの? 意味わかんない」と切り捨てられるのが常の一般人よりも、男役というファンタジーを受け入れられる因子を持っている。
娯楽はタダで手に入るもの、テレビやネットで自宅で好きなときに見るもの、と思いこんでいる一般人よりも、ヲタクは好きなモノに一途で金と時間の浪費を惜しまない。
「タカラヅカ」という名前だけで一般人が観に来た時代ではない、この消費の冷え込む現代、ヅカはもっとヲタクへ宣伝するべきだ。
そして、ヲタが喜ぶものの一部は、確実にヅカファンだって好きなんだ。
世紀の恋愛やかっこいいヒーロー、個性豊かな仲間たち、愛と友情と裏切りと戦い。時代も国も次元さえいつでもいい。色とりどりの髪の色、コスプレし放題。
現代日本のテレビ界じゃドラマ化できない二次元ジャンルを、どんどん三次元化するといい。
タカラヅカを救うのは、ヲタクだ。……てなことを考える。
もちろん、タカラヅカすべてがそうなるのではなく、伝統は残しつつ、一部にヲタ文化を導入していけばいい。その昔、タカラヅカではじめて『ベルサイユのばら』が上演されたように、相性のいい異文化を取り込んでいくことは必要だ。
小柳たんみたいな、わかりやすいヲタク属性を舞台に展開できる人は貴重だ。
ヲタ作家といえばサイトー、大野、生田と有名な人たちがいるけれど、彼らはヲタクの性というか、マニアックな臭いがする。
小柳たんはその点とても浅く、汎用性の高いヲタだ。タカラヅカが大衆向けエンタメである以上、マニアックよりライトであるべき。
小柳たんの『銀薔薇』『シャングリラ』『めぐり会いは再び』は、ゲームやラノベ好きなら「百万回見た・読んだ」よーな設定とキャラとストーリーのはず。
同じ話でも、その時代にキャッチーな絵柄で何百回と生産され、売られ続ける、みたいな。
それは正しいことだよね。
と、ここまでヲタク文化とヅカの相性を語っておいて。
上演する組は、選ぼうよ。
たしかに宙組『シャングリラ』は素晴らしいアニメっぷりだった。星組『めぐり会いは再び』も素晴らしいゲームっぷりだった。正しい絵柄のチョイスだ。
しかし、月組は……。
いや、キモチはわかる。
現ヅカ1かも、ってな美少年みりおくん主演、ヒロインは実年齢からして幼いフレッシュな新進娘役ちゃぴちゃんだ。
ジュヴナイルOKかと思うよね。
みりおくんはその実力ゆえになんとかこなしていたけど、他のみなさん……ってゆーかその、組カラーってゆーかは、もお……ええっと。
大変だな(笑)。
幼女がメインキャラになる系のメルヘンジャンルは、大人が演じて「世界」を構築するのがなかなか難しい。
いくら二次元に強いとはいえ、タカラヅカならなんでも来いってわけじゃない。
向き不向きはある。
みりおくんは美少年だが、持ち味はファンタスティックではない。
どっちかっつーとリアル系でしょう。
『STUDIO 54』でも柄違いの魔性の美少年役をあてられ、大変なことになっていたが……美形って大変だなあ、美貌ゆえに十把一絡げにされて。
美少年は全員がホモホモしいわけじゃないし、全員が地面から数センチ浮かび上がってカスミ食って生きてるわけじゃないのよ。
みりおくんの血の通った男らしさは、メルヘンよりはシリアスドラマの方がハマる。
また、堅実で地に足着いた月組の芸風もまた、メルヘンよりもシリアスドラマだ。
ルイス・キャロルよりシェイクスピア、『アリスの恋人』より『二人の貴公子』がハマる芸風なんだよなああ。みりおくんも、月組も。
主役の持ち味無視で自分のやりたいヲタク設定を繰り広げた、『銀薔薇』の失敗再び、な感じがする。
いや、失敗というと言葉が悪いな、別にソコまで致命的な事態じゃない。しかし、小柳たんは設定のみに酔って生きた役者をスルーするきらいがあるので、そこを今回は大きく感じてしまった。
『めぐり会いは再び』くらい、ぴたりとハマると楽しいんだけどなあ。
みりおくんやキムくんという、「見た目甘い美少年、でも持ち味は骨太」っていう子は、外見だけで甘いモノや軽いモノを押しつけられて大変だなと思ったナリ。
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