だって日本人ですもの、こーゆー話は泣きますわ(笑)。@小さな花がひらいた
2011年12月1日 タカラヅカ 書けていなかった公演の感想を、簡単に。
花組全国ツアーの演目が、『小さな花がひらいた』だと聞いたとき、テンションはだだ下がりだった。
第一に、わたしは古い柴田作品が肌に合わない。当時は名作だったのかもしれないが、現代には合わない、ただ古いだけの作品を「名作だ、さあありがたがれ」と押しつけられるのが嫌。
次に、オトナが演じるわざとらしい子役がダメ。特に柴田作品に使われる子どもは、本来の年齢より幼く「いかにも子どもっていう演技」を求められるので気持ち悪さ倍増。苦手。
あと、これはタカラヅカ以外のフィクション全般に対してなんだが、子どもネタの人情モノが苦手。
シングルライフを満喫する主人公が、予期せぬトラブルによって子どもを育てるはめになる系のドラマとか、鬼門。肌に合わず、不快な思いをすることが多い(笑)。子役を使って泣かせるのは、人死にで泣かせるのと同じ、ズルだと思っている。
わたしの「苦手」が大挙して押し寄せてきたよ! タスケテ!
贔屓が出てなくて良かった、ここまで「苦手」要素だけで構成された芝居に通うとか、つらすぎる!
『小さな花がひらいた』という舞台は、ナマで観たことがない。しかし、話だけは知っている。
というのも、その昔はビデオではなく「実況CD」というのが発売されており、わたしはソレでいろんな作品を聞いていた。
当時の有線放送には「タカラヅカ・チャンネル」があり、毎日24時間、タカラヅカの実況CDを流し続けていたのだよ。わたしはバイト先で毎日そのタカラヅカ・チャンネルを聞いていた。オープン前の準備時間に。
ショーの実況CDはいいけど、芝居はなあ……モノによっては音だけではストーリーがまったくわからなかったなあ……。『心中・恋の大和路』なんか、何回聞いてもラストがどうなったのかわからずもやもやした。(ラストは音楽だけで、台詞なしだもんよ)
『小さな花がひらいた』もそうやって、音だけ聞いていた。大人が無理して演じる、わざとらしい子どもの声ばかりががちゃがちゃ聞こえ、辟易した。
特に主題歌らしき、「もう涙とはおさらばさ」とかゆーフレーズの曲!!
うざっ。ダサっ。
この曲が流れてきたらチャンネル変えるくらい、苦手だった。
わたしの「苦手」「見たくない・聞きたくない」が凝縮された曲だ!!
とまあ。
ここまで生理的に合わない作品なので、花組もらんじゅさんも大好きだから観劇はしたいけどあまり積極的な気持ちになれず、気がついたらチケット難民化しておりました。
梅芸チケット、完売じゃん……。
東回り全ツだってことが、わかってなかった。一番西で行われる公演が大阪で、しかも土日で、関西より西に住んでいる人たちはこの日程で観るしか選択肢がナイんじゃん……他の全ツと同じよーなキモチでいたら、取り残されてたよ……。
前日に東宝雪組観て、その足で夜行バスに乗って、昼12時には大阪梅田でサバキ待ちしてました……ナニこの強行軍。
作品ではなく、花組への愛と「花組が観たいんじゃあ!」という欲求のみでの行動。
無事、1階のすみっこで観劇できました。さばいてくれた人ありがとー!
で。
大泣きしました。
ええ話や……。
さんざん作品やだとぶちあげておきながら(笑)。
だってだって。
らんとむ、かっけーーっ!!
惚れる。このらんとむさんにはもお、問答無用で惚れる。
かっこよすぎる。
粋だね、いなせだね、漢だね。
でもって、あの大嫌いな、「もう涙とはおさらばさ」の歌で号泣。
もー、いちいち、畳ばんばん叩いて「そうっ、そうなのよ! 日本人ってこうなのよ、これが日本の美学なのよっ、いい男、いい女ってもんなのよ。人情ってもんなのよ!」とわめきたい。
ああ、日本っていいなあ。しみじみ。
噂には聞いていたが、あっちゃん@姫花、神演技……!
姫花の棒読みアニメ声が生かせる役があった……! 感動。
と、今回の公演は大変感動いたしましたが、それでもやはり、『小さな花がひらいた』という作品に関しては全面的に受け入れられないっす。
登場人物のほとんどが子どもである作品を、宝塚歌劇団で上演することの意義について、懐疑的だからだ。
タカラヅカは児童劇団ではない。
また、他の劇団とちがって年齢制限があり、子どもは団員にいない。
役者なんだから、どんな役でもする。
男性がいないから女性団員が男役をする、それと同じことで、子ども役だって老人役だって、妙齢の女性たちが演じているのだ。
しかし、男役と子役は、同列に語っていいことか?
成人女性が幼児を演じることで観客が喜び、その幼児や児童っぷりに安くないチケットを買って全国から駆けつける劇団ならば、子役も男役と同等に語るべきだろう。
しかし、実際はそうじゃない。
女性が演じる男役はタカラヅカの売りだが、幼児役は別に売りでもなんでもない。舞台に必要だから子役もいるというだけのこと。
子役を売りにしていない、女性が恋愛対象にできるかっこいい男の役を売りにした劇団で、子どもばかり登場する芝居をするのは、方向性として間違っている、とわたしは思う。
子どもがたくさん出る話を舞台でやりたいなら、どこか他の劇団でやればいい。ふつーに子どものいるカンバニーで無理なくやればいいじゃん。
わざわざ大人が子どものふりをしなくていいじゃん。
『小さな花がひらいた』が良い話、良い舞台だっただけに、否定意見を言いたくないのだが。
『小さな花がひらいた』が良かったことと、『小さな花がひらいた』のような話をタカラヅカで舞台化することの是非は、別だろうと思うんだ。
成人女性の幼児プレイを楽しむのが目的でない以上、子どもメインの話はタカラヅカには不要。
しかし、子どもたちというファクタの上で描かれる大人の男の格好良さ、ってのは、たしかにアリ。
そうなのよ、実際かっこ良かったのよ。
茂次@らんとむのかっこよさは、これぞ、タカラヅカなのよ。
ジレンマだわ……。
『小さな花がひらいた』は、「タカラヅカ」ではない。あってはならない。
だが。
茂次の格好良さを世界一表現できるところは、「タカラヅカ」でしかありえないっ。
という。
ジレンマだわー(笑)。
らんとむ氏だから演じきってくれたけど、彼の男前さに心から惚れ惚れしたけど、だからといって、贔屓組でこの作品だとキツイっす……。花組公演『小さな花がひらいた』が名作であることとは、まったく別の次元で。
そしてやはり、そう思わせる作品は「タカラヅカ」的ではないと思うの……。
花組全国ツアーの演目が、『小さな花がひらいた』だと聞いたとき、テンションはだだ下がりだった。
第一に、わたしは古い柴田作品が肌に合わない。当時は名作だったのかもしれないが、現代には合わない、ただ古いだけの作品を「名作だ、さあありがたがれ」と押しつけられるのが嫌。
次に、オトナが演じるわざとらしい子役がダメ。特に柴田作品に使われる子どもは、本来の年齢より幼く「いかにも子どもっていう演技」を求められるので気持ち悪さ倍増。苦手。
あと、これはタカラヅカ以外のフィクション全般に対してなんだが、子どもネタの人情モノが苦手。
シングルライフを満喫する主人公が、予期せぬトラブルによって子どもを育てるはめになる系のドラマとか、鬼門。肌に合わず、不快な思いをすることが多い(笑)。子役を使って泣かせるのは、人死にで泣かせるのと同じ、ズルだと思っている。
わたしの「苦手」が大挙して押し寄せてきたよ! タスケテ!
贔屓が出てなくて良かった、ここまで「苦手」要素だけで構成された芝居に通うとか、つらすぎる!
『小さな花がひらいた』という舞台は、ナマで観たことがない。しかし、話だけは知っている。
というのも、その昔はビデオではなく「実況CD」というのが発売されており、わたしはソレでいろんな作品を聞いていた。
当時の有線放送には「タカラヅカ・チャンネル」があり、毎日24時間、タカラヅカの実況CDを流し続けていたのだよ。わたしはバイト先で毎日そのタカラヅカ・チャンネルを聞いていた。オープン前の準備時間に。
ショーの実況CDはいいけど、芝居はなあ……モノによっては音だけではストーリーがまったくわからなかったなあ……。『心中・恋の大和路』なんか、何回聞いてもラストがどうなったのかわからずもやもやした。(ラストは音楽だけで、台詞なしだもんよ)
『小さな花がひらいた』もそうやって、音だけ聞いていた。大人が無理して演じる、わざとらしい子どもの声ばかりががちゃがちゃ聞こえ、辟易した。
特に主題歌らしき、「もう涙とはおさらばさ」とかゆーフレーズの曲!!
うざっ。ダサっ。
この曲が流れてきたらチャンネル変えるくらい、苦手だった。
わたしの「苦手」「見たくない・聞きたくない」が凝縮された曲だ!!
とまあ。
ここまで生理的に合わない作品なので、花組もらんじゅさんも大好きだから観劇はしたいけどあまり積極的な気持ちになれず、気がついたらチケット難民化しておりました。
梅芸チケット、完売じゃん……。
東回り全ツだってことが、わかってなかった。一番西で行われる公演が大阪で、しかも土日で、関西より西に住んでいる人たちはこの日程で観るしか選択肢がナイんじゃん……他の全ツと同じよーなキモチでいたら、取り残されてたよ……。
前日に東宝雪組観て、その足で夜行バスに乗って、昼12時には大阪梅田でサバキ待ちしてました……ナニこの強行軍。
作品ではなく、花組への愛と「花組が観たいんじゃあ!」という欲求のみでの行動。
無事、1階のすみっこで観劇できました。さばいてくれた人ありがとー!
で。
大泣きしました。
ええ話や……。
さんざん作品やだとぶちあげておきながら(笑)。
だってだって。
らんとむ、かっけーーっ!!
惚れる。このらんとむさんにはもお、問答無用で惚れる。
かっこよすぎる。
粋だね、いなせだね、漢だね。
でもって、あの大嫌いな、「もう涙とはおさらばさ」の歌で号泣。
もー、いちいち、畳ばんばん叩いて「そうっ、そうなのよ! 日本人ってこうなのよ、これが日本の美学なのよっ、いい男、いい女ってもんなのよ。人情ってもんなのよ!」とわめきたい。
ああ、日本っていいなあ。しみじみ。
噂には聞いていたが、あっちゃん@姫花、神演技……!
姫花の棒読みアニメ声が生かせる役があった……! 感動。
と、今回の公演は大変感動いたしましたが、それでもやはり、『小さな花がひらいた』という作品に関しては全面的に受け入れられないっす。
登場人物のほとんどが子どもである作品を、宝塚歌劇団で上演することの意義について、懐疑的だからだ。
タカラヅカは児童劇団ではない。
また、他の劇団とちがって年齢制限があり、子どもは団員にいない。
役者なんだから、どんな役でもする。
男性がいないから女性団員が男役をする、それと同じことで、子ども役だって老人役だって、妙齢の女性たちが演じているのだ。
しかし、男役と子役は、同列に語っていいことか?
成人女性が幼児を演じることで観客が喜び、その幼児や児童っぷりに安くないチケットを買って全国から駆けつける劇団ならば、子役も男役と同等に語るべきだろう。
しかし、実際はそうじゃない。
女性が演じる男役はタカラヅカの売りだが、幼児役は別に売りでもなんでもない。舞台に必要だから子役もいるというだけのこと。
子役を売りにしていない、女性が恋愛対象にできるかっこいい男の役を売りにした劇団で、子どもばかり登場する芝居をするのは、方向性として間違っている、とわたしは思う。
子どもがたくさん出る話を舞台でやりたいなら、どこか他の劇団でやればいい。ふつーに子どものいるカンバニーで無理なくやればいいじゃん。
わざわざ大人が子どものふりをしなくていいじゃん。
『小さな花がひらいた』が良い話、良い舞台だっただけに、否定意見を言いたくないのだが。
『小さな花がひらいた』が良かったことと、『小さな花がひらいた』のような話をタカラヅカで舞台化することの是非は、別だろうと思うんだ。
成人女性の幼児プレイを楽しむのが目的でない以上、子どもメインの話はタカラヅカには不要。
しかし、子どもたちというファクタの上で描かれる大人の男の格好良さ、ってのは、たしかにアリ。
そうなのよ、実際かっこ良かったのよ。
茂次@らんとむのかっこよさは、これぞ、タカラヅカなのよ。
ジレンマだわ……。
『小さな花がひらいた』は、「タカラヅカ」ではない。あってはならない。
だが。
茂次の格好良さを世界一表現できるところは、「タカラヅカ」でしかありえないっ。
という。
ジレンマだわー(笑)。
らんとむ氏だから演じきってくれたけど、彼の男前さに心から惚れ惚れしたけど、だからといって、贔屓組でこの作品だとキツイっす……。花組公演『小さな花がひらいた』が名作であることとは、まったく別の次元で。
そしてやはり、そう思わせる作品は「タカラヅカ」的ではないと思うの……。
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