『インフィニティ』で、まっつの感情表現がいちばん濃かったのは、2日目だったなあ、とあとにして思う。

 初日は舞台上も客席も緊張していた。
 その翌日、1回公演の日。

 わたしも、緊張しすぎて、初日は泣くことすらなかった。与えられるモノを受け止めるのが精一杯で。
 2日目にしてよーやく、内容を理解する余裕ができた、それゆえに見えただけ、わたしの気持ちの問題、かもしれないが。

 2日目に見たものをもう一度見たいと期待してその後の公演に通ったけれど、結局2度と見られなかった……。

 えー、つまり、涙成分過多なまっつ。

 センチメンタルというか。

 南仏の後半、黄昏の歌からダンス部分、あんだけ切なそうにしていたのは、2日目だけだったよーな。
 あまりに顔を歪めていたので、もう一度ちゃんとアレを見たい、と思ったのに、3日目ではさらっと流されていて「あれ? キュン死するかと思ったあの表情は、どこの場面だっけ? わたしどっかと間違えておぼえてた?」と迷うくらい、……なくなってた。
 回数を重ねて見慣れてくると、「ああ、あの場面がそうだ」とわかるんだけど、2日目に見たものとはチガウ。ダンスの中にさらっと収まっている。

 ドイツにて、昔の恋人あゆっちにすがりつくところも、2日目の泣きの演技のすごさは、それ以降まったく見られなかった。
 度を超して泣いてたもんなあ。その、なんつーか、「きれい」な表情ではなかった。
 みっともない、痛々しい顔。
 しかも、長かったよ……。

 ドイツ場面なあ、あとになればなるほど、「短く」なるのよ……あゆっちにすがりつく時間が。
 ちくしょー、「芝居」よりも「ダンスの振付」になってやがる……。
 もちろん、ダンス場面であり、あゆっちにすがりつくのも振付なので、それは当然のことなんだけど。
 まっつの真面目っつーか、演出や型に「忠実」なところが、ちょっとじれったかった。もっとくずしていいのに、突っ走っていいのに、と。
 脇なら真ん中の芝居や舞台進行を妨げないよう、型通りでなきゃいけないかもしんないけど、今回は真ん中なんだからいいじゃん、芝居に熱入るがゆえに型や手順から少々はみ出したって!
 ……しかしまつださんはまつださん、決してはみ出さず、むしろ抑えられて短くあっさりになってゆくのでした……(笑)。
 あっさりだから悪いわけではなく、なんつーんだ、とってもエコな印象。不要なエネルギーカット、最小限の燃料で最大の効果を生む一点を見つけたので、そこに集約させてみましたっていうか。
 秘孔を点くケンシロウ的な集中力っていうか。
 過剰な演技に頼らず、短く必要なだけの芝居をしてみせるのは、職人的でさすがですが、わたしはもっとやりすぎた、コワレた未涼さんも見てみたかったっすよ……(笑)。

 ベニスでコマくんにコナかけてみたりと、2日目はいろいろ過剰だったんだね、まっつ的に。
 そのあと何公演もアドリブなし、落ち着いた頃にぽつぽつやってみるあたりが、もう……。

 もちろん、回数を重ねるにつれ、歌声はより伸びていくし、ダンスも生き生きしていったわけなんだが。
 慣れによる「プロ」としての高クオリティ舞台も良いけど、ここがタカラヅカであるために、「いっぱいいっぱい」ゆえの瞬発力も楽しみたかったのですよ。
 それが見えたのが2日目だけ、つーのが、とってもまつださん。3日目からは安定、まかせて安心舞台でしたもの。

 んで、2日目に見た「泣き」のまっつとはもう二度と会うことは叶わず。

 それでも日によって、公演によって、感情表現部分は揺れ動いてはいるようで。
 それがよくわかるのが、ドイツのラストとマタドール。

 あゆっちとの絡みは「型」や「振付」に落ち着いてしまった(笑)ので、あまり楽しみはない。
 ポイントは、そのあと。
 サイレンが鳴り響き、人々が一気に消えてしまう。そして、舞台にはまっつひとりが残される。
 その一連の流れがねー、感情の「揺れ」がよくわかる部分だった。

 切ない成分多めのときなんか、ここでのダメージっぷりがすごいの。
 呆然となって、心が戻ってこない。
 ひとり取り残されたあと、一瞬だけ笑うんだけど、この笑みがまた、壮絶で。
 笑いというよりも、引きつっただけのような、いびつな、「醜い」顔をしたりもする。
 ここでの流れは「呆然」→「自嘲」→「背を向けて着替えに行く」で、いつもきちんと同じことをやっているんだけど、日によってまっつ……ここの役名、ヘル・ベルリン……ベルリンさん、ってえらい名前やな……のドラマがちがっている。
 絶望が大きすぎて魂が欠けたまま背を向けるときもあれば、露悪的に笑って悪の顔で背を向けることもある。

 そのあとの「夜明け」では概ね均一の感情で歌っているんだけど、絶望が高いときはやっぱ心がここにないまま、なにか高次のものにすがるような風情で歌っていたり。

 んで、歌が終わり、コーラスに現れていた人々も去り、まっつひとり、背を向けて舞台奥へ去る背中に幕が下り、1幕終了……なんだけど、ここがまた、日替わり。
 希望の歌を歌い終わり、人々がそれぞの明日へ進んでいくラストシーンなのに、まっつは素直に希望に酔うことはない。
 前へ進む決意をしたのか、厳しい顔で拳を握ることが多かったが、そーではなく、希望を歌ってなお切なそうなときも何度かあった。

 わかりやすいのは、拳を握るか否か。
 両腕は自然に脇に垂らしているんだが、ラストでグーになるときと、そうでないときがある。
 絶望高いときは、拳を握ることもせず、呆然とした表情のまま、去って行く。……ちょ、あーたこれからどうなっちゃうの?!!と、こちらがびびる儚さで。
 拳は握っても、瞳に力がないままだと、やはり「ちょ、この人、魂失ったままだよ」と心配する……魂失ったまま、それでも「行かなきゃ」となにかの使命感でとにかく進み出すって、それってなお悪い結果しか想像できないんですがっ?!
 とかな。

 公演後半は、拳握って決意の顔をしていることが多かったと思う。
 なにか吹っ切れたんでしょうか、中の人。

 あと、マタドールはやることが多いので、真面目なまっつさんはあまりナニかしてくれることはありません(笑)。
 台詞や振付がナイ方が、いろいろ芝居するよねこの人。

 でも、曲と役がまっつ的に入り込みやすいのか、きっちり同じことをやりながらも、温度に高低がある。
 や、わずかなんですけど。
 前半日程の真ん中あたりで、なんかやたら激しい回があり、めずらしくメロディより歌詞が浮き上がっていたことがあったなと。歌詞が台詞に近くなっていた。キムくんとかはよくやるけど、まっつでははじめて聴いた。びびった(笑)。

 まったく同じことをぴしっとやりながらも、温度高い日は漂う緊張感が半端ない。客席も一緒に緊張する……ので、この人の高温ってはた迷惑かも、と思った(笑)。発散型で、客席も一緒に高揚してわーっ!てなタイプぢゃないんだ(笑)。
 しかしこの、針が落ちてもわかる緊張感に、空間を満たしてしまうのはすごい。

 そんなこんな。
 公演終わったからこそ言える、全体見回してみてのまっつさん感想。

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