彼は早くから「スター」だったから。@きりやんとわたし・その1。
2012年2月4日 タカラヅカ 今頃になって、きりやんのことを考えている。
きりやんのことはずっと、愛着を持って眺めてきた。
ご贔屓はひとりだけど、それ以外はその時期ごとに好きなジェンヌ順位は変動する。全組観劇が基本なので、今そのときやっている公演にきゃーきゃー言っていることが多い。
そんなわたしは、いつからきりやん好きだっけ?
オペラグラスできりやんばっか追いかけて、隣の席の見知らぬ方から「きりやさんのファン?」と声をかけられたのは、どの公演だっけか。
最初に彼を認識したのが、『君に恋してラビリンス!』だったか。学年なんか知らない、ふつーにうまかったし、役付も良かったし、目についた。
花組にはまったく詳しくなかったが、新進スターらしいという噂は耳に入ってた。
このときは、顔を見た程度。ふーん、あれがそうか、みたいな。役のせいもあるかもしれんが、まあいいんじゃない、みたいな。
「すごい新人」らしいから、そーゆー人がうまくてまあいいんじゃない?なのは、いいことだ。劇団が勝手に抜擢して「スターです! ありがたがりなさい!」と押しつける人が、きれいでもなくへたっぴだったら観客は不幸極まりない。その点、この霧矢という人はきれいだしうまいし、いいんじゃないかな?と。
全組観劇するとはいえ、わたしのホームは雪組。他組は本公演を1回観る程度だから、他組の「すごい新人」には、正直あまり興味がなかった。
だって、新人公演を観ない者にとって、「すごい新人」なんつーのは、「噂」でしかなく、実感が伴わない。
舞台がすべてですから。わたしが観劇する舞台で、実際に活躍してくれないと、わかんない。
花組時代のきりやんのことは、ぜんぜんおぼえてない。本公演で大役をやってくれない限り、ライトなヅカファンにはわかんない。
月組に組替えになったのはおぼえているが、「いつから」というのが、記憶にない。
東宝公演からだよね? ムラでしか観劇しない身なので、知らないところで異動完了、現実に感覚が追いつかない現象。
なにしろ当時は今ほどリアルタイムにニュースが目に耳に入るわけじゃない。インターネットもパソコン通信も高額なツール。1分いくらの課金制だ、ちょっと使いすぎると月何万円と請求される、おそろしー時代(経験談・笑)。ニュースソースとしては高すぎるし、今ほどネット人口も高くないので、ツールとしても大して使えない。
自分が実際に劇場に行かない限り、ヅカの話題なんてナニも知らないままだった。
気がついたら、きりやんは月組だった。
そして月組の「すごい新人」「新進スター」「特別な若手スター」は、タニちゃんだった。
なにがあってもタニちゃん。どこでもここでもタニちゃん。まずタニちゃんありき。
そんな印象だったので、そこにもうひとり下級生スターが加わっても、扱いはいつだって「タニちゃんの次」でしかない。
ひとつだけ若手にオイシイ役や場面があれば、それはすべてタニちゃんのものだから、きりやん以下の若手スターはそれ以下の役や出番になるのが常識。
他組のことは不勉強、よくわかっていないまま見ているので、わたしの海馬はタニちゃんまでしか、ろくに認識できていない。タニちゃんがひとつの区切り、トップスターのマミさんから順番にスターさんを数えるとき、タニちゃんまで数えたら、はいそこで終了、てな。
1回しか観ないんだもん。それだけでもういっぱいいっぱい。
『黒い瞳』は作品が好きで複数回観たけれど、マミリカゆうこに釘付けで、それ以外はよくわかってないしなー。トリオのひとりで目立っていたはずだが、タニちゃんと嘉月さんと、もうひとり、くらいの感覚だったもんなー。
わたしが月組を複数回観るよーになったのは、ケロの組替えとともに。
ってことで、『螺旋のオルフェ』からだ。
オギーの美しく退廃的な舞台の上では、誰もが何割方美形に見えたもんだったが(特に『螺旋のオルフェ』はライト使いが秀逸!)、ここいらで、きりやんのことをかっこいいかも。それに、けっこー好みの顔。として再認識。
若者役でも、大人っぽい陰影のできる顔立ちで、何つってもあの高い鼻が好みだったんだと思う。
ただし、同時上演のショー『ノバ・ボサ・ノバ』がいかんかったと思う。せっかく芝居で目についたとしても、あとから上演されるショーで認識できないと、観劇後に記憶に残らない。
だってピエロ役だもんよ。組ファンでもない身には、ピエロメイクの下の顔なんかわかんねーよ。
で、きりやんというと「伝説の新公」として、『ノバ・ボサ・ノバ』新公ソール役が語られるよね。
わたしには、これがかーなーり、マイナスだった。
観てません。観てませんとも。
当時の新人公演は、今ほど誰でも簡単に手に入るものじゃない。会に入るなりしていれば入手できるのかもしれないが、そーゆー世界と無縁の、永遠のライトファンには入手困難。
自組のためには手に入れるためあらゆる努力をするけれど、他組のためにはそこまでできない。だから、なんのツテもない組の新公は観ない、最初から観るという選択肢もない。
わたしにとって新人公演っつーのは雪組しか存在していない。雪組だって、トドロキ卒業後は何年も観ていなかった。純粋に、チケットが素人には手に入らないから。(トドのときは、あらゆる努力をして観ていた)
きりやん『ノバボサ』は観てないまま、噂だけを耳にする。素晴らしかったと。
しいちゃんスキーのわたしにとって、「『ノバボサ』新公といえばきりやん!」てな感じになっているのがおもしろくなかった。先に雪組で『ノバボサ』新公主演した、しいちゃんdisってんのか?と。
きりやんが素晴らしかった、というだけで、しいちゃんが悪かった、という意味ではないとわかっていても、「『ノバボサ』新公といえばきりやん!」で、もうひとり新公ソールを演じた人がいたことが「なかったこと」になってるっぽいのが、嫌だった。しいちゃんのソールだって良かったのに! 歌唱力はともかく(笑)、すごくアツくてかっこよかったもん!てな。
それでまあなんとなく、きりやんに対して構えてしまう。どんだけきりやんがうまくて世間がきりやんだけ評価してても、あたしはしいちゃんの味方だもん!的な(笑)。
別に、きりやんのことは好きでも嫌いでもない。ただ、しいちゃんのことが好きだった。
で、こーやって霧矢大夢はわたしのなかに、大きく刷り込まれる。
以降、目に入らないとか、記憶に残らないとか、そーゆーことはなくなった。役付に関係なく、「ああ、きりやんだ」と思うようになる。
小さな身体と、ガイジンさん的な凹凸のある、きれいな顔。美貌と華だけであとはいろいろいろいろ足りていないタニちゃんの横で、あるいは一歩後ろで、堅実な仕事をする若手スター。
タニちゃんの美貌と華は認めているけれど、その足りなさっぷりにそろそろ疑問を持つようになっていたわたしは、「裏切らない」芸風のきりやんに注目するようになる。や、だって彼、「うまい」んだもん。「うまい」って、すごいことだよ? 歌っても踊っても芝居しても、椅子からずり落ちないで済むんだよ? タニちゃんと比べてどうこうではなく、ヅカにおいて、そーゆースターの存在は貴重なんだってば。
しかし。
いつ「好き」になったんだろう?
きりやんのことはずっと、愛着を持って眺めてきた。
ご贔屓はひとりだけど、それ以外はその時期ごとに好きなジェンヌ順位は変動する。全組観劇が基本なので、今そのときやっている公演にきゃーきゃー言っていることが多い。
そんなわたしは、いつからきりやん好きだっけ?
オペラグラスできりやんばっか追いかけて、隣の席の見知らぬ方から「きりやさんのファン?」と声をかけられたのは、どの公演だっけか。
最初に彼を認識したのが、『君に恋してラビリンス!』だったか。学年なんか知らない、ふつーにうまかったし、役付も良かったし、目についた。
花組にはまったく詳しくなかったが、新進スターらしいという噂は耳に入ってた。
このときは、顔を見た程度。ふーん、あれがそうか、みたいな。役のせいもあるかもしれんが、まあいいんじゃない、みたいな。
「すごい新人」らしいから、そーゆー人がうまくてまあいいんじゃない?なのは、いいことだ。劇団が勝手に抜擢して「スターです! ありがたがりなさい!」と押しつける人が、きれいでもなくへたっぴだったら観客は不幸極まりない。その点、この霧矢という人はきれいだしうまいし、いいんじゃないかな?と。
全組観劇するとはいえ、わたしのホームは雪組。他組は本公演を1回観る程度だから、他組の「すごい新人」には、正直あまり興味がなかった。
だって、新人公演を観ない者にとって、「すごい新人」なんつーのは、「噂」でしかなく、実感が伴わない。
舞台がすべてですから。わたしが観劇する舞台で、実際に活躍してくれないと、わかんない。
花組時代のきりやんのことは、ぜんぜんおぼえてない。本公演で大役をやってくれない限り、ライトなヅカファンにはわかんない。
月組に組替えになったのはおぼえているが、「いつから」というのが、記憶にない。
東宝公演からだよね? ムラでしか観劇しない身なので、知らないところで異動完了、現実に感覚が追いつかない現象。
なにしろ当時は今ほどリアルタイムにニュースが目に耳に入るわけじゃない。インターネットもパソコン通信も高額なツール。1分いくらの課金制だ、ちょっと使いすぎると月何万円と請求される、おそろしー時代(経験談・笑)。ニュースソースとしては高すぎるし、今ほどネット人口も高くないので、ツールとしても大して使えない。
自分が実際に劇場に行かない限り、ヅカの話題なんてナニも知らないままだった。
気がついたら、きりやんは月組だった。
そして月組の「すごい新人」「新進スター」「特別な若手スター」は、タニちゃんだった。
なにがあってもタニちゃん。どこでもここでもタニちゃん。まずタニちゃんありき。
そんな印象だったので、そこにもうひとり下級生スターが加わっても、扱いはいつだって「タニちゃんの次」でしかない。
ひとつだけ若手にオイシイ役や場面があれば、それはすべてタニちゃんのものだから、きりやん以下の若手スターはそれ以下の役や出番になるのが常識。
他組のことは不勉強、よくわかっていないまま見ているので、わたしの海馬はタニちゃんまでしか、ろくに認識できていない。タニちゃんがひとつの区切り、トップスターのマミさんから順番にスターさんを数えるとき、タニちゃんまで数えたら、はいそこで終了、てな。
1回しか観ないんだもん。それだけでもういっぱいいっぱい。
『黒い瞳』は作品が好きで複数回観たけれど、マミリカゆうこに釘付けで、それ以外はよくわかってないしなー。トリオのひとりで目立っていたはずだが、タニちゃんと嘉月さんと、もうひとり、くらいの感覚だったもんなー。
わたしが月組を複数回観るよーになったのは、ケロの組替えとともに。
ってことで、『螺旋のオルフェ』からだ。
オギーの美しく退廃的な舞台の上では、誰もが何割方美形に見えたもんだったが(特に『螺旋のオルフェ』はライト使いが秀逸!)、ここいらで、きりやんのことをかっこいいかも。それに、けっこー好みの顔。として再認識。
若者役でも、大人っぽい陰影のできる顔立ちで、何つってもあの高い鼻が好みだったんだと思う。
ただし、同時上演のショー『ノバ・ボサ・ノバ』がいかんかったと思う。せっかく芝居で目についたとしても、あとから上演されるショーで認識できないと、観劇後に記憶に残らない。
だってピエロ役だもんよ。組ファンでもない身には、ピエロメイクの下の顔なんかわかんねーよ。
で、きりやんというと「伝説の新公」として、『ノバ・ボサ・ノバ』新公ソール役が語られるよね。
わたしには、これがかーなーり、マイナスだった。
観てません。観てませんとも。
当時の新人公演は、今ほど誰でも簡単に手に入るものじゃない。会に入るなりしていれば入手できるのかもしれないが、そーゆー世界と無縁の、永遠のライトファンには入手困難。
自組のためには手に入れるためあらゆる努力をするけれど、他組のためにはそこまでできない。だから、なんのツテもない組の新公は観ない、最初から観るという選択肢もない。
わたしにとって新人公演っつーのは雪組しか存在していない。雪組だって、トドロキ卒業後は何年も観ていなかった。純粋に、チケットが素人には手に入らないから。(トドのときは、あらゆる努力をして観ていた)
きりやん『ノバボサ』は観てないまま、噂だけを耳にする。素晴らしかったと。
しいちゃんスキーのわたしにとって、「『ノバボサ』新公といえばきりやん!」てな感じになっているのがおもしろくなかった。先に雪組で『ノバボサ』新公主演した、しいちゃんdisってんのか?と。
きりやんが素晴らしかった、というだけで、しいちゃんが悪かった、という意味ではないとわかっていても、「『ノバボサ』新公といえばきりやん!」で、もうひとり新公ソールを演じた人がいたことが「なかったこと」になってるっぽいのが、嫌だった。しいちゃんのソールだって良かったのに! 歌唱力はともかく(笑)、すごくアツくてかっこよかったもん!てな。
それでまあなんとなく、きりやんに対して構えてしまう。どんだけきりやんがうまくて世間がきりやんだけ評価してても、あたしはしいちゃんの味方だもん!的な(笑)。
別に、きりやんのことは好きでも嫌いでもない。ただ、しいちゃんのことが好きだった。
で、こーやって霧矢大夢はわたしのなかに、大きく刷り込まれる。
以降、目に入らないとか、記憶に残らないとか、そーゆーことはなくなった。役付に関係なく、「ああ、きりやんだ」と思うようになる。
小さな身体と、ガイジンさん的な凹凸のある、きれいな顔。美貌と華だけであとはいろいろいろいろ足りていないタニちゃんの横で、あるいは一歩後ろで、堅実な仕事をする若手スター。
タニちゃんの美貌と華は認めているけれど、その足りなさっぷりにそろそろ疑問を持つようになっていたわたしは、「裏切らない」芸風のきりやんに注目するようになる。や、だって彼、「うまい」んだもん。「うまい」って、すごいことだよ? 歌っても踊っても芝居しても、椅子からずり落ちないで済むんだよ? タニちゃんと比べてどうこうではなく、ヅカにおいて、そーゆースターの存在は貴重なんだってば。
しかし。
いつ「好き」になったんだろう?
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