原田くんに「創作」への愛情や執着がないなーと思うのは、省エネというか、極力労力を省き、有りモノを並べるだけで作ってます感が強いことにある。
 その根幹はどこにあるんだろうと考えると、主人公に、自我がないってことが大きいかな。

 『Je Chante』は物語自体が壊れまくっていたので、主人公に自我がないのは仕方ないっちゅーか、お手上げなので置く。
 構成はシンプルにまとまっていた『ニジンスキー』で、ソレが顕著だった。
 そして今回の『ロバート・キャパ 魂の記録』で、『ニジンスキー』とまったく同じことをやっていた。

 まず、レシピがある。
 どの部品を使って、どの順番に組み立てていくかが、全部書いてある。
 原田くんの使命は、このレシピ通りにパーツを組み立てることだ。
 パーツAとパーツBがある。レシピには、Aの後ろにBを取り付けろとある。書いてあるから、その通りにする。何故そうなるのかは考えない。だって、そう書いてあるんだもん。

 『ニジンスキー』も『ロバート・キャパ』も、それと同じ方法論で作られていた。
 Aという出来事のあとにBという出来事。何故そうなったのかは、考えない。だって、史実だもん。書いてあるんだもん。

 とゆーことで、主人公がAのあとにBにたどり着くように、道筋を作らなければならない。
 どうするか。
 ヒロインに、誘導させる。
 主人公とヒロインしかいない世界だ。主人公を右に曲がらせたいときは、ヒロインに「右よ」と言わせる。主人公は従う。左に行かせたかったら、ヒロインが「左よ」と言う。主人公は従う。

 なにか話を進めたいときは、他者が行き先を決める。主人公はただそれに従う。
 先にレシピがあるので、年表があるので、その通りになぞるために。

 主人公に人格や意志があり、それゆえに物語が進むのではなく、先に年表があり、それに合うように主人公はじめ登場人物の人格や意志を変えていく。
 ……お手軽だなああ。

 『ニジンスキー』のヒロインは、主人公が「言って欲しい」と思っている、都合のいいことを鏡のようにくり返すだけの存在だった。
 『ロバート・キャパ』のヒロインは、主人公を操縦する、都合のいい舵手だった。
 どちらも、都合がいい。……誰に? そりゃもちろん、作者に(笑)。

 主人公とヒロインしかいない物語で、主人公に自我はなく、ヒロインが「設計図通り」に主人公を動かすご都合主義だけの存在。
 そりゃ物語は起承転結きれいに進み、収まるわ。
 無駄な労力不要、省エネな制作姿勢。

 使っているビーズの色やカタチがチガウだけで、同じレシピで作られたネックレスを見せられても、「きれいね。すごいね」しか言えないっす。
 多少いびつでも、色合わせに失敗していても、「自分で」作ってくれよ。それが創作だろうに。

 ヴァーツラフくんの天才としての苦悩っぷりにしろ、アンドレの使命感と平和への祈りにしろ、作者自身はほんとのとこあんまし興味ないんじゃないかなあ。
 描き方がテンプレ的。タカラヅカのお約束を並べるのと同じ温度で、差し出される。

 『ニジンスキー』を観たとき、そのあまりの「ありがちな天才苦悩物語」に気恥ずかしくなった、と以前書いた。あまりにテンプレ、中高生のイメージする「天才」かよ、みたいな感じで、いたたまれなかった。
 原田くんが自分で考えたんだろうか? 資料にあったものをそのままなぞった結果だろうか? 自分で考えたにしては、あまりにも薄っぺらい。狂気を突き詰める気も、興味もないように見受けられた。
 タカラヅカだから、本当の狂気を描く必要はない。だが、必要ないからといって最初から上っ面だけ受け取って、上っ面だけ書くのはどうなの。一旦底まで沈んで咀嚼して、必要な物だけ舞台で表現するもんだろうに。
 また、主演のちぎくんに、ヴァーツラフという役は柄が違いすぎた。合っているのは彼が美しいということだけ、表面的な部分だけ。ちぎくんの真面目で健康的な芸風は、破滅する天才とは根本に相違があった。

 『ロバート・キャパ』もまた、キャパという有名人を語るとき、もれなくこのテーマでこうやりますよねという、観る前からわかっている程度のイメージそのまま、それ以上はなにもなかった。
 作者の視点は感じられない。既存の書籍や映像をただ、舞台に置き換えただけ。作者自身の深い愛着と心の叫びを、作品のテーマに感じない。
 見栄えがいいからこのテーマです、みたいな。
 近代の人の物語だから、いろんなしがらみで「教科書通り」にしか表現できなかったのだ、ということか。しかしあまりに教科書通り過ぎて、それをすることでなにをしたいのかが、見えてこない。
 つか、いちばん説得力のある演出が、キャパ自身の写真って……。演出家としてどうなの。

 原田先生は、ほんとうはタカラヅカを愛しきっていて、どの作品も誠心誠意「オレはこれを世に送り出せたら、その場で死んでもいい!」「このキャラクタ、この台詞に生を与えるためだけに、オレは演出家になったんだ!!」と吐血する勢いでこだわって作っている……んだけど、不器用だから作品にそれがまったく反映されていない、の、かも、しれない。
 だったら早く、思っていることを表現できるようになるといいね、てゆーか、なってからデビューしてくれ、と思う。

 レシピ通りにパーツを並べたて、耳触りのいいテーマを叫ばせて、タカラヅカのお約束で繋いで、「はい、きれいな感動作品です」っての、もう飽きた……。
 3作連続はナイわー。

 次はもっと、愛のある作品にしてください。
 タカラヅカにも、作品自体にも。
 自分が傷つかないこと、減点されないこと、を最優先にしない作品が観たいっす。

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