んで、『ロバート・キャパ 魂の記録』を観て、演出が、とか、構成が、とか、理屈は置いておいて。

 みーちゃんの扱いが、不満だ。

 わたしはデビュー作から一貫して原田作品を好きではないけれど、物申したいことは山ほどあったけど、それでもタカラヅカ的であること、トップを中心としたピラミッド形成においてだけは、評価していた。

> タカラヅカは、そのタイトル1本上演するために集められたキャストで演じて
>いるわけじゃない。同じ顔ぶれで何年も違う作品を上演していく。
> ならば主役だけかっこよくても広がらない。主演=トップスターはいずれ退団
>し、2番手が次のトップとなり組を支える。
> 2番手が魅力的に見えない、トップとヒロインだけの芝居を続けたら、彼らが
>退団したあとに観客がついてこなくなる。
> トップコンビで客を呼びながら、2番手を育てて売り出さないと。
> バウホールでも同じ。
> 大劇場ではここまで比重を与えられない、だけど「未来」に期待しているスタ
>ーにオイシイ役を与え、主演者目当てでやって来た人たちの気持ちを動かす。
> そーやって「あのスターが卒業しても、次のスターが」という連鎖が、100
>年近く続いてきたはず。

 と、『ニジンスキー』の感想に書いている通り。
 タカラヅカたるもの、2番手はおいしくなくてはいかん。

 メイン数人以外は動く背景、としか扱わない、どこの外部芝居だ、みたいなことを平気でする原田せんせの、良いところ探し、「2番手がオイシイ」。
 数少ない美点のひとつだったのに、『ロバート・キャパ』では、それすら、手放した。

 わたしは個人的に、「2番手がはっきりしない・おいしくない作品は名作にはなり得ない」と思ってます。
 作品としておもしろいとか感動できる、だけなら外部でもええやん。スターシステムがある、男役がカッコイイことが、タカラヅカなんだもん。その基本をないがしろにした作品は、それだけでかなりマイナス。
 2番手男役がおいしくないなら、代わりに娘役2番手ががっつりトップコンビに絡む、は次点としてぎりぎりアリかなと思いますが。女がふたり絡むってことは、恋愛・三角関係モノってことで、それはヅカのお家芸だと思うから。
 でもやっぱ、男役を描くのが大事だよなー。娘役を軽んじるのではなく、タカラヅカのシステムとして。

 で。
 組としての2番手ではなく、バウホール公演での2番手は、明言されていない。
 だからみーちゃんが2番手であるとは、決まっていない。
 でも、出演者的にみーちゃんを2番手だと思っても、おかしくない……よね?
 みーちゃん単体ではなく、ちーちゃんとダブルだったり、あるいはりくくんまで含めたりするかもしれないけど、みーちゃんが2番目ポジに来ると判断するのは、おかしなことじゃないよね?
 学年や、今までの立ち位置から。
 実際、最後の挨拶時の順番は、彼が2番目ポジなのだから。

 また、みーちゃんは原田くんのデビュー作『Je Chante』にも出演、あのぶっ壊れた話を力尽くで支える、よい2番手ぶりを発揮していた。
 自分の処女作を共に作り上げた仲間、そのときの2番手なら、そりゃあ信頼も愛着もひとしおだろう。
 その上みーちゃんは、組替えが決まっている。卒業や組替えなどの「そこから、いないくなる」人には、敬意を持って、特別な扱いや演出をするという暗黙のお約束のよーなものがある。誰も彼もが、ではなく、ポジションや学年に従って、だけど。

 これらの要因から、幕が上がる前まで、みーちゃんの扱いに関しては不安を持ってなかった。
 「2番手がオイシイ原田作品」だもん。みーちゃんはあらゆる意味で、よい役になるだろう。
 わたしはみーちゃん好きだけど、ちーちゃんスキーでもあるので、みーちゃんばっかおいしくて、ちーちゃんが残念な扱いだったらやだな、と、そっちの心配をしていたくらいだ。

 それが。

 原田作品は、2番手がオイシイんじゃなかったの?!!

 いや、これで他にちゃんと2番手がいるなら、いい。
 劇団がみーちゃんを、
> 大劇場ではここまで比重を与えられない、だけど「未来」に期待しているスタ
>ーにオイシイ役を与え、主演者目当てでやって来た人たちの気持ちを動かす。
 という意味での2番手に相応しいと判断せず、別の人に2番手をさせた、というなら。わたしはみーちゃんスキーだから残念だと思うけれど、タカラヅカはそうやって100年続いてきた、これからも続いていくために、仕方ないと思う。

 しかし、だ。

 この作品、誰が2番手だよ?

 2番手、いないじゃん。
 ピラミッドを形成し、未来へつなげる作業、してないじゃん。

 いちくんはおいしい役だけど、彼は「2番手」としての扱いを受けていない。ただ「オイシイ」というだけ。

 いちくんの演じたフェデリコを、みーちゃんが演じていたら、どうだろう。
 いちくんは2役+あちこちアルバイトしていたが、みーちゃんならフェデリコだけしか出番はなくなるかもしれない。でも。
 ……みーちゃんが演じたら、「2番手役」になったろうなあ。
 だって、公演の最後に「2番手」として登場して、幕が下りるもの。
 出番は少ないけど、んなもん『Je Chante』だってそうだったし、今のチーキ役だって別に出ずっぱりじゃないよ、少ないよ。だってアルバイトなしだもん。

 みーちゃんをフェデリコ役にしたら、彼が2番手になってしまう。美味しい役が真に「オイシイ2番手役」になってしまう。

 それを避けた、ように見える。
 それが解せない。
 避ける理由がわからない、なのにそう見えることが。見える配役や演出にしていることが。

 いちくんに含みがあるわけじゃない。彼が巧いことも、いい役者さんであることも、わかってる。実際フェデリコかっこよかったし、良い仕事をしていた。彼のかっこいーフェデリコを見られてうれしかったし、楽しかった。

 それとは別に、タカラヅカのスターシステム的に、不思議なんだ。
 今まで原田せんせはトップコンビと2番手までしか役割のナイ作品を作ってきた。2番手のオイシイ作品を作ってきた。
 今回も、脚本だけ読んだら、いつも通りだったと思う。
 が、配役をいじることで、あえて外した……ように見える。

 トップコンビ……というか、トップひとりだけが格好良くて、目立つ芝居を作る。
 それが彼のミッションだったのだろうか。
 「オイシイ2番手」不要。観客の感想を「主役カッコイイ」の一本に絞るため。

 それって、タカラヅカなの? 外部のアイドル主演舞台っすか? ひとりのスターのために他のキャストが集められた、その公演限りの興行?

 んなことしなくても、かなめくんはカッコイイし、ファンは「タカラヅカ的なピラミッド」を愛し、「お約束通り」な力関係に安心して酔うものなのに。
 いびつにパワーバランスをいじると、作品の力が損なわれるよ。ただでさえ、きれいなだけで薄い話なのに。

 ほんとに、原田くんってつまんない演出家だなあ、と思った。
 いや、なんでこんな配役、パワーバランスの芝居なのかわかんないけど、物語に重要な役を判断できないってことは、問題なんじゃないかと。
 みーちゃんの演じたチーキが、2番手としてラストに挨拶するに相応しい比重に描けているか、ということっすよ。

 なんか結局理屈っぽくなっちゃってるけど、ほんとにまあ、感情論ですわ、とどのつまり。
 みーちゃんの扱い、不満だわ、と。

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