必要とされることなんか、簡単だ。
 相手に利益を与えればいい。

 単純に「得になる」のなら、必要とされるだろう。
 それが物質や金銭でもいい。優越感でもいい。

 あるいは。

 愛情だとか、恋だとか、やすらぎだとか、ウツクシク聞こえるものでもいい。

 なにか有益なモノを与えることができるなら、必要とされるだろう。


 わたしなんかは劣等感のカタマリで、わりと頻繁に、安易に、思考の闇にはまりこむ。

 あたしなんかダメだ。
 あたしなんか、誰からも必要とされていない。
 あたしなんか、存在する意味がない。

 わたしがないがしろにされるのは、その程度の人間だからだ。わたしが傷つけられるのは、そうしてもいい存在だと思われているからだ。
 本当に大切なら、失いたくないと思うなら、気を遣われるはず。そうされないとしたら、それはわたしに原因があるんだ。

 わたしに、価値がナイためだ。

 されど、絶望するには自己愛が強くて。

 なんとか自分に価値を見いだせないか、姑息に周囲を見回してみる。
 誤解でも虚飾でも、なんでもいい。いや、誤解や虚飾以外はナイ、とにかくわたしに価値があるように、相手に思ってもらわなきゃ。
 自分を良くするとか、向上するのではなく、世間を誤魔化す方法を考えるわけだ。実際よりも良いモノだと、思ってもらうんだ。

 そんな人生。ああ、情けない。


 でもまあ、見たくないモノにはフタをして、なあなあイイながら生きてます。

 だからかなあ。
 『エドワード8世』は、痛いです。
 胸が。

「アレが役に立つ限り、君たちが見捨てることはナイと信じている」

 ジョージ5世@ソルーナさんは言う。皇太子デイヴィッド@きりやんに利用価値があるうちは、守り、盛り立ててやってくれと。
 国王陛下からそう言われた首相ボールドウィン@越リュウは、かしこまって応える。
「いいえ、どのようなことがあったとしても……」
 ジョージ5世は遮る。
「役に立つ限りでいい。……それが国王というものだ」

 「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。

 役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。
 人間の価値は、ぶっちゃけそこで決まる。
 ガイ@まさおがしたり顔で歌うように。

 儲けのある取引先は、大切にする。損をするとわかっていたり、約束をちっとも守らないとわかっている人には、近づきたくない。
 当たり前のこと。
 それを「打算」だと、この物語は言う。

 すべては打算。
 ウォリス@まりもは、打算でデイヴィッドに近づいた。
 デイヴィッドもまた、彼女に取引を持ちかける。頼み事をするときは、見返りを提示する。

 お金とか名声とか。
 そーゆーもののためだというと、ヨゴレた話になる。
 でも、愛だってやすらぎだって、同じこと。与えてくれる相手だから、必要とする。自分を気持ちよくしてくれる相手を、必要とする。
 イイも悪いもナイ。キレイもキタナイもナイ。
 役に立つか立たないか、それだけのこと。

 役に立たなくても許されるのは、影響範囲の狭さによる。
 夫婦間とか、家族とか、小さな範囲だけなら、役に立たなくても被害は直接の関係者のみで済む。
 だけど、たとえば従業員を抱えた経営者が「無能」だと、被害は大きくなるよね。
 役に立たなくても、情とかしがらみとかで、見捨てることが出来ないことも多々ある。まあそれって、「役に立たない」ことで起こる被害と、「見捨てる」ことで生じる損失や労力(精神的なことも含めて)を天秤に掛けて、「役に立たない」ままでいる方が「得である」と判断しているってことなんだけど。

 その人の立場によって、許されるかどうかは変わる。
 「王様」になると、彼が役に立たないことで起こる被害は、国だけでなく諸外国にまで広がるよね。
 だからジョージ5世は言うわけだ。「それが国王というものだ」と。
 一個人なら、情やしがらみで「ナニがあっても見捨てたりしないよ」と言っていいけど、王様はそうじゃない。
 役に立たなければ、見捨てていい。

 価値があるのは、役に立つうちだけ。

 それを突きつけられて、デイヴィッドは、生きてきた。

 「プリンス・チャーミング」の名の下に。

 わたしみたいな、いてもいなくても世界に影響ないイキモノですら、日々傷ついている。
 わたしに生きる価値はあるのか?
 ……あんまし役には立ってないけど、なんとか誤魔化し誤魔化し、生きている。
 わたしなんかは、無能でも広い範囲に迷惑を掛けない。だから、なあなあで、生きていける。

 だけどデイヴィッドは。

 国を背負うだけの「価値」を、「役に立つ」様を、常に示し続けなければならない。

 役に立つうちだけだよ。
 必要とされるのは。

 心が、ひりひりする。

 「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。

 見ないふり、気づかないふりで、なあなあで生きている、そーゆー部分がひりひりする。

 役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。ガイがしれっと歌う。

 打算ではじまった物語。
 オープニングの葬式場面で、ウォリスは盛大に泣き崩れる。泣き真似をして、まさしくすべては「打算」であると見せつける。

 そして、はじまるふたりの出会いは、打算からで。
 取引で。見返りで。

 王様と愛人の物語?
 特別な人たちの、特別な物語?
 ううん、それは、わたしたちの物語。
 誰もが内包する、物語。

 打算であったはずなのに。
 いや。

 打算計算皮算用、それがまったく働かないモノが、この世にあるのか。どこの天使だ、お釈迦様だ。
 人間ならなにかしら、動いている、働いている。
 役に立つか、立たないか。得になるか、ならないか。

 必要とされることなんか、簡単だ。
 相手に利益を与えればいい。

 有益なモノは、大切にされるんだ。

 デイヴィッドが王冠を捨ててウォリスを選んだとしても、もちろんそれだって打算だろう。計算だろう。
 それが彼に必要だった、それだけのこと。

 打算の関係。
 運命の恋。

 同義語です。

 必要だった。それだけのこと。

「後悔している?」
「後悔しているに決まっている」

 打算だから、後悔する。他の選択肢を考える。計算違いはなかったか、他に得するすべはなかったか。天使じゃナイ、お釈迦様でもナイ。人間だから、後悔する。

 だけど。

「時計の針を戻せても、私はこの道を行くだろう」

 損得全部秤の上に載せたとしても、どんだけマイナスがあったとしても、その痛みごと涙ごと、全部全部、肯定する。

 必要だよ。
 キミが、必要だ。

 心がひりひりして、切なくて、愛しくて、涙が止まらない。

 語り部であり、チャチャ入れ係でもあるガイは言う。
「期待していたのに」

 文句を言いつつ、チャチャを入れつつ、彼はいつも、たのしそうだ。
 斜に構え、「役に立つか立たないか、この世のすべての基準」と歌いながらも、楽しそうだ。愛しそうだ。デイヴィッドが。ウォリスが。

 世界が。

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