愛すべき、打算に満ちた世界で。@エドワード8世
2012年2月12日 タカラヅカ 必要とされることなんか、簡単だ。
相手に利益を与えればいい。
単純に「得になる」のなら、必要とされるだろう。
それが物質や金銭でもいい。優越感でもいい。
あるいは。
愛情だとか、恋だとか、やすらぎだとか、ウツクシク聞こえるものでもいい。
なにか有益なモノを与えることができるなら、必要とされるだろう。
わたしなんかは劣等感のカタマリで、わりと頻繁に、安易に、思考の闇にはまりこむ。
あたしなんかダメだ。
あたしなんか、誰からも必要とされていない。
あたしなんか、存在する意味がない。
わたしがないがしろにされるのは、その程度の人間だからだ。わたしが傷つけられるのは、そうしてもいい存在だと思われているからだ。
本当に大切なら、失いたくないと思うなら、気を遣われるはず。そうされないとしたら、それはわたしに原因があるんだ。
わたしに、価値がナイためだ。
されど、絶望するには自己愛が強くて。
なんとか自分に価値を見いだせないか、姑息に周囲を見回してみる。
誤解でも虚飾でも、なんでもいい。いや、誤解や虚飾以外はナイ、とにかくわたしに価値があるように、相手に思ってもらわなきゃ。
自分を良くするとか、向上するのではなく、世間を誤魔化す方法を考えるわけだ。実際よりも良いモノだと、思ってもらうんだ。
そんな人生。ああ、情けない。
でもまあ、見たくないモノにはフタをして、なあなあイイながら生きてます。
だからかなあ。
『エドワード8世』は、痛いです。
胸が。
「アレが役に立つ限り、君たちが見捨てることはナイと信じている」
ジョージ5世@ソルーナさんは言う。皇太子デイヴィッド@きりやんに利用価値があるうちは、守り、盛り立ててやってくれと。
国王陛下からそう言われた首相ボールドウィン@越リュウは、かしこまって応える。
「いいえ、どのようなことがあったとしても……」
ジョージ5世は遮る。
「役に立つ限りでいい。……それが国王というものだ」
「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。
役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。
人間の価値は、ぶっちゃけそこで決まる。
ガイ@まさおがしたり顔で歌うように。
儲けのある取引先は、大切にする。損をするとわかっていたり、約束をちっとも守らないとわかっている人には、近づきたくない。
当たり前のこと。
それを「打算」だと、この物語は言う。
すべては打算。
ウォリス@まりもは、打算でデイヴィッドに近づいた。
デイヴィッドもまた、彼女に取引を持ちかける。頼み事をするときは、見返りを提示する。
お金とか名声とか。
そーゆーもののためだというと、ヨゴレた話になる。
でも、愛だってやすらぎだって、同じこと。与えてくれる相手だから、必要とする。自分を気持ちよくしてくれる相手を、必要とする。
イイも悪いもナイ。キレイもキタナイもナイ。
役に立つか立たないか、それだけのこと。
役に立たなくても許されるのは、影響範囲の狭さによる。
夫婦間とか、家族とか、小さな範囲だけなら、役に立たなくても被害は直接の関係者のみで済む。
だけど、たとえば従業員を抱えた経営者が「無能」だと、被害は大きくなるよね。
役に立たなくても、情とかしがらみとかで、見捨てることが出来ないことも多々ある。まあそれって、「役に立たない」ことで起こる被害と、「見捨てる」ことで生じる損失や労力(精神的なことも含めて)を天秤に掛けて、「役に立たない」ままでいる方が「得である」と判断しているってことなんだけど。
その人の立場によって、許されるかどうかは変わる。
「王様」になると、彼が役に立たないことで起こる被害は、国だけでなく諸外国にまで広がるよね。
だからジョージ5世は言うわけだ。「それが国王というものだ」と。
一個人なら、情やしがらみで「ナニがあっても見捨てたりしないよ」と言っていいけど、王様はそうじゃない。
役に立たなければ、見捨てていい。
価値があるのは、役に立つうちだけ。
それを突きつけられて、デイヴィッドは、生きてきた。
「プリンス・チャーミング」の名の下に。
わたしみたいな、いてもいなくても世界に影響ないイキモノですら、日々傷ついている。
わたしに生きる価値はあるのか?
……あんまし役には立ってないけど、なんとか誤魔化し誤魔化し、生きている。
わたしなんかは、無能でも広い範囲に迷惑を掛けない。だから、なあなあで、生きていける。
だけどデイヴィッドは。
国を背負うだけの「価値」を、「役に立つ」様を、常に示し続けなければならない。
役に立つうちだけだよ。
必要とされるのは。
心が、ひりひりする。
「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。
見ないふり、気づかないふりで、なあなあで生きている、そーゆー部分がひりひりする。
役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。ガイがしれっと歌う。
打算ではじまった物語。
オープニングの葬式場面で、ウォリスは盛大に泣き崩れる。泣き真似をして、まさしくすべては「打算」であると見せつける。
そして、はじまるふたりの出会いは、打算からで。
取引で。見返りで。
王様と愛人の物語?
特別な人たちの、特別な物語?
ううん、それは、わたしたちの物語。
誰もが内包する、物語。
打算であったはずなのに。
いや。
打算計算皮算用、それがまったく働かないモノが、この世にあるのか。どこの天使だ、お釈迦様だ。
人間ならなにかしら、動いている、働いている。
役に立つか、立たないか。得になるか、ならないか。
必要とされることなんか、簡単だ。
相手に利益を与えればいい。
有益なモノは、大切にされるんだ。
デイヴィッドが王冠を捨ててウォリスを選んだとしても、もちろんそれだって打算だろう。計算だろう。
それが彼に必要だった、それだけのこと。
打算の関係。
運命の恋。
同義語です。
必要だった。それだけのこと。
「後悔している?」
「後悔しているに決まっている」
打算だから、後悔する。他の選択肢を考える。計算違いはなかったか、他に得するすべはなかったか。天使じゃナイ、お釈迦様でもナイ。人間だから、後悔する。
だけど。
「時計の針を戻せても、私はこの道を行くだろう」
損得全部秤の上に載せたとしても、どんだけマイナスがあったとしても、その痛みごと涙ごと、全部全部、肯定する。
必要だよ。
キミが、必要だ。
心がひりひりして、切なくて、愛しくて、涙が止まらない。
語り部であり、チャチャ入れ係でもあるガイは言う。
「期待していたのに」
文句を言いつつ、チャチャを入れつつ、彼はいつも、たのしそうだ。
斜に構え、「役に立つか立たないか、この世のすべての基準」と歌いながらも、楽しそうだ。愛しそうだ。デイヴィッドが。ウォリスが。
世界が。
相手に利益を与えればいい。
単純に「得になる」のなら、必要とされるだろう。
それが物質や金銭でもいい。優越感でもいい。
あるいは。
愛情だとか、恋だとか、やすらぎだとか、ウツクシク聞こえるものでもいい。
なにか有益なモノを与えることができるなら、必要とされるだろう。
わたしなんかは劣等感のカタマリで、わりと頻繁に、安易に、思考の闇にはまりこむ。
あたしなんかダメだ。
あたしなんか、誰からも必要とされていない。
あたしなんか、存在する意味がない。
わたしがないがしろにされるのは、その程度の人間だからだ。わたしが傷つけられるのは、そうしてもいい存在だと思われているからだ。
本当に大切なら、失いたくないと思うなら、気を遣われるはず。そうされないとしたら、それはわたしに原因があるんだ。
わたしに、価値がナイためだ。
されど、絶望するには自己愛が強くて。
なんとか自分に価値を見いだせないか、姑息に周囲を見回してみる。
誤解でも虚飾でも、なんでもいい。いや、誤解や虚飾以外はナイ、とにかくわたしに価値があるように、相手に思ってもらわなきゃ。
自分を良くするとか、向上するのではなく、世間を誤魔化す方法を考えるわけだ。実際よりも良いモノだと、思ってもらうんだ。
そんな人生。ああ、情けない。
でもまあ、見たくないモノにはフタをして、なあなあイイながら生きてます。
だからかなあ。
『エドワード8世』は、痛いです。
胸が。
「アレが役に立つ限り、君たちが見捨てることはナイと信じている」
ジョージ5世@ソルーナさんは言う。皇太子デイヴィッド@きりやんに利用価値があるうちは、守り、盛り立ててやってくれと。
国王陛下からそう言われた首相ボールドウィン@越リュウは、かしこまって応える。
「いいえ、どのようなことがあったとしても……」
ジョージ5世は遮る。
「役に立つ限りでいい。……それが国王というものだ」
「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。
役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。
人間の価値は、ぶっちゃけそこで決まる。
ガイ@まさおがしたり顔で歌うように。
儲けのある取引先は、大切にする。損をするとわかっていたり、約束をちっとも守らないとわかっている人には、近づきたくない。
当たり前のこと。
それを「打算」だと、この物語は言う。
すべては打算。
ウォリス@まりもは、打算でデイヴィッドに近づいた。
デイヴィッドもまた、彼女に取引を持ちかける。頼み事をするときは、見返りを提示する。
お金とか名声とか。
そーゆーもののためだというと、ヨゴレた話になる。
でも、愛だってやすらぎだって、同じこと。与えてくれる相手だから、必要とする。自分を気持ちよくしてくれる相手を、必要とする。
イイも悪いもナイ。キレイもキタナイもナイ。
役に立つか立たないか、それだけのこと。
役に立たなくても許されるのは、影響範囲の狭さによる。
夫婦間とか、家族とか、小さな範囲だけなら、役に立たなくても被害は直接の関係者のみで済む。
だけど、たとえば従業員を抱えた経営者が「無能」だと、被害は大きくなるよね。
役に立たなくても、情とかしがらみとかで、見捨てることが出来ないことも多々ある。まあそれって、「役に立たない」ことで起こる被害と、「見捨てる」ことで生じる損失や労力(精神的なことも含めて)を天秤に掛けて、「役に立たない」ままでいる方が「得である」と判断しているってことなんだけど。
その人の立場によって、許されるかどうかは変わる。
「王様」になると、彼が役に立たないことで起こる被害は、国だけでなく諸外国にまで広がるよね。
だからジョージ5世は言うわけだ。「それが国王というものだ」と。
一個人なら、情やしがらみで「ナニがあっても見捨てたりしないよ」と言っていいけど、王様はそうじゃない。
役に立たなければ、見捨てていい。
価値があるのは、役に立つうちだけ。
それを突きつけられて、デイヴィッドは、生きてきた。
「プリンス・チャーミング」の名の下に。
わたしみたいな、いてもいなくても世界に影響ないイキモノですら、日々傷ついている。
わたしに生きる価値はあるのか?
……あんまし役には立ってないけど、なんとか誤魔化し誤魔化し、生きている。
わたしなんかは、無能でも広い範囲に迷惑を掛けない。だから、なあなあで、生きていける。
だけどデイヴィッドは。
国を背負うだけの「価値」を、「役に立つ」様を、常に示し続けなければならない。
役に立つうちだけだよ。
必要とされるのは。
心が、ひりひりする。
「王様」という記号を使って語られているけれど、王様でなくても同じこと。
見ないふり、気づかないふりで、なあなあで生きている、そーゆー部分がひりひりする。
役に立つか、立たないか。この世のすべての基準。ガイがしれっと歌う。
打算ではじまった物語。
オープニングの葬式場面で、ウォリスは盛大に泣き崩れる。泣き真似をして、まさしくすべては「打算」であると見せつける。
そして、はじまるふたりの出会いは、打算からで。
取引で。見返りで。
王様と愛人の物語?
特別な人たちの、特別な物語?
ううん、それは、わたしたちの物語。
誰もが内包する、物語。
打算であったはずなのに。
いや。
打算計算皮算用、それがまったく働かないモノが、この世にあるのか。どこの天使だ、お釈迦様だ。
人間ならなにかしら、動いている、働いている。
役に立つか、立たないか。得になるか、ならないか。
必要とされることなんか、簡単だ。
相手に利益を与えればいい。
有益なモノは、大切にされるんだ。
デイヴィッドが王冠を捨ててウォリスを選んだとしても、もちろんそれだって打算だろう。計算だろう。
それが彼に必要だった、それだけのこと。
打算の関係。
運命の恋。
同義語です。
必要だった。それだけのこと。
「後悔している?」
「後悔しているに決まっている」
打算だから、後悔する。他の選択肢を考える。計算違いはなかったか、他に得するすべはなかったか。天使じゃナイ、お釈迦様でもナイ。人間だから、後悔する。
だけど。
「時計の針を戻せても、私はこの道を行くだろう」
損得全部秤の上に載せたとしても、どんだけマイナスがあったとしても、その痛みごと涙ごと、全部全部、肯定する。
必要だよ。
キミが、必要だ。
心がひりひりして、切なくて、愛しくて、涙が止まらない。
語り部であり、チャチャ入れ係でもあるガイは言う。
「期待していたのに」
文句を言いつつ、チャチャを入れつつ、彼はいつも、たのしそうだ。
斜に構え、「役に立つか立たないか、この世のすべての基準」と歌いながらも、楽しそうだ。愛しそうだ。デイヴィッドが。ウォリスが。
世界が。
コメント