長谷川氏の音楽は、美しい。

 今回なんつっても、耳に残るのは、「レオノール/カルリート」と「心から心へ」。

 わたし的にいちばん涙腺を刺激されるのは、「レオノール/カルリート」だ。
 プログラムによると、この「レオノール/カルリート」は別の曲扱いらしい。同じ曲だと思うんだが、カルロス@キムが歌うのが「レオノール」、レオノール@みみが歌うのが「カルリート」。

 「心から心へ」は壮大なテーマ曲だけど、「レオノール/カルリート」は、ストレートな、愛の歌。
 ラヴラヴな歌じゃない。片恋の歌だ。
 求愛ではない。なにかを求めてはいない。
 ただ、相手を呼ぶ歌だ。愛を声に出す歌だ。
 立場をわきまえ、相手を思いやるがゆえに耐え、なにも望まず、ただ愛を口にする。
 絶望的に、ただ、愛を歌う。

 それゆえに、泣ける。

 2回目以降の観劇だと、幕開きから胸を締め付けられる。

 緞帳が上がるときの、この作品の最初の音楽が、「レオノール/カルリート」なんだ。
 なにも望まない、ただ純粋に、愛だけを吐露する曲が、流れる。

 愛してる。
 それだけの。

 物語が進み、カルロスが誰を愛しているかは、最初は明かされない。フェリペ二世@まっつはイサベル@あゆみとの仲を疑っているし。
 自室に戻り、ひとりきりになってはじめて、カルロスは愛する人の名を呼ぶ。
 それが、「レオノール」。

 歌っていると、当のレオノールが現れ、カルロスの胸は躍る。
 しかしレオノールはがんとしてカルロスを受け入れず、幼い頃の親しさ……愛の誓いを、拒絶する。

 そうやってカルロスを斬り捨てたのち、レオノールはひとり真実を口にする。カルロスを、愛していると。
 星空の下、ひとり歌う。「カルリート」。

 身を引いたカルロスもまた、自室で歌う。「レオノール」。

 それぞれが、愛を歌う。
 片恋の歌。許されざる愛の歌。
 互いの声は聞こえない。ふたりの視線はからまない。
 別の方向を見て、同じ星空の下で愛を叫ぶ。

 ひとりきりの歌。
 でもそれは、同じ旋律で、美しいハーモニーになる。

 歌声と、星空の、壮絶的な、美しさ。

 息をのむ。
 あまりに悲しく、美しいことに。

 こんなに愛し合っているのに、想いを伝えることすら許されない。
 その切なさ。

 そして、次にこの曲が流れるのは、仮面舞踏会で、だ。

 カルロスとレオノールは幼い頃、フアナ@リサリサの庇護の元に過ごしていた。フアナは、ふたりの親代わりのよーなものだ。
 フアナはふたりが愛し合っていることに、気づいていたのだろう。そして、ふたりが結ばれないことも、知っている。
 だから彼女はふたりのために、レオノールの縁談を用意する。
 あきらめさせるため、けじめを付けさせるために、フアナはカルロスに告げた。レオノールの結婚を。

 カルロスも、わかっている。
 どんなに愛しても、レオノールとは結ばれない。
 わかっていたことが、おそれていたことが、今、現実となって目の前に差し出された。
 レオノールが結婚する。

 それゆえ彼は、人目も憚らず、レオノールに手を差し出す。
 レオノールを、奪いにゆく。
 たった一夜限りの恋。
 ふつうの恋人同士のように、堂々と手を取り合って踊る。
 声を出して笑う。

 今、このひとときだけの。

 これは夢かもしれない。
 明日になれば覚める。消えてなくなる。
 それがわかっている、つかの間のきらめき。

 その、しあわせなふたりの背景に流れるのが、「レオノール/カルリート」。

 絶望的な、愛の歌。

 美しい旋律。
 美しい人々。
 愛し合う恋人たち。

 なのに。

 悲しい。


 いや、もお。
 きついですよ。
 たまりませんよ。
 パブロフの犬みたいなもんですわ。
 「レオノール/カルリート」が流れると、泣く。
 ふたりの悲しい恋が、絶望的な美しさが、胸に痛くて。

 仮面舞踏会は一見楽しい、明るい場面なのにね。
 キムくんの「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」という破壊力MAX台詞だってあるのにね。
 その台詞だって、「今生最後」だと覚悟したからこその、台詞なんだよ。
 最初で最後、もう二度とないとわかっているから、そこまで追い詰められたから、無茶を承知で奪いに行った、それゆえの強引な台詞なんだもの。

 わたしのツボ、ど真ん中なのね。
 わたし、片恋大好物だから。
 カルロスの片思いぶりが、好きすぎる。
 聡明なレオノールは、彼女から線を引いているのね。彼女が、カルロスを拒絶しているの。
 立場的に、レオノールさえうんと言えば、カルロスは恋を遂げることはできるんだもの。彼女を愛人にすればいい。彼にはそれだけの権力がある。誠実な彼がそんなカタチでの成就を潔しとしないとしても、そーゆーケリの付け方は、ある。
 でもカルロスがそーゆー選択肢に悩まずに済むよう、レオノールが先んじて拒絶しているのね。
 だからカルロスは、レオノールに片思い。
 昔の愛称で呼びかけても、愛称で呼んでくれと訴えても、彼女は頑なに「殿下」としか返さない。

 片恋が好物で、切ない/痛い系の恋愛モノが大好物のわたしだから。

 悲しいと美しいがイコールである場面・物語は大好きなの。
 「レオノール/カルリート」が流れる場面は、たまらなく美しい。そして、悲しい。
 この、胸の詰まるような切なさが、ツボ過ぎる。

 「レオノール/カルリート」は、美しい曲だ。
 長谷川氏の音楽は、美しい。

 それは認めている。
 その上で。

 ……キムシンはもう、甲斐せんせとは組んでくれないんだねええ。

 オペラ原作だからと、一縷の望みを掛けていたんだよ、『ドン・カルロス』の音楽。

 長谷川氏の音楽は美しいが、地味で単調。ハッタリに欠ける。テレビなどの小さな枠の中なら「きれい」だけでいいのかもしれんが、大劇場ではスケール感が足りない。
 んで、リピートすると曲の良さがじわじわわかるけど、1回だけだと地味過ぎて残らないという。

 キムシンがどーしても長谷川氏を使いたいというなら、彼ONLYではなく、複数の作曲家を使って適材適所にしてくんないかなあ。
 長谷川氏だけだと、ぶっちゃけ眠くなるんだよ……。
 「レオノール/カルリート」もすごくきれいだし、大好きだけど、子守歌効果もあるんだよなああ。また、キムくんの声が心地よくてなああ。
 こんだけ大好きなのに、それでも「眠い」という声も理解できるもんなあ。

 ……されど、ほんとに、きれいはきれいだよなああ。長谷川氏の音楽。
 オープニングから、泣ける。

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