愛を呼ぶ。ただ、愛だけを。@ドン・カルロス
2012年3月16日 タカラヅカ 長谷川氏の音楽は、美しい。
今回なんつっても、耳に残るのは、「レオノール/カルリート」と「心から心へ」。
わたし的にいちばん涙腺を刺激されるのは、「レオノール/カルリート」だ。
プログラムによると、この「レオノール/カルリート」は別の曲扱いらしい。同じ曲だと思うんだが、カルロス@キムが歌うのが「レオノール」、レオノール@みみが歌うのが「カルリート」。
「心から心へ」は壮大なテーマ曲だけど、「レオノール/カルリート」は、ストレートな、愛の歌。
ラヴラヴな歌じゃない。片恋の歌だ。
求愛ではない。なにかを求めてはいない。
ただ、相手を呼ぶ歌だ。愛を声に出す歌だ。
立場をわきまえ、相手を思いやるがゆえに耐え、なにも望まず、ただ愛を口にする。
絶望的に、ただ、愛を歌う。
それゆえに、泣ける。
2回目以降の観劇だと、幕開きから胸を締め付けられる。
緞帳が上がるときの、この作品の最初の音楽が、「レオノール/カルリート」なんだ。
なにも望まない、ただ純粋に、愛だけを吐露する曲が、流れる。
愛してる。
それだけの。
物語が進み、カルロスが誰を愛しているかは、最初は明かされない。フェリペ二世@まっつはイサベル@あゆみとの仲を疑っているし。
自室に戻り、ひとりきりになってはじめて、カルロスは愛する人の名を呼ぶ。
それが、「レオノール」。
歌っていると、当のレオノールが現れ、カルロスの胸は躍る。
しかしレオノールはがんとしてカルロスを受け入れず、幼い頃の親しさ……愛の誓いを、拒絶する。
そうやってカルロスを斬り捨てたのち、レオノールはひとり真実を口にする。カルロスを、愛していると。
星空の下、ひとり歌う。「カルリート」。
身を引いたカルロスもまた、自室で歌う。「レオノール」。
それぞれが、愛を歌う。
片恋の歌。許されざる愛の歌。
互いの声は聞こえない。ふたりの視線はからまない。
別の方向を見て、同じ星空の下で愛を叫ぶ。
ひとりきりの歌。
でもそれは、同じ旋律で、美しいハーモニーになる。
歌声と、星空の、壮絶的な、美しさ。
息をのむ。
あまりに悲しく、美しいことに。
こんなに愛し合っているのに、想いを伝えることすら許されない。
その切なさ。
そして、次にこの曲が流れるのは、仮面舞踏会で、だ。
カルロスとレオノールは幼い頃、フアナ@リサリサの庇護の元に過ごしていた。フアナは、ふたりの親代わりのよーなものだ。
フアナはふたりが愛し合っていることに、気づいていたのだろう。そして、ふたりが結ばれないことも、知っている。
だから彼女はふたりのために、レオノールの縁談を用意する。
あきらめさせるため、けじめを付けさせるために、フアナはカルロスに告げた。レオノールの結婚を。
カルロスも、わかっている。
どんなに愛しても、レオノールとは結ばれない。
わかっていたことが、おそれていたことが、今、現実となって目の前に差し出された。
レオノールが結婚する。
それゆえ彼は、人目も憚らず、レオノールに手を差し出す。
レオノールを、奪いにゆく。
たった一夜限りの恋。
ふつうの恋人同士のように、堂々と手を取り合って踊る。
声を出して笑う。
今、このひとときだけの。
これは夢かもしれない。
明日になれば覚める。消えてなくなる。
それがわかっている、つかの間のきらめき。
その、しあわせなふたりの背景に流れるのが、「レオノール/カルリート」。
絶望的な、愛の歌。
美しい旋律。
美しい人々。
愛し合う恋人たち。
なのに。
悲しい。
いや、もお。
きついですよ。
たまりませんよ。
パブロフの犬みたいなもんですわ。
「レオノール/カルリート」が流れると、泣く。
ふたりの悲しい恋が、絶望的な美しさが、胸に痛くて。
仮面舞踏会は一見楽しい、明るい場面なのにね。
キムくんの「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」という破壊力MAX台詞だってあるのにね。
その台詞だって、「今生最後」だと覚悟したからこその、台詞なんだよ。
最初で最後、もう二度とないとわかっているから、そこまで追い詰められたから、無茶を承知で奪いに行った、それゆえの強引な台詞なんだもの。
わたしのツボ、ど真ん中なのね。
わたし、片恋大好物だから。
カルロスの片思いぶりが、好きすぎる。
聡明なレオノールは、彼女から線を引いているのね。彼女が、カルロスを拒絶しているの。
立場的に、レオノールさえうんと言えば、カルロスは恋を遂げることはできるんだもの。彼女を愛人にすればいい。彼にはそれだけの権力がある。誠実な彼がそんなカタチでの成就を潔しとしないとしても、そーゆーケリの付け方は、ある。
でもカルロスがそーゆー選択肢に悩まずに済むよう、レオノールが先んじて拒絶しているのね。
だからカルロスは、レオノールに片思い。
昔の愛称で呼びかけても、愛称で呼んでくれと訴えても、彼女は頑なに「殿下」としか返さない。
片恋が好物で、切ない/痛い系の恋愛モノが大好物のわたしだから。
悲しいと美しいがイコールである場面・物語は大好きなの。
「レオノール/カルリート」が流れる場面は、たまらなく美しい。そして、悲しい。
この、胸の詰まるような切なさが、ツボ過ぎる。
「レオノール/カルリート」は、美しい曲だ。
長谷川氏の音楽は、美しい。
それは認めている。
その上で。
……キムシンはもう、甲斐せんせとは組んでくれないんだねええ。
オペラ原作だからと、一縷の望みを掛けていたんだよ、『ドン・カルロス』の音楽。
長谷川氏の音楽は美しいが、地味で単調。ハッタリに欠ける。テレビなどの小さな枠の中なら「きれい」だけでいいのかもしれんが、大劇場ではスケール感が足りない。
んで、リピートすると曲の良さがじわじわわかるけど、1回だけだと地味過ぎて残らないという。
キムシンがどーしても長谷川氏を使いたいというなら、彼ONLYではなく、複数の作曲家を使って適材適所にしてくんないかなあ。
長谷川氏だけだと、ぶっちゃけ眠くなるんだよ……。
「レオノール/カルリート」もすごくきれいだし、大好きだけど、子守歌効果もあるんだよなああ。また、キムくんの声が心地よくてなああ。
こんだけ大好きなのに、それでも「眠い」という声も理解できるもんなあ。
……されど、ほんとに、きれいはきれいだよなああ。長谷川氏の音楽。
オープニングから、泣ける。
今回なんつっても、耳に残るのは、「レオノール/カルリート」と「心から心へ」。
わたし的にいちばん涙腺を刺激されるのは、「レオノール/カルリート」だ。
プログラムによると、この「レオノール/カルリート」は別の曲扱いらしい。同じ曲だと思うんだが、カルロス@キムが歌うのが「レオノール」、レオノール@みみが歌うのが「カルリート」。
「心から心へ」は壮大なテーマ曲だけど、「レオノール/カルリート」は、ストレートな、愛の歌。
ラヴラヴな歌じゃない。片恋の歌だ。
求愛ではない。なにかを求めてはいない。
ただ、相手を呼ぶ歌だ。愛を声に出す歌だ。
立場をわきまえ、相手を思いやるがゆえに耐え、なにも望まず、ただ愛を口にする。
絶望的に、ただ、愛を歌う。
それゆえに、泣ける。
2回目以降の観劇だと、幕開きから胸を締め付けられる。
緞帳が上がるときの、この作品の最初の音楽が、「レオノール/カルリート」なんだ。
なにも望まない、ただ純粋に、愛だけを吐露する曲が、流れる。
愛してる。
それだけの。
物語が進み、カルロスが誰を愛しているかは、最初は明かされない。フェリペ二世@まっつはイサベル@あゆみとの仲を疑っているし。
自室に戻り、ひとりきりになってはじめて、カルロスは愛する人の名を呼ぶ。
それが、「レオノール」。
歌っていると、当のレオノールが現れ、カルロスの胸は躍る。
しかしレオノールはがんとしてカルロスを受け入れず、幼い頃の親しさ……愛の誓いを、拒絶する。
そうやってカルロスを斬り捨てたのち、レオノールはひとり真実を口にする。カルロスを、愛していると。
星空の下、ひとり歌う。「カルリート」。
身を引いたカルロスもまた、自室で歌う。「レオノール」。
それぞれが、愛を歌う。
片恋の歌。許されざる愛の歌。
互いの声は聞こえない。ふたりの視線はからまない。
別の方向を見て、同じ星空の下で愛を叫ぶ。
ひとりきりの歌。
でもそれは、同じ旋律で、美しいハーモニーになる。
歌声と、星空の、壮絶的な、美しさ。
息をのむ。
あまりに悲しく、美しいことに。
こんなに愛し合っているのに、想いを伝えることすら許されない。
その切なさ。
そして、次にこの曲が流れるのは、仮面舞踏会で、だ。
カルロスとレオノールは幼い頃、フアナ@リサリサの庇護の元に過ごしていた。フアナは、ふたりの親代わりのよーなものだ。
フアナはふたりが愛し合っていることに、気づいていたのだろう。そして、ふたりが結ばれないことも、知っている。
だから彼女はふたりのために、レオノールの縁談を用意する。
あきらめさせるため、けじめを付けさせるために、フアナはカルロスに告げた。レオノールの結婚を。
カルロスも、わかっている。
どんなに愛しても、レオノールとは結ばれない。
わかっていたことが、おそれていたことが、今、現実となって目の前に差し出された。
レオノールが結婚する。
それゆえ彼は、人目も憚らず、レオノールに手を差し出す。
レオノールを、奪いにゆく。
たった一夜限りの恋。
ふつうの恋人同士のように、堂々と手を取り合って踊る。
声を出して笑う。
今、このひとときだけの。
これは夢かもしれない。
明日になれば覚める。消えてなくなる。
それがわかっている、つかの間のきらめき。
その、しあわせなふたりの背景に流れるのが、「レオノール/カルリート」。
絶望的な、愛の歌。
美しい旋律。
美しい人々。
愛し合う恋人たち。
なのに。
悲しい。
いや、もお。
きついですよ。
たまりませんよ。
パブロフの犬みたいなもんですわ。
「レオノール/カルリート」が流れると、泣く。
ふたりの悲しい恋が、絶望的な美しさが、胸に痛くて。
仮面舞踏会は一見楽しい、明るい場面なのにね。
キムくんの「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」という破壊力MAX台詞だってあるのにね。
その台詞だって、「今生最後」だと覚悟したからこその、台詞なんだよ。
最初で最後、もう二度とないとわかっているから、そこまで追い詰められたから、無茶を承知で奪いに行った、それゆえの強引な台詞なんだもの。
わたしのツボ、ど真ん中なのね。
わたし、片恋大好物だから。
カルロスの片思いぶりが、好きすぎる。
聡明なレオノールは、彼女から線を引いているのね。彼女が、カルロスを拒絶しているの。
立場的に、レオノールさえうんと言えば、カルロスは恋を遂げることはできるんだもの。彼女を愛人にすればいい。彼にはそれだけの権力がある。誠実な彼がそんなカタチでの成就を潔しとしないとしても、そーゆーケリの付け方は、ある。
でもカルロスがそーゆー選択肢に悩まずに済むよう、レオノールが先んじて拒絶しているのね。
だからカルロスは、レオノールに片思い。
昔の愛称で呼びかけても、愛称で呼んでくれと訴えても、彼女は頑なに「殿下」としか返さない。
片恋が好物で、切ない/痛い系の恋愛モノが大好物のわたしだから。
悲しいと美しいがイコールである場面・物語は大好きなの。
「レオノール/カルリート」が流れる場面は、たまらなく美しい。そして、悲しい。
この、胸の詰まるような切なさが、ツボ過ぎる。
「レオノール/カルリート」は、美しい曲だ。
長谷川氏の音楽は、美しい。
それは認めている。
その上で。
……キムシンはもう、甲斐せんせとは組んでくれないんだねええ。
オペラ原作だからと、一縷の望みを掛けていたんだよ、『ドン・カルロス』の音楽。
長谷川氏の音楽は美しいが、地味で単調。ハッタリに欠ける。テレビなどの小さな枠の中なら「きれい」だけでいいのかもしれんが、大劇場ではスケール感が足りない。
んで、リピートすると曲の良さがじわじわわかるけど、1回だけだと地味過ぎて残らないという。
キムシンがどーしても長谷川氏を使いたいというなら、彼ONLYではなく、複数の作曲家を使って適材適所にしてくんないかなあ。
長谷川氏だけだと、ぶっちゃけ眠くなるんだよ……。
「レオノール/カルリート」もすごくきれいだし、大好きだけど、子守歌効果もあるんだよなああ。また、キムくんの声が心地よくてなああ。
こんだけ大好きなのに、それでも「眠い」という声も理解できるもんなあ。
……されど、ほんとに、きれいはきれいだよなああ。長谷川氏の音楽。
オープニングから、泣ける。
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