物語と役の比重なんぞを。@ドン・カルロス
2012年3月18日 タカラヅカ わたしはキムシンスキーなので、キムシンに甘い。
彼の作る物語が好き。
主役以外にろくに役がない、というのもここがタカラヅカである以上欠点であると思っているけれど、キムシンに関しては、あまり重要視していない。
物語が好きなら、作品が良いなら、その辺はスルーできるらしい。
タカラヅカの魅力は出演者が多く、数に任せた演出が出来ること。
そしてそれはネックでもある。普通の演劇と違い、ありえない人数に見せ場を作らなければならない。
キムシンはネック部分はさくっと無視して、数任せの演出をしてきた人だと思う。
北京の民や大和の民の扱いは、ひどかった……。
ひどいけど、作品自体は楽しんで観られた。
なんでかっつーと、主役たち、主要キャストのアテ書きが心地よかったためだ。
タカラヅカはトップスターを頂点に置くピラミッド形式。トップとその周辺が魅力的に描けているなら、名もなき下級生に見せ場も役もなくても仕方がない、それがタカラヅカだと思っている、ためだ。
もちろん、たくさんの人に見せ場や役があれば、あるほどいいと思っているけど。
人間背景、歌う大道具扱いの下級生ファンにはつらいだろうけど、「タカラヅカ」を楽しむ・物語を楽しむという点では、トップ周辺が素敵なアテ書きっぷりなら満足できるんだもの。
その昔、新公主演経験者であり研10にもなった贔屓が、そのただの歌う大道具のひとりとして十把一絡げにされ、出番もほとんどないし台詞はアルバイト含めてたった4つという扱いを受けていたけれど、それでもワクテカ観劇できたのは、トップスターの魅力を堪能できる作品だったからだ。
オサ様の「トカゲ~~♪」を聴くだけで、悶えまくれたよ……。オサ様とえりたんの車内いちゃいちゃを眺めるためだけにリピートできたよ……。
表現したいモノのために、なにを取捨選択するか。
キムシンはとても本能的に、自分本位に作劇している気がする。
生徒に見せ場を作るために無意味な重複場面を作ったり、生徒の格のために無意味に何行も喋らせたり、生徒への思いやりでストーリーと無関係な歌を歌わせ無関係な衣装を着せて銀橋を渡らせたりは、しないんだろう。
自分がやりたいように、自分の物語に必要なことを、「タカラヅカ」の番手制度に則った上で、やっている。
キムシンの自分スキーぶりと、自分の作品萌えぶりは、心地よい。
まず自分を愛していなければ他人を愛することなんて出来ないし、自分の作品を愛していないと人様にお見せできる作品なんかにはならない。
キムシンは自分が好きで、そして、人間というもの自体が、大好きなんだろうな。
人間に期待しているし、夢を持っている。
性善説が根っこにあって、それゆえに創作している。
それが伝わってくるのが、心地よい。
キムシン作品に一貫している、「名もなき大衆」への批判・疑問も、人間が好き、ってのが根っこにあるゆえだ。
加えて、ロマンチスト(笑)。こっぱずかしい系の男性的ロマンを持っている。ストレートにプロポーズを歌わせたり、「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」なんて赤面台詞を書いちゃうくらいに。
タカラヅカに合った演出家だなあと思う。
とまあ、勝手な思い込みでいろいろ語ってますが、本題は。
今回の『ドン・カルロス』。
もっと役を創ることはできなかったのか。とゆーことだったりします(笑)。
キムシン作品好きだけどさ-。人間背景の歌う大道具も許容範囲だけどさー。
あともうちょい、なんとかして欲しかったなー。
イケメン貴公子グループの使い方が、残念すぎる。
オープニングはただの「歌う解説者」。他にもいっぱい同じよーな殿方たちが出演しているので、グループとしてすら区別しにくい。
淑女たちの噂話の間、銀橋の端とか花道とかにいてくれたらいいのに。で、名前と共にライト浴びるとか、個別認識させる演出をしてくれよー。
彼らの見せ場としては、グループで登場する若者たち集い場面が唯一の機会。
ここをもう少し長くするなりして、個別にキャラクタがわかるようなやりとりを入れてくれよー。
せっかくの麗しい美形揃いなのにさー。今のままじゃ区別も付かないよ。
娘役の扱いは、さらに低い。
公女グループとかでオイシイ場面や歌があると期待したのになー。
今回、グループ分けすらないの。
歌う大道具として、その場限りの存在。
役名のある人たちは、その役と所属するグループで、一貫してわいわい登場してくれたら、にぎやかしでしかなくても個別認識しやすかったのになー。
下級生の使い方、役の付け方・動かし方は、こだまっちがうまかったなあと思う。
下級生ファンなら、『仮面の男』の方が『ドン・カルロス』より通いやすかったんじゃあ……?
てくらい、しどころがないなー。
そして、実は下級生よりも、中堅どころにとってキツイかもなと思う。
じーさん役とはいえ、キャラクタがはっきりしているルイ・ゴメス@がおりはまだいいとして。
コマの出番があれだけって……?!
初日は贔屓を見るだけでいっぱいいっぱいだったので、ちゃんと理解できてなかった。
観劇後に友人とあれこれ話しつつ、首を傾げるわけだ。
コマくんは、どこに出ていた?
宮廷画家ティツィアーノ@コマは、仮面舞踏会にて堂々のソロがある。センターでスポットライトを浴びて、1曲歌いきる。
とても派手な登場であり、派手な場面だ。
しかし。
その他の場面は……?
や、マジで出てないんだわ。舞台上にいないのだわ。
出番も見せ場も一点集中。仮面舞踏会のみ。あとは裁判の傍聴人として背景に混ざるのみ。
これは……。
今までのコマくんの立ち位置的に、きついわ。
コマくんだと、モブのアルバイトもできないから、ほんとに舞台の上に出してもらえないんだもの。
最初の国王の謁見の場に混ざっていたり、もう少し出番を増やすことはできないのかなあ。
アルバ公爵@きんぐもまた、出番なさ過ぎ……。
信じられないくらいイケメンなのに!←
男臭い役をやるときの、きんぐの美形っぷりはすごいです。
一見に値します。
『ロミジュリ』のときもそうだったけど、きんぐはワイルド系の方が男前上がるのよー。優男より、脳筋男よ~~。
あんだけかっこいいのに、ただ立っているだけ、デコレーション軍人、てのがなあ。
もったいない~~。
主軸を丁寧に描いてあるのはすごくいいし、大好きなんだけど、あともう少し、今のままで今の状態を壊すことなくプラスアルファすることで、さらに良くなると思うの。
それがもどかしい。
彼の作る物語が好き。
主役以外にろくに役がない、というのもここがタカラヅカである以上欠点であると思っているけれど、キムシンに関しては、あまり重要視していない。
物語が好きなら、作品が良いなら、その辺はスルーできるらしい。
タカラヅカの魅力は出演者が多く、数に任せた演出が出来ること。
そしてそれはネックでもある。普通の演劇と違い、ありえない人数に見せ場を作らなければならない。
キムシンはネック部分はさくっと無視して、数任せの演出をしてきた人だと思う。
北京の民や大和の民の扱いは、ひどかった……。
ひどいけど、作品自体は楽しんで観られた。
なんでかっつーと、主役たち、主要キャストのアテ書きが心地よかったためだ。
タカラヅカはトップスターを頂点に置くピラミッド形式。トップとその周辺が魅力的に描けているなら、名もなき下級生に見せ場も役もなくても仕方がない、それがタカラヅカだと思っている、ためだ。
もちろん、たくさんの人に見せ場や役があれば、あるほどいいと思っているけど。
人間背景、歌う大道具扱いの下級生ファンにはつらいだろうけど、「タカラヅカ」を楽しむ・物語を楽しむという点では、トップ周辺が素敵なアテ書きっぷりなら満足できるんだもの。
その昔、新公主演経験者であり研10にもなった贔屓が、そのただの歌う大道具のひとりとして十把一絡げにされ、出番もほとんどないし台詞はアルバイト含めてたった4つという扱いを受けていたけれど、それでもワクテカ観劇できたのは、トップスターの魅力を堪能できる作品だったからだ。
オサ様の「トカゲ~~♪」を聴くだけで、悶えまくれたよ……。オサ様とえりたんの車内いちゃいちゃを眺めるためだけにリピートできたよ……。
表現したいモノのために、なにを取捨選択するか。
キムシンはとても本能的に、自分本位に作劇している気がする。
生徒に見せ場を作るために無意味な重複場面を作ったり、生徒の格のために無意味に何行も喋らせたり、生徒への思いやりでストーリーと無関係な歌を歌わせ無関係な衣装を着せて銀橋を渡らせたりは、しないんだろう。
自分がやりたいように、自分の物語に必要なことを、「タカラヅカ」の番手制度に則った上で、やっている。
キムシンの自分スキーぶりと、自分の作品萌えぶりは、心地よい。
まず自分を愛していなければ他人を愛することなんて出来ないし、自分の作品を愛していないと人様にお見せできる作品なんかにはならない。
キムシンは自分が好きで、そして、人間というもの自体が、大好きなんだろうな。
人間に期待しているし、夢を持っている。
性善説が根っこにあって、それゆえに創作している。
それが伝わってくるのが、心地よい。
キムシン作品に一貫している、「名もなき大衆」への批判・疑問も、人間が好き、ってのが根っこにあるゆえだ。
加えて、ロマンチスト(笑)。こっぱずかしい系の男性的ロマンを持っている。ストレートにプロポーズを歌わせたり、「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」なんて赤面台詞を書いちゃうくらいに。
タカラヅカに合った演出家だなあと思う。
とまあ、勝手な思い込みでいろいろ語ってますが、本題は。
今回の『ドン・カルロス』。
もっと役を創ることはできなかったのか。とゆーことだったりします(笑)。
キムシン作品好きだけどさ-。人間背景の歌う大道具も許容範囲だけどさー。
あともうちょい、なんとかして欲しかったなー。
イケメン貴公子グループの使い方が、残念すぎる。
オープニングはただの「歌う解説者」。他にもいっぱい同じよーな殿方たちが出演しているので、グループとしてすら区別しにくい。
淑女たちの噂話の間、銀橋の端とか花道とかにいてくれたらいいのに。で、名前と共にライト浴びるとか、個別認識させる演出をしてくれよー。
彼らの見せ場としては、グループで登場する若者たち集い場面が唯一の機会。
ここをもう少し長くするなりして、個別にキャラクタがわかるようなやりとりを入れてくれよー。
せっかくの麗しい美形揃いなのにさー。今のままじゃ区別も付かないよ。
娘役の扱いは、さらに低い。
公女グループとかでオイシイ場面や歌があると期待したのになー。
今回、グループ分けすらないの。
歌う大道具として、その場限りの存在。
役名のある人たちは、その役と所属するグループで、一貫してわいわい登場してくれたら、にぎやかしでしかなくても個別認識しやすかったのになー。
下級生の使い方、役の付け方・動かし方は、こだまっちがうまかったなあと思う。
下級生ファンなら、『仮面の男』の方が『ドン・カルロス』より通いやすかったんじゃあ……?
てくらい、しどころがないなー。
そして、実は下級生よりも、中堅どころにとってキツイかもなと思う。
じーさん役とはいえ、キャラクタがはっきりしているルイ・ゴメス@がおりはまだいいとして。
コマの出番があれだけって……?!
初日は贔屓を見るだけでいっぱいいっぱいだったので、ちゃんと理解できてなかった。
観劇後に友人とあれこれ話しつつ、首を傾げるわけだ。
コマくんは、どこに出ていた?
宮廷画家ティツィアーノ@コマは、仮面舞踏会にて堂々のソロがある。センターでスポットライトを浴びて、1曲歌いきる。
とても派手な登場であり、派手な場面だ。
しかし。
その他の場面は……?
や、マジで出てないんだわ。舞台上にいないのだわ。
出番も見せ場も一点集中。仮面舞踏会のみ。あとは裁判の傍聴人として背景に混ざるのみ。
これは……。
今までのコマくんの立ち位置的に、きついわ。
コマくんだと、モブのアルバイトもできないから、ほんとに舞台の上に出してもらえないんだもの。
最初の国王の謁見の場に混ざっていたり、もう少し出番を増やすことはできないのかなあ。
アルバ公爵@きんぐもまた、出番なさ過ぎ……。
信じられないくらいイケメンなのに!←
男臭い役をやるときの、きんぐの美形っぷりはすごいです。
一見に値します。
『ロミジュリ』のときもそうだったけど、きんぐはワイルド系の方が男前上がるのよー。優男より、脳筋男よ~~。
あんだけかっこいいのに、ただ立っているだけ、デコレーション軍人、てのがなあ。
もったいない~~。
主軸を丁寧に描いてあるのはすごくいいし、大好きなんだけど、あともう少し、今のままで今の状態を壊すことなくプラスアルファすることで、さらに良くなると思うの。
それがもどかしい。
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