「亡くなる間際のフェリペ二世陛下に、わずかでも希望を与えられないか」……その思いがあって、この物語を書いたと。
 キムシンはプログラムの演出家ページで、そう語っている。

 『ドン・カルロス』がいびつになっているのは、フェリペ二世の比重が大きいため、だったりする。
 カルロスが主役で、ヒロインをイサベル王妃ではなく、架空の女官レオノールにした段階で、フェリペ二世は主軸からはずれる。
 フェリペ二世は勘違いで障害となるだけの人、わずかな出番で専科さんに締めてもらって終了、でもいいような役だ。
 フェリペ二世をがっつり描きたいのなら、ヒロインをイサベルにして、カルロスとの三角関係を描くべきだ。ふつーに。

 しかし、キムシンが書きたかったのは、三角関係ではなく、「家族の物語」だ。
 だからイサベルはヒロインにならず、そのくせフェリペ二世もがっつり登場する。

 恋愛関係にないイサベルが、危険を冒してまでカルロスと密会したがる理由付けが弱く「え、それだけ?」と拍子抜けする。
 カルロス以外に相談する相手のいないイサベルの孤独や、当時の社会風景に思いを馳せれば納得できるが、そこに至るまでの表層で「え、それだけ?」となるのは仕方ない、だって現代ではありえないことだもの。
 イサベルとカルロスは密会しなければならない、それをフェリペ二世が疑わなくてはならない、その都合が先にあり、こじつけ感が強い。

 夫の愛に飢え、死まで考えたというイサベルが、改心するきっかけも弱い。
 わざわざ霊廟で密会して、カルロスとイサベルは大した会話は、していない。

 キムシン脚本のウザいところ、秘技「オウム返し」。
 台詞は1回でいいんだよ、いちいちいちいちくり返すなっ。
 カルロス@キムくんとレオノール@みみちゃんが仮面舞踏会デートの折に、カルロスの言葉をそのまま返すレオノール、というくだりがある。カルロスは笑って「アナタは私の言うことをくり返してばかり」と突っ込むけど。
 イサベルとカルロスの会話も、繰り返しばかり。
「アナタは、父上の妻なのです」
「陛下の……妻」
「そして父上は母上の夫です」
「私の夫……」
 カルロスがナニか言うたびイサベルがオウム返し、で、これだけで改心って、どんだけ簡単なのイサベル?!
 わざわざ危険を冒して密会する必要ナイやん、ちっとも建設的な、特別な会話してへんやん!

 ……キムシンの「言語センス」の弱点が現れているというか……(笑)。

 そりゃ、相談なんてものは大抵、すでに心の底に希望は決まっていて、それを確認する作業でしかないわけだけど。
 だからオウム返しに言葉を重ね、本人が望んでいる道へ誘導したり、無意識だーの表層だーのを取っ払い、本心を引っ張り出す手法なのかもしんないけど。

 見させられる方はなー。
 「つまんねー会話してるなヲイ」という気分になる……。

 キムくんとあゆみちゃんの熱演で、誤魔化されてはいるものの。なにしろリピートしてるからさー。どーしても回数見ちゃうとツッコミがねー(笑)。

 恋愛絡めずに密会する、理由付けには、弱いんだよなー。
 イサベルの行動がもっと説得力あればいいのに。

 そして、「家族の物語」にしてしまったために、ポーザ侯爵や親友たちの描き方が薄く浅くなってしまった。
 バランスが悪いんだ。
 いろんな方面に、どっちつかず。

 「家族の物語」なら、反対にポーザ侯爵の出番はもっと減らしていい。彼こそ、物語外側で空回っているだけの人。主軸がフェリペ二世で、ポーザ侯爵はその使いっ走り。

 しかし現実には、そうではなく。
 ポーザ侯爵は2番手の役で、銀橋で心情を1曲歌ったり、エボリ公女との関係が登場したりする。
 おかげでとても中途半端。エボリ公女への説明不足もあり、突然の隠し子話は「はあ?」だし、クライマックスの異端審問でも、ぶるぶる苦悩に震えているだけしか、役目がナイ。

 視点を、定めるべきだった。

 「家族の物語」だと開き直るなら、ポーザ侯爵はろくに出てこなくていい。もちろん、2番手はフェリペ二世を演じる。
 ヒロインがレオノールでもいい、何故なら彼女はカルロスの恋人、将来の家族だ。
 カルロス、フェリペ二世の親子の確執、男同士の対立、それを本気で主軸にすればいいじゃん。
 家族だけで完結する話でいいじゃん。

 フェリペ二世に肩入れし過ぎ、そのため本筋ではなくなったポーザ侯爵を2番手役だからと無理矢理ドラマをこじつけたことで、全体がいびつになった。

 その結果、観ていて、「どこに落としどころを持って行けばいいのだろう」と混乱する。
 観客が、自分の居場所に悩むんだ。
 観劇なんて高額な娯楽だ、1回しか観ないよ。その1回こっきりの目線を、どこに据えるか悩むような半端さは、優しくないよ。

 観客が混乱しているうちに、終わってしまう。
 美しいけれど地味な音楽、キムくんの心地よい歌声と相まって、眠気を誘う作品になる。


 とまあ、ほんとにねえ。
 キムシンがフェリペ二世好きだからってねえ。
 そのせいで、こんなにややこしいことになっちゃって。

 疑問や愚痴はあるけれど。
 それでも、今ここにあるのは、今のままの『ドン・カルロス』で。

 そしてわたしは、『ドン・カルロス』が好き。

 いろいろ困ったことになっているけれど、フェリペ二世@まっつが好き。
 よくこの役を、まっつにやらせてくれた、と思う。

 そして。

「亡くなる間際のフェリペ二世陛下に、わずかでも希望を与えられないか」と、「本当はこうであったなら」という願いを込めて作られた、物語。

 救われたのは、フェリペ二世だ。

 史実だーの原作だーのにある結末のままで、いちばん悲劇なのは殺されるカルロスじゃない。息子を「見殺し」にする父親だ。
 『ドン・カルロス』は、フェリペ二世を救うために、描かれた物語。

 悲しい人生を送った老王が、死の間際見た夢。
 本当はこうであったなら。

 息子と解り合いたかった。息子を、許したかった。息子に、赦されたかった。
 愛する人と幸せに旅立つ息子を見たかった。

 そんな男の夢が、この物語。

 ラストシーン、幸せそうに穏やかな表情でカルロスを見送るフェリペ二世に、泣けてくる。

 これが、彼の渇望した、夢。

 馬鹿げた、お伽噺みたいな結末。現実にはあり得ないオチ。
 死の間際、項羽@まとぶんの名を呼ぶ劉邦@えりたんみたいに。
 キムシンの夢が、愛情が、一点へ向かって貫かれた物語なのだなと。

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