順不同、思いつくまま、主演と女の子たち。@新人公演『ドン・カルロス』
2012年3月28日 タカラヅカ 新人公演『ドン・カルロス』の感想、主役あたりの話。
カルロス@翔くんをひとことで言うと、幼かった。
若々しいのではなく、幼い。
カルロスがいくつの設定なのか知らないが、カラダの年齢よりも精神年齢の低い青年に見えた。
純粋培養のおぼっちゃまだから、世間知らずなんだろう。
本公演のカルロスが痛々しくも「人間」であるのに対し、新公カルロスは「天使」に見えた。
カルロスが傷ついているとしたら、それは幼いためであり、同時に、傷つかずにすんでいるのも幼いためだ。
だからあまり、可哀想には見えなかった。彼が年相応の大人に成長すれば済むような問題に、つまずいているように見えたから。
家族の関係、問題はとてもシンプルなものに見えた。
フェリペ二世@ホタテはまともな大人で、ふつうの人だ。歪んでもないし、繊細すぎるわけでもない。話せばわかる人だし、話したいと思っている人だ。
カルロスは幼く、話すきっかけや機会を得られないだけ。
この親子はほんとーに、ただボタンがかけ違っているだけに思える。
カルロスは父と和解することで、なにかしら成長したのだろうか。
天使のまま、子どものままのよーな……。
フェリペ二世が最後、カルロスに旅を許したのは、幼い息子に大人になる機会を与えようとしたのかもしれない。
で、この天使の恋人、レオノール@あんりちゃん、だけど……。
レオノールが聡明で快活な女の子なのは、脚本がそうだからってわけじゃ、ないんだなあ。
同じ脚本・演出であるはずなのに、新公レオノールは聡明でも快活でもなかった。
おとなしいというよりは……鈍重な女の子に見えた。
心の動きが鈍いというか。
こちらも、幼い、ということなのかなあ。子どもだから自我が固まっていないのか。
このカルロスとレオノールを旅に出すのは、すごく心配(笑)。
翔くんもあんりちゃんも、よーするにあまりうまくない人たちだ。
学年相応? いや、抜擢されたのが同期の路線の子たちより遅い分、成長が遅いだけかもしれない。
んで、同じように「あまりうまくない」ならば、熱量のある方が良く見えるんだな。
翔くんのがむしゃら感、出来ないことをぶっ飛ばす勢いの「やる気っ!」ぷりは、彼の魅力を底上げしている(笑)。
『灼熱の彼方』でもそうだったけど、彼があんまり高温で空回っているので、それに巻き込まれて「なんか、それなりに良かったかも?」と思わせてしまう、という。
んで、その『灼熱の彼方』がものすごかったせいで、翔くんに関してはナニを見ても「うまくなった!」と思える(笑)。
誰もが合言葉のように言う、「『灼熱の彼方』のときより、うまくなった(笑)」……語尾の(笑)付きで。「あのときは、どうしようかと思ったけど」とか、後ろに続くのも特徴(笑)。
劇団は翔くんを短期間で鍛えようとしているみたいだし、その期待に応えていってほしい。
翔くんと対照的なのが、あんりちゃん。
実力的には似たよーなものかもしれないが、彼女はどうも温度が低い。クールなのではなく、いろんなところが「鈍い」。
彼女の芝居は、スポンジの床にボールを投げたような感覚だ。
床にボールを落とすと、ぽーんと跳ね返ってくるよね、ふつうは。確かめるまでもない常識としての思い込みがある。だから床に落ちたボールが跳ね返らず、そのままずぶずぶと床に沈んでいくと「あれっ?」となる。受け取るつもりでいた手が空振りして、おっとと、となる。
なんで跳ね返らず、沈み込むんだろう? 帰ってこないボールを待って、首を傾げる。
沈み込むまで行かなくても、通常の高さ、このボールをこの高さから落としたら、ここまで跳ね返ってくるだろう、というところまで、跳ねてくれない。
だからやっぱり、あれれ?となる。
内側にあるモノを、出すことが苦手なんだろうか。しかし、役者なわけだから、出して、表現してもらわないと、困るんだがなあ。
本公演でモブをやっているときとか、ショーで生き生き踊っているときに、その鈍さは感じない。つか、いろいろぱぁーっと表現してくれてるじゃん。
なのになんで、大きな役が付くと鈍くなっちゃうんだ? 内側にこもっちゃうんだ?
「喋る」ことが苦手なのかなあ? 歌も苦手っぽいけど、「声に出して表現する」ことに苦手意識でもあるのかなあ?
本公演を観る限り、レオノールはけなげでかわいい、いい役だ。若さや幼さを武器に演じることもできる、若手向きの役だ。その役の良さを表現できないのは、もったいない。
娘役らしいかわいらしい容姿を持っているんだ、実力面でも是非容姿に追いついてくれ~~。
設定年齢より子どもっぽかった主人公たちと対照的に、大人びていたのはイサベル@桃ちゃん。
カルロスとひとつ違い、という設定だけど、余裕で「カルロスの父の妻」に見える。
気品あふれる美しさで、安定した芝居。「王妃」であること、「フランス王家から嫁いできた姫君」ってのが、納得できる。
ただ、とても聡明な女性に見えて、お子ちゃまのカルロスに恋愛相談(違)するのは、違和感……。OLのおねーさんが、チェリーな高校生男子に相談することぢゃないよ的な。
最初から最後までかっこいい系の女性で、異端審問で異議を唱える姿がすげーかっこよかった。
フェリペ二世、ちゃんと彼女をかまってやれよ……いい女じゃん……。
本役のイサベルは、なんつーかこう、優柔不断でうだうだしてばかりで、見ていて「イラッとする」感じがあるので、旦那に置き去りにされていても仕方ない的なところがある。(そして、そんなイサベルが劇的に変わることで、クライマックスが盛り上がるわけだ)
桃ちゃんイサベルは、脚本上にあるイサベル像とは違うかもしれないけど、「王妃」という点ではとても説得力があった。
あとは、カルロスやフェリペ二世に合うキャラクタかどうか、だよなあ。いやその、カルロスが幼すぎるのは本来のキャラのあるべき姿ゆえではなく、役者の力不足から来ているわけだから、他人がそれに合わせるのは難しいかもしんないけどなー。
フアナ@さらちゃんは……かわいいなー、やわらかいなー。
ふわふわのお姫様がそのまま大人になった感じ? 臣下たちに傅かれて登場しても、「威厳」というよりは、「慈愛」を感じた。
カルロスの「母」なんだろうなあ。
このやさしい女性のもとで、あのおぼっちゃまは育ったわけだ、と。
あえて少女っぽい役作りにしたのか、結果的にそうなってしまったのか。
女の子の役はこんなものか。ヒロイン含めて4人も大きな役があるのは、良いことだよね。……って、問題は、それ以外にまったく役がないという極端さか。
女官や公女は十把一絡げ、芝居がうまいも悪いも判別つかないよー。
あ、「心から心へ」の冒頭アカペラソロ、ありちゃんうまかった。
カルロス@翔くんをひとことで言うと、幼かった。
若々しいのではなく、幼い。
カルロスがいくつの設定なのか知らないが、カラダの年齢よりも精神年齢の低い青年に見えた。
純粋培養のおぼっちゃまだから、世間知らずなんだろう。
本公演のカルロスが痛々しくも「人間」であるのに対し、新公カルロスは「天使」に見えた。
カルロスが傷ついているとしたら、それは幼いためであり、同時に、傷つかずにすんでいるのも幼いためだ。
だからあまり、可哀想には見えなかった。彼が年相応の大人に成長すれば済むような問題に、つまずいているように見えたから。
家族の関係、問題はとてもシンプルなものに見えた。
フェリペ二世@ホタテはまともな大人で、ふつうの人だ。歪んでもないし、繊細すぎるわけでもない。話せばわかる人だし、話したいと思っている人だ。
カルロスは幼く、話すきっかけや機会を得られないだけ。
この親子はほんとーに、ただボタンがかけ違っているだけに思える。
カルロスは父と和解することで、なにかしら成長したのだろうか。
天使のまま、子どものままのよーな……。
フェリペ二世が最後、カルロスに旅を許したのは、幼い息子に大人になる機会を与えようとしたのかもしれない。
で、この天使の恋人、レオノール@あんりちゃん、だけど……。
レオノールが聡明で快活な女の子なのは、脚本がそうだからってわけじゃ、ないんだなあ。
同じ脚本・演出であるはずなのに、新公レオノールは聡明でも快活でもなかった。
おとなしいというよりは……鈍重な女の子に見えた。
心の動きが鈍いというか。
こちらも、幼い、ということなのかなあ。子どもだから自我が固まっていないのか。
このカルロスとレオノールを旅に出すのは、すごく心配(笑)。
翔くんもあんりちゃんも、よーするにあまりうまくない人たちだ。
学年相応? いや、抜擢されたのが同期の路線の子たちより遅い分、成長が遅いだけかもしれない。
んで、同じように「あまりうまくない」ならば、熱量のある方が良く見えるんだな。
翔くんのがむしゃら感、出来ないことをぶっ飛ばす勢いの「やる気っ!」ぷりは、彼の魅力を底上げしている(笑)。
『灼熱の彼方』でもそうだったけど、彼があんまり高温で空回っているので、それに巻き込まれて「なんか、それなりに良かったかも?」と思わせてしまう、という。
んで、その『灼熱の彼方』がものすごかったせいで、翔くんに関してはナニを見ても「うまくなった!」と思える(笑)。
誰もが合言葉のように言う、「『灼熱の彼方』のときより、うまくなった(笑)」……語尾の(笑)付きで。「あのときは、どうしようかと思ったけど」とか、後ろに続くのも特徴(笑)。
劇団は翔くんを短期間で鍛えようとしているみたいだし、その期待に応えていってほしい。
翔くんと対照的なのが、あんりちゃん。
実力的には似たよーなものかもしれないが、彼女はどうも温度が低い。クールなのではなく、いろんなところが「鈍い」。
彼女の芝居は、スポンジの床にボールを投げたような感覚だ。
床にボールを落とすと、ぽーんと跳ね返ってくるよね、ふつうは。確かめるまでもない常識としての思い込みがある。だから床に落ちたボールが跳ね返らず、そのままずぶずぶと床に沈んでいくと「あれっ?」となる。受け取るつもりでいた手が空振りして、おっとと、となる。
なんで跳ね返らず、沈み込むんだろう? 帰ってこないボールを待って、首を傾げる。
沈み込むまで行かなくても、通常の高さ、このボールをこの高さから落としたら、ここまで跳ね返ってくるだろう、というところまで、跳ねてくれない。
だからやっぱり、あれれ?となる。
内側にあるモノを、出すことが苦手なんだろうか。しかし、役者なわけだから、出して、表現してもらわないと、困るんだがなあ。
本公演でモブをやっているときとか、ショーで生き生き踊っているときに、その鈍さは感じない。つか、いろいろぱぁーっと表現してくれてるじゃん。
なのになんで、大きな役が付くと鈍くなっちゃうんだ? 内側にこもっちゃうんだ?
「喋る」ことが苦手なのかなあ? 歌も苦手っぽいけど、「声に出して表現する」ことに苦手意識でもあるのかなあ?
本公演を観る限り、レオノールはけなげでかわいい、いい役だ。若さや幼さを武器に演じることもできる、若手向きの役だ。その役の良さを表現できないのは、もったいない。
娘役らしいかわいらしい容姿を持っているんだ、実力面でも是非容姿に追いついてくれ~~。
設定年齢より子どもっぽかった主人公たちと対照的に、大人びていたのはイサベル@桃ちゃん。
カルロスとひとつ違い、という設定だけど、余裕で「カルロスの父の妻」に見える。
気品あふれる美しさで、安定した芝居。「王妃」であること、「フランス王家から嫁いできた姫君」ってのが、納得できる。
ただ、とても聡明な女性に見えて、お子ちゃまのカルロスに恋愛相談(違)するのは、違和感……。OLのおねーさんが、チェリーな高校生男子に相談することぢゃないよ的な。
最初から最後までかっこいい系の女性で、異端審問で異議を唱える姿がすげーかっこよかった。
フェリペ二世、ちゃんと彼女をかまってやれよ……いい女じゃん……。
本役のイサベルは、なんつーかこう、優柔不断でうだうだしてばかりで、見ていて「イラッとする」感じがあるので、旦那に置き去りにされていても仕方ない的なところがある。(そして、そんなイサベルが劇的に変わることで、クライマックスが盛り上がるわけだ)
桃ちゃんイサベルは、脚本上にあるイサベル像とは違うかもしれないけど、「王妃」という点ではとても説得力があった。
あとは、カルロスやフェリペ二世に合うキャラクタかどうか、だよなあ。いやその、カルロスが幼すぎるのは本来のキャラのあるべき姿ゆえではなく、役者の力不足から来ているわけだから、他人がそれに合わせるのは難しいかもしんないけどなー。
フアナ@さらちゃんは……かわいいなー、やわらかいなー。
ふわふわのお姫様がそのまま大人になった感じ? 臣下たちに傅かれて登場しても、「威厳」というよりは、「慈愛」を感じた。
カルロスの「母」なんだろうなあ。
このやさしい女性のもとで、あのおぼっちゃまは育ったわけだ、と。
あえて少女っぽい役作りにしたのか、結果的にそうなってしまったのか。
女の子の役はこんなものか。ヒロイン含めて4人も大きな役があるのは、良いことだよね。……って、問題は、それ以外にまったく役がないという極端さか。
女官や公女は十把一絡げ、芝居がうまいも悪いも判別つかないよー。
あ、「心から心へ」の冒頭アカペラソロ、ありちゃんうまかった。
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