『復活 -恋が終わり、愛が残った-』『カノン』千秋楽、卒業する子たちを眺めながらの過去語り、続き。
 年寄りはいつだって未来より過去にこだわるものさ。


 姫花をはじめて認識したのが、『TUXEDO JAZZ』の黄色いドレスの女の子、だったよ。
 まっつと踊っているあの美少女は誰?!って。

 美貌だけにワクテカし、次の『アデュー・マルセイユ』の新公で役が付いているのでどんな芝居をする子なんだろう?!とさらに期待し、実際に見てみて椅子から落ちた、のも、いい思い出(笑)。

 『蒼いくちづけ』の衝撃の大根ぶり……演技以前の問題だろうそれは?!と、歴史に残る破壊っぷりに、人々の関心をさらったのは、つい昨日のこと。
「『蒼いくちづけ』どうたった? って聞くと、みんな『姫花がすごかった』としか答えない……」と、作品も他のキャストも、全部全部ぶっ飛ばしたもんなあ……あれほどの破壊力は、20年そこそこの観劇歴で姫花だけだ。

 もうこれは才能の域だから、『BUND/NEON 上海』や『小さな花がひらいた』みたいに適性を活かした使い方をしてほしいと願った、天は二物を与えなかった、絶世の美少女、姫花。
 ……ラストはいい役だったね。


 いまっちは入団前のイベントから、見てる。文化祭も見てる。彼の名が組ファンにとどろき渡った『蒼いくちづけ』も見てる。

 そしてなにより、彼の実力を示したのはスカイフェアリーズだと思う。

 下級生が「若いから」を言い訳に、初々しさだけでつたない姿を見せるのが当時のスカフェだったのに、エンターティナーとはなんたるべきかを、いまっちが示した。
 スカフェがなくなり、ナビゲーターズに代わったのは、いまっちの功罪じゃないかと、マジに思う。入団間もない下級生では、まず、真瀬はるかになれないもの。中堅どころを投入しないと。
 友人たちから伝え聞く、お茶会での様子などから、「男役」というファンタジーをしっかり理解し、プロ意識を持って「タカラジェンヌ」を作っていた印象。

 だから、こんなに早く辞めてしまうのは、心から残念だ。
 そして、こんな逸材を早々に手放してしまう、劇団をバカだと心から思う。
 将来トップになるかどうかは置いておいて、新公主演させるべきだったのに。
 ベニーのように、セルフプロデュースできるジェンヌが支持される時代、いまっちは花組に流れる停滞感を打破できるキャラクタだったのに。


 卒業していく彼らにも、郷愁がわき上がるが。
 さらにもうひとつ、今回の公演、ショーにて画面にとまどったんだ。

 まとぶんがいない、画面に。

 不在、はショーの方が大きいんだな。
 改めて思った。

 蘭寿さんに含みはなく、ただ、愛着のある姿が「ここにいない」ことに切なくなった。
 なまじ、周囲の顔ぶれは同じだ。よくあるトップの代替わりなら、周りの番手も上がっているので景色も変わる、ああこれが新しい時代なんだな、と思える。
 だが、今回はまとぶん時代と顔ぶれが同じ。2番手も3番手も、娘役も。ただ、真ん中の人だけが違っている。
 そこに喪失を感じて、切なくなった。

 きれいに作られたジグソーパズルの、真ん中の1ピースだけが別の物に変わっている感じ。落下傘って、こういうことなんだ。
 や、わたしはらんとむが花組だったときから花組を見ていたので、落下傘ではないことを知っているけれど、この1ピースだけ別モノに変わっている、という状況は、落下傘人事を如実に表しているなと。

 前回の本公演は一本モノの芝居だったので、あまり感じなかった。
 芝居はなんつっても梅芸や全ツなど、主演が違っていたり別の顔ぶれで上演したりするので、あまり気にならないのな。
 それと同じ理屈で、全ツでショー作品を観ても、花組フルメンバーじゃないため、特にナニも思わなかった。えりたん・みわっちがいないショーは、別箱感高まるわ。

 本公演、大劇場でのショーは、あくまでもトップスターを頂点としたピラミッドでのみ行われるので、変化がばーんとわかりやすい。

 まとぶん時代をあまりにたくさん眺め過ぎていたから。

 わたし、まとぶん好きだったのかあ、と改めて気づかされたり。
 や、好きだったけどね。でも、自分で思っている以上に、愛着があったようだ。

 そして、わたしのよく知る画面でナイことへのとまどいもまた、アルバムを眺めているからなんだな。
 過ぎ去った過去が、よみがえる。
 悲しいことやつらいことがあったとしても、あとからこうして振り返れば、どれもこれも、ただ美しく、愛しい思い出だ。

 変わってゆく、流れてゆく。
 わたしの人生が止まらないように、タカラヅカも止まらない。

 それがいい悪いではなく、感傷的になる。


 卒業する彼らも、花園に留まり続ける人々も、みんなみんな、しあわせであることを願う。

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