バカ女のファンタジー。そのドラマの、美しさ。@Samourai
2012年3月30日 タカラヅカ 『ドン・カルロス』の公演たけなわ、ブログもソレ語りでみっちり、なんだけど、遠く年末から書きたくて書ききれずにいた『Samourai』の杏奈ちゃんの役についての感想。
3月4日欄http://koala.diarynote.jp/201204151130138951/からの続き。
杏奈ちゃんが演じるのはレティシア。
コメディフランセーズの女優で、KYでうるさいバカ女。ヒモのジャン・ルイに貢いで追いかけ回す日常。
だけどそのジャン・ルイは、パリを守るために戦死してしまった。
あれほど盛大に泣き崩れていたレティシア、2幕では力強く復活していて、「ジャン・ルイの意志を継ぐ」って、自分が市民兵に参加する。他の女たちと一緒に。
レティがいても、ぶっちゃけ役に立ちそうにないんだけど……(笑)。
女子どもまでもが戦う戦争ほど、悲惨なものはない。
勇ましく武器を取って集まって来た女たちだけど、彼女たちはみな虫けらみたいに皆殺しになる。
その様があまりに痛々しく、この作品がヅカファンから敬遠される理由の一端になっていると思う……。
レティシアも、もれなく殺される。
なんのドラマも見せ場もなく、十把一絡げに皆殺し。その場にいた女たち全員、あっけなく。
皆殺しの谷、本領発揮。
もう誰が誰だとか、どんなキャラでどんなドラマが、とか、演出家自身わかってねーんじゃ?ってくらい、もう少し書きようがあるだろうに、ばっさばっさ殺していく。
気を遣って売り出さなきゃならない新進スターの咲ちゃん演じるガスパールだって、姉のブランシェ@リサリサが戦死しているのに無反応だし。なにかしら反応させてあげた方が、物語的にも劇団的にもオイシイんじゃないの?
谷せんせは基本、「英雄に女は不要」で、女にも恋愛にも興味がない。男が男の腕の中で死んでいくのはすごい鼻息で本腰入れて描くけど、女が死のうがどうしようが萌えにつながらない人だ。
おかげで女たちはみんな犬死に。
そんな扱いの女たち。
全員まとめて一気に出てきて、一気に死にました。はい終了。
そんななかで。
杏奈ちゃんが、芝居をしていた。
マイクは特に入ってないと思う。ライトも特別に当たっているわけでもない。
ただのモブにしか過ぎない扱いだ。
だけど彼女は、「レティシア」という役を、完遂した。
「ジャン・ルイ……」とつぶやいて、息絶えた。
戦争がはじまってからは、レティシアもブランシェも固有名詞なんかなくなったみたいにモブ扱いなのに。役名「パリ市民(女)」ぐらいの扱いなのに。
もちろん、ジャン・ルイの名前も出てないのに。
もうそんな名前も、コメディフランセーズの女優役のことも、谷せんせも観客も忘れていそうなのに。
それでも、彼女はレティシアだった。
愛する男の意志を継いで銃を取った女だった。
だから。
息絶える最後の瞬間、呼ぶんだ。
愛する男の名を。
…………泣いた。
最初から最後まで、アホっぽい女だった。KYというか浮き足立っているというか、現実味のない女だった。がちゃがちゃうるさいし、台詞棒読みだし。
そのアホっぽさ、足りていなさが、リアルだった。
歴史の陰に、本当にいそうだ。権力者たちがいいようにしている中、利用されて、なにもわからないまま無力に殺されていく一市民。
そんなモブでしかない女だけど、彼女には人生があった。ドラマがあった。確実に。彼女自身のドラマが。
権力者たちや、小説や映画になるような華々しい人々たちから見れば、名前もない「パリ市民(女)」だけど、彼女は精一杯生きた。
自分で決めて自分で生きて、前へ向かいながら、力尽きて倒れた。
すごい、人生だ。すごい、ドラマだ。
泣かされたって。
ルーシーちゃんなのに!!
2回目に観たときは、さらにマイクに声が入ってなかったから、脚本にはない台詞なんじゃないかと思う。
最後の「ジャン・ルイ……」の台詞。
杏奈ちゃんは芝居はうまくない。ぶっちゃけ大根だ。
だけど彼女は舞台人であり、タカラジェンヌだ。
ファンタジーを作る人だ。
『Samourai』では、花帆杏奈の作る「ファンタジー」に、泣かされた。
3月4日欄http://koala.diarynote.jp/201204151130138951/からの続き。
杏奈ちゃんが演じるのはレティシア。
コメディフランセーズの女優で、KYでうるさいバカ女。ヒモのジャン・ルイに貢いで追いかけ回す日常。
だけどそのジャン・ルイは、パリを守るために戦死してしまった。
あれほど盛大に泣き崩れていたレティシア、2幕では力強く復活していて、「ジャン・ルイの意志を継ぐ」って、自分が市民兵に参加する。他の女たちと一緒に。
レティがいても、ぶっちゃけ役に立ちそうにないんだけど……(笑)。
女子どもまでもが戦う戦争ほど、悲惨なものはない。
勇ましく武器を取って集まって来た女たちだけど、彼女たちはみな虫けらみたいに皆殺しになる。
その様があまりに痛々しく、この作品がヅカファンから敬遠される理由の一端になっていると思う……。
レティシアも、もれなく殺される。
なんのドラマも見せ場もなく、十把一絡げに皆殺し。その場にいた女たち全員、あっけなく。
皆殺しの谷、本領発揮。
もう誰が誰だとか、どんなキャラでどんなドラマが、とか、演出家自身わかってねーんじゃ?ってくらい、もう少し書きようがあるだろうに、ばっさばっさ殺していく。
気を遣って売り出さなきゃならない新進スターの咲ちゃん演じるガスパールだって、姉のブランシェ@リサリサが戦死しているのに無反応だし。なにかしら反応させてあげた方が、物語的にも劇団的にもオイシイんじゃないの?
谷せんせは基本、「英雄に女は不要」で、女にも恋愛にも興味がない。男が男の腕の中で死んでいくのはすごい鼻息で本腰入れて描くけど、女が死のうがどうしようが萌えにつながらない人だ。
おかげで女たちはみんな犬死に。
そんな扱いの女たち。
全員まとめて一気に出てきて、一気に死にました。はい終了。
そんななかで。
杏奈ちゃんが、芝居をしていた。
マイクは特に入ってないと思う。ライトも特別に当たっているわけでもない。
ただのモブにしか過ぎない扱いだ。
だけど彼女は、「レティシア」という役を、完遂した。
「ジャン・ルイ……」とつぶやいて、息絶えた。
戦争がはじまってからは、レティシアもブランシェも固有名詞なんかなくなったみたいにモブ扱いなのに。役名「パリ市民(女)」ぐらいの扱いなのに。
もちろん、ジャン・ルイの名前も出てないのに。
もうそんな名前も、コメディフランセーズの女優役のことも、谷せんせも観客も忘れていそうなのに。
それでも、彼女はレティシアだった。
愛する男の意志を継いで銃を取った女だった。
だから。
息絶える最後の瞬間、呼ぶんだ。
愛する男の名を。
…………泣いた。
最初から最後まで、アホっぽい女だった。KYというか浮き足立っているというか、現実味のない女だった。がちゃがちゃうるさいし、台詞棒読みだし。
そのアホっぽさ、足りていなさが、リアルだった。
歴史の陰に、本当にいそうだ。権力者たちがいいようにしている中、利用されて、なにもわからないまま無力に殺されていく一市民。
そんなモブでしかない女だけど、彼女には人生があった。ドラマがあった。確実に。彼女自身のドラマが。
権力者たちや、小説や映画になるような華々しい人々たちから見れば、名前もない「パリ市民(女)」だけど、彼女は精一杯生きた。
自分で決めて自分で生きて、前へ向かいながら、力尽きて倒れた。
すごい、人生だ。すごい、ドラマだ。
泣かされたって。
ルーシーちゃんなのに!!
2回目に観たときは、さらにマイクに声が入ってなかったから、脚本にはない台詞なんじゃないかと思う。
最後の「ジャン・ルイ……」の台詞。
杏奈ちゃんは芝居はうまくない。ぶっちゃけ大根だ。
だけど彼女は舞台人であり、タカラジェンヌだ。
ファンタジーを作る人だ。
『Samourai』では、花帆杏奈の作る「ファンタジー」に、泣かされた。
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