だいもん主演、とわかったときから、初日と楽は観に行くつもりだった。
 が、初日は当たったけど、楽ははずれた。友会抽選。
 友会ではずれたら、大抵どーしよーもないのがバウ。一般発売では、まず買えっこないし。
 わたしは楽より初日派なので、もしこれが逆なら死ぬ気で初日チケットを探したけれど、とりあえず初日が手に入ったんだから、楽のことはあとから考えよう、と、わりと楽観。完売していてもチケットが流通するのが、ヅカのいいところ。

 や、無事に観に行けて良かったっす、『Victorian Jazz』
 千秋楽、まさかの機器トラブルで中断、最初から上演し直しになり、「ちょっと待て。6時半梅芸に間に合うのか?」と青ざめたけどな(笑)。←もともとの終演予定時刻は4時55分。実際に終演したのが5時半。ぎりぎり間に合いました。


 今回、ふと考えたんだ。

 望海風斗が真ん中に立つ舞台を、次にいつ見られるのか。

 わたしはトド様ファンからスタートしたヅカヲタなので、そのあたりが鈍感なのだと思う。
 トド様は主演舞台の少ない人だったけれど(研13でトップになるまで、主演バウは2回しか経験していない)、彼がトップスターになることを疑ってなかったので、「またいずれ、真ん中の姿を見られる」「また次がある」と思い込んでいた。
 「今」にがっつく必要がなかった。未来は潤沢で、希望に満ちていた。いくらでも与えられるのがわかっているから、飢える心配がない。

 次に好きになった人は新公主演していなかったので、彼が真ん中の舞台なんてもんに、ハナから夢は見ていなかった。(結果としてバウ主演もあったけど。結果でしかない)

 その次に好きになった人は、新公主演していたのでバウ主演の資格はあったけど、いつまで経ってもその機会は来ず、下級生に抜かされ、もう一生ないんだろうと達観していた。なくても、わたしの贔屓は変わらない、ってことで。
 が、まさかのまさか、研14にもなって初バウ主演、はじめて「真ん中に立つ」意味をわたしが実感した。

 スタートがトドだから、ぴんときてなかった。
 主演ってのは、いくらでも与えられる、何度でも与えられるものじゃないんだ。
 まだ下級生だから、まだ若いからとか、関係ない。次があるかなんて、誰にもわからないんだ。

 そんな当たり前のことに、今さら気づいたんだ。

 で、望海風斗。
 大好きなだいもんくん。
 彼が真ん中に立つ舞台を、何故観納めずにいられる?

 初日は「どーなることか」と見守ること、情報を処理するだけでいっぱいいっぱいだった。
 それが千秋楽は、すっかり「近所のおばちゃん」モード。

 こんなに、大きくなって……!!
 だいもんとの(一方的な)思い出が次から次へと浮かんできて、それだけでもう感無量。

 まぁくんとだいもんは、6年前にふたりでW主演とかさせちゃえばよかったのよ。
 まぁくんが新進スターできらめき半端なくて、だいもんが下級生だけど実力半端なくて、このふたりでがつんとカマして、「男役の花組ここにありっ!」て見せつければ良かったんだわ。
 『MIND TRAVELLER』で、どんだけ夢を見たか……。好きだったんだもんよー。

 年功序列の花組で、なかなか順番が回ってこなくて。
 ようやくようやく、真ん中に立てたね。
 なまじ実力があることと、半端に「スター」として推されていたことで、華やかな部分はあまり味わえず、でもその他大勢ではないからスターとしての責任もあり、大変なこともいっぱいあったね。
 おいしいところはトップ人事絡みの某ちゃん独占、実力ガチンコな部分だけだいもんの肩に、とか、出ずっぱりでかけずり回り、ちょっと体力大丈夫なの?の全ツとか。

 ミュージカルが好き、歌うことが好き、とことあるごとに語っていた印象の89期。わたしがはじめて観た文化祭の、主役の男の子。

 わたしの中では、もうずっと前から「真ん中」な男の子だった。
 トップスターになるかどうかではなく、ずっとずっと、「スター」。
 彼を真ん中に、舞台やっていいじゃん。なんでやらないの? という。

 『BUND/NEON 上海』にしろ『CODE HERO』にしろ、場を与えたら、スイッチ入っちゃったら、主役食っちゃうよーなブレーキきかないとこあるけど(笑)、だからこそ、真ん中に置いておこうよ。
 主役やらせようよ。おもしろいから。
 観客として、おもしろいものが観たいから。


 てことで、ほんと自分のために、観に行きました。
 だいもんを見たくて。ほんと、それだけで。

 『Victorian Jazz』は、初日のいっぱいいっぱい感はなく、いい感じにみんな舞台を楽しんでいた印象。
 だいもんも「やること多くて大変!」だった初日と違い、彼らしいプラスアルファを感じられた。

 だけど実際のところ、この舞台、この芝居、だいもんには、役不足だと思った。

 曲が無駄に難しいとか、出ずっぱりとか、やることがたくさんあるとか、そういうところではやり甲斐っちゅーか、「克服」とか「達成」とかに快感がありそうだけど。
 だいもんのスイッチ入っちゃって、爆走して戻って来ない……そういう系の作品じゃなかった。

 というのも、策士策におぼれる、というか、ミュージカルとしての小洒落た演出、技術面ばかりにこだわって、キャラクタがうすっぺらくなっている。……脚本自体が。
 ひととひととのつながり、心の動きなどが、とても浅い。

 目指したところが「小粋で肩の凝らないミュージカル」「ディズニーアニメ」みたいな世界観だから、それで十分なんだろう。
 でもそれ、だいもんの芸風じゃないなあと。
 彼、ぎとぎとに濃いじゃん?
 そんなパステルカラーを求められてもな。

 「小粋で肩の凝らないミュージカル」をさらっとやってのける実力がだいもんにはあるから、彼にそれを求めるキモチはすごくわかるし、ギトギトに濃くて重い物はこの現代にあまりウケないから、これくらいの軽い作品が良いこともわかる。
 てゆーか、デビュー作から『BUND/NEON 上海』をやっちゃった生田くんが、恥ずかしいだけで(笑)、田渕くんや原田くんの軽さは現代の若者として正しいんだとも思うし。
 ……最初からアレはねー……恥ずかしいよねー……(笑)。

 だからわたしの、ないものねだりだ。
 真ん中に立つ望海風斗、に対する。


 に、してもだ。
 この軽い作品において。

 だいもんが、めちゃくちゃかっこいい。

 初日は、それほど思わなかった。ナイジェルさんのキャラクタが薄くて。
 でも、楽のナイジェルさんときたら、もー、なにかにつれ、いちいちかっこよくて、笑った。いやその、笑うのはわたしが近所のおばちゃんだからだ。
 アヤコちゃん、こんなに大きくなって~~、みたいなノリの。

 ああもお、かっこいい。クドい。たまらん。
 わたしが「タカラヅカ」に求めるモノ、男役に求めるモノ、それを見事に突いてくる。
 やだもうこの子、かっこいい。好き。


 フィナーレも終わり、最後の最後だっけか。
 だいもんの「耐えている」ような表情が、気になった。

 終わってしまう。それを、噛みしめているんだな。
 勝手に、そう思った。

 口を一文字に引き結んで、劇場中を見回しているの。
 挨拶じゃない、フィナーレの中で。
 この瞬間を、惜しむように。

 そんな風に思う人は、はじめてだ。


 戻っておいで。
 また、ここへ。
 舞台の真ん中へ。

 タカラヅカは実力だけじゃないけれど、なにがどうなるかわかんないけど。
 また、戻っておいで。
 君の主演する舞台が、また観たいよ。

 そんな風に思う人は、はじめてだ。

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