たとえば植爺芝居では、「スター登場」には拍手が必須だ。
まず声だけが聞こえ、舞台上の人々が「誰だ!」「どこにいる、出てこい!」とか騒ぎ、次にファンファーレのような音楽が鳴って、じゃじゃーーん!と主役が登場する。
たとえそれまで客席で居眠りしていた人だって、「誰だ!」「じゃじゃーん!」で、「あ、主役が登場した!」とわかる。
ここで「待ってましたーー!!」と、客席は拍手するわけだ。
でも、ふつーの芝居はそこまでしない。
たとえば、白い宮廷衣装の男女が優雅にワルツを踊るなか、とりわけ華やかな衣装を着たトップスターが中央からせり上がって来て、ぱぁーっとまばゆいライトが照らし、音楽も変わった!……ときに拍手するのは、あり。
しかし、オープニングのショー場面が終わり、会社のデスクでうたた寝しているヘイリーさん@えりたんが登場するなり、客席が一斉に拍手するのは……変、よね。
オフィスを舞台に物語ははじまっていて、第一主役は寝ているのに拍手……って。
だからもちろん、拍手はない。
ヒロインのエラ@ちぎくんが窓の向こうに登場したときも、拍手はない。どこか寂しげな、憂いを秘めた美女に主人公は心惹かれるのに、ここで「待ってました!」という拍手が入ったら興ざめ。
だからふつーの芝居で「舞台に現れた!」というだけで拍手することは、あまりない。「スター登場!」の拍手は、その前のオープニングで済ませていることが多いから。
場面の終わりとか歌の終わりとか、「感動」の拍手なら大ありだし、登場しただけでも、拍手を入れて違和感のないところでは、入れる・入ることに異存はない。それがある方が盛り上がる場合だってある。
でも、流れ的に不要なところで、無理に拍手する必要はないよな。
てことで、今回の『Shall we ダンス?』東宝初日。
幕開きと同時に、紗幕の向こうにまっつがいることがわかっても、まっつが踊り出しても、拍手をしようというキモチはなかった。
オープニングのショー場面が、純粋に音楽とダンスではじまるなら拍手はアリだけど、えりたんのナレーションがかぶっている。みんな静かにナレーションを聞きながら、舞台を観ている。
まっつが、いる。
それだけで、よかった。
そして、芝居本編でのまっつの出番は、ダンスホールのエキシビション。
司会者@りーしゃの紹介に合わせ、舞台中央からアルバート@まっつとイケメンダンサーたちがせり上がってくる。
芝居の中とは言え、ショーパートだから拍手を入れることは不可能ではないだろうけれど、音楽のつながり的に、拍手は入れにくい。拍手の介入を不要とする演出なんだな。
ムラでもここで拍手は入ってなかった。わたしが観たときは、一度も。
踊り終わったときに拍手するものであって、登場時にするものではない。という、ただそれだけのこと。
ムラでさんざん観て拍手の入れにくい曲であり場面であることを知っていたし、ここで拍手をするという意識がそもそもナイもんだから、ナニも考えてなかった。
まっつが登場する、そのことがうれしくて拍手したくなるのはわたしとか、一部の人たちだけで、「公演」「物語」を観に来た大半の人々にはそんな事情は関係ない。
していいというならもちろんしたいけど。しちゃダメだろうから、自重する。
なのに。
まっつがせり上がり、踊り出すと、拍手がわき上がった。
まさしく、わき上がる。
音楽は拍手の入る隙間を作ってない。植爺芝居みたいに「さあどうぞ!」「待ってました!」と待ち構えてない。
なのに、拍手が起こった。
タイミングがいいからじゃなくて、あくまでも、「気持ち」で。
拍手したい、だから、拍手する。
それが伝染し、わき上がる。
波のように、音が動いた。
ざざーっと拍手が拍手を呼び、劇場を埋める、音になった。
お帰り、まっつ。
その思いが、あふれていた。
思いを拍手にして、伝える。タカラヅカはなんて、あたたかいところなんだろう。
わたしも、一緒にいた友だちも、波の音を聞いてから、拍手した。
拍手していいんだ!!
うれしかった。
拍手した。
一生懸命、拍手した。あんまし音はしてなかったかもしんないけど(爆竹拍手は聞くのもやるのも苦手)、潮騒のかけらにはなれたはず。
こころを、伝えていいんだ。
よろこんでいいんだ。
それが、うれしい。
そして、それをゆるしてくれる、タカラヅカはなんてやさしいところだろう。
まっつが登場して、数拍してからわき上がった、あの拍手。
ヲタ人生でもなかなか経験できない、特別な拍手だった。や、退団者とか、特別に拍手をする場合はもちろんあるけど、わりとそれは「待ってました!」と演出も客席も「わかって」やる場合が多いから。それがタカラヅカのいいところ、出演者の事情を知ってエールを送る。
本来拍手のないところで、自然発生した拍手が満場一致の大音響になるのは、けっこうレア体験。
ショー『CONGRATULATIONS 宝塚!!』の方では、その「待ってました!」拍手、まっつ銀橋とかで盛大な拍手が起こる。
あたたかい。あたたかいな。
ほんとにタカラヅカってすごい。
まっつがいる。
まっつがすごく、まっつだ。
それだけで心臓バクバクして大変なのに、客席のあたたかさにも泣けてくる。
まつださんは他人の退団公演とかで泣いていることはあるけれど、自分のことでは泣かない人。
新公主演したときも、バウ主演もないまま巴里祭主演することになったときも、組替えしても、苦節14年で初バウ主演しようとも、喉のトラブル抱えて主演を務めきったとしても、とにかく挨拶やカテコでベソをかくことは一切なかった。
ジェンヌの多くが初主演時に泣きながら挨拶している、それすら愛でるのがヅカファン、泣いてもいいのに、絶対泣かない、かたくなに泣かない。
そのまつださんが、パレード以降の挨拶やカテコで泣いているように見えたんですが、わたしの見間違いor妄想ですか。
ボロ泣きしてるとか、ずーっと泣いてるとかじゃなく、あちこちで瞬間的に潤んでいたように見えました。
てゆーかえりたん、ほんとにありがとう。ありがとうありがとう。
「雪組全員揃って」って、強調してくれた、その気持ちがうれしい。うれしすぎる。
まっつを泣かせてくれる、泣いていいんだ、と思わせてくれる、そんな大きなトップスター。
とにかくもお、いろんなものに、ありがとう。
まっつ、復帰おめでとう。そして、ありがとう。
舞台の上で、また会えることが、うれしい。
その姿を、声を、存在を、1ファンとして眺められることが、うれしい。
まず声だけが聞こえ、舞台上の人々が「誰だ!」「どこにいる、出てこい!」とか騒ぎ、次にファンファーレのような音楽が鳴って、じゃじゃーーん!と主役が登場する。
たとえそれまで客席で居眠りしていた人だって、「誰だ!」「じゃじゃーん!」で、「あ、主役が登場した!」とわかる。
ここで「待ってましたーー!!」と、客席は拍手するわけだ。
でも、ふつーの芝居はそこまでしない。
たとえば、白い宮廷衣装の男女が優雅にワルツを踊るなか、とりわけ華やかな衣装を着たトップスターが中央からせり上がって来て、ぱぁーっとまばゆいライトが照らし、音楽も変わった!……ときに拍手するのは、あり。
しかし、オープニングのショー場面が終わり、会社のデスクでうたた寝しているヘイリーさん@えりたんが登場するなり、客席が一斉に拍手するのは……変、よね。
オフィスを舞台に物語ははじまっていて、第一主役は寝ているのに拍手……って。
だからもちろん、拍手はない。
ヒロインのエラ@ちぎくんが窓の向こうに登場したときも、拍手はない。どこか寂しげな、憂いを秘めた美女に主人公は心惹かれるのに、ここで「待ってました!」という拍手が入ったら興ざめ。
だからふつーの芝居で「舞台に現れた!」というだけで拍手することは、あまりない。「スター登場!」の拍手は、その前のオープニングで済ませていることが多いから。
場面の終わりとか歌の終わりとか、「感動」の拍手なら大ありだし、登場しただけでも、拍手を入れて違和感のないところでは、入れる・入ることに異存はない。それがある方が盛り上がる場合だってある。
でも、流れ的に不要なところで、無理に拍手する必要はないよな。
てことで、今回の『Shall we ダンス?』東宝初日。
幕開きと同時に、紗幕の向こうにまっつがいることがわかっても、まっつが踊り出しても、拍手をしようというキモチはなかった。
オープニングのショー場面が、純粋に音楽とダンスではじまるなら拍手はアリだけど、えりたんのナレーションがかぶっている。みんな静かにナレーションを聞きながら、舞台を観ている。
まっつが、いる。
それだけで、よかった。
そして、芝居本編でのまっつの出番は、ダンスホールのエキシビション。
司会者@りーしゃの紹介に合わせ、舞台中央からアルバート@まっつとイケメンダンサーたちがせり上がってくる。
芝居の中とは言え、ショーパートだから拍手を入れることは不可能ではないだろうけれど、音楽のつながり的に、拍手は入れにくい。拍手の介入を不要とする演出なんだな。
ムラでもここで拍手は入ってなかった。わたしが観たときは、一度も。
踊り終わったときに拍手するものであって、登場時にするものではない。という、ただそれだけのこと。
ムラでさんざん観て拍手の入れにくい曲であり場面であることを知っていたし、ここで拍手をするという意識がそもそもナイもんだから、ナニも考えてなかった。
まっつが登場する、そのことがうれしくて拍手したくなるのはわたしとか、一部の人たちだけで、「公演」「物語」を観に来た大半の人々にはそんな事情は関係ない。
していいというならもちろんしたいけど。しちゃダメだろうから、自重する。
なのに。
まっつがせり上がり、踊り出すと、拍手がわき上がった。
まさしく、わき上がる。
音楽は拍手の入る隙間を作ってない。植爺芝居みたいに「さあどうぞ!」「待ってました!」と待ち構えてない。
なのに、拍手が起こった。
タイミングがいいからじゃなくて、あくまでも、「気持ち」で。
拍手したい、だから、拍手する。
それが伝染し、わき上がる。
波のように、音が動いた。
ざざーっと拍手が拍手を呼び、劇場を埋める、音になった。
お帰り、まっつ。
その思いが、あふれていた。
思いを拍手にして、伝える。タカラヅカはなんて、あたたかいところなんだろう。
わたしも、一緒にいた友だちも、波の音を聞いてから、拍手した。
拍手していいんだ!!
うれしかった。
拍手した。
一生懸命、拍手した。あんまし音はしてなかったかもしんないけど(爆竹拍手は聞くのもやるのも苦手)、潮騒のかけらにはなれたはず。
こころを、伝えていいんだ。
よろこんでいいんだ。
それが、うれしい。
そして、それをゆるしてくれる、タカラヅカはなんてやさしいところだろう。
まっつが登場して、数拍してからわき上がった、あの拍手。
ヲタ人生でもなかなか経験できない、特別な拍手だった。や、退団者とか、特別に拍手をする場合はもちろんあるけど、わりとそれは「待ってました!」と演出も客席も「わかって」やる場合が多いから。それがタカラヅカのいいところ、出演者の事情を知ってエールを送る。
本来拍手のないところで、自然発生した拍手が満場一致の大音響になるのは、けっこうレア体験。
ショー『CONGRATULATIONS 宝塚!!』の方では、その「待ってました!」拍手、まっつ銀橋とかで盛大な拍手が起こる。
あたたかい。あたたかいな。
ほんとにタカラヅカってすごい。
まっつがいる。
まっつがすごく、まっつだ。
それだけで心臓バクバクして大変なのに、客席のあたたかさにも泣けてくる。
まつださんは他人の退団公演とかで泣いていることはあるけれど、自分のことでは泣かない人。
新公主演したときも、バウ主演もないまま巴里祭主演することになったときも、組替えしても、苦節14年で初バウ主演しようとも、喉のトラブル抱えて主演を務めきったとしても、とにかく挨拶やカテコでベソをかくことは一切なかった。
ジェンヌの多くが初主演時に泣きながら挨拶している、それすら愛でるのがヅカファン、泣いてもいいのに、絶対泣かない、かたくなに泣かない。
そのまつださんが、パレード以降の挨拶やカテコで泣いているように見えたんですが、わたしの見間違いor妄想ですか。
ボロ泣きしてるとか、ずーっと泣いてるとかじゃなく、あちこちで瞬間的に潤んでいたように見えました。
てゆーかえりたん、ほんとにありがとう。ありがとうありがとう。
「雪組全員揃って」って、強調してくれた、その気持ちがうれしい。うれしすぎる。
まっつを泣かせてくれる、泣いていいんだ、と思わせてくれる、そんな大きなトップスター。
とにかくもお、いろんなものに、ありがとう。
まっつ、復帰おめでとう。そして、ありがとう。
舞台の上で、また会えることが、うれしい。
その姿を、声を、存在を、1ファンとして眺められることが、うれしい。
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