光があるからこそ存在する。@ベルサイユのばら―オスカル編―
2014年5月26日 タカラヅカ ヲヅキさんの揺るがなさに感心した。
『ベルサイユのばら―オスカル編―』Bパターン、すなわちアンドレ@ヲヅキ。
本公演『オスカル編』のアンドレっつったらふつーは特出トップ様が演じてもおかしくない、組でなら次期トップが演じるだろう特別な役。
役替わりとはいえこの役をやるんだから、この際ヲヅキさんトップ候補になっちゃえよ! 役替わり公演でもやってもらって、新公主演したことにして、コム姫に続く力技路線変更スターになればいいじゃん。
……と、冗談半分(半分?)で言うくらいには、わくわくしてました。
真ん中に立つヲヅキさんを見てみたくて。
一度も主演したことのない、「主役」たる役をやったことのない彼が、タカラヅカの代表作『ベルばら』でアンドレを演じるとどうなるのか……大劇場サイズの「スター」に一気に化けるとか、あるかもしんないじゃん?……と、わくわく。
『オスカル編』のアンドレは主役じゃないけど、アンドレが主役バージョンでやる場面もそのままあるわけだから、役者を「主役」に押し上げる力があるんだ。
この役をやると、スター力がどんと上がるっていうか、リミッターの上限解除につながるっていうか。
だからいろんな人のアンドレを見てみたいと思う。
それが、好きな生徒なら、なおさら。
で、ヲヅキさん。
……役者を「主役」に押し上げる力のある役なんだってば……主役に……スターに……。
ヲヅキは、ヲヅキだった。
アンドレが「スター」の役だということは、眼中にない?
ヲヅキさんが演じているのは、「オスカルの影・アンドレ」でした。
タカラヅカのアンドレというスター役ではなく、忠実に「アンドレ」という役を演じてた。
『ベルばら』祭りとは無関係に、なんかもうすげえ忠実に、誠実に、「芝居」をしてた。
あー……そっか……アンドレだもんな……アンドレって本来こういう感じ……あー……そうだよなあ……。
「スター」なヲヅキさん♪ と無責任に盛り上がる気で行ったわたしは、なんかすごくバツが悪かったっす(笑)。
ごめん、ヲヅキ。そうだよね、ポジションとか扱いとか、関係ないよね、キミはただ誠実に芝居をするだけだよね。くそ真面目に役割を果たすだけだよね。
ヲヅキはやっぱ「役者」なのだと思う。
融通きかないくらいに、とても役者。
それですげー頑固一徹に芝居をしている。「アンドレとは!」を全身で表している。
揺るがない。
その揺るがなさがうれしい。
とはいえ。
せっかくの祭りなのに、ヲヅキの頑固職人ぶりは善し悪しアリ。
オープニングのおとなしさは、どうすればいいんだ(笑)。
せっかくの植爺『ベルばら』、「100周年だ、祭りだわっしょい!」ムードにそぐわない、地に足着いたアンドレ様……。
『ベルばら』なのに、アンドレなのに、すげー脇役っぽいってナニゴト。
ヲヅキは主演経験こそないものの、ティボルトやヤンなど、2番手クラスの役を大劇場でこなしている。それらの役を演じるヲヅキは、決して地味ではない。
だからそれは、ポジションではなく、「役」ゆえなんだ。
ティボルトもヤンも花形役であり、役に忠実にあるだけで作品の中心部に躍り出てくる。ショーパートと芝居がぱきっと別モノになっていたりせず、いつも役のままでいられたし。
そういう人だから、「影」のアンドレを忠実に役作りしたら、こういうことになっちゃったんだ。植爺はショーパートと芝居を別モノにしてしまうし、キャラクタを人格ではなくポジションで書く。
役を人格で演じるヲヅキがやると、正しく影のアンドレになるんだ。
だから派手派手オープニングだと、役として演じて出て来るヲヅキさんにびっくりしちゃうんだ。影として登場してくるから。
うっわー、ヲヅキだー。
ヲヅキ、変わらない。揺るがない。
それがうれしいやらおかしいやら。
フィナーレもやっぱ、コレジャナイ感を抱きつつ。
そう思わせてくれることがまた、愛しい。
いやその、スポットライト浴びる快感に目覚めて、「スターなオレ様」に変身したヲヅキさんも見てみたかったけど。
徹頭徹尾「わきまえた」姿に、きゅんきゅんした(笑)。
でもって。
前日欄に書いた通り、テルカル様はオスカルじゃなかった。別の生き物だった。
それはやっぱり、キタドレの影響があると思う。
ヲヅキのアンドレは、立場をわきまえた影のアンドレ。ヅカのスター演じるところの押し出しの強いキラキラしたアンドレじゃない。
脇に徹する姿はとてもアンドレっぽい……わけなんだが。
でも、チガウと思うの。
原作ともヅカのアンドレともチガウ。
キタドレの、暗さは。
彼からは、革命前夜のフランスの、湿気めいた暗い澱みを感じる。
口でどう言おうと、魂の深いところで絶望し、あきらめている……投げ出している、感じ。受け入れている、ともいうか。あるがままを。
キタドレの澱みが、テルカルを追い詰めているんだと思う。
殺したいほど愛していると言いながら、寸前で背を向ける。毒殺を思いとどまったのは、澱みが深すぎるせいでは?
生殺しの感覚。
これじゃオスカル、おかしくなるよ。
救うつもりははじめからない、だけど、「そばにいる」。なにそれ痛い。きつい。
オスカルが出撃前夜、アンドレに身を投げしたのもわかる。自分から行かなきゃ、生殺しのままだもの。
いつまでも傷口が疼くから、痛みとかゆみの間の疼痛がずっと続くなんて気がおかしくなる、それならいっそ自分で切り裂くか。新しい血が流れ、痛みに泣く方がずっと救われる。
キタドレとテルカルの歪みが快感。
ぞくぞくするし、きゅんきゅんする(笑)。
このふたり、ゆがんだ関係演じるとすげー映える。そそる。
テッドとクライドなんだ。そう思う。
『ベルサイユのばら―オスカル編―』Bパターン、すなわちアンドレ@ヲヅキ。
本公演『オスカル編』のアンドレっつったらふつーは特出トップ様が演じてもおかしくない、組でなら次期トップが演じるだろう特別な役。
役替わりとはいえこの役をやるんだから、この際ヲヅキさんトップ候補になっちゃえよ! 役替わり公演でもやってもらって、新公主演したことにして、コム姫に続く力技路線変更スターになればいいじゃん。
……と、冗談半分(半分?)で言うくらいには、わくわくしてました。
真ん中に立つヲヅキさんを見てみたくて。
一度も主演したことのない、「主役」たる役をやったことのない彼が、タカラヅカの代表作『ベルばら』でアンドレを演じるとどうなるのか……大劇場サイズの「スター」に一気に化けるとか、あるかもしんないじゃん?……と、わくわく。
『オスカル編』のアンドレは主役じゃないけど、アンドレが主役バージョンでやる場面もそのままあるわけだから、役者を「主役」に押し上げる力があるんだ。
この役をやると、スター力がどんと上がるっていうか、リミッターの上限解除につながるっていうか。
だからいろんな人のアンドレを見てみたいと思う。
それが、好きな生徒なら、なおさら。
で、ヲヅキさん。
……役者を「主役」に押し上げる力のある役なんだってば……主役に……スターに……。
ヲヅキは、ヲヅキだった。
アンドレが「スター」の役だということは、眼中にない?
ヲヅキさんが演じているのは、「オスカルの影・アンドレ」でした。
タカラヅカのアンドレというスター役ではなく、忠実に「アンドレ」という役を演じてた。
『ベルばら』祭りとは無関係に、なんかもうすげえ忠実に、誠実に、「芝居」をしてた。
あー……そっか……アンドレだもんな……アンドレって本来こういう感じ……あー……そうだよなあ……。
「スター」なヲヅキさん♪ と無責任に盛り上がる気で行ったわたしは、なんかすごくバツが悪かったっす(笑)。
ごめん、ヲヅキ。そうだよね、ポジションとか扱いとか、関係ないよね、キミはただ誠実に芝居をするだけだよね。くそ真面目に役割を果たすだけだよね。
ヲヅキはやっぱ「役者」なのだと思う。
融通きかないくらいに、とても役者。
それですげー頑固一徹に芝居をしている。「アンドレとは!」を全身で表している。
揺るがない。
その揺るがなさがうれしい。
とはいえ。
せっかくの祭りなのに、ヲヅキの頑固職人ぶりは善し悪しアリ。
オープニングのおとなしさは、どうすればいいんだ(笑)。
せっかくの植爺『ベルばら』、「100周年だ、祭りだわっしょい!」ムードにそぐわない、地に足着いたアンドレ様……。
『ベルばら』なのに、アンドレなのに、すげー脇役っぽいってナニゴト。
ヲヅキは主演経験こそないものの、ティボルトやヤンなど、2番手クラスの役を大劇場でこなしている。それらの役を演じるヲヅキは、決して地味ではない。
だからそれは、ポジションではなく、「役」ゆえなんだ。
ティボルトもヤンも花形役であり、役に忠実にあるだけで作品の中心部に躍り出てくる。ショーパートと芝居がぱきっと別モノになっていたりせず、いつも役のままでいられたし。
そういう人だから、「影」のアンドレを忠実に役作りしたら、こういうことになっちゃったんだ。植爺はショーパートと芝居を別モノにしてしまうし、キャラクタを人格ではなくポジションで書く。
役を人格で演じるヲヅキがやると、正しく影のアンドレになるんだ。
だから派手派手オープニングだと、役として演じて出て来るヲヅキさんにびっくりしちゃうんだ。影として登場してくるから。
うっわー、ヲヅキだー。
ヲヅキ、変わらない。揺るがない。
それがうれしいやらおかしいやら。
フィナーレもやっぱ、コレジャナイ感を抱きつつ。
そう思わせてくれることがまた、愛しい。
いやその、スポットライト浴びる快感に目覚めて、「スターなオレ様」に変身したヲヅキさんも見てみたかったけど。
徹頭徹尾「わきまえた」姿に、きゅんきゅんした(笑)。
でもって。
前日欄に書いた通り、テルカル様はオスカルじゃなかった。別の生き物だった。
それはやっぱり、キタドレの影響があると思う。
ヲヅキのアンドレは、立場をわきまえた影のアンドレ。ヅカのスター演じるところの押し出しの強いキラキラしたアンドレじゃない。
脇に徹する姿はとてもアンドレっぽい……わけなんだが。
でも、チガウと思うの。
原作ともヅカのアンドレともチガウ。
キタドレの、暗さは。
彼からは、革命前夜のフランスの、湿気めいた暗い澱みを感じる。
口でどう言おうと、魂の深いところで絶望し、あきらめている……投げ出している、感じ。受け入れている、ともいうか。あるがままを。
キタドレの澱みが、テルカルを追い詰めているんだと思う。
殺したいほど愛していると言いながら、寸前で背を向ける。毒殺を思いとどまったのは、澱みが深すぎるせいでは?
生殺しの感覚。
これじゃオスカル、おかしくなるよ。
救うつもりははじめからない、だけど、「そばにいる」。なにそれ痛い。きつい。
オスカルが出撃前夜、アンドレに身を投げしたのもわかる。自分から行かなきゃ、生殺しのままだもの。
いつまでも傷口が疼くから、痛みとかゆみの間の疼痛がずっと続くなんて気がおかしくなる、それならいっそ自分で切り裂くか。新しい血が流れ、痛みに泣く方がずっと救われる。
キタドレとテルカルの歪みが快感。
ぞくぞくするし、きゅんきゅんする(笑)。
このふたり、ゆがんだ関係演じるとすげー映える。そそる。
テッドとクライドなんだ。そう思う。
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