『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』稽古場映像を見ました。
えー、とりあえず、『一夢庵風流記 前田慶次』の方。
3番手が映ってない稽古場映像を、はじめて見た。
スカステはとても番手・学年忠実というか、現実のポジションや扱いがどうであろうと、公に発表されている番手を遵守するところです。
内容的にもどうでもいい、まっつがひとこと喋るところをわざわざ映した『愛と死のアラビア』のように、「他に見せ場らしいものはナニもない」状態でも、とりあえず、無理にでも、喋っているところを映す。仕方ない、番手・学年的に、どんだけ見せ場なくても映さなきゃなんないんだから、という義務感、しぶしぶ感、苦肉の策がまんま見える。
あー、スカステの中の人、気を遣ってるなあ、苦労してるなあ、と察するのも楽しみ方のひとつっちゅーかね。
そーゆースタンスの放送で、まっつがまったく映らない……あえてカットしているのは、なんなの。
ネタバレを避けるなんて理由は、ありえない。数秒流すだけで作品が成立しないネタバレなんてあるわけない。作品よりも、スター重視がスカステの姿勢だから。
ナニかのっぴきならない事情がない限り、ありえない。
考えられるのは、ふつーになにか喋ってたり歌ってたりする場面を流すつもりで用意していたけれど、土壇場で本編からその場面がなくなったため、映像はお蔵入り、流すことが出来なくなった……てことかな?
大野せんせが大作ミュージカルを書き上げてしまったため、95分のショート作品に収めなきゃならず、本編はカットの嵐。
早々に配役と相関図が出たけれど、その相関図のまっつ絡みの部分がいつの間にかカット、なかったことにされているのがその一例。その後もいろいろ変更がありました。
……てなことかな、と、危惧します。
頼むよ、大野先生。
素顔で演技しているまっつを見られる貴重な機会が、1回失われたんだよ。プロダクション・ノートもないから、もうムラの稽古場まっつは一切見られないってコトだ。
終わりがはじまるけれど、考えない。
考えずにいる。
えー、とりあえず、『一夢庵風流記 前田慶次』の方。
3番手が映ってない稽古場映像を、はじめて見た。
スカステはとても番手・学年忠実というか、現実のポジションや扱いがどうであろうと、公に発表されている番手を遵守するところです。
内容的にもどうでもいい、まっつがひとこと喋るところをわざわざ映した『愛と死のアラビア』のように、「他に見せ場らしいものはナニもない」状態でも、とりあえず、無理にでも、喋っているところを映す。仕方ない、番手・学年的に、どんだけ見せ場なくても映さなきゃなんないんだから、という義務感、しぶしぶ感、苦肉の策がまんま見える。
あー、スカステの中の人、気を遣ってるなあ、苦労してるなあ、と察するのも楽しみ方のひとつっちゅーかね。
そーゆースタンスの放送で、まっつがまったく映らない……あえてカットしているのは、なんなの。
ネタバレを避けるなんて理由は、ありえない。数秒流すだけで作品が成立しないネタバレなんてあるわけない。作品よりも、スター重視がスカステの姿勢だから。
ナニかのっぴきならない事情がない限り、ありえない。
考えられるのは、ふつーになにか喋ってたり歌ってたりする場面を流すつもりで用意していたけれど、土壇場で本編からその場面がなくなったため、映像はお蔵入り、流すことが出来なくなった……てことかな?
大野せんせが大作ミュージカルを書き上げてしまったため、95分のショート作品に収めなきゃならず、本編はカットの嵐。
早々に配役と相関図が出たけれど、その相関図のまっつ絡みの部分がいつの間にかカット、なかったことにされているのがその一例。その後もいろいろ変更がありました。
……てなことかな、と、危惧します。
頼むよ、大野先生。
素顔で演技しているまっつを見られる貴重な機会が、1回失われたんだよ。プロダクション・ノートもないから、もうムラの稽古場まっつは一切見られないってコトだ。
終わりがはじまるけれど、考えない。
考えずにいる。
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