勝手に考える。@ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―
2014年6月13日 タカラヅカ 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』で、もっとも憤慨したこと。
だいもんの、無駄遣い。
植爺作品の主演コンビ以外の配役は、大人の事情が見えすぎて嫌なんだけど、今回はまた格段に酷い。
駄作『フェルゼン編』を焼き直しているのに、そこから少ないアンドレの出番を削り、「『ベルサイユのばら』というタイトルにファンが期待する名場面」を削る……って、ありえない。
アンドレは衣装1着っすか。私服場面なしだから。そしてオスカルは「フェルゼン愛してる」と言った次の場面で「この戦闘が終わったら、結婚式だ」とアンドレに言うわけですか。ひどすぎる。
もったいないなあ。
「できる」人なのに、使ってもらえない。まず舞台の上に出してもらえない。
機会を与えられれば、いくらでも舞台を厚くすることが出来る役者なのに、名古屋くんだりまで行って、舞台にろくに上げてもらえないとか……もったいない。
わたしがだいもんファンだからフィルターかかってるにしても、ただ一観客として、できる人の舞台を観たいよ。他の誰かを下げる意味ではなく、舞台なんて上限なくプラスできる場なのに、そのプラスの機会を演出家が閉ざすってのが、口惜しい。
アンドレの扱いがおかしなことになっているけれど、それだけではなくいろいろと大人の事情満載で微妙な作りになっているんだな、今回。
今回の『フェルゼンとアントワネット編』を作る上での要点は、
・蘭ちゃんの見せ場を作る。
・キキくんに、オスカルをやらせる。
ということがまず念頭にあり、次に、
・トップスターみりおくんのお披露目である。
・専科生になるみつるへの配慮。
・かのちゃんの組替えお披露目。
を考えた結果かなあと。
まずなんといっても、タカラヅカの代表作『エリザベート』のタイトルロールを演じるためにあえて残った、すでにふたりのトップスターの相手役を務めた、特別クラスの娘役・蘭ちゃんのことを考えなくてはならない。だって、タカラヅカへの功労者だもん。
植爺は格式とか権威とかを、とても大切に考える人だからな。
そして、キキくんは、オスカルを演じさせなくてはならない人。カラダのサイズとか持ち味とか実力とかは関係ない。その昔、新公主演すらしてないカチャが、なにはさておきオスカルを演じなくてはならなかったように。
これだけの事情でも、作品の場面チョイスが決まってくるよね。
『フェルゼン編』ではまったく出番のなかったアントワネットの出番を作る。1幕ではボートでのラヴシーンに、ソロ歌。2幕では『フェルゼンとアントワネット編』で評判の良かった夫・子どもたちとの別れの場面を入れ、新曲を書き下ろす。
舞台にただひとり残ってピンスポ浴びての新曲っすよ。
これだけ尺を取るために、他の場面をカットしなければならない。
3人目のトップスターと組む蘭ちゃんと、今回はじめてトップスターになるみりおくんでは、蘭ちゃんの方が格上認識なのかな、と思ったのは、蘭ちゃんに新曲があり、みりおくんになかったことによる。
タカラヅカは男役至上主義だから、もちろんトップのみりおくんに配慮されているけれど、植爺の中ではまた違うのかも。えりたんは一応、新曲書き下ろしてもらってたものね。みりおくんは、新場面にあたるところで、すでに前の場面で歌った同じ曲をもう一度歌う。え、この歌さっきも聴きましたが? 新曲書き下ろしてあげないんだ……と、かえってびっくりした。
フェルゼンとアントワネット中心に場面の取捨選択をした場合、オスカルとアンドレの出番はかなり限られてくる。
フェルゼンにとって必要なのは、「オスカルが片想いしていること」「オスカルが革命に身を投じ、戦死すること」だけ。アンドレはぶっちゃけいなくてもいい。『オスカルとアンドレ編』にアントワネットが出てこないように。
だから「オスカル」という役の醍醐味である「バスティーユ」をキキくんのために残し、あとは「必要な場面」だけにした。
その「必要な場面」てのは、「物語に必要」なのではない。「植爺キャスティング」に必要、という意味だ。
植爺にとっての「役者の格」は長い台詞と豪華衣装。ストーリー的に無意味でも害悪でも、役者のためだけにそれを用意する。
主人公であるフェルゼンと会話する場面。そして、ロザリー@かのちゃんが登場する場面。
植爺が「格のある役者に台詞を増やしたい」と思っている場面のみ、オスカルの場面は残された。
=アンドレはカット。
かのちゃんの出番と専科生みつるへの餞は、都合良く一場面でまとめあげる。無駄に長い台詞、無意味な会話がえんえん続く場面だけど、植爺の目的が「台詞を増やすこと」なんだから仕方ない。
まあそんな事情かな-、と、勝手に考える。
あくまでも勝手に、だ。
このみょーな場面チョイスと、みょーな配慮。
出番がほとんどないだいもんは、何故かパレードでは2番手として階段降りする。
言動不一致が謎のド・ブロイ元帥@みつるは、いちおー見せ場アリ。そして、プログラムではだいもんより上に写真掲載。
途中までは「2番手?」という扱いのキキくんは、衣装ランクを落とされている。スターブーツを履いてないオスカル様は、めずらしい。オスカルの白パンツにふつーのブーツって、なんか収まり悪いわー。「台詞の行数と豪華衣装」にこだわる植爺らしい……特別扱いの差し引きとして、衣装を控えめにしました、て(笑)。プログラムの位置も後ろだし。
かのちゃんの相手役であるがゆえに、ベルナール@がりんの比重アップ! みりおくんが演じていたベルナール以上という(笑)。
いろんなところでバランスを取って、「みんな同じ、みんなで手をつないでゴールイン!」的な気持ちなのかなと思う。
でもはっきりいって、いらんわ、そんな気遣い。
役者への配慮のため、ストーリーぶっ壊すのやめて欲しい。
重要な役を重要な役者にやらせればすむことじゃん。
役としては2番手だけど、この役者は本来2番手じゃないから、衣装ランク下げましたよ~~、ほら、2番手じゃないでしょ~~?
この役者に『ベルばら』的に重要な役はさせたくないけど、立場的にある程度の扱いをしなくてはならないから、今までにない役を新たに作り、豪華衣装を着せて何行も喋らせました! ほーら、重要な役でしょ~~?
とか、勘弁してくれ。
ふつーに公演を、作品を観に行くモノには、そのややこしいこだわりがめんどくさい。
そして、いろんな配慮のあおりをモロに喰らったのがだいもんかなあ。
つまりそれって、いちばん配慮しなくて済む、と思われたのか……。パレードで2番目に下ろせばオールオッケー、すべて帳消し、と思われてるっぽいところが、もう……切ないわ。
だいもんの、無駄遣い。
植爺作品の主演コンビ以外の配役は、大人の事情が見えすぎて嫌なんだけど、今回はまた格段に酷い。
駄作『フェルゼン編』を焼き直しているのに、そこから少ないアンドレの出番を削り、「『ベルサイユのばら』というタイトルにファンが期待する名場面」を削る……って、ありえない。
アンドレは衣装1着っすか。私服場面なしだから。そしてオスカルは「フェルゼン愛してる」と言った次の場面で「この戦闘が終わったら、結婚式だ」とアンドレに言うわけですか。ひどすぎる。
もったいないなあ。
「できる」人なのに、使ってもらえない。まず舞台の上に出してもらえない。
機会を与えられれば、いくらでも舞台を厚くすることが出来る役者なのに、名古屋くんだりまで行って、舞台にろくに上げてもらえないとか……もったいない。
わたしがだいもんファンだからフィルターかかってるにしても、ただ一観客として、できる人の舞台を観たいよ。他の誰かを下げる意味ではなく、舞台なんて上限なくプラスできる場なのに、そのプラスの機会を演出家が閉ざすってのが、口惜しい。
アンドレの扱いがおかしなことになっているけれど、それだけではなくいろいろと大人の事情満載で微妙な作りになっているんだな、今回。
今回の『フェルゼンとアントワネット編』を作る上での要点は、
・蘭ちゃんの見せ場を作る。
・キキくんに、オスカルをやらせる。
ということがまず念頭にあり、次に、
・トップスターみりおくんのお披露目である。
・専科生になるみつるへの配慮。
・かのちゃんの組替えお披露目。
を考えた結果かなあと。
まずなんといっても、タカラヅカの代表作『エリザベート』のタイトルロールを演じるためにあえて残った、すでにふたりのトップスターの相手役を務めた、特別クラスの娘役・蘭ちゃんのことを考えなくてはならない。だって、タカラヅカへの功労者だもん。
植爺は格式とか権威とかを、とても大切に考える人だからな。
そして、キキくんは、オスカルを演じさせなくてはならない人。カラダのサイズとか持ち味とか実力とかは関係ない。その昔、新公主演すらしてないカチャが、なにはさておきオスカルを演じなくてはならなかったように。
これだけの事情でも、作品の場面チョイスが決まってくるよね。
『フェルゼン編』ではまったく出番のなかったアントワネットの出番を作る。1幕ではボートでのラヴシーンに、ソロ歌。2幕では『フェルゼンとアントワネット編』で評判の良かった夫・子どもたちとの別れの場面を入れ、新曲を書き下ろす。
舞台にただひとり残ってピンスポ浴びての新曲っすよ。
これだけ尺を取るために、他の場面をカットしなければならない。
3人目のトップスターと組む蘭ちゃんと、今回はじめてトップスターになるみりおくんでは、蘭ちゃんの方が格上認識なのかな、と思ったのは、蘭ちゃんに新曲があり、みりおくんになかったことによる。
タカラヅカは男役至上主義だから、もちろんトップのみりおくんに配慮されているけれど、植爺の中ではまた違うのかも。えりたんは一応、新曲書き下ろしてもらってたものね。みりおくんは、新場面にあたるところで、すでに前の場面で歌った同じ曲をもう一度歌う。え、この歌さっきも聴きましたが? 新曲書き下ろしてあげないんだ……と、かえってびっくりした。
フェルゼンとアントワネット中心に場面の取捨選択をした場合、オスカルとアンドレの出番はかなり限られてくる。
フェルゼンにとって必要なのは、「オスカルが片想いしていること」「オスカルが革命に身を投じ、戦死すること」だけ。アンドレはぶっちゃけいなくてもいい。『オスカルとアンドレ編』にアントワネットが出てこないように。
だから「オスカル」という役の醍醐味である「バスティーユ」をキキくんのために残し、あとは「必要な場面」だけにした。
その「必要な場面」てのは、「物語に必要」なのではない。「植爺キャスティング」に必要、という意味だ。
植爺にとっての「役者の格」は長い台詞と豪華衣装。ストーリー的に無意味でも害悪でも、役者のためだけにそれを用意する。
主人公であるフェルゼンと会話する場面。そして、ロザリー@かのちゃんが登場する場面。
植爺が「格のある役者に台詞を増やしたい」と思っている場面のみ、オスカルの場面は残された。
=アンドレはカット。
かのちゃんの出番と専科生みつるへの餞は、都合良く一場面でまとめあげる。無駄に長い台詞、無意味な会話がえんえん続く場面だけど、植爺の目的が「台詞を増やすこと」なんだから仕方ない。
まあそんな事情かな-、と、勝手に考える。
あくまでも勝手に、だ。
このみょーな場面チョイスと、みょーな配慮。
出番がほとんどないだいもんは、何故かパレードでは2番手として階段降りする。
言動不一致が謎のド・ブロイ元帥@みつるは、いちおー見せ場アリ。そして、プログラムではだいもんより上に写真掲載。
途中までは「2番手?」という扱いのキキくんは、衣装ランクを落とされている。スターブーツを履いてないオスカル様は、めずらしい。オスカルの白パンツにふつーのブーツって、なんか収まり悪いわー。「台詞の行数と豪華衣装」にこだわる植爺らしい……特別扱いの差し引きとして、衣装を控えめにしました、て(笑)。プログラムの位置も後ろだし。
かのちゃんの相手役であるがゆえに、ベルナール@がりんの比重アップ! みりおくんが演じていたベルナール以上という(笑)。
いろんなところでバランスを取って、「みんな同じ、みんなで手をつないでゴールイン!」的な気持ちなのかなと思う。
でもはっきりいって、いらんわ、そんな気遣い。
役者への配慮のため、ストーリーぶっ壊すのやめて欲しい。
重要な役を重要な役者にやらせればすむことじゃん。
役としては2番手だけど、この役者は本来2番手じゃないから、衣装ランク下げましたよ~~、ほら、2番手じゃないでしょ~~?
この役者に『ベルばら』的に重要な役はさせたくないけど、立場的にある程度の扱いをしなくてはならないから、今までにない役を新たに作り、豪華衣装を着せて何行も喋らせました! ほーら、重要な役でしょ~~?
とか、勘弁してくれ。
ふつーに公演を、作品を観に行くモノには、そのややこしいこだわりがめんどくさい。
そして、いろんな配慮のあおりをモロに喰らったのがだいもんかなあ。
つまりそれって、いちばん配慮しなくて済む、と思われたのか……。パレードで2番目に下ろせばオールオッケー、すべて帳消し、と思われてるっぽいところが、もう……切ないわ。
コメント