完結するということ・その1。@一夢庵風流記 前田慶次
2014年9月1日 タカラヅカ 初日からずっと、「雪丸様、わけわかんねえ(笑)」と書いてきました。
稲妻とともに登場して、すっげえ大物感ゆんゆんなのに、やってることバカっぽいし、女の子と力比べして負けるし、腕斬られたぐらいで取り乱すし、黒幕の名前連呼して台無しにするし。
「なにを致すのかは、この傷が教えてくれよう」とか、思わせぶりなこと言ってるくせに、やってることむちゃくちゃだし。
脚本の粗を全部押しつけられちゃったんだろうなあ。
わけわかんない人になってるなあ。
でもま、かっこいいから、いっか。
てな人だった、雪丸様。
それが、『一夢庵風流記 前田慶次』東宝千秋楽。
すべての線が、つながった。
納得がいった。
答えを得た。
わけわかんなかった、すべてのこと。
楽の数日前から上京、ヅカ三昧まっつ三昧な日々を送っており、ラストスパートに入った雪丸様の演技がますます磨き抜かれていたことは、わかってたんですが。
方向性としてそちらに向かっていたことは、わかっていたんですが。
ラストアクトにて。
雪丸様の狂気が、ハンパなかった。
あ、この人、狂ってる。
まともに見えるし、実際ちゃんと生活……というか、忍びの頭領もやれてるんだけど。
根っこのところが、最初からすでに壊れてる。
この人が引き起こした一連の出来事、行動は、そういうことなんだ……。
てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続き、行きます!
雪丸のキャラクタがもっとも出るのって、加奈との場面だと思うのね。
本心が見える場面というか。
だから、「セクシー立ち回り」と「Wラヴシーン」が重要なの。ここでの雪丸様は、最高に美しく色っぽい、というだけでなく、本心が垣間見えるから。
わたしはいつもまっつをあなどっているというか、毎回「ごめん」な気持ちになる。わたしが思っているよりすごいものを、彼はどんと出してくるんだなこれが。
今回もそうだ。
退団公演だし、なんかめちゃくちゃな役だし、これが限界……というか、ここまでやってくれたらもう十分だよな的な枠を、わたしは勝手にはめて見ていたらしい。
差し出されるモノで十分、楽しかったし。
不満があるとすれば退団することだけだもん。それさえなかったら、なんの問題もない出来。
なのに。
最後の最後に、すごいもんキタ。
芝居で、演技で、ここまで表現するのか。
加奈と指を「ぎゅっ」と握り合ってセリ下がっていく雪丸様を見て、死にそうになった。
あたし今まで、なにを見ていたんだろう??
この芝居は、雪丸の物語だ。
カットされまくったそうで、雪丸の出番も見せ場も当初の台本とは掛け離れ、わけわかんない変な人になっているらしいよ、ひどいよ大野くん! でもま、エロ見せ場があるからそれでいいか、てな落とし方ではなくて。
そんな半端な描き方しかされていないのに……中の人は、まっつは、ガチに勝負懸けてる。
「雪丸」という男の生涯を、描いている。
加奈との場面だけで、「雪丸」の人生を浮き彫りにしてきた。
そのまっつの芝居に、まさに雷に打たれたようになった。
心臓ばくばくアタマがんがん、涙でオペラグラスが曇る。
アタマが切り替わらない。次の場面になっているのに、目には映っているのに、神経に届かない。
むしろ、不思議だった。今、舞台の上にあるモノが。
わたしには、雪丸しか見えない。
なのに、雪丸がいない舞台で、なにかやっている?
いやいやいや、これは『一夢庵風流記 前田慶次』というお芝居で、慶次が主役、でもってえりたん最後なんだからえりたん見なきゃ、あたしがどんだけえりたんスキーで来たと思うのよ、『タランテラ!』ではずしきった音とリズムで歌うあの銀橋の壮くんのぺかーっとした笑顔に救われたのよ命の恩人なのよ……理性はそう解説するけど。
けど、ダメだ。
ごめんえりたん。
えりたん好きだけど、今は無理。
わたしは、まっつが好き。いちばん好き。
まっつの芝居と、波長が合うのだと思う。
彼ほどわたしに感動をくれる役者はいない。今のとこ。
想像力と萌えをくれる役者はいない。
そのまっつが、消えてしまう。
いなくなってしまう。
それだけでも重大事件だっつーに、そのうえ彼は、最後の舞台で最大級の爆弾を落としてきた。
今まで見た、最高の芝居をしてきた。
それはもう、受けるしかないでしょう。
受け止めるしかないでしょう。
他は、見ない。
決めた。腹をくくった。切り替えた。
これは、「雪丸」の物語。他は、不要。
いい悪いじゃない。わたしには、それだけのキャパしかない。
二兎を追って自滅する猶予はない。まっつのラストアクトなんだ。
ふだんのわたしなら、そこまで極端なことはしない。えりたんえりたん、えりたんへの愛着、過ごしてきた日々が悲鳴をあげる。
だけど、人生が取捨選択で成り立っていることを知っている、ひとつしか選べないというなら、わたしはまっつを選ぶ。
続く。
稲妻とともに登場して、すっげえ大物感ゆんゆんなのに、やってることバカっぽいし、女の子と力比べして負けるし、腕斬られたぐらいで取り乱すし、黒幕の名前連呼して台無しにするし。
「なにを致すのかは、この傷が教えてくれよう」とか、思わせぶりなこと言ってるくせに、やってることむちゃくちゃだし。
脚本の粗を全部押しつけられちゃったんだろうなあ。
わけわかんない人になってるなあ。
でもま、かっこいいから、いっか。
てな人だった、雪丸様。
それが、『一夢庵風流記 前田慶次』東宝千秋楽。
すべての線が、つながった。
納得がいった。
答えを得た。
わけわかんなかった、すべてのこと。
楽の数日前から上京、ヅカ三昧まっつ三昧な日々を送っており、ラストスパートに入った雪丸様の演技がますます磨き抜かれていたことは、わかってたんですが。
方向性としてそちらに向かっていたことは、わかっていたんですが。
ラストアクトにて。
雪丸様の狂気が、ハンパなかった。
あ、この人、狂ってる。
まともに見えるし、実際ちゃんと生活……というか、忍びの頭領もやれてるんだけど。
根っこのところが、最初からすでに壊れてる。
この人が引き起こした一連の出来事、行動は、そういうことなんだ……。
てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続き、行きます!
雪丸のキャラクタがもっとも出るのって、加奈との場面だと思うのね。
本心が見える場面というか。
だから、「セクシー立ち回り」と「Wラヴシーン」が重要なの。ここでの雪丸様は、最高に美しく色っぽい、というだけでなく、本心が垣間見えるから。
わたしはいつもまっつをあなどっているというか、毎回「ごめん」な気持ちになる。わたしが思っているよりすごいものを、彼はどんと出してくるんだなこれが。
今回もそうだ。
退団公演だし、なんかめちゃくちゃな役だし、これが限界……というか、ここまでやってくれたらもう十分だよな的な枠を、わたしは勝手にはめて見ていたらしい。
差し出されるモノで十分、楽しかったし。
不満があるとすれば退団することだけだもん。それさえなかったら、なんの問題もない出来。
なのに。
最後の最後に、すごいもんキタ。
芝居で、演技で、ここまで表現するのか。
加奈と指を「ぎゅっ」と握り合ってセリ下がっていく雪丸様を見て、死にそうになった。
あたし今まで、なにを見ていたんだろう??
この芝居は、雪丸の物語だ。
カットされまくったそうで、雪丸の出番も見せ場も当初の台本とは掛け離れ、わけわかんない変な人になっているらしいよ、ひどいよ大野くん! でもま、エロ見せ場があるからそれでいいか、てな落とし方ではなくて。
そんな半端な描き方しかされていないのに……中の人は、まっつは、ガチに勝負懸けてる。
「雪丸」という男の生涯を、描いている。
加奈との場面だけで、「雪丸」の人生を浮き彫りにしてきた。
そのまっつの芝居に、まさに雷に打たれたようになった。
心臓ばくばくアタマがんがん、涙でオペラグラスが曇る。
アタマが切り替わらない。次の場面になっているのに、目には映っているのに、神経に届かない。
むしろ、不思議だった。今、舞台の上にあるモノが。
わたしには、雪丸しか見えない。
なのに、雪丸がいない舞台で、なにかやっている?
いやいやいや、これは『一夢庵風流記 前田慶次』というお芝居で、慶次が主役、でもってえりたん最後なんだからえりたん見なきゃ、あたしがどんだけえりたんスキーで来たと思うのよ、『タランテラ!』ではずしきった音とリズムで歌うあの銀橋の壮くんのぺかーっとした笑顔に救われたのよ命の恩人なのよ……理性はそう解説するけど。
けど、ダメだ。
ごめんえりたん。
えりたん好きだけど、今は無理。
わたしは、まっつが好き。いちばん好き。
まっつの芝居と、波長が合うのだと思う。
彼ほどわたしに感動をくれる役者はいない。今のとこ。
想像力と萌えをくれる役者はいない。
そのまっつが、消えてしまう。
いなくなってしまう。
それだけでも重大事件だっつーに、そのうえ彼は、最後の舞台で最大級の爆弾を落としてきた。
今まで見た、最高の芝居をしてきた。
それはもう、受けるしかないでしょう。
受け止めるしかないでしょう。
他は、見ない。
決めた。腹をくくった。切り替えた。
これは、「雪丸」の物語。他は、不要。
いい悪いじゃない。わたしには、それだけのキャパしかない。
二兎を追って自滅する猶予はない。まっつのラストアクトなんだ。
ふだんのわたしなら、そこまで極端なことはしない。えりたんえりたん、えりたんへの愛着、過ごしてきた日々が悲鳴をあげる。
だけど、人生が取捨選択で成り立っていることを知っている、ひとつしか選べないというなら、わたしはまっつを選ぶ。
続く。
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