彼は、首をかしげた。@新人公演『ガイズ&ドールズ』
2015年9月8日 タカラヅカ 新人公演『ガイズ&ドールズ』観劇。
せおっち新公主演おめでとー!
将来トップになるならないはともかく、新公主演事実大事。それによって舞台での扱いが変わるもの。
もっとせおっちを観たいから、主演歴を得てくれたのがうれしい。
たとえ、作品が『ガイドル』であっても。
映像が残らない公演で最初で最後の新公主演をする子は、気の毒だ。
や、花組のあきらが「なんで新公主演出来なかったの?」とか「1回でいいから新公させときゃよかったのに」とふつーに言われるから。
してるから! あきら、新公主演してるから!
「え? ナニで? 観たことない」ってそりゃ、映像に残ってないからだよ、スカステで放送されてないからだよ。
本公演の映像ソフトは発売されてるけど、スカステ放送頼みの新公は、放送されなきゃ「なかったこと」になっちゃうんだもん、人の心理として。
ソフト発売されたりテレビ放送されれば、あとから来た人に見せることができるからね。そうやって、去年からヅカファンになった人でもふつーに、初演『エリザベート』の感想を語れるわけじゃん。「現在」ヅカファン同士で語れるわけじゃん。
映像が残らないと、「観た人」は年々減るのみで増えることがない。減るのみなんだから、いつしか「そんなことあったっけ?」になるのは自然の摂理。
映像ナシ・東西2公演のみの新公は、「当時」ナマで観た人以外感想を語ることも出来ない。「現在」のヅカファン同士で語ることも出来ない。アクティブになってない出来事は、記憶に残りにくい。
そんな演目での主演は、ラストチャンスの子にさせてほしくないなあ。
そんな演目だからチャンスが回ってきたのかもしんないけど。
だから今回は絶対に観たい!と思った。
や、どの公演だって観たい!と思っているけど、今回は特に。あきらの新公『麗しのサブリナ』が素敵だったように、せおっちの『ガイドル』だって素敵に違いない! この目に焼き付けるんだーー!
と、いうことで。
せおっち中心に観劇したわけですが。
観ながら、改めて考えた。
えーとわたし、なんでせおっち好きなんだっけ? 好きというか、わりと好きなジェンヌさんで、舞台にいるときは意識して観てみるうちのひとり。
なんで彼に好意を持っているかというと、美形だから。コレに尽きる。
タカラヅカだもん、美しい人が観たい。
せおっちはモブにいても、モブを眺めるのが好きなわたしが「あ、あそこにきれいな人がいる!」とオペラを止める美形さんだ。
で、いっつもモブに毛が生えたよーなもんだから、「もっとちゃんとした役で観たいなあ」とか「もっとたくさん観たいなあ」と思う。
ゆえに、役付き上がれ! 新公主演来い! と願っていた。
そーして今、念願の新公主演! ものすごくいい役!
念願の……ってことは、ほんと、こんだけ大きな役を演じる彼を見るのがはじめてってことだ。
これまでは、彼の顔が好きなだけ、興味あるだけでしかなかった。
ようやく役者としての彼を見ることが出来て……。
ちょっと、首をかしげたわけだ。
なんでわたし、好きだったんだっけ、と。や、他意はなく、単純にふと。
うーん……。
別に、悪くはなかった。
よくやっていた。
初の大役、これまでの立ち位置からしても、プレッシャー半端なかったろうに、よくやりきったと思う。
悪くはないんだけど……。
好みでも、ない、かなあ?
そういや、今までの別箱公演でも、脇でちょろちょろしている分にはいいんだけど、出番や台詞が多いとあまり響いてこなかった印象がある。いやその、顔がいいからそれだけでヨシ!的な気持ちだったっつーか。顔がいいから、それ以上のことをわたしが考えてなかったというか。
なんだろう、この不自由さは。
ワンサイズ小さな服を着せられているみたい。や、現実の衣装のことではなくて。
手を伸ばすべきところで伸ばしきれない感じというか、不自然なぎこちなさがある。
経験不足のせい?
だからといって、舞台が進むにつれてエンジン掛かってくる風でもなく。
ぎこちなさと不自然さはずーーっとそのまま。
調子に乗るタイプではなさそうだ。かといって、あまり周囲を見れるタイプでもなさそうだ。
目の前のことだけを観て演技している感じ。や、現実はそれでいいけど、舞台を、世界を作るっていうのはそうじゃなくて、舞台全体を観て演技しなきゃなんないわけで……うおー。
なんかむずむず、手に汗握る。
そして。
手に汗握っていると、どんどん彼に感情移入する。
がんばれー! 行けー! もう少しだー!
握るのは汗ではなく拳? 心の拳を振り上げて、応援しまくりさ(笑)。
結果。
うん、なんか、良かった!(けろり)
さっきと言ってることチガウけど、正直な気持ちだから。
せおっち、良かった!
なんかすがすがしく観終わった。
足りないところがあるにしろ、素直な芸風が心に響くんだと思う。役の気持ちが、というより、役者本人の気持ちが、というのは課題だとしても、いいじゃん、今の段階はソレで!
マラソンランナーを応援するような、一緒に汗をかいたような、そんな観劇後。
てゆーかさ……。
そうやって伴走する気持ちで長距離走り抜いたあと、挨拶があるじゃないですか、主演者の。
大抵の初主演者は感極まって泣いちゃって(泣かなかったのはまっつとマギーくらい?)、大変微笑ましいヅカならではの「アマチュア感」があるアレ、アレがあるわけじゃないですか。
せおっちも初主演だもの、きっと涙ながらに挨拶して、客席ももらい泣きするんだわー。
と、思ってたら。
人は、頭が真っ白になったとき、ほんとうに「首をかしげる」のだ。
小説の常套句、「彼は首をかしげた。」
まさかそれを、目の当たりにするとはっ!!(笑)
挨拶の途中で、たぶん突然頭が真っ白になっちゃったんだろうなあ。焦点の合ってない目で沈黙して、ゆっくりと首をかしげた……。
言葉に詰まる人はいくらでも見てきたけど、これは初体験だわ。
マラソンランナー応援ハートでいたところに、コレですよ。
ああなんかもう、まさしく!! って感じ。試合直後で放心してるアスリート!!
…………愛しいっす。
ラストチャンス新公主演はいいよね、それだけでドラマだよね、感動的だよね。
終演後の挨拶時、ベテラン主演のことちゃんが、保護者の顔を見守っているのもまた見どころのひとつ。
その昔、いっぱいいっぱいな様子で挨拶するベニーを、まひろくんが見守っていたように。
こうやって、物語は受け継がれていく。
せおっち新公主演おめでとー!
将来トップになるならないはともかく、新公主演事実大事。それによって舞台での扱いが変わるもの。
もっとせおっちを観たいから、主演歴を得てくれたのがうれしい。
たとえ、作品が『ガイドル』であっても。
映像が残らない公演で最初で最後の新公主演をする子は、気の毒だ。
や、花組のあきらが「なんで新公主演出来なかったの?」とか「1回でいいから新公させときゃよかったのに」とふつーに言われるから。
してるから! あきら、新公主演してるから!
「え? ナニで? 観たことない」ってそりゃ、映像に残ってないからだよ、スカステで放送されてないからだよ。
本公演の映像ソフトは発売されてるけど、スカステ放送頼みの新公は、放送されなきゃ「なかったこと」になっちゃうんだもん、人の心理として。
ソフト発売されたりテレビ放送されれば、あとから来た人に見せることができるからね。そうやって、去年からヅカファンになった人でもふつーに、初演『エリザベート』の感想を語れるわけじゃん。「現在」ヅカファン同士で語れるわけじゃん。
映像が残らないと、「観た人」は年々減るのみで増えることがない。減るのみなんだから、いつしか「そんなことあったっけ?」になるのは自然の摂理。
映像ナシ・東西2公演のみの新公は、「当時」ナマで観た人以外感想を語ることも出来ない。「現在」のヅカファン同士で語ることも出来ない。アクティブになってない出来事は、記憶に残りにくい。
そんな演目での主演は、ラストチャンスの子にさせてほしくないなあ。
そんな演目だからチャンスが回ってきたのかもしんないけど。
だから今回は絶対に観たい!と思った。
や、どの公演だって観たい!と思っているけど、今回は特に。あきらの新公『麗しのサブリナ』が素敵だったように、せおっちの『ガイドル』だって素敵に違いない! この目に焼き付けるんだーー!
と、いうことで。
せおっち中心に観劇したわけですが。
観ながら、改めて考えた。
えーとわたし、なんでせおっち好きなんだっけ? 好きというか、わりと好きなジェンヌさんで、舞台にいるときは意識して観てみるうちのひとり。
なんで彼に好意を持っているかというと、美形だから。コレに尽きる。
タカラヅカだもん、美しい人が観たい。
せおっちはモブにいても、モブを眺めるのが好きなわたしが「あ、あそこにきれいな人がいる!」とオペラを止める美形さんだ。
で、いっつもモブに毛が生えたよーなもんだから、「もっとちゃんとした役で観たいなあ」とか「もっとたくさん観たいなあ」と思う。
ゆえに、役付き上がれ! 新公主演来い! と願っていた。
そーして今、念願の新公主演! ものすごくいい役!
念願の……ってことは、ほんと、こんだけ大きな役を演じる彼を見るのがはじめてってことだ。
これまでは、彼の顔が好きなだけ、興味あるだけでしかなかった。
ようやく役者としての彼を見ることが出来て……。
ちょっと、首をかしげたわけだ。
なんでわたし、好きだったんだっけ、と。や、他意はなく、単純にふと。
うーん……。
別に、悪くはなかった。
よくやっていた。
初の大役、これまでの立ち位置からしても、プレッシャー半端なかったろうに、よくやりきったと思う。
悪くはないんだけど……。
好みでも、ない、かなあ?
そういや、今までの別箱公演でも、脇でちょろちょろしている分にはいいんだけど、出番や台詞が多いとあまり響いてこなかった印象がある。いやその、顔がいいからそれだけでヨシ!的な気持ちだったっつーか。顔がいいから、それ以上のことをわたしが考えてなかったというか。
なんだろう、この不自由さは。
ワンサイズ小さな服を着せられているみたい。や、現実の衣装のことではなくて。
手を伸ばすべきところで伸ばしきれない感じというか、不自然なぎこちなさがある。
経験不足のせい?
だからといって、舞台が進むにつれてエンジン掛かってくる風でもなく。
ぎこちなさと不自然さはずーーっとそのまま。
調子に乗るタイプではなさそうだ。かといって、あまり周囲を見れるタイプでもなさそうだ。
目の前のことだけを観て演技している感じ。や、現実はそれでいいけど、舞台を、世界を作るっていうのはそうじゃなくて、舞台全体を観て演技しなきゃなんないわけで……うおー。
なんかむずむず、手に汗握る。
そして。
手に汗握っていると、どんどん彼に感情移入する。
がんばれー! 行けー! もう少しだー!
握るのは汗ではなく拳? 心の拳を振り上げて、応援しまくりさ(笑)。
結果。
うん、なんか、良かった!(けろり)
さっきと言ってることチガウけど、正直な気持ちだから。
せおっち、良かった!
なんかすがすがしく観終わった。
足りないところがあるにしろ、素直な芸風が心に響くんだと思う。役の気持ちが、というより、役者本人の気持ちが、というのは課題だとしても、いいじゃん、今の段階はソレで!
マラソンランナーを応援するような、一緒に汗をかいたような、そんな観劇後。
てゆーかさ……。
そうやって伴走する気持ちで長距離走り抜いたあと、挨拶があるじゃないですか、主演者の。
大抵の初主演者は感極まって泣いちゃって(泣かなかったのはまっつとマギーくらい?)、大変微笑ましいヅカならではの「アマチュア感」があるアレ、アレがあるわけじゃないですか。
せおっちも初主演だもの、きっと涙ながらに挨拶して、客席ももらい泣きするんだわー。
と、思ってたら。
人は、頭が真っ白になったとき、ほんとうに「首をかしげる」のだ。
小説の常套句、「彼は首をかしげた。」
まさかそれを、目の当たりにするとはっ!!(笑)
挨拶の途中で、たぶん突然頭が真っ白になっちゃったんだろうなあ。焦点の合ってない目で沈黙して、ゆっくりと首をかしげた……。
言葉に詰まる人はいくらでも見てきたけど、これは初体験だわ。
マラソンランナー応援ハートでいたところに、コレですよ。
ああなんかもう、まさしく!! って感じ。試合直後で放心してるアスリート!!
…………愛しいっす。
ラストチャンス新公主演はいいよね、それだけでドラマだよね、感動的だよね。
終演後の挨拶時、ベテラン主演のことちゃんが、保護者の顔を見守っているのもまた見どころのひとつ。
その昔、いっぱいいっぱいな様子で挨拶するベニーを、まひろくんが見守っていたように。
こうやって、物語は受け継がれていく。
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