総モブ化はつまんない。@新源氏物語
2015年10月7日 タカラヅカ これは書き方の好みの問題だと思うけど、物語には芯になるキャラクタがふたりはいてほしい。
主人公と、もうひとり。主人公に匹敵する比重のキャラクタ。恋人でも敵でもいい。このキャラがいないと物語が成り立たない、くらいの。90分の短編だから、そのもうひとりは主人公と無関係のキャラではなく、愛でも憎でもいいから、主人公とがっつり絡むこと。
主人公と無関係のキャラクタが2番目の比重で物語を回してもかまわないけど、その場合主人公と同じくらいそのキャラのドラマを書き込まなければいけなくなるので、大河ドラマならいざ知らず、90分枠でやるのは物理的に無理がある。無理なことはやらんでいい。
『新源氏物語』がわたし的に「弱い」「ぼけている」と思うのは、光源氏以外に芯となりうるキャラがいないためだ。
源氏ひとりしか芯がなく、あとのキャラはみんな似たり寄ったりのモブ風味。ちょろっと出てきて主役に絡んで終了。
つまんないなあ。『新源氏物語』って「動」で魅せる物語じゃないもの。ハリウッド映画みたいに、派手なアクションとかCGとか、物理的な動きで観客の度肝を抜いて注目させる作品じゃない。ひとの心の動きという、目に見えないものを視覚化して話を進める「静」の物語。
心を追う作品で、キャラクタがモブ系ばっか、ての、残念だわ……。
原作のエピソード消化、キャラクタ多数消化するために、ひとりずつの比重が低くなるのは仕方ない、出てきて絡んで消える消耗品的扱いになるもの仕方ない、だからせめてひとりだけ、源氏に匹敵する比重で書き込んでほしかった。
男ひとりに複数の女性キャラ、主役以外の男役はおいしくなくて、娘役においしい話……というので、『仮面のロマネスク』を思い出す。『仮面のロマネスク』も男役は2番手すらおいしくない……通常作品の3番手あたりの役どころが、なんとか2番手に充てられる、みたいな。
でも『仮面のロマネスク』は弱くないんだよね、物語。だってちゃんと芯がある。主人公ともうひとりが、がっつり物語を回していく。
『仮面のロマネスク』のもうひとり、ってのは、ヒロインだ。物語の動作面でも心理面でも、彼女がしっかりと話を進める。彼女がいないと話も、そして主人公の心も変化しない。
『新源氏物語』はなあ……ヒロインが、弱すぎる。
作品の作りとして、芯になるべきなのはヒロインの藤壺なのよね。なのにこの人が弱すぎる……動作面でも心理面でも。
もともと藤壺は前面に出るキャラじゃないにしろ、それは描き方で物語の真ん中に持ってくることは出来たはず。
藤壺も「源氏を彩る女たち」のひとりになってしまい、限界線が下方ストップ、おかげで登場キャラ全員が総モブ化してますがな……いちばん比重高い藤壺があの位置じゃ、他のキャラはそれより下でしかないんだもの、推して知るべし。
もう少しなんとかならなかったのかなあ、ともどかしい。
「源氏物語」自体は、とても面白いプロットなんだもの。
って、単なるわたしの好みの話っす。
切っても切ってもみりおくん、で、みりおくんがいろんな娘役(女装男子含む)とラブシーンやるのを目で楽しむ作品、という位置づけなら、源氏以外等しくモブの方が、観客はフラットに楽しめていいのかも。
昭和時代って「トップさえ扱いが良ければそれでよし」の、トップ圧倒的治世のイメージあるから、この作りこそが当時の正義だったのかもな。
主人公と、もうひとり。主人公に匹敵する比重のキャラクタ。恋人でも敵でもいい。このキャラがいないと物語が成り立たない、くらいの。90分の短編だから、そのもうひとりは主人公と無関係のキャラではなく、愛でも憎でもいいから、主人公とがっつり絡むこと。
主人公と無関係のキャラクタが2番目の比重で物語を回してもかまわないけど、その場合主人公と同じくらいそのキャラのドラマを書き込まなければいけなくなるので、大河ドラマならいざ知らず、90分枠でやるのは物理的に無理がある。無理なことはやらんでいい。
『新源氏物語』がわたし的に「弱い」「ぼけている」と思うのは、光源氏以外に芯となりうるキャラがいないためだ。
源氏ひとりしか芯がなく、あとのキャラはみんな似たり寄ったりのモブ風味。ちょろっと出てきて主役に絡んで終了。
つまんないなあ。『新源氏物語』って「動」で魅せる物語じゃないもの。ハリウッド映画みたいに、派手なアクションとかCGとか、物理的な動きで観客の度肝を抜いて注目させる作品じゃない。ひとの心の動きという、目に見えないものを視覚化して話を進める「静」の物語。
心を追う作品で、キャラクタがモブ系ばっか、ての、残念だわ……。
原作のエピソード消化、キャラクタ多数消化するために、ひとりずつの比重が低くなるのは仕方ない、出てきて絡んで消える消耗品的扱いになるもの仕方ない、だからせめてひとりだけ、源氏に匹敵する比重で書き込んでほしかった。
男ひとりに複数の女性キャラ、主役以外の男役はおいしくなくて、娘役においしい話……というので、『仮面のロマネスク』を思い出す。『仮面のロマネスク』も男役は2番手すらおいしくない……通常作品の3番手あたりの役どころが、なんとか2番手に充てられる、みたいな。
でも『仮面のロマネスク』は弱くないんだよね、物語。だってちゃんと芯がある。主人公ともうひとりが、がっつり物語を回していく。
『仮面のロマネスク』のもうひとり、ってのは、ヒロインだ。物語の動作面でも心理面でも、彼女がしっかりと話を進める。彼女がいないと話も、そして主人公の心も変化しない。
『新源氏物語』はなあ……ヒロインが、弱すぎる。
作品の作りとして、芯になるべきなのはヒロインの藤壺なのよね。なのにこの人が弱すぎる……動作面でも心理面でも。
もともと藤壺は前面に出るキャラじゃないにしろ、それは描き方で物語の真ん中に持ってくることは出来たはず。
藤壺も「源氏を彩る女たち」のひとりになってしまい、限界線が下方ストップ、おかげで登場キャラ全員が総モブ化してますがな……いちばん比重高い藤壺があの位置じゃ、他のキャラはそれより下でしかないんだもの、推して知るべし。
もう少しなんとかならなかったのかなあ、ともどかしい。
「源氏物語」自体は、とても面白いプロットなんだもの。
って、単なるわたしの好みの話っす。
切っても切ってもみりおくん、で、みりおくんがいろんな娘役(女装男子含む)とラブシーンやるのを目で楽しむ作品、という位置づけなら、源氏以外等しくモブの方が、観客はフラットに楽しめていいのかも。
昭和時代って「トップさえ扱いが良ければそれでよし」の、トップ圧倒的治世のイメージあるから、この作りこそが当時の正義だったのかもな。
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