『相続人の肖像』を、ひどいと思う。

 主人公のチャーリーは頭おかしいし、ヒロインもどうかと思うし、主人公のおばーさまもひっでーし。
 ストーリーは破綻しているし、第一につまらないし。

 この話ダメだー、と思い、ダメな理由はいくらでも挙げられるけれどそれら含めてわたしがいちばん許せないのってつまり。

 「物語」の不誠実さ。

 ……に、尽きると思う。


 主人公がキチガイだとかのーみそがナイとか、つまらなくて盛り上がらなくて途方に暮れるとか、別にそれはそれでいいのよ。や、よくないし、文句言うけど(笑)、ただあきれるだけでムカつかない。そこまでの興味も労力もわかない。
 ずんちゃんの格好良さだけで誤魔化される。「つまんなかったなー、でもずんちゃんがカッコよかったからいっかー。衣装似合ってたー」とか。ヅカヲタらしい、あったま悪い感想でまとめることが出来た。
 ヅカに駄作はつきもの、多少の駄作で本気で腹立ててたらヅカヲタなんかやってらんないわ、てな。

 ムカついたのは、創作姿勢。

 この物語の「壊れた部分」のほとんどは主人公チャーリーにある。
 彼が人としてあり得ないくらい、バカであること。ふつーののーみそや感性があれば、絶対しないことばかりをやり続けること。

 でもさ、いくらなんでもおかしいよ。ここまでアホなキャラクタを、何故作る?
 チャーリーをアホだと言って憤慨するのではなく、「何故チャーリーは、あそこまでバカで恥知らずである必要があるのか?」を考える。
 結果には、原因がある。
 チャーリーの知能や人格が「歪められている」部分は、すべて、「物語」の都合による。

ケース1.自分も他人も不幸になるとわかっていて、ヴァネッサを追い出そうとする。
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

ケース2.金目当てで政略結婚を目論む。家名目的の成金娘ではなく、自分に恋している純情一途な幼なじみをターゲットに選ぶ。
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

ケース3.政略結婚しなければならないのに、他の子を愛してしまった! 許されない恋! 破産しても真実の恋を貫く!
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

 ……すべてにおいて。
 あきらかに「おかしい」ところって、「そうしないと、ストーリーが進まない」ところなの。

 チャーリーがヴァネッサを追い出そうとしなければ、政略結婚騒動もなく、ベアトリスを巻き込んだ四角関係にもならず、なんの事件も起こらないまま話は終わっていた。
 チャーリーとイザベルは今の脚本でも、別になにかあって恋に落ちたわけじゃない。なんで恋したのかわかんないレベルだ。それでいいなら、一緒の屋敷で暮らしてたら、なんてことない日常のうちにくっつくだろう。
 開始10分で終了、ですかね。

 それではいかんから、チャーリーにヴァネッサを追い出すと言い張らせる。話を10分で終わらせないために。ストーリー上の「事件」が必要だから、わけわかんない言動を取らせる。
 わけわかんないことだから、周囲は混乱、「大変だ!」と大騒ぎ。

 都心の人であふれるスクランブル交差点で、突然裸踊りしたら騒然となるよね。「なにごと?!」って。怒号が飛び交い、悲鳴が上がり、逃げ出す人や囃し立てる人、制止しようとする人、反応さまざまで大騒ぎ。
 でもふつーの人は、突然裸踊りなんかしない。
 でも、ふつーのままじゃ「物語」にならないから、突然主人公に裸踊りをさせる。それで「大事件だ!」「盛り上がった!」……って。あのー、それで、主人公の人格は……? そんなことをする主人公に、どう感情移入しろと……?

 政略結婚だって、ベアトリスを利用することだって、「する必要のないこと」なのに、チャーリーの意志でやらせる。ストーリー上の「事件」を起こすために。
 イザベルとの恋に障害なんかないのに、「タカラヅカのお約束、許されない恋に悩む」というストーリー上の「事件」を起こすために苦悩させる。

 「事件を起こす」「ストーリーを進める」ことが第一目的で、キャラクタの人格はその「辻褄合わせ」にしか使われていない。
 「こういう性格のキャラクタだから、必然的に裸踊りをするに至ったのだ」ではなく、「裸踊りをする必要が主人公にではなく、作者にあった、だから主人公は裸踊りをした」、なんだ。主人公自身には裸踊りする理由はない。
 で、作者は「そんな性格なんだよ。そんな人も世の中にいるよ」と、あとから理由付けする。……そりゃ、どんな性格の人間だって地球上にはいるだろうけど、そんな変質者をなんで宝塚歌劇の主人公にしなけりゃならないんだ。

 わたしが許せないのは、そこなんだ。
 人混みで突然裸踊りをすりゃ、そりゃ騒ぎになるよ。でもそれって、禁じ手じゃないの?
 どんなドラマティックな展開だって、主人公の人格と知能を無視すれば、いくらでも作れるよ。出来事に合わせて、いくらでも性格や言動を変えればいいんだもん。あきらかにおかしな行動だって「そんな性格なんです」って言えばいい。

 「遺言に従わなければ無一文」「みんなを守るために政略結婚」「一途に愛してくれる幼なじみ、その弟で幼なじみの親友、憎い仇の娘、との四角関係」「障害を乗り越えて愛し合うふたりがハッピーエンド」……盛り上がりそうな「事件」だけ作って、それらをつないで機能させる努力はしない。主人公の人格や知能を無くし、「盛り上がる方へ」選択させ続ける。
 なんて簡単なお仕事。

 イザベルとチャーリーが結婚すれば遺産相続できて、ハッピーエンド……と最初からわかっているのに、そのことに誰も気づかず、ふたりが結婚すると破滅だ!!と大騒ぎする「クライマックス」を観て、絶望した。
 それまでくすぶっていたモノが爆発したのは、そこでわかったからだ。
 今までの疑問、不快さの答えが「手抜き」によるものだと。

 なんで裸踊りするような人が主人公なんだろう……? 不快だわ、そんな主人公、と思って観ていたら、「別に理由はないよ。だって裸踊りしないと、話が進まないんだもーん」という答えを聞かされ、ちゃぶ台返しそーになった、てなもん。

 わたしダメなのよ、不誠実な創作物。
 たとえつまらなくても、破綻しまくっていても、作者が「俺はコレが描きたいんどぅわああぁぁっ!!」って鼻血出しながら書いてるモノとか、「倒れるまで必死に書きました、出来はともかく、これが今の私の精一杯です」てなモノなら、OKなの。
 伝わるじゃん、そーゆーの。
 原作に敬意のないメディアミックス作品とか、消費者(客)を見下した片手間作品とか、作り手の態度や誠意ってのは伝わってしまうから、わたしのよーな文句多い人間以外の、一般の方々だってそのテのモノを嘆いてるじゃん。

 主人公やキャラクタの人格や知能をぶっ壊して、都合良くストーリーを回すことだけ考えた作品は、わたしの逆ツボ。
 拒絶反応出る。

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