嘘とハッタリと幻想と。@メランコリック・ジゴロ
2015年10月28日 タカラヅカ フォンダリ@すっしーのひとり勝ちに見えた。
宙組全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』のフォンダリ一家。
ルシル@うらら様を観ながら、不自由な人だなあ、と思った。
なんでこんなに似合わない格好してるんだろう、せっかく美人なのに。
そう思った。
まずビジュアルから違和感を持ったわけだ。
……「ルシル」として生きているなら、思わないよなあ、「似合わない格好」とは。だってルシルはそのテイストでその年齢まで生きて、日常を送っているんだもの。
美しいのも品があるのも考えもの。なんとも収まりが悪い。
そして、「柄違いの役」をねじ伏せるほど、演技力に恵まれた人でもナイので……彼女の最大の武器「美貌と、そこから出る雰囲気」を使えないと、アウェイ感丸出しになっちゃうのな。
ミスマッチのおかしさ、というものはある。
気品ある美女が下品な格好で野蛮なことを言う、ギャップゆえの面白さ。
演出家もそれを狙って配役したのかもしれない。
でもそれなら、相手役は彼女の芝居を受けられる人にしないと……。
ルシルの相手役は、バロット@愛ちゃん。
愛ちゃんはコメディを得意とするスターさん。
でも、彼の得意なお笑いキャラって、バロットと対極にあるキャラじゃね?
能動的というか、自分からガツガツおかしなことを言い、笑わせるタイプ。
バロットは正塚作品らしい「間」で笑わせるキャラクタだからなあ。正塚芝居出来ない人がやると、キャラの色がくすむなあ。
うらら様と愛ちゃんは、シリアスに愛を語るとかの方がハマるんじゃないかな。
正塚芝居のコメディリリーフは任じゃないというか……向いてなさ過ぎて分が悪いというか……。すっしーひとり勝ち。
てなわけで、わたしにはよりくっきりと、主役ダニエル@まぁくんが浮かび上がって見えた。
ああ、ダニエル主役だねえ……。
彼がこの物語の中心にいて、彼がなんやかんや言いつつ回しているんだねえ。
や、そもそも主役ってそういうもんだけど。『メラコリ』って主役がいちばんふつうで常識人、周囲はとんでもない人ばっかで大変、へたすりゃ主役目立たないよ!的な作りだから。
ふつーの言動をしてるだけでも、ちゃんと主役として立ち、話を進めていることに感心。
かっこいいなあ、まぁくん。
フェリシア@みりおんは、言うほどトロい女の子には見えず……図書館でも先輩とフェリシアだと、先輩の方がイラッとくるキャラだよな、と思えちゃうあたりなあ……(笑)。
ダニエルとの場面も、台詞もちょっと変わってる? どこか忘れちゃったけど、観ていて「あれ? 違う?」と思う箇所があったよーな。
つか、ラストがいちばんちがっているような。
みりおんが演じると、リアルになる。現実味のある女の子が浮かび上がってくる。
だから、いかにもフィクションなトロ子ではなく、現実の範囲内の不器用な女の子になるんだろうな。
ファンタジー感は薄れるのだけど、それはみりおんの持つ味、カラーってやつだから、それゆえの魅力を出していけばいい。
まぁ様は適度に嘘くさい人(褒め言葉)なので、みりおんの現実味とバランスが取れるといいな。
なんか勝手に「正塚ってかずきそらタイプ好きじゃね?」と思い込んでいたので、そらくんがモブっていることに違和感を持ちました。や、勝手に。なんの根拠もなく。メインキャラじゃなくても、もっとオイシイ使い方するのかなと。勝手に。
『スカウト』でだいもんモブなんだー、へー、と思ったのを思い出した。や、だから根拠なし、ただなんとなく、わたしの中でこの辺つながっているらしい(笑)。
全ツは再演作品が基本とはいえ、まぁくんに正塚が来るとは意外だった。
だって正塚作品のまぁくん、扱いがいつもひどかったからなー。
『La Esmeralda』新公では台詞ひとつふたつのモブ(同期や下級生が番手役)、『カナリア』再演では3番手役が7期も下の子で、まぁくんは4番手役やってたんすよ、大劇場本公演で3番手役を役替わりで演じているようなときに、別箱公演で番手オトされるって……。
まあ、正塚せんせ、個性的な配役するからなー。
『カナリア』を観たモノとしては、感慨深いっす……正塚作品で主役を演じているまぁくん!!
ただ、なんつーか、まぁくんは正塚役者ではないんだなあ、と思った。正塚芝居で主役を演じているからこそ、感じた。
育ちってのは出てしまうものなのか……まぁくんって現代の若者なんだけど、植爺-谷ラインにがっつり育てられた人、という感じ。大芝居系っていうか。
だからこそ正塚とは接点なくきたんだろうな、とか、だからこそ真ん中向きなんだろうなとか、とりとめなく考えた。
まぁくんの持つ嘘くささ(褒め言葉)は、ヅカの骨組みである「大仰な嘘」にしっかり根っこを張って育ってきたところにあるのかなと思ってみたり。
タカラヅカに必要なのは「幻想(嘘、ハッタリ)」だもん。
植爺や谷の歌舞伎や時代劇は、タカラヅカというファンタジーを作る方法のひとつだった。や、現代では古すぎて、そのまんまじゃ無理なんだけど。
まぁくんは花組御曹司として劇団重鎮に育てられたもんだから、その古い基盤をしっかり踏襲していて、その上で今風のチャラい芸風を後天的に意識的に身に付けたもんだから……イイ感じにミックスされてる。
これからも愉しみだなー。
宙組全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』のフォンダリ一家。
ルシル@うらら様を観ながら、不自由な人だなあ、と思った。
なんでこんなに似合わない格好してるんだろう、せっかく美人なのに。
そう思った。
まずビジュアルから違和感を持ったわけだ。
……「ルシル」として生きているなら、思わないよなあ、「似合わない格好」とは。だってルシルはそのテイストでその年齢まで生きて、日常を送っているんだもの。
美しいのも品があるのも考えもの。なんとも収まりが悪い。
そして、「柄違いの役」をねじ伏せるほど、演技力に恵まれた人でもナイので……彼女の最大の武器「美貌と、そこから出る雰囲気」を使えないと、アウェイ感丸出しになっちゃうのな。
ミスマッチのおかしさ、というものはある。
気品ある美女が下品な格好で野蛮なことを言う、ギャップゆえの面白さ。
演出家もそれを狙って配役したのかもしれない。
でもそれなら、相手役は彼女の芝居を受けられる人にしないと……。
ルシルの相手役は、バロット@愛ちゃん。
愛ちゃんはコメディを得意とするスターさん。
でも、彼の得意なお笑いキャラって、バロットと対極にあるキャラじゃね?
能動的というか、自分からガツガツおかしなことを言い、笑わせるタイプ。
バロットは正塚作品らしい「間」で笑わせるキャラクタだからなあ。正塚芝居出来ない人がやると、キャラの色がくすむなあ。
うらら様と愛ちゃんは、シリアスに愛を語るとかの方がハマるんじゃないかな。
正塚芝居のコメディリリーフは任じゃないというか……向いてなさ過ぎて分が悪いというか……。すっしーひとり勝ち。
てなわけで、わたしにはよりくっきりと、主役ダニエル@まぁくんが浮かび上がって見えた。
ああ、ダニエル主役だねえ……。
彼がこの物語の中心にいて、彼がなんやかんや言いつつ回しているんだねえ。
や、そもそも主役ってそういうもんだけど。『メラコリ』って主役がいちばんふつうで常識人、周囲はとんでもない人ばっかで大変、へたすりゃ主役目立たないよ!的な作りだから。
ふつーの言動をしてるだけでも、ちゃんと主役として立ち、話を進めていることに感心。
かっこいいなあ、まぁくん。
フェリシア@みりおんは、言うほどトロい女の子には見えず……図書館でも先輩とフェリシアだと、先輩の方がイラッとくるキャラだよな、と思えちゃうあたりなあ……(笑)。
ダニエルとの場面も、台詞もちょっと変わってる? どこか忘れちゃったけど、観ていて「あれ? 違う?」と思う箇所があったよーな。
つか、ラストがいちばんちがっているような。
みりおんが演じると、リアルになる。現実味のある女の子が浮かび上がってくる。
だから、いかにもフィクションなトロ子ではなく、現実の範囲内の不器用な女の子になるんだろうな。
ファンタジー感は薄れるのだけど、それはみりおんの持つ味、カラーってやつだから、それゆえの魅力を出していけばいい。
まぁ様は適度に嘘くさい人(褒め言葉)なので、みりおんの現実味とバランスが取れるといいな。
なんか勝手に「正塚ってかずきそらタイプ好きじゃね?」と思い込んでいたので、そらくんがモブっていることに違和感を持ちました。や、勝手に。なんの根拠もなく。メインキャラじゃなくても、もっとオイシイ使い方するのかなと。勝手に。
『スカウト』でだいもんモブなんだー、へー、と思ったのを思い出した。や、だから根拠なし、ただなんとなく、わたしの中でこの辺つながっているらしい(笑)。
全ツは再演作品が基本とはいえ、まぁくんに正塚が来るとは意外だった。
だって正塚作品のまぁくん、扱いがいつもひどかったからなー。
『La Esmeralda』新公では台詞ひとつふたつのモブ(同期や下級生が番手役)、『カナリア』再演では3番手役が7期も下の子で、まぁくんは4番手役やってたんすよ、大劇場本公演で3番手役を役替わりで演じているようなときに、別箱公演で番手オトされるって……。
まあ、正塚せんせ、個性的な配役するからなー。
『カナリア』を観たモノとしては、感慨深いっす……正塚作品で主役を演じているまぁくん!!
ただ、なんつーか、まぁくんは正塚役者ではないんだなあ、と思った。正塚芝居で主役を演じているからこそ、感じた。
育ちってのは出てしまうものなのか……まぁくんって現代の若者なんだけど、植爺-谷ラインにがっつり育てられた人、という感じ。大芝居系っていうか。
だからこそ正塚とは接点なくきたんだろうな、とか、だからこそ真ん中向きなんだろうなとか、とりとめなく考えた。
まぁくんの持つ嘘くささ(褒め言葉)は、ヅカの骨組みである「大仰な嘘」にしっかり根っこを張って育ってきたところにあるのかなと思ってみたり。
タカラヅカに必要なのは「幻想(嘘、ハッタリ)」だもん。
植爺や谷の歌舞伎や時代劇は、タカラヅカというファンタジーを作る方法のひとつだった。や、現代では古すぎて、そのまんまじゃ無理なんだけど。
まぁくんは花組御曹司として劇団重鎮に育てられたもんだから、その古い基盤をしっかり踏襲していて、その上で今風のチャラい芸風を後天的に意識的に身に付けたもんだから……イイ感じにミックスされてる。
これからも愉しみだなー。
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