『舞音-MANON-』を観て、シャルルが許されるためには、ナニが必要か、を、考えた。

 主人公のシャルル・ド・デュラン@まさお。
 [インドシナ駐在を命じられた、フランスの若きエリート海軍将校]だそうだ。

 このシャルルくんは美しい婚約者も、優しい親友も、恩ある上官もいるのに、それらすべて裏切って、捨てて、恋に走る。
 女にゼイタクをさせるために、犯罪にまで手を染める。
 でも、女を守ることも出来ず、女は政府に捕らえられ、拷問された上に結局殺されてしまう。

 シャルルくんは、あまりにも無力だ。
 てゆーか、なんにもしてない。

 わたしは彼があまりにしどころがなくて、驚いた。
 や、だって、主人公ですよ……? トップスターの役ですよ……?
 なんでこんなにも、いいところ皆無なの……?

 原作『マノン・レスコー』がそういう話なんです、という逃げ口上はいらない。そういう話はしていない。
 宝塚歌劇『舞音-MANON-』の主人公シャルルの話だ。

 シャルルのいいところ、って、ナニ……?
 家柄とか身分とか地位とかは、全部捨てちゃうから、ナイのと同じ。
 えーっとえーと、シャルルのいいところ……。

 顔。

 ハンサムだ。きれいだ。美形だ。

 …………以上。
 え、以上? これだけ?

 他はもお、ろくなことしてないか、ろくなこと以前にナニもしてない……。

 これじゃ、この主人公に感情移入できない、好意を持てない。

 いったいどうすれば、ナニがあれば、シャルルは「主人公」としてアリになるだろう? 許されるだろう?

 『舞音-MANON-』は、たぶん『舞姫-MAIHIME-』と関連している。
 モチーフがかぶるんだ。作者自身、意識して似せているんだろう。
 シャルルの造形は『舞姫-MAIHIME-』主人公の豊太郎と酷似している。

 家族も仕事もありながら、赴任先で踊り子に恋をして、義務と責任を捨てて色欲に走る。
 踊り子とはベッドでのラブラブいちゃいちゃシーンもあり。
「目を覚ませ」と親身に意見してくれる親友もいる。

 この上豊太郎は、結局踊り子エリスを捨てて日本へ帰るんだよね。捨てられたエリスは哀れ発狂。

 最後まで舞音@ちゃぴを愛し抜くシャルルの方がまだマシじゃん?
 なのに、「ナイわー」度は、断然シャルルが上。

 シャルルの描き方が間違ってるんだと思う。
 出世をあきらめるとか婚約者を捨てるとか犯罪に手を染めるとか、「愛のために」彼がやっていることは、「独りよがり」で彼を魅力的に見せない。個人的なことなんだよね。
 「彼女のために、(親に買ってもらった)馬を売る!!(ドヤァ!!)」と言われても(中村A作『マノン』の名台詞)、はぁ?だし。ものすごい犠牲払ってるつもりなんだろうけど、別にソレ、アンタの勝手で、ぜんぜん犠牲になってなくね? てなもんで。
 愛に生きる、プラス面として描いている部分が、マイナスに見える。

 そして、シャルルが「優秀」な面を描けていない。
 ベトナムにやって来たシャルルは、「はじめての海外旅行♪ どんな出会いが待っているかしら、もうひとりの自分の存在に気づいた気分」とふわふわ夢見る若いOLさんみたいなことしか、していない。
 えーと、軍人さんなんだよね? 将校なんだよね? どんだけお花畑……。
 軍人としての実績、優秀であるという具体的エピソードもないまま、「運命の出会い」をして、会った数時間後にベッドイン、キャッキャウフフ、突き放されてがーん、お前なんか嫌いだー! でもやっぱり好きだー! 婚約者さよーならー!
 で、あとはもう身を持ち崩してるし。舞音の取りまきに嫉妬したり器の小さい言動しか取らないし、彼女が捕らえられてもナニも出来ないし。

 豊太郎が許されたのは、彼が優秀な官僚で、仕事もばりばりやってたからだな。差別や偏見と闘いながら、心優しく真面目に生きていた。
 まず彼のいいところをしっかり描いておいて、「こんなに素晴らしい男が、愛ゆえにすべてを捨てる」というカタルシスへつなげた。

 シャルルは最初の「優秀な人間」「愛すべき人間」であることを、描けてないんだわ……。
 しょっぱなから、マイナス要因ばっかなんだわ……。

 それともうひとつ。
 ストーリーの軸が、シャルルの恋だけでなく、独立運動にもあった。
 てゆーか、シャルルはナニもしないので、ストーリーのアクション部分、「動く」部分はシャルルとは無関係の独立運動が担う。
 これでシャルルが独立運動の中枢としてがっつり働くならいいけど、そうじゃないのに「動く」部分が見た目派手なレボリューションに置かれてしまうと、「蚊帳の外」のシャルルはそれだけでマイナスが付く。

 これじゃシャルルに好意も持ちにくいし、感情移入もしにくい。
 不要な「もう一人のシャルル」はちょろちょろしているし、「革命だー!」「自由、平等、博愛!」「シトワイヤン行こうーーー!!」てな、「横暴な権力者に歌で対抗」がはじまったり、え、これなんの話だっけぽかーん……うわ、みやるり喋ったー!! つかその台詞いらねーー!!

 という、怒濤の客席「置いてけぼり」展開。

 まあとりあえず、舞音死ぬから客席泣くし。
 人が死んだら反射的に泣く層は、絶対いるからねー。
 『長崎しぐれ坂』のラストのホモ心中舟でも、客席泣いててわたしはぽかーんだったもの。


 はい、景子せんせの欠点のひとつ。

 主人公が、ナニもしない。

 描きたいことが他にあるもんだから、主人公ってただのコマなのよね。
 主人公を書き込むことを忘れてるから、出来上がったあとで「あれ? ぶっちゃけ、主人公いらなくね?」になる。

 アテ書きでもないからねえ。
 それでも踏みとどまって、自力で魅力を出すのがトップスターの仕事、ともいう。

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