昭和は遠くにありて思うモノ。@哀しみのコルドバ
2015年11月22日 タカラヅカ 雪組全国ツアー『哀しみのコルドバ』初日観劇。
『哀しみのコルドバ』を観るのは3回目。観劇回数ではなくて、その興行自体を観る回数。
再演の安寿ミラ版と、再々演の真飛聖版を観てきて、今回の早霧せいな版が、3回目。
記憶が強いのは、まとぶん版。
なんやかんや言いつつ、通いましたから。
花形闘牛士エリオ@ちぎは、初恋の相手エバ@みゆと再会した。恋の真っ只中で大人の力で別れされられたふたりだ、大人になって再会し、燃え上がらないはずがナイ。
でもエリオにはアンフェリータ@あんりという婚約者がいるし、エバにもロメロ@だいもんというパトロンがいた。四角関係大変!!
エバをめぐってエリオとロメロが決闘だ!! 引き金が引かれるまさにそのとき、エリオとエバの母たちが叫ぶ。「お前たちは実の兄妹だ」と。……まさかの兄妹オチ!!(白目)
そうだよね、昭和ってこういう時代だったよね。嘆きのエリオは、エバにはナニも知らせず、最期の闘牛に向かう……てな。
なんつーか、まとぶん版とは印象が違った。
同じ話のはずだが……あれ? 記憶にあるモノと違う……この作品、こんなに薄かったっけ?
なんか、さらっと流れていく。いろんなことが。
熱血かつ苦悩キャラ得意のちぎくんだし芝居巧者のみゆちゃんだし、この「実は兄妹だったのだーー! ががーん!!」なんつー昭和ノリの悲劇を、さぞや華麗に盛り上げてくれるだろうと期待していたの。
でもなんか、昭和らしさは感じられず、わりと淡々と過ぎていく感じ。
あれえ?
といっても、ちぎくんが悪いという気もしない、問題ないと思う……てことは、だ。
わたしの記憶にあるモノの方が、独特だったんじゃないか?
そうか、まとぶんは、クドかったんだな……。
ギトギトにクドかったんだわ……。
このクラシカルな悲劇を、これでもかと大歌舞伎に、昭和万歳に演じてたんだな……。
まとぶさん、劇団推しスターの宿命、植爺-谷ラインで英才教育受けちゃったクチだもんな……。しかも当時の星組って、植爺の専属組ってイメージだったし。
そんな際立ったお育ちのスター様は、典型的星芝居……大仰でクドくてギトギトですよ、平成入団でも芸風は昭和ですよ。
彩音ちゃんは、今でいうならキサキちゃんタイプ。かわいくて目を引くけれど、抜擢デビュー当時は喋るとびっくり棒読み大根芝居、ダンスは出来るけど歌は大変、という震撼レベルだったわ……。でも路線スターとして集中教育を受けるうちに、お芝居は改善された……が、決してうまいわけじゃない、こなせる役が増えたとか粗が目立たなくなったとかそんなあたり……なんだけどきれいだからいいや、てな。
そんな彩音ちゃんだからもちろん、技量的には期待薄く、美貌と雰囲気優先、独自の芝居をするスキルのない彼女は、ただひたすらまとぶに付いて行った、まとぶの色を映した(染まるだけの技量はない)。
結果、ひとりすごい熱量でぶっちぎるまとぶに、彩音ちゃんは足を引っ張ることなく邪魔することなく、追従できたんだな。この作品に限らず、まとあや時代ずっと。
そして出来上がる、クドくアツい独特のねばっこい舞台。まとぶ時代の花組の特徴。
そして、花組育ちで典型的花男のみわっちが、まとぶんのこの熱量と粘度の高い芸風と親和性が高かった。
まとぶん+みわっち、って、混ぜるな危険、だよなあ……。このふたりが組むと、昭和度半端ナイっちゅーか、手が付けられないよなー(笑)。みわっちも植爺-谷の申し子だしな。
泣き芝居をさせるとウザいくらい。てのが、古き良きタカラヅカファンや高齢演出家のニーズに合ったんだろうな。
そして、現代のヅカファンのニーズには合致していなかった。……人気なかったよ、まとぶん。
でもって、この濃ゆい人たちの間で、割を食っていたのがゆーひくん。
薄い体温低い芝居が売りの彼は、すげー勢いで空回るまとぶん相手に一歩も二歩も下がって芝居をしていた印象。や、ヘタに近づくとぶつかるしねえ……。
まとぶとゆーひは相性良くなかったよな……劇団もわかってて、すぐに離しちゃったけど。
微妙だったな……遠い目。
それを思えば、ちぎみゆの薄い芝居は、別に薄いんじゃなくて、これでちょうどいいんだろうな。
わたしがギトギトに慣れてしまっていただけで。
薄く現代的になった『哀しみのコルドバ』は……なんだろ、悲劇っぷりも薄くなった気がする。
ウザくて大嫌いだった両ママ役とか占い師とか、「お前らもっとふつうに喋れっ!!」と出て来るたびイライラしたもんだけど、今回はそんなこともなく、むしろ「え、これだけ?」と拍子抜け。
苛つかなかった分、心にやさしい……はずが、なんだろう、物足りない(笑)。
引っかかりがなく、ただ流れていってしまう。
あれ? こんなもん?
どちらがいいも悪いもない。わたし別に、前回の花全ツ自体はそれほど好きでもなかったし。「このラストシーンは盆が回ってこそだよなー。盆のない全ツでやってもなー。でももう本公演でやっていい芝居じゃないしな古すぎる」と俯瞰していたクチだし。
古くて嫌いな部分が多く、観ていて苛々する。が、好きな部分も多い。トータルして好きな作品かな。再演が決まるとわくわくするから、やっぱ好きなんだと思う。
ただ、苛々しても花全ツは「好き」と思える部分が多く、「大して苛つかないけど好きな部分も薄かった」のが、今回の雪全ツかな。
むー。どっちもどっちね、それ……。
ちぎくんの熱血持ち味ゆえに、まとぶと同じタイプを期待していたけれど、こうして見るとかなり違うんだなあ、ということが発見できて、それがいちばんの収穫かもしれない。
『哀しみのコルドバ』を観るのは3回目。観劇回数ではなくて、その興行自体を観る回数。
再演の安寿ミラ版と、再々演の真飛聖版を観てきて、今回の早霧せいな版が、3回目。
記憶が強いのは、まとぶん版。
なんやかんや言いつつ、通いましたから。
花形闘牛士エリオ@ちぎは、初恋の相手エバ@みゆと再会した。恋の真っ只中で大人の力で別れされられたふたりだ、大人になって再会し、燃え上がらないはずがナイ。
でもエリオにはアンフェリータ@あんりという婚約者がいるし、エバにもロメロ@だいもんというパトロンがいた。四角関係大変!!
エバをめぐってエリオとロメロが決闘だ!! 引き金が引かれるまさにそのとき、エリオとエバの母たちが叫ぶ。「お前たちは実の兄妹だ」と。……まさかの兄妹オチ!!(白目)
そうだよね、昭和ってこういう時代だったよね。嘆きのエリオは、エバにはナニも知らせず、最期の闘牛に向かう……てな。
なんつーか、まとぶん版とは印象が違った。
同じ話のはずだが……あれ? 記憶にあるモノと違う……この作品、こんなに薄かったっけ?
なんか、さらっと流れていく。いろんなことが。
熱血かつ苦悩キャラ得意のちぎくんだし芝居巧者のみゆちゃんだし、この「実は兄妹だったのだーー! ががーん!!」なんつー昭和ノリの悲劇を、さぞや華麗に盛り上げてくれるだろうと期待していたの。
でもなんか、昭和らしさは感じられず、わりと淡々と過ぎていく感じ。
あれえ?
といっても、ちぎくんが悪いという気もしない、問題ないと思う……てことは、だ。
わたしの記憶にあるモノの方が、独特だったんじゃないか?
そうか、まとぶんは、クドかったんだな……。
ギトギトにクドかったんだわ……。
このクラシカルな悲劇を、これでもかと大歌舞伎に、昭和万歳に演じてたんだな……。
まとぶさん、劇団推しスターの宿命、植爺-谷ラインで英才教育受けちゃったクチだもんな……。しかも当時の星組って、植爺の専属組ってイメージだったし。
そんな際立ったお育ちのスター様は、典型的星芝居……大仰でクドくてギトギトですよ、平成入団でも芸風は昭和ですよ。
彩音ちゃんは、今でいうならキサキちゃんタイプ。かわいくて目を引くけれど、抜擢デビュー当時は喋るとびっくり棒読み大根芝居、ダンスは出来るけど歌は大変、という震撼レベルだったわ……。でも路線スターとして集中教育を受けるうちに、お芝居は改善された……が、決してうまいわけじゃない、こなせる役が増えたとか粗が目立たなくなったとかそんなあたり……なんだけどきれいだからいいや、てな。
そんな彩音ちゃんだからもちろん、技量的には期待薄く、美貌と雰囲気優先、独自の芝居をするスキルのない彼女は、ただひたすらまとぶに付いて行った、まとぶの色を映した(染まるだけの技量はない)。
結果、ひとりすごい熱量でぶっちぎるまとぶに、彩音ちゃんは足を引っ張ることなく邪魔することなく、追従できたんだな。この作品に限らず、まとあや時代ずっと。
そして出来上がる、クドくアツい独特のねばっこい舞台。まとぶ時代の花組の特徴。
そして、花組育ちで典型的花男のみわっちが、まとぶんのこの熱量と粘度の高い芸風と親和性が高かった。
まとぶん+みわっち、って、混ぜるな危険、だよなあ……。このふたりが組むと、昭和度半端ナイっちゅーか、手が付けられないよなー(笑)。みわっちも植爺-谷の申し子だしな。
泣き芝居をさせるとウザいくらい。てのが、古き良きタカラヅカファンや高齢演出家のニーズに合ったんだろうな。
そして、現代のヅカファンのニーズには合致していなかった。……人気なかったよ、まとぶん。
でもって、この濃ゆい人たちの間で、割を食っていたのがゆーひくん。
薄い体温低い芝居が売りの彼は、すげー勢いで空回るまとぶん相手に一歩も二歩も下がって芝居をしていた印象。や、ヘタに近づくとぶつかるしねえ……。
まとぶとゆーひは相性良くなかったよな……劇団もわかってて、すぐに離しちゃったけど。
微妙だったな……遠い目。
それを思えば、ちぎみゆの薄い芝居は、別に薄いんじゃなくて、これでちょうどいいんだろうな。
わたしがギトギトに慣れてしまっていただけで。
薄く現代的になった『哀しみのコルドバ』は……なんだろ、悲劇っぷりも薄くなった気がする。
ウザくて大嫌いだった両ママ役とか占い師とか、「お前らもっとふつうに喋れっ!!」と出て来るたびイライラしたもんだけど、今回はそんなこともなく、むしろ「え、これだけ?」と拍子抜け。
苛つかなかった分、心にやさしい……はずが、なんだろう、物足りない(笑)。
引っかかりがなく、ただ流れていってしまう。
あれ? こんなもん?
どちらがいいも悪いもない。わたし別に、前回の花全ツ自体はそれほど好きでもなかったし。「このラストシーンは盆が回ってこそだよなー。盆のない全ツでやってもなー。でももう本公演でやっていい芝居じゃないしな古すぎる」と俯瞰していたクチだし。
古くて嫌いな部分が多く、観ていて苛々する。が、好きな部分も多い。トータルして好きな作品かな。再演が決まるとわくわくするから、やっぱ好きなんだと思う。
ただ、苛々しても花全ツは「好き」と思える部分が多く、「大して苛つかないけど好きな部分も薄かった」のが、今回の雪全ツかな。
むー。どっちもどっちね、それ……。
ちぎくんの熱血持ち味ゆえに、まとぶと同じタイプを期待していたけれど、こうして見るとかなり違うんだなあ、ということが発見できて、それがいちばんの収穫かもしれない。
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