わたしの「美」を計る単位、「ケロに似ている」。

 わたしのかつてのご贔屓、ケロちゃんを彷彿とさせる、という意味です。物理的に顔が似ているということではなく、もっと数値化できない部分での相似。
 や、わたしとしては物理的に似ていると思ったのだけど、他人に話しても理解を得られなかったので、どうやらチガウらしいと判断。
 わたしの「好みである」ということ、わたしが「美しいと思う」場合、わたしの脳はソレを「ケロに似ている」と判断するらしい。

 好みのモノすべてをそう思うわけでもないので、どこで「ケロセンサー」が発動するのかは、依然謎のままだ。
 だが時折思うんだ、「ケロに似ている」。
 唐突に。

 雪組バウホール公演『銀二貫』千秋楽にて。

 わたしは思った。

 あ、ケロに似ている。

 松吉@かなとくんを見て。

 初日のかなとくんはよくやっているけれど、作品の力に乗っているだけでまだ作品をモノにしているとは思えず、かっこいいと言えない松吉という役をそのまんま、かっこよく見えにくいまま演じていた。
 だから油断していたよ。
 千秋楽にはもっとうまくなっているだろう、よく演じるようになっているだろう、というのは想定内だったけれど。

 ケロに似ている、とか、そんなの考えたことない。
 てゆーかしばらく忘れてた、この単位。最後に思ったのはいつ、誰に対してだ?
 まっつラブになっちゃってから、そしてまっつロスが深刻な今、まっつに似た人・まっつを彷彿とさせる人ばかりに気が行っちゃってるからねえ。ケロセンサーのことなんかマジ忘れてたわ。(ちなみに、まっつのことも「ケロに似ている」と思ってました、まっつにハマった当初)
 マイティーは物理的にケロに似ているから、やたらと「ケロに似ている」「ケロを思い出す」とゆーてますが、それとは別だからねー。

 ほんとに、考えたこともなかった。想像だにしない、そもそも忘れていた。
 なのに思った。
 ケロに似ている。

 どきん、とした。
 あ、ケロに似ている。

 そして、どきどきした。
 どきどきしまくった。

 ケロに似ている。
 ケロに似て……ああつまり、かっこいい。

 かっこよくないのに。
 松吉なんて役。ぜんぜんかっこよくない、「タカラヅカ」の美しさじゃないのに。

 なのに、かっこいい。

 てゆーかなんでもう千秋楽なの?!

 初日の松吉には満足できなかった。わたしは。
 作品に乗せられて存在しているだけに見えた。かっこよくない役だけど、それでもかっこよく見せてしまうのがスターの仕事、かなとくんは脚本にある通りの松吉をやっているだけで、ふつーの劇団ならそれでいいんだけど、「タカラヅカ」では足りない、脚本がどうであれ、それを超えた「かっこよさ」を出さなきゃいけないのよ、それが出来てないわ、到達していないわと思った。
 そして千秋楽。
 まだ、足りない。
 初日に比べれば良くなっているけれど、まだ作品を乗りこなしてない。その証拠にかっこよくな……あ、あれ? か、……かっこ、いい……。あ、あれ?

 まだいける。
 まだ先がある。
 これが最高峰、到達点だと思わない。まだ中間、まだ過渡期、ただの通過点でしょう?
 なのにもう千秋楽? もう終わり?
 待ってくれ、まだ足りない。

 月城かなとは、まだ先がある。

 そう思った。
 器用じゃないんだろう、スロースターターなんだろう。それじゃダメなのかもしんない、舞台人には瞬発力必須、走り出した瞬間トップスピードに乗る人が強い、それはわかってる。
 だけど待ってくれ、かなとくんはまだ変化している最中だ。
 ケロに似ている、どきっとするほどかっこよくなっている……わたし好みのナニかを醸し出している……しかし、まだ作品に負けている、勝ってない……待って、待ってくれ。
 わたしは見たい。
 月城かなとの行く先を、見てみたい。

 どきどきしながら、そう思いました。

 まだ足りない、まだ、まだ……そう「未だ」……完成形ではナイ、未来と可能性を感じさせることが、かなとくんの魅力なのかもしれない。

 もっと見たい。
 わたしは、かなとくんをもっと見ていたいよ。
 主演公演を観てなお、飢餓感がある。強い欲を持つ。
 これを長所……魅力とするならば、まったくもっておそろしい魅力だ(笑)。

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