いっそ天使でいいのに。@新人公演『舞音-MANON-』
2015年12月3日 タカラヅカ 月組新人公演『舞音-MANON-』を観て、痛烈に思った。
もう一人のシャルル、いらねえええ!!
本公演を観たとき、「もう一人のシャルル」いらんやろ、と思った。
存在する意味がない。
シャルルはわかりやすい男で、内面を表すキャラなんぞいらんからストーリー的に無用だし、観念的存在だということがわからないから演出的にも不要。
まあ唯一存在価値があるとすれば、みやるりがやっている、ということ。
みやるりは、月組の番手スターで美しくて人気がある人。(何番手かわからないのは、現在の……というか、ここ数年来の月組の闇)
番手スターが目立つ役をするのはピラミッド制度を取るタカラヅカとして正しいことだし、美しい人が画面にいるのは芸能として正しいことだし、人気のある人を重用するのは商業的に正しい。
ストーリー的にも演出的にも意味のない役に、それでも価値があるのは、ひとえにみやるりが演じているから。
……そう思っていた。そう書いた。
では、新人公演ではどうなる?
当然、新公にみやるりはいない。「もう一人のシャルル」を演じるのは研3の男の子、英かおとくん。『A-EN』でいきなり3番手だった子だ。バウで大抜擢した直後に新公でみやるりの役、ってすげーぐいぐい推してますな。
スタイルが良くて実力的にも破綻ナイ丸顔少年。かおとくん自体は、成長が楽しみな期待の新人。
だがしかし。
「みやるりがやる」以外に価値のナイ役を、別の子がやった場合、どうなるか。
「いらんやろ」というゆるい感想は、「いらねえええ!!」という強い拒否反応にレベルアップした。
まずかおとくんは、シャルル@あーさとカケラも似ていない。
身長も頭身も顔も雰囲気も、なにひとつ相似したモノがナイ。これだけかすりもしていない子を「もうひとりのあーさ」と呼ぶなんて、むちゃくちゃやわー。
まさおとみやるりはそれでも、体型や雰囲気など似たところはあるからねえ。ニコイチで並ぶと映りがいいくらいには、互いを邪魔しない空気感を持つ。
そんなみやるりですら「もうひとりのまさお」なんて観念的存在には見えず、別の生きた人間の役に見えて演出の拙さを露呈していたってのに。
新公で、なにもかも「別の世界から来ました」てな子を「もうひとりのあーさ」にするとか、ひどいわー。
かおとくんを抜擢したい、目立たせたいんだろうけど、これは彼のためにならないと思った。
主役のあーさありき、の配役でないことが丸わかり。主演者や作品、そしてそれを観る観客のことを考えれば、もう一人のシャルル役はあーさと似た姿や雰囲気のある子にしただろう。
また、伸び盛りの若者から、1公演台詞や歌を奪ってしまうのは、成長を遅らせることになる。まったくの脇のダンサー育成とかある程度育った中堅などなら、問題ないだろうけど……新公は下級生に台詞や歌を勉強させる貴重な場だ。ダンスだけなら本公演のモブでもあるし客に観てもらえるけど、台詞と歌はソロでなきゃ意味がないことが多い。
かおとくん育てたいなら、ふつうに台詞や歌のある役をやらせるべきだよ……。
あーさと似ても似つかない男の子が訳ありげに舞台にいて、ストーリーに関係ないのにいちいちフレームに入ってくるので、気が散る(笑)。
いやわたし、シャルルと物語展開に集中したいんで、関係ない人が前に出てくるのやめてもらえます? え、もう一人のシャルル? どこが? ただの「目立ちたがり屋のモブ」でしょ? 台詞もないモブのひとりなのに、やたらカメラを意識して、画面に入ってくる人。
……そーゆー演出に見えて困ります(笑)。
もう一人のシャルルではなく、「天使」とかいう役名で、見るからにわかりやすい、白いふわふわブラウスでも着て白いカツラでもかぶってそのへんで踊ってればいいのに。
あー、でもそれじゃ『愛と革命の詩』まんまになっちゃうか。
どうせ『舞音』は『愛革詩』のセルフコピーなんだから開き直ってそれくらいやっちゃえばいいのに。
かおとくんがどうこうではなく、作品の問題点が浮き彫りになって、つらかったっす(笑)。
かおとくんはきれいに踊ってました。乙。
もう一人のシャルル、いらねえええ!!
本公演を観たとき、「もう一人のシャルル」いらんやろ、と思った。
存在する意味がない。
シャルルはわかりやすい男で、内面を表すキャラなんぞいらんからストーリー的に無用だし、観念的存在だということがわからないから演出的にも不要。
まあ唯一存在価値があるとすれば、みやるりがやっている、ということ。
みやるりは、月組の番手スターで美しくて人気がある人。(何番手かわからないのは、現在の……というか、ここ数年来の月組の闇)
番手スターが目立つ役をするのはピラミッド制度を取るタカラヅカとして正しいことだし、美しい人が画面にいるのは芸能として正しいことだし、人気のある人を重用するのは商業的に正しい。
ストーリー的にも演出的にも意味のない役に、それでも価値があるのは、ひとえにみやるりが演じているから。
……そう思っていた。そう書いた。
では、新人公演ではどうなる?
当然、新公にみやるりはいない。「もう一人のシャルル」を演じるのは研3の男の子、英かおとくん。『A-EN』でいきなり3番手だった子だ。バウで大抜擢した直後に新公でみやるりの役、ってすげーぐいぐい推してますな。
スタイルが良くて実力的にも破綻ナイ丸顔少年。かおとくん自体は、成長が楽しみな期待の新人。
だがしかし。
「みやるりがやる」以外に価値のナイ役を、別の子がやった場合、どうなるか。
「いらんやろ」というゆるい感想は、「いらねえええ!!」という強い拒否反応にレベルアップした。
まずかおとくんは、シャルル@あーさとカケラも似ていない。
身長も頭身も顔も雰囲気も、なにひとつ相似したモノがナイ。これだけかすりもしていない子を「もうひとりのあーさ」と呼ぶなんて、むちゃくちゃやわー。
まさおとみやるりはそれでも、体型や雰囲気など似たところはあるからねえ。ニコイチで並ぶと映りがいいくらいには、互いを邪魔しない空気感を持つ。
そんなみやるりですら「もうひとりのまさお」なんて観念的存在には見えず、別の生きた人間の役に見えて演出の拙さを露呈していたってのに。
新公で、なにもかも「別の世界から来ました」てな子を「もうひとりのあーさ」にするとか、ひどいわー。
かおとくんを抜擢したい、目立たせたいんだろうけど、これは彼のためにならないと思った。
主役のあーさありき、の配役でないことが丸わかり。主演者や作品、そしてそれを観る観客のことを考えれば、もう一人のシャルル役はあーさと似た姿や雰囲気のある子にしただろう。
また、伸び盛りの若者から、1公演台詞や歌を奪ってしまうのは、成長を遅らせることになる。まったくの脇のダンサー育成とかある程度育った中堅などなら、問題ないだろうけど……新公は下級生に台詞や歌を勉強させる貴重な場だ。ダンスだけなら本公演のモブでもあるし客に観てもらえるけど、台詞と歌はソロでなきゃ意味がないことが多い。
かおとくん育てたいなら、ふつうに台詞や歌のある役をやらせるべきだよ……。
あーさと似ても似つかない男の子が訳ありげに舞台にいて、ストーリーに関係ないのにいちいちフレームに入ってくるので、気が散る(笑)。
いやわたし、シャルルと物語展開に集中したいんで、関係ない人が前に出てくるのやめてもらえます? え、もう一人のシャルル? どこが? ただの「目立ちたがり屋のモブ」でしょ? 台詞もないモブのひとりなのに、やたらカメラを意識して、画面に入ってくる人。
……そーゆー演出に見えて困ります(笑)。
もう一人のシャルルではなく、「天使」とかいう役名で、見るからにわかりやすい、白いふわふわブラウスでも着て白いカツラでもかぶってそのへんで踊ってればいいのに。
あー、でもそれじゃ『愛と革命の詩』まんまになっちゃうか。
どうせ『舞音』は『愛革詩』のセルフコピーなんだから開き直ってそれくらいやっちゃえばいいのに。
かおとくんがどうこうではなく、作品の問題点が浮き彫りになって、つらかったっす(笑)。
かおとくんはきれいに踊ってました。乙。
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