悪いのは、大階段か、それとも演出か。
全場大階段を使用したセットがウリのひとつだという、『HOT EYES!!』。
話を聞いたときはシンプルに、「へー、どんなんだろ」と思った。
観たことのナイ演出プランだし、どんなモノを見せてもらえるのだろうかと楽しみにもした。
フジイくんと大階段、で印象的なのは『EXCITER!!』オープニング。
フィナーレで得られるだろう興奮を、いきなり最初からぶつけてきて、中毒性ある主題歌と共に情熱的な舞台を形作った。『EXCITER!!』というタイトルに恥じない派手演出。
『Apasionado!!』にしろ『TAKARAZUKA 花詩集100!!』にしろ、近年のフジイくん作品で評価が高いモノは大階段使いがうまかった記憶がある。
だからこそフジイくんで「全場大階段」なんて演出を33年ぶりとやらに決行することになったんだろう。
で。その「全場大階段」。
ひどかった。
いやあ……こりゃナイわー。
ショーは「ショーである」というだけで満足感があり、駄作でも楽しめるモノだし、芝居で佳作を作るのが難しいことあり、「芝居はつまんないけどショーがあるから通える」とかいう言い方をするもんなんだが。
今回は、芝居の方が面白い、むしろショーが脚引っ張るレベル。
ひさしぶりにひどいショーを観た! という、ある意味新鮮な驚き……繰り返すが、ショーは駄作でもなんとかなるもんだから、なんともならないほどひどいのって、作るのがかえって難しい。
ここまでひどい理由はひとつ。
大階段、邪魔。
全場大階段が出ているのに、大階段をほとんど使っていない。
ただの「背景」または「通路」として使用。
そして、その使わない大階段が出ているため、舞台がせまい。
階段前の狭いスペースしかない。
大階段が出ているため、盆が使えない。使えるセリも限られる。
場面が変わっても結局、大階段前の狭いスペースでちんまりとナニかしているだけ。
画面が変わらない。
つまらない……。
つまりね。
植爺もビックリ、カーテン前しか使わないショー作品!!なのよ。
広大な宝塚大劇場の舞台3分の2を使わず、手前の3分の1スペースのみで1時間、なにかしらこちょこちょやってんの。
近いモノは、『タカラヅカスペシャル』。
舞台上にオーケストラがいるからセット固定、次々スターで出て来て歌って、ちょろっと踊って引っ込む、そのくり返し。
『タカスペ』は4~5組のスター競演だから「スターが出て来てちょろっとなんかして引っ込む、のくり返し」でも場が持つのよ。「スターが出る」ことが公演の意義で、「スターの格に合わせた登場」にさえ気を遣っていればいい、誰も「作品自体」に興味はない、モノだから。
でもこの『HOT EYES!!』は『タカスペ』じゃない。ヅカだからスターありきは前提だけど、スターがただ舞台を歩いているだけでもいいわけなく、ショーとしての「作品自体」に中身が求められる。
なのに、『タカスペ』に毛の生えたような演出しかナイ、って……。
そりゃろくなもんにならんわ……。
全場大階段っていうからには、大階段を使うんだと思ったの。
大階段をなにかに見立ててストーリー性のある場面があるとか、大階段でなくては成立しない斬新な演出が。
まさか、「登場するために走り降りてくる通路」「ハリボテと同じ、ただの背景」としてが主な使用用途、とは思わないじゃん……。
使わないならせめて、陳列台として有効活用すればいいのに。
下級生をただ並べておくとかさー。
なんにも使ってない、ただのかさばる電飾背景にしている時間、学年順に下級生並べて顔を売らせればいいのよー。歌いも踊りもしなくていい、ただ並んでるだけ。電飾代わり。
極端な話、ただの電飾よりいいと思うわ。意味があると思うわ。
観劇後の誰もが「大階段、いらなくね?」と口にするのは鉄板。
それで考えちゃうのよ。
悪いのは、大階段か、それとも演出か。
大階段を全場出しっ放しにしたら、こういうことになる。33年間誰もやらなかったのは、「んなことしたらろくなもんにならない」から。それが素晴らしいことなら、誰かやってる。
不要だから、しなかった。
だけど今回あえてやった……のは、勝算があったから、よね?
全場大階段を使って、素晴らしいモノを作れる、という。
結果、大階段は邪魔でしかなかった。
だがそれは、はたして大階段のせいだろうか?
大階段出しっ放しでショーを作ると、このようにしか出来ないものなのか?
全場大階段、という設定で、出来ることは他にないのか?
わたしは素人ゆえ、大階段の有効な活かし方を思いつかないのだけど。
ほんとうに悪いのは大階段なのか。
なにかできないのか……?
まあ、使えない大階段を全場出す、そんなことをしようとした企画者が全部悪いってことになるんだけどねー。
できないことはやるな。
失敗の巻き添えを食わされる生徒が気の毒過ぎる。
全場大階段を使用したセットがウリのひとつだという、『HOT EYES!!』。
話を聞いたときはシンプルに、「へー、どんなんだろ」と思った。
観たことのナイ演出プランだし、どんなモノを見せてもらえるのだろうかと楽しみにもした。
フジイくんと大階段、で印象的なのは『EXCITER!!』オープニング。
フィナーレで得られるだろう興奮を、いきなり最初からぶつけてきて、中毒性ある主題歌と共に情熱的な舞台を形作った。『EXCITER!!』というタイトルに恥じない派手演出。
『Apasionado!!』にしろ『TAKARAZUKA 花詩集100!!』にしろ、近年のフジイくん作品で評価が高いモノは大階段使いがうまかった記憶がある。
だからこそフジイくんで「全場大階段」なんて演出を33年ぶりとやらに決行することになったんだろう。
で。その「全場大階段」。
ひどかった。
いやあ……こりゃナイわー。
ショーは「ショーである」というだけで満足感があり、駄作でも楽しめるモノだし、芝居で佳作を作るのが難しいことあり、「芝居はつまんないけどショーがあるから通える」とかいう言い方をするもんなんだが。
今回は、芝居の方が面白い、むしろショーが脚引っ張るレベル。
ひさしぶりにひどいショーを観た! という、ある意味新鮮な驚き……繰り返すが、ショーは駄作でもなんとかなるもんだから、なんともならないほどひどいのって、作るのがかえって難しい。
ここまでひどい理由はひとつ。
大階段、邪魔。
全場大階段が出ているのに、大階段をほとんど使っていない。
ただの「背景」または「通路」として使用。
そして、その使わない大階段が出ているため、舞台がせまい。
階段前の狭いスペースしかない。
大階段が出ているため、盆が使えない。使えるセリも限られる。
場面が変わっても結局、大階段前の狭いスペースでちんまりとナニかしているだけ。
画面が変わらない。
つまらない……。
つまりね。
植爺もビックリ、カーテン前しか使わないショー作品!!なのよ。
広大な宝塚大劇場の舞台3分の2を使わず、手前の3分の1スペースのみで1時間、なにかしらこちょこちょやってんの。
近いモノは、『タカラヅカスペシャル』。
舞台上にオーケストラがいるからセット固定、次々スターで出て来て歌って、ちょろっと踊って引っ込む、そのくり返し。
『タカスペ』は4~5組のスター競演だから「スターが出て来てちょろっとなんかして引っ込む、のくり返し」でも場が持つのよ。「スターが出る」ことが公演の意義で、「スターの格に合わせた登場」にさえ気を遣っていればいい、誰も「作品自体」に興味はない、モノだから。
でもこの『HOT EYES!!』は『タカスペ』じゃない。ヅカだからスターありきは前提だけど、スターがただ舞台を歩いているだけでもいいわけなく、ショーとしての「作品自体」に中身が求められる。
なのに、『タカスペ』に毛の生えたような演出しかナイ、って……。
そりゃろくなもんにならんわ……。
全場大階段っていうからには、大階段を使うんだと思ったの。
大階段をなにかに見立ててストーリー性のある場面があるとか、大階段でなくては成立しない斬新な演出が。
まさか、「登場するために走り降りてくる通路」「ハリボテと同じ、ただの背景」としてが主な使用用途、とは思わないじゃん……。
使わないならせめて、陳列台として有効活用すればいいのに。
下級生をただ並べておくとかさー。
なんにも使ってない、ただのかさばる電飾背景にしている時間、学年順に下級生並べて顔を売らせればいいのよー。歌いも踊りもしなくていい、ただ並んでるだけ。電飾代わり。
極端な話、ただの電飾よりいいと思うわ。意味があると思うわ。
観劇後の誰もが「大階段、いらなくね?」と口にするのは鉄板。
それで考えちゃうのよ。
悪いのは、大階段か、それとも演出か。
大階段を全場出しっ放しにしたら、こういうことになる。33年間誰もやらなかったのは、「んなことしたらろくなもんにならない」から。それが素晴らしいことなら、誰かやってる。
不要だから、しなかった。
だけど今回あえてやった……のは、勝算があったから、よね?
全場大階段を使って、素晴らしいモノを作れる、という。
結果、大階段は邪魔でしかなかった。
だがそれは、はたして大階段のせいだろうか?
大階段出しっ放しでショーを作ると、このようにしか出来ないものなのか?
全場大階段、という設定で、出来ることは他にないのか?
わたしは素人ゆえ、大階段の有効な活かし方を思いつかないのだけど。
ほんとうに悪いのは大階段なのか。
なにかできないのか……?
まあ、使えない大階段を全場出す、そんなことをしようとした企画者が全部悪いってことになるんだけどねー。
できないことはやるな。
失敗の巻き添えを食わされる生徒が気の毒過ぎる。
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