はじめまして、50年おつきあいできますかしら?
2016年1月21日 タカラヅカ わたしは口うるさく姑根性ばりばりの年寄りなので。
新人のデビュー作を、とても意地の悪い目線で評価しがちなの。
昔からそういうタイプではあったけれど、年を取るに従い、ほんっとそっちが強くなってきてねー。
この先も長くヅカヲタを続ける予定のわたしにとって、新人演出家がどんな人か、ってのは大きな問題。だって、ジェンヌはせいぜい数年しか活躍しない(主要役を演じられる学年や立場になってから卒業するまで、はとても短い)けれど、演出家はこれから50年とか、あたりまえに活躍し続けるのよ? 気になるじゃない?
自分の利害に絡むから、そういう目線で観ちゃうのよ。
苦手な人がデビューして、これから50年えんえん、苦手なモノを見せられたらつらい。や、わたしがあと50年生きるかどうかはともかくとして。
今度の新人さんは、どうなのかしら? って。
だからその、とてもいじわるな目線。
自分の利害優先の判断基準。
タカラヅカの新人演出家がどうやってデビューに至るのか、その過程やシステムを知らないので、知らないところは勝手な想像で補う。
思い込みその1。「作品」は、演出家本人の作品である。
劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「これをやれ」と押し付けられたモノではない。
思い込みその2。脚本演出もまた、演出家本人がやっている。
劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「この台詞を使え」「このテーマを語らせろ」「この場面にはこのキャラを出してこの歌を歌わせろ」などと押し付けられたモノではない。
演出家が自分の作品以外をあえてやる場合は「シェイクスピアシリーズ(1年かけてシェイクスピア作品のみを上演する)」とか「ワークショップ(植爺の苔生した日本物作品を全組で上演する)」とか、観客にわかる形で提示されてきた。
シェイクスピアを元にしなきゃいけないからシェイクスピアなんだな、とか、植爺作品を新人演出家がやるんだなとか。
そういったことをなにも言わないなら、その作品はその作者のモノなんだろう。
……と、思い込んだ上で。
未知の新人演出家作品を視る。
1.タカラヅカにふさわしい題材か。
2.主役をかっこよく描いているか。
3.主役とヒロインの恋愛をまともに描けているか。
4.登場人物は多いか。
タカラヅカに似合わない題材ってあるじゃん? 現代日本物とか、登場人物全員老人とか、反対に子どもとか。
何故それをやろうと思った?!てなやつ。
もちろん、似合わない題材にあえてチャレンジしたっていい。
でも、タカラヅカが得意な洋物コスチューム系でなら「ふつー」にやるだけで70点もらえるところを、タカラヅカが苦手な太平洋戦争中の日本で丸刈り男ともんぺ女でやったら何点になる?
技術的には同じ「ふつー」なことをしたとしても、苦手ジャンルはそもそもスタートがマイナス100からだから、70点の加点があっても-30点にしかならない。
得意ジャンルでやれば、0スタート、苦手ジャンルだと-100スタート。
苦手ジャンルだと、100点満点取るためには200点叩き出さなきゃならない……となると、「デビュー作でそんな難易度上げなくていいのに」としか思えない。
200点出せる自信があってのことか、あるいはー30点でもいいからこの作品を世に出したいと思うのか。
自信家も自作愛にあふれているのも、クリエイターとしては美点だと思うけど、とりあえずそれをわざわざデビュー作でやるとすると、「客観的判断力のない人」だと思っちゃうなー。
オープンコンテストなら、自爆覚悟の一発狙いもアリだと思う。
とにかくインパクト勝負、この作品自体はー30点でひどいことになっていても、これを踏み台にして次のオファーが来るように、あるいは審査員や観客の記憶に残るように。
でもタカラヅカはサラリーマン作家で、地道に務めていれば次の機会は巡ってくるはず、なのにあえて博打を打つ人は、自己愛が強すぎてタカラヅカの形態に合わないんじゃないかな?
だって、自爆覚悟の作品に付き合わされるジェンヌがたまったもんじゃない。演出家は駄作を書いても次があるけど、バウ主演を任される若手スターの多くは、ジェンヌ人生一度きりの機会なんだよ……?
次に、主役の描き方。
タカラヅカは男役中心で、トップスター至上主義のピラミッド社会。
なにがどうでもとにかく最低限、主人公がかっこよくなきゃならない。
テーマやこだわりを優先して、主人公がちっともかっこよくないと、「責任者出てこい!」って思う。わたしは。
テーマやこだわりは、まず主人公をかっこよく描いた上でやれ。それで出来ないテーマやこだわりなら、他のカンパニーでやるか、出来るようになってから出直せと。
男のかっこよさはひとつじゃない。お金持ちの貴族がきれいな服を着ていれば「かっこいい役」と思うわけじゃない。タカラヅカはきれいでなんぼ、だけど、そんな外見的なところだけが重要なわけじゃない。
びんぼーでもダサい職業でも、悪人でも犯罪者でもなんでもいいけど、なにかしら意志を持って「かっこいい役」に仕立てていること。
苦悩することでも軽快に世を渡ることでも、愛する人を守るために闘うことでも、なんでもいい。
主役がかっこいいこと。
そして、かっこいいその主役が、ヒロインと恋愛していること。
友情や家族愛など、他にもテーマはあるけれど、やっぱ基本は男女の愛でしょう。
ヒロインをないがしろにすると、必然的に「その程度の女を愛した主人公」の格も下がるしね。
あとは、キャラクタの多さ。
タカラヅカでは70人ほどの出演者を使いこなさなくてはならない。そして、たった90分の短い時間で、出来るだけたくさんのキャラクタを動かして、物語を起承転結させなくてはならない。
その半分の人数で2時間も掛けて、大した人数の登場人物を作れない・動かせないとしたら、がっかりする。
バウホールでこそ、たくさん役を作るべきだもの。
という、4つの「未来を見据えた」目線。
タカラヅカらしい、美しくて、スターがかっこよくて、キャラクタの多い物語を作っているかどうか。
えー、そのあとです、ふつーの作品に対するような、「ストーリーが壊れていないか」「面白いか」「リピートできるか」などの観点で考えるのは。
ぶっちゃけ、「ストーリーぶっ壊れてる」「つまんない」「ムカつく」「1回で十分、二度と観たくない」とか、そんな作品であったとしても、前述の「1~4」が満たされていたら、新人演出家としては、いいんじゃないの? ということになります。
観ているのは、「未来」だから。
この先50年おつきあいする相手だから。
当日の服装とか話題とかより、人となりの方が大事じゃん? ダサい服着てても、何年か後には垢抜けるかもだし、今は洒落た会話のひとつも出来なくても、誠実な人ならつきあえるじゃん?
てな観点から、演出家・樫畑亜依子の宝塚バウホールデビュー作 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』を語る。
……まあ、なんてウエメセかつ意地悪ばばあ的。
緑野こあらってそんなヤツ。
新人のデビュー作を、とても意地の悪い目線で評価しがちなの。
昔からそういうタイプではあったけれど、年を取るに従い、ほんっとそっちが強くなってきてねー。
この先も長くヅカヲタを続ける予定のわたしにとって、新人演出家がどんな人か、ってのは大きな問題。だって、ジェンヌはせいぜい数年しか活躍しない(主要役を演じられる学年や立場になってから卒業するまで、はとても短い)けれど、演出家はこれから50年とか、あたりまえに活躍し続けるのよ? 気になるじゃない?
自分の利害に絡むから、そういう目線で観ちゃうのよ。
苦手な人がデビューして、これから50年えんえん、苦手なモノを見せられたらつらい。や、わたしがあと50年生きるかどうかはともかくとして。
今度の新人さんは、どうなのかしら? って。
だからその、とてもいじわるな目線。
自分の利害優先の判断基準。
タカラヅカの新人演出家がどうやってデビューに至るのか、その過程やシステムを知らないので、知らないところは勝手な想像で補う。
思い込みその1。「作品」は、演出家本人の作品である。
劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「これをやれ」と押し付けられたモノではない。
思い込みその2。脚本演出もまた、演出家本人がやっている。
劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「この台詞を使え」「このテーマを語らせろ」「この場面にはこのキャラを出してこの歌を歌わせろ」などと押し付けられたモノではない。
演出家が自分の作品以外をあえてやる場合は「シェイクスピアシリーズ(1年かけてシェイクスピア作品のみを上演する)」とか「ワークショップ(植爺の苔生した日本物作品を全組で上演する)」とか、観客にわかる形で提示されてきた。
シェイクスピアを元にしなきゃいけないからシェイクスピアなんだな、とか、植爺作品を新人演出家がやるんだなとか。
そういったことをなにも言わないなら、その作品はその作者のモノなんだろう。
……と、思い込んだ上で。
未知の新人演出家作品を視る。
1.タカラヅカにふさわしい題材か。
2.主役をかっこよく描いているか。
3.主役とヒロインの恋愛をまともに描けているか。
4.登場人物は多いか。
タカラヅカに似合わない題材ってあるじゃん? 現代日本物とか、登場人物全員老人とか、反対に子どもとか。
何故それをやろうと思った?!てなやつ。
もちろん、似合わない題材にあえてチャレンジしたっていい。
でも、タカラヅカが得意な洋物コスチューム系でなら「ふつー」にやるだけで70点もらえるところを、タカラヅカが苦手な太平洋戦争中の日本で丸刈り男ともんぺ女でやったら何点になる?
技術的には同じ「ふつー」なことをしたとしても、苦手ジャンルはそもそもスタートがマイナス100からだから、70点の加点があっても-30点にしかならない。
得意ジャンルでやれば、0スタート、苦手ジャンルだと-100スタート。
苦手ジャンルだと、100点満点取るためには200点叩き出さなきゃならない……となると、「デビュー作でそんな難易度上げなくていいのに」としか思えない。
200点出せる自信があってのことか、あるいはー30点でもいいからこの作品を世に出したいと思うのか。
自信家も自作愛にあふれているのも、クリエイターとしては美点だと思うけど、とりあえずそれをわざわざデビュー作でやるとすると、「客観的判断力のない人」だと思っちゃうなー。
オープンコンテストなら、自爆覚悟の一発狙いもアリだと思う。
とにかくインパクト勝負、この作品自体はー30点でひどいことになっていても、これを踏み台にして次のオファーが来るように、あるいは審査員や観客の記憶に残るように。
でもタカラヅカはサラリーマン作家で、地道に務めていれば次の機会は巡ってくるはず、なのにあえて博打を打つ人は、自己愛が強すぎてタカラヅカの形態に合わないんじゃないかな?
だって、自爆覚悟の作品に付き合わされるジェンヌがたまったもんじゃない。演出家は駄作を書いても次があるけど、バウ主演を任される若手スターの多くは、ジェンヌ人生一度きりの機会なんだよ……?
次に、主役の描き方。
タカラヅカは男役中心で、トップスター至上主義のピラミッド社会。
なにがどうでもとにかく最低限、主人公がかっこよくなきゃならない。
テーマやこだわりを優先して、主人公がちっともかっこよくないと、「責任者出てこい!」って思う。わたしは。
テーマやこだわりは、まず主人公をかっこよく描いた上でやれ。それで出来ないテーマやこだわりなら、他のカンパニーでやるか、出来るようになってから出直せと。
男のかっこよさはひとつじゃない。お金持ちの貴族がきれいな服を着ていれば「かっこいい役」と思うわけじゃない。タカラヅカはきれいでなんぼ、だけど、そんな外見的なところだけが重要なわけじゃない。
びんぼーでもダサい職業でも、悪人でも犯罪者でもなんでもいいけど、なにかしら意志を持って「かっこいい役」に仕立てていること。
苦悩することでも軽快に世を渡ることでも、愛する人を守るために闘うことでも、なんでもいい。
主役がかっこいいこと。
そして、かっこいいその主役が、ヒロインと恋愛していること。
友情や家族愛など、他にもテーマはあるけれど、やっぱ基本は男女の愛でしょう。
ヒロインをないがしろにすると、必然的に「その程度の女を愛した主人公」の格も下がるしね。
あとは、キャラクタの多さ。
タカラヅカでは70人ほどの出演者を使いこなさなくてはならない。そして、たった90分の短い時間で、出来るだけたくさんのキャラクタを動かして、物語を起承転結させなくてはならない。
その半分の人数で2時間も掛けて、大した人数の登場人物を作れない・動かせないとしたら、がっかりする。
バウホールでこそ、たくさん役を作るべきだもの。
という、4つの「未来を見据えた」目線。
タカラヅカらしい、美しくて、スターがかっこよくて、キャラクタの多い物語を作っているかどうか。
えー、そのあとです、ふつーの作品に対するような、「ストーリーが壊れていないか」「面白いか」「リピートできるか」などの観点で考えるのは。
ぶっちゃけ、「ストーリーぶっ壊れてる」「つまんない」「ムカつく」「1回で十分、二度と観たくない」とか、そんな作品であったとしても、前述の「1~4」が満たされていたら、新人演出家としては、いいんじゃないの? ということになります。
観ているのは、「未来」だから。
この先50年おつきあいする相手だから。
当日の服装とか話題とかより、人となりの方が大事じゃん? ダサい服着てても、何年か後には垢抜けるかもだし、今は洒落た会話のひとつも出来なくても、誠実な人ならつきあえるじゃん?
てな観点から、演出家・樫畑亜依子の宝塚バウホールデビュー作 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』を語る。
……まあ、なんてウエメセかつ意地悪ばばあ的。
緑野こあらってそんなヤツ。
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