何故おっさんなのか。@ 鈴蘭-思い出の淵から見えるものは-
2016年2月1日 タカラヅカ 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』で、いちばん応援したいのは、せおっちですわ……。
『鈴蘭』は少女マンガなので、数学的な組み立てが弱い。数学……1+1=2、という、数字の話な。
1+1は……えっと?……ええっと?……そう、愛。愛があるから、答えなんていいのよ! ……という作り。
それはそれでいいんだ。タカラヅカだから、それもあり。
でも、「それもあり」にするには、役者に力がいる。
「いや、1+1は2だよ、愛でもいいけど、その前に2だって答えてよ」というツッコミを、役者が力尽くで「1+1は、愛ーー!!」とやって、「はい、愛ですね、わかりました!」と思わせてくれなきゃなんない。
その「力技でぶっ飛ばす」役割りを、2番手のせおっちが背負わされているんだ。
悪役、ってのは、そうあるべきなんだ。
悪役が悪を行うことで、すべての物語がはじまったんだから。悪役がなにもしなかったら、平穏無事でなにも起こっていないのだから。
ことを起こした……その出来事自体が論理的でないので、そこを全力で煙に巻かなければならない。
そして、主要キャラクタの中で、よりによってもっとも力がないのが、せおっちだ。
めっちゃ大変な役割りなのに、明らかに力不足……。
これはきつい……。
初日はただ、頭を抱えるだけだったんだけど、翌日に観たときは、疑問しかなかったよ。
何故樫畑先生は、ヴィクトルをこのキャラクタにしたんだろう?
現在のせおっちに、現在の「脚本の粗を背負わされるヴィクトル役」は荷が重すぎる。
出来ないんだから、明らかに足りてないんだから、何故放置する?
せおっちは、ヴィクトルというキャラクタの外側からすでに手こずっていて、中身を埋めるどころではなさそうだった。
ヴィクトルの外側……ヒゲの美丈夫、大人の男。
や、ヴィジュアルは文句なしに美しい。これぞタカラヅカ! やーん、素敵~~!
……なんだけど。
黙って立っているだけじゃないんだ、舞台は。
動いて喋ると、ヴィジュアルの良さだけではどうにもならない事態に。
むしろ、そのヴィジュアルこそが、ネックになっている。
ヒゲの美丈夫、大人の男……の外見なのに、ひょろい女の子声で、ひょろい立ち居振る舞いをする。よわよわな声で歌う。
あのヴィジュアルなのに!!(白目)
せおっちはめっちゃがんばっている。両腕広げて立って、少しでも貫禄を出そうとがんばってる。一朝一夕でどうにかなるもんじゃないってだけで、彼自身はイメージするヴィクトルになろうと懸命にやっている。
技術のなさで演じ切れていないだけで。
えーと。
ヴィクトルは青年役じゃいかんかったの?
リュシアンと同世代の若者。
冒頭の回想シーンでは、同世代に見えたんですが。タカラヅカの限界、子役も全員成人女性、差がわかりません。
リュシアンはことちゃんが演じていることもあってハタチそこそこの若者にしか見えないんだし、ヴィクトルも同じくハタチくらいでよかったんじゃないの?
ヒゲなしの、いかにもな美青年。せおっちの得意分野。
や、ヴィクトルの年齢は語られてないので、実はまだ青年で、リュシアンと同世代なのかもしれない。子役時代が同世代に見えたのは正しい、それが正解だから、ってもんで。
だとしたら、なおさらヒゲのおっさんである意味ナイし。何故あんな外見と芝居をさせられているのか疑問が大きくなる。
……から、やっぱヴィクトルはおっさん年齢なんだろう。そしてそれこそが、せおっちの難関。
ヴィクトルの外側造形に気を取られずに済んだなら、せおっちはきっといい仕事をしたはず。
兄へのコンプレックスとか「ママに誉められたいのに」とかも、まだ子どもっぽさの残る青年でやるなら、無理も少ない。
ヒゲのおっさんでやれと言われても……今はまだ、難しすぎるよ。
すげー無理ゲーやらされて、気の毒なことになっているせおっちを観て、ほんとに疑問でした。
とにかくそのヒゲを取れ、板に付いてないおっさん芝居をやめろ、「優秀な青年」でいいじゃないか、「野心あふれる若者」でいいじゃないか、なんでおっさんなんだよー!!
と、なんかひどいこと言ってごめん。
わたしの目には、せおっちの技術のなさがつらく見えた、ということで。
彼は路線育ちではないから、経験値が少ないためだと思う。これから経験を積めばきっと、違ってくる。
てゆーか、美形なんだから経験積ませてやってくれ、育ててくれ。美しい人が活躍してくれるとうれしい。
そして、ヴィクトルという役は、ちゃんと正しく配置された役だとも思っている。
ヴィクトルってやっていることはかなりまぬけなんたけど、彼をよくあるアホ敵男にしないために、仕掛けがしてあるんだよね。
それが、セシリア@なっちゃん。
ヴィクトルを愛し、彼のためだけに生きる、かっこいい女性。
見返りを求めず献身的に生き、潔く死ぬ。
彼女の生き方が美しいから、ヴィクトルの株が上がっている。これほどの女が愛した男、ってことで。
よくあるアホ悪役は、仲間も友だちも恋人も、誰ひとりいないのよね。そりゃそんな男、滅びるわ。
悪役がアホでもいい、なんてことは大人向けジャンルではあり得ない、アホとつきあうのはアホだけ、アホに関わる主人公やヒロインの格が落ちてしまう。
ヴィクトルの悪役としての説得力が、セシリアの存在のみに懸かってしまっている偏りぶりには疑問もあるけど、とりあえずセシリアはいい。
こういうキャラを配置する樫畑せんせはうまいなと思う。
なのに、賢人とされるガルニール公に頭と性格のいい腹心ひとりいないのはどうかと思うけどなー。(シャルロットが腹心を兼ねていたのかもしれんが、彼女はセシリアの爪先にも届かない無駄死にをするし)
ヴィクトルはいい役だと思う。
せおっちが華麗に自爆しているとしても、やっぱりそう思う。
だから、今のせおっちでいいのかもしれない。
でも、もっともっと魅力的に出来るのにな、と思って、歯がゆかったの。
『鈴蘭』は少女マンガなので、数学的な組み立てが弱い。数学……1+1=2、という、数字の話な。
1+1は……えっと?……ええっと?……そう、愛。愛があるから、答えなんていいのよ! ……という作り。
それはそれでいいんだ。タカラヅカだから、それもあり。
でも、「それもあり」にするには、役者に力がいる。
「いや、1+1は2だよ、愛でもいいけど、その前に2だって答えてよ」というツッコミを、役者が力尽くで「1+1は、愛ーー!!」とやって、「はい、愛ですね、わかりました!」と思わせてくれなきゃなんない。
その「力技でぶっ飛ばす」役割りを、2番手のせおっちが背負わされているんだ。
悪役、ってのは、そうあるべきなんだ。
悪役が悪を行うことで、すべての物語がはじまったんだから。悪役がなにもしなかったら、平穏無事でなにも起こっていないのだから。
ことを起こした……その出来事自体が論理的でないので、そこを全力で煙に巻かなければならない。
そして、主要キャラクタの中で、よりによってもっとも力がないのが、せおっちだ。
めっちゃ大変な役割りなのに、明らかに力不足……。
これはきつい……。
初日はただ、頭を抱えるだけだったんだけど、翌日に観たときは、疑問しかなかったよ。
何故樫畑先生は、ヴィクトルをこのキャラクタにしたんだろう?
現在のせおっちに、現在の「脚本の粗を背負わされるヴィクトル役」は荷が重すぎる。
出来ないんだから、明らかに足りてないんだから、何故放置する?
せおっちは、ヴィクトルというキャラクタの外側からすでに手こずっていて、中身を埋めるどころではなさそうだった。
ヴィクトルの外側……ヒゲの美丈夫、大人の男。
や、ヴィジュアルは文句なしに美しい。これぞタカラヅカ! やーん、素敵~~!
……なんだけど。
黙って立っているだけじゃないんだ、舞台は。
動いて喋ると、ヴィジュアルの良さだけではどうにもならない事態に。
むしろ、そのヴィジュアルこそが、ネックになっている。
ヒゲの美丈夫、大人の男……の外見なのに、ひょろい女の子声で、ひょろい立ち居振る舞いをする。よわよわな声で歌う。
あのヴィジュアルなのに!!(白目)
せおっちはめっちゃがんばっている。両腕広げて立って、少しでも貫禄を出そうとがんばってる。一朝一夕でどうにかなるもんじゃないってだけで、彼自身はイメージするヴィクトルになろうと懸命にやっている。
技術のなさで演じ切れていないだけで。
えーと。
ヴィクトルは青年役じゃいかんかったの?
リュシアンと同世代の若者。
冒頭の回想シーンでは、同世代に見えたんですが。タカラヅカの限界、子役も全員成人女性、差がわかりません。
リュシアンはことちゃんが演じていることもあってハタチそこそこの若者にしか見えないんだし、ヴィクトルも同じくハタチくらいでよかったんじゃないの?
ヒゲなしの、いかにもな美青年。せおっちの得意分野。
や、ヴィクトルの年齢は語られてないので、実はまだ青年で、リュシアンと同世代なのかもしれない。子役時代が同世代に見えたのは正しい、それが正解だから、ってもんで。
だとしたら、なおさらヒゲのおっさんである意味ナイし。何故あんな外見と芝居をさせられているのか疑問が大きくなる。
……から、やっぱヴィクトルはおっさん年齢なんだろう。そしてそれこそが、せおっちの難関。
ヴィクトルの外側造形に気を取られずに済んだなら、せおっちはきっといい仕事をしたはず。
兄へのコンプレックスとか「ママに誉められたいのに」とかも、まだ子どもっぽさの残る青年でやるなら、無理も少ない。
ヒゲのおっさんでやれと言われても……今はまだ、難しすぎるよ。
すげー無理ゲーやらされて、気の毒なことになっているせおっちを観て、ほんとに疑問でした。
とにかくそのヒゲを取れ、板に付いてないおっさん芝居をやめろ、「優秀な青年」でいいじゃないか、「野心あふれる若者」でいいじゃないか、なんでおっさんなんだよー!!
と、なんかひどいこと言ってごめん。
わたしの目には、せおっちの技術のなさがつらく見えた、ということで。
彼は路線育ちではないから、経験値が少ないためだと思う。これから経験を積めばきっと、違ってくる。
てゆーか、美形なんだから経験積ませてやってくれ、育ててくれ。美しい人が活躍してくれるとうれしい。
そして、ヴィクトルという役は、ちゃんと正しく配置された役だとも思っている。
ヴィクトルってやっていることはかなりまぬけなんたけど、彼をよくあるアホ敵男にしないために、仕掛けがしてあるんだよね。
それが、セシリア@なっちゃん。
ヴィクトルを愛し、彼のためだけに生きる、かっこいい女性。
見返りを求めず献身的に生き、潔く死ぬ。
彼女の生き方が美しいから、ヴィクトルの株が上がっている。これほどの女が愛した男、ってことで。
よくあるアホ悪役は、仲間も友だちも恋人も、誰ひとりいないのよね。そりゃそんな男、滅びるわ。
悪役がアホでもいい、なんてことは大人向けジャンルではあり得ない、アホとつきあうのはアホだけ、アホに関わる主人公やヒロインの格が落ちてしまう。
ヴィクトルの悪役としての説得力が、セシリアの存在のみに懸かってしまっている偏りぶりには疑問もあるけど、とりあえずセシリアはいい。
こういうキャラを配置する樫畑せんせはうまいなと思う。
なのに、賢人とされるガルニール公に頭と性格のいい腹心ひとりいないのはどうかと思うけどなー。(シャルロットが腹心を兼ねていたのかもしれんが、彼女はセシリアの爪先にも届かない無駄死にをするし)
ヴィクトルはいい役だと思う。
せおっちが華麗に自爆しているとしても、やっぱりそう思う。
だから、今のせおっちでいいのかもしれない。
でも、もっともっと魅力的に出来るのにな、と思って、歯がゆかったの。
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