この不要感ときたら。@激情
2016年3月24日 タカラヅカ ひさしぶりの『激情』。最後に観たのはちえねね。生のみ、映像では一切見てない。
てことで、記憶は遠い。
もともとポンコツだけど、最近とみに記憶力が衰えてなあ……よぼよぼ。
初演も再演も観ているし、ストーリーもキャラクタも知っているけれど、なんというかもとても「新しい」気分で客席にいた。
ストーリーを知っていても、それを観てどう感じるのかまでは、おぼえていない状態、というか。ここはこうあらねばならない、などの思い込みが薄れている。
そんなわたしは今回の『激情』を観て。
痛烈に、メリメいらね、と思った。
カチャさんの問題でなく、脚本。
なんでそこまで解説する必要があるんだ、そこは芝居自体で表現することだろ、てなことまで、メリメさんが登場するなり立て板に水かっつー勢いでえんえん喋ることに閉口した。
ひどいなー。まだ録音でなく、生の芝居だからマシか。柴田&正塚作品はなにかっちゃー録音テープ使う、つーイメージ(笑)。録音聞くなら映画でいいじゃん、演劇は生台詞聴かせろ志向のわたしは、アンチ録音テープ。
せっかく物語に集中しているのに、メリメが出て来て水を差されるのが嫌だった。彼がなにか有益な情報をもたらすならともかく、「そんなの観てたらわかるし」「知ってるし」「それどうでもいい」てんこ盛り。
『ルパン』のルブラン@みっちゃん的なうざさ。場違い感。
メリメさんすっきりきれいで、目にはやさしいけど、でも「それだけ」だと、「物語」を楽しみたいわたしには不要としか思えなかった。
あとから、「以前の『激情』もそうだっけ?」と思い出してみても、納得にはほど遠かった。
たしか、初演のたかこメリメには、「ナレーション」としての仕事を感じていた。ホセ@ずんことは距離があるというか、主人公するホセと語るメリメには、ビジネスライクな関係以上のモノは感じなかったし、こちらとしてもそれ以上も以下も求めなかった。
再演のすずみんメリメには、狂言回しとしての妙を感じていた。あざやかに線を引き、割って入る。別次元から語っている……なのにどんどんホセ@れおんの世界に入り込んでくる……ホセに入れ込むあまり近づき過ぎてる、ストップストップ、落ち着いて? と言いたくなる、愉快な人。
どちらのときも、「メリメいらね」とは思ってない。
なんで今回に限り、こんなにうざかったんだろう?
わたしは記憶力に乏しく、初演・再演と今回台詞や演出がどう違っているか、あるいは同じなのか、さっぱりわかってないのよ。
観た感じ、特に変更らしい変更も気づかなかったけど……。なにか変わってた? メリメの台詞や出番が増えて、元の芝居にないものを付け加えたわけだから、そこが「うざい」と思わせることになっているとか?
ホセ@たまきちの存在が、メリメを求めていないのかな。
彼の物語が、解説役を必要としていない。ゆえに、解説にしゃしゃり出てくるメリメの不要感が大きくなった?
理屈はわからないが、今回はメリメの良さがわからなかった。
れおんとすずみん、たまきちとカチャ、なら、立ち位置が似通っているので、役割り的にも据わりがいいはずなのにな。
カチャは品のある青年なので、彼が演じる「紳士」は問題なくハマる。今回もきれいに出ていたと思う。
のになんで、あんなにしっくりこなかったんだろう。
芝居は好み部分が大きいので、単純にわたしの好みではなかった、というだけかもしれない。
メリメではなく、ホセの友人ということにして、最初から最後までずっと「友人」の立場でホセに対峙してくれていたら、また違ったのかもなあ……と思い、それってどこのクリストフ@『舞音-MANON-』。
うん、そうなのよね。
『激情』を観た直後に、某所へわたしがつぶやいたこと。
『激情』はおもしろい話なんだけど、『舞音』の直後に観るもんじゃないな…(´・ω・`)(
コレに尽きる。
てことで、記憶は遠い。
もともとポンコツだけど、最近とみに記憶力が衰えてなあ……よぼよぼ。
初演も再演も観ているし、ストーリーもキャラクタも知っているけれど、なんというかもとても「新しい」気分で客席にいた。
ストーリーを知っていても、それを観てどう感じるのかまでは、おぼえていない状態、というか。ここはこうあらねばならない、などの思い込みが薄れている。
そんなわたしは今回の『激情』を観て。
痛烈に、メリメいらね、と思った。
カチャさんの問題でなく、脚本。
なんでそこまで解説する必要があるんだ、そこは芝居自体で表現することだろ、てなことまで、メリメさんが登場するなり立て板に水かっつー勢いでえんえん喋ることに閉口した。
ひどいなー。まだ録音でなく、生の芝居だからマシか。柴田&正塚作品はなにかっちゃー録音テープ使う、つーイメージ(笑)。録音聞くなら映画でいいじゃん、演劇は生台詞聴かせろ志向のわたしは、アンチ録音テープ。
せっかく物語に集中しているのに、メリメが出て来て水を差されるのが嫌だった。彼がなにか有益な情報をもたらすならともかく、「そんなの観てたらわかるし」「知ってるし」「それどうでもいい」てんこ盛り。
『ルパン』のルブラン@みっちゃん的なうざさ。場違い感。
メリメさんすっきりきれいで、目にはやさしいけど、でも「それだけ」だと、「物語」を楽しみたいわたしには不要としか思えなかった。
あとから、「以前の『激情』もそうだっけ?」と思い出してみても、納得にはほど遠かった。
たしか、初演のたかこメリメには、「ナレーション」としての仕事を感じていた。ホセ@ずんことは距離があるというか、主人公するホセと語るメリメには、ビジネスライクな関係以上のモノは感じなかったし、こちらとしてもそれ以上も以下も求めなかった。
再演のすずみんメリメには、狂言回しとしての妙を感じていた。あざやかに線を引き、割って入る。別次元から語っている……なのにどんどんホセ@れおんの世界に入り込んでくる……ホセに入れ込むあまり近づき過ぎてる、ストップストップ、落ち着いて? と言いたくなる、愉快な人。
どちらのときも、「メリメいらね」とは思ってない。
なんで今回に限り、こんなにうざかったんだろう?
わたしは記憶力に乏しく、初演・再演と今回台詞や演出がどう違っているか、あるいは同じなのか、さっぱりわかってないのよ。
観た感じ、特に変更らしい変更も気づかなかったけど……。なにか変わってた? メリメの台詞や出番が増えて、元の芝居にないものを付け加えたわけだから、そこが「うざい」と思わせることになっているとか?
ホセ@たまきちの存在が、メリメを求めていないのかな。
彼の物語が、解説役を必要としていない。ゆえに、解説にしゃしゃり出てくるメリメの不要感が大きくなった?
理屈はわからないが、今回はメリメの良さがわからなかった。
れおんとすずみん、たまきちとカチャ、なら、立ち位置が似通っているので、役割り的にも据わりがいいはずなのにな。
カチャは品のある青年なので、彼が演じる「紳士」は問題なくハマる。今回もきれいに出ていたと思う。
のになんで、あんなにしっくりこなかったんだろう。
芝居は好み部分が大きいので、単純にわたしの好みではなかった、というだけかもしれない。
メリメではなく、ホセの友人ということにして、最初から最後までずっと「友人」の立場でホセに対峙してくれていたら、また違ったのかもなあ……と思い、それってどこのクリストフ@『舞音-MANON-』。
うん、そうなのよね。
『激情』を観た直後に、某所へわたしがつぶやいたこと。
『激情』はおもしろい話なんだけど、『舞音』の直後に観るもんじゃないな…(´・ω・`)(
コレに尽きる。
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