しかし、今回の新人公演『こうもり』はつらかった。
 出演者の問題じゃない。
 作品だ。

 わたしの許容範囲を超えた駄作だわ。 

 とにかく、つまらないの。
 わたし、破綻した物語も嫌いだけど、「ストーリーがない」話は、これまたものすっごく嫌いなのね。
 酒井先生作品とか、最近の柴田先生とか、「きれいなだけの風景画か熱帯魚の水槽」みたいな話。
 きれいなだけで、なにもない。
 せっかく物語る機会があるのに、なにも生産せず、ただ時間を浪費して終了する作品が嫌い。わたしは物語が好きだから。

 『こうもり』に物語はあるけれど、とても少ない。30分で済む程度の話を、無理矢理90分に水増ししている。
 コップ1杯のコーラを、バケツに入れてあとは水で薄めて嵩だけ増やしたみたい。水っぽくて飲めやしない。
 1行で終わることを、わざと何行も水増しして、どーでもいい会話でダラダラ続けて、どーでもいい歌を入れる。
 観ていてイライラする。早く話の続きをしなさいよ、なんで引き延ばすの、おかしくもなんともない、阿呆なだけのやりとりをするの。この世界にはバカしかいないの?

 物語が好きだから、物語を大切にしていない作品には拒絶反応が出るの。
 破綻していても、一生懸命物語っている作品には、こういう苛立ちは感じない。や、破綻っぷりにイラッとしたりするけど(笑)、それはそれ。

 本公演でも感じてはいたけれど、それでもまだ商業作品として成り立っていたの。
 みちこがいたから。

 本公演『こうもり』は、物語としての根幹から疑問を持つレベルの駄作だけど、物語だと思わずに「北翔海莉コンサート」だと思えば成立したのよね。
 メインはみっちゃんの歌である。
 歌と歌の間に、ちょっとした寸劇を挟んでいるんだ。内容はバケツで薄めたコーラ程度だけど、コンサートなんだからそんなもんじゃん。

 みちこだけでなく、ベニーや風ちゃんはじめ、星組のコンサートである。歌唱力だけでなく、パフォーマンス力でもって観客を楽しませてくれるコンサート。
 そう思うことで、ギリギリ成り立っている。

 だから。

 新人公演だと、成り立たない。
 みちこレベルの歌手がいないと、無理。

 コンサートでなければ観ているのが苦痛な駄作だし、コンサートだと思えるほどの歌唱力は、ごめん、感じられない。
 作品のつまらなさをカバー出来る力は、新公出演者にはない。

 タカラヅカに駄作はつきもの、てゆーかほとんどは駄作なんだから、新公がつらくなるのもいつも通り、今さらナニ言ってんだ、てな次元の話ではないの。
 駄作は駄作でも、破綻しているんじゃなくて、物語がナイ系の駄作なんだもの。
 ストーリーない、つまらない、くだらない話だと、新公のつらさが半端ナイのよ……わたしには。

 繰り返すが、作品の話。
 出演者は関係ない。
 新人公演なんだもの、研19のトップスターと同じことが出来るはずない、出来たらみちこの19年間が不憫だ。
 出演者の責任ではなく、ただもうひたすら、演出家ひでえ、という話。

 プロット練り直してあと60分のエピソードを入れてよ。水で薄めたコーラじゃなくて、本物のコーラを飲ませてよ。

 谷せんせ自体が嫌なわけじゃない。地雷は多いけれど、好きなモノもある……彼の浪花節や美学、心根の優しさは好き、人間を信じているところも好き。
 だけど今回はほんとダメだ~~、苦手な谷せんせが詰まってる。

 こんだけ何度も時計を見た新公ははじめてだ。
 谷め……。

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