どうしてヴァンパイアなのか。

 身もフタもないリアルさ、下ネタ満載の親父っぽい作風と臓器移植キャンペーンが売りのイシダせんせの新作が、どうしてヴァンパイアものなのか。

 最初わたしは不思議だった。意外だった。
 だって「ヴァンパイア」って、ファンタジックかつ耽美な題材でしょ? イシダせんせの芸風とかけ離れ過ぎてる……ヴァンパイアを選ぶなんて意外。

 なんて。
 演目発表時に不思議がっていたことが、嘘みたいに、しっくりきました。
 実際に、イシダ新作『ヴァンパイア・サクセション』 を観て。

 あー、なるほど……。

 臓器移植キャンペーン大好きだからか……。

 すとんと納得。

 なんで思い至らなかったんだろうな。
 臓器移植が好きな人が選んだネタ、ということにのみ着目していたら、ヴァンパイアネタはなんの不思議もない、延長線上にあるわな。

 つまりは、いつも通りの、身もフタもないイシダ作品でした。

 マカゼ氏に対し、むくむくと湧き上がる同情心。気の毒だな、なんでこうも作品運が悪いんだ。初出演の『ランスロット』で作品運を使い切ったのか?っていう。

 イシダせんせの現代モノって、外国が舞台でも外国感がしない。これふつーに日本だよね。登場人物のメンタリティーも、舞台となる街とかの空気感も、言葉ややり取りのセンスも、なにもかも日本。ただ、金髪でカタカナ名前で呼び合ってるだけっぽい。
 たぶんそれが一層「タカラヅカではない、大衆演劇」っぽいのだと思う。日本人が日本で芝居してるのに、なにが「オスカル」だ、「フランスのために」だ、あほくせー(薄笑)ってな感じっていうか。
 タカラヅカだって大衆演劇じゃないか、小林一三が目指したのはそういうものだろう、とかいうツッコミはナシね。
 現在のタカラヅカが持つ「タカラヅカ感」が薄い。金髪のカツラをかぶった日本人、じゃなくて、タカラジェンヌという2.5次元の存在なんだよ、と騙してくれる世界観を創ることを、最初から放棄しているような。
 『復活』とかのシリアスな時代物などはともかく、舞台がどこであれ現代モノだと、「タカラヅカである」ことにこだわりが薄く感じる。
 同じ駄作でもつまらなさが倍増するのは、そういう部分だろうな。
 わたしはタカラヅカが好きだから、「タカラヅカである」ことに敬意や関心を持たない作品は評価が下がってしまう。

 真正面から「タカラヅカ」する気がないなら、他でやればいいのに。
 「タカラヅカ」でないイシダせんせのオリジナル作品に、どれだけの商業価値が付くのかは知らないけれど。


 ……なんてのは、わたしの個人的な感じ方なので、世間の評価は知りませんが。

 イシダせんせは、ものすっげ破綻しまくりで物語として成立してないとか、ストーリー自体が存在しないとか、起承転結がないとか、どこがクライマックスかわからないだらだらローテンションとか、そんな基本的な致命的な欠陥はないモノを作る人だから。

 だからもうあとは好みの問題だよな。

 アタマからしっぽまで、どこもかしこも好みでなくて、困りました(笑)。
 観ながら途方に暮れるレベルで。
 キャストとそのファンに対する同情心とか、これが我が身に降りかからずに済んだ安堵感とか、そう感じることへの後ろめたさとか。や、後ろめたく感じるのもおかしな話だが。

 わたしが「うわ、こりゃきついわー」と思うだけで、世の一般的感覚の人々には佳作なのかもしれないしな。
 マカゼの美貌を堪能することだけに集中すればいいのかもしんないし。

 はー。
 『殉情』レベルの最悪のイシダではなかったけれど、『復活』などのマシなイシダでもなく、いつものイシダだった。
 つまり、わたしは面白いと思えない作品だった。
 新ジャンル開拓で、ファンタジックな作品に挑戦するイシダせんせ、を観てみたかったなあ……そんなことに期待したわたしが浅はかだった(笑)。いつものダーイシ。


 とりあえず、イシダせんせはほんと、みつる好きだなあ、と思いました。

 イシダに好かれてうれしいかどうかはともかく、こんな風に「○○先生は本当に○○くんが好きだなあ」と思わせる役者ってのは、強いんだと思う。
 トップスターになるだけがジェンヌ人生じゃない。「みつるはイシダ役者である」という事実がある、こと自体は、いいことなんだと思う。

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