『ローマの休日』中日初日を観て。

 わたしはみゆちゃんの厚みが好きなのだなと再確認。
 や、演技の話です。カラダの厚みではなく。……みゆちゃんの二の腕とか好きだけどねー、やわらかそうで(笑)。
 みゆちゃんの芝居には、厚みを……立体感を感じるの。そこにあるだけの平面ではなく、もっと奥、描かれてはいない部分のドラマを。
 だから、まだなんもはじまってない、アン王女が大人たちと「王女として」話しているだけで、泣けてくる。
 彼女が背負っているものを感じて。
 そりゃヒステリーも起こすわ……無理ないわ……どんだけの重圧、どんだけのものを抑えて、犠牲にして、きれいな顔で微笑んで、耐えて歩き続けているんだろう、そう思って、胸が苦しくなる。
 最初から彼女に感情移入しまくりだから、王女が部屋を抜け出そうと動き出したときの、わくわく感ときたら!
 物語が、動き出す。それを見つめる幸福感。

 みゆちゃんの作り出す物語が大好物。
 であるからして。
 彼女の相手役であり、彼女が「出会う」ちぎくんが、大好きなんだ。

 ちぎくんはわたしにとって、魔法の鏡のような人だと思う。
 わたしが見たいものをきれいに映し出してくれる。
 みゆちゃんがどんなに魅力的でも、彼女だけでは物語が展開しない。恋が出来ない。
 相手がいる。
 そしてその相手は、みゆちゃんのドラマを損なう人ではダメなんだ。
 彼女の物語を、何乗にも膨らませてくれる人。

 ちぎくんは、彼単体だと、わたしには薄いのだと思う。
 でも、その分、わたし好みの役者の色を深く映す。何倍にも、鮮やかさと陰影を与えてくれる。

 みゆちゃんが主役、ちぎくんが脇役、と言っているんじゃない。
 あくまでも、主役はちぎくんよ。そこは揺らがない。トップスターを中心に世界が回る。
 その前提の中で、みゆちゃんが立ち、ちぎくんが世界をより豊かにしているの。
 トップスターが独裁君主として草木も生えないくらい征服し尽くすのではなく、トップスターであるがゆえに周りのみんなを、おのおのの色を活かし、魅力を引き出す……そういう力のあるトップさんだもの。
 ちぎくんがトップで良かったと思う。みゆちゃんが相手役で良かったと思う。このふたりの芝居を見られて良かったと思う。

 ちぎみゆが好きなの。

 王女の心の動きが、思いが伝わって、泣けて仕方ない。あああ、この子好きだー、しあわせになってくれええ。そう思う。
 そして、王女がいじらしければいじらしいほど、彼女と対峙するジョー@ちぎくんにも感情移入する。弱さもずるさもある、等身大の青年。だからこそ、彼の悩み、変化、成長に拳を握る。
 うわあああ、こいつら好きだああっ。
 やさしい人たちを好きだと思える、心があたたかくなる、その感覚がまた、幸福感になる。
 どいつもこいつも、やさしくて泣ける。
 どいつもこいつも、しあわせになってくれ。

 アーヴィング@翔くんになって、彼らのそばにいたいなあ。
 振り回されて文句言ったり、にやりと笑って肩を叩いたり、背中を押したり、したいよ。


 ラストシーンを観ながら思ったの。
 アン王女が、かわいいおばあちゃんになった姿。や、銀髪なだけの、シワもなんもない、ふつーにかわいいみゆちゃんなんだけどね。
 そのおばあちゃんの元王女(そのときの身分がわからん)が、孫たちに囲まれて、語っているの。
 この、「ローマの休日」を。
 パジャマを着たことや、髪を切ったこと、煙草を吸ったこと、アイスクリームを食べたこと、ベスパで走り回ったこと……武勇伝を、語っているの。いたずらっぽい目をして。
 昔の恋の話、ではなくて、あくまでも、武勇伝。
 孫たちに「おばあさま、すごい」と口々に言われて。
 エピソードの端々からおばあさまがひとりではなかったらしいことに気づいた孫のひとりが「誰と?」と尋ねたら、「秘密よ」と意味深に笑って見せて。
 しあわせな、光景。
 しあわせな。しあわせな。

 大丈夫、きっとみんな、しあわせになる。

 王女とジョーは別れて終わるけど、しあわせが見える。それぞれの人生、きっときっとしあわせ。
 そこがどこで、なにがあっても、彼らはしあわせになる。しあわせは、自分で作るものだから。

 それがわかるちぎみゆだから、別れENDできれいに終わってくれても、よかったかなと。
 タカラヅカだからそうはいかないのはわかるけど(笑)。

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