『ドン・ジュアン』KAAT初日観劇。
 この物語は、ドン・ジュアン@だいもんというひとりの男が生まれ直す物語なんだなと思った。

 本当なら、最初の人生で知るのよ。愛すること。
 だけどこのクズ野郎ときたら、1回目の人生ではそれを体得できなかったのね。
 だからやり直す必要があった。
 愛を知り、嫉妬を知り、人間としてあたりまえのものをはじめて知り。
 ようやく「人間」スタートラインに立ったから、そこで死ななければならなかった。犯してきた罪の清算をしなくては、「人間」として生きられない。
 観ながら、『100万回生きた猫』を思い出していた。

 ゲームやってると「そんなスキル、ファーストプレイでは無理」ってことが当たり前にある。1回ラストまでクリアして、2周目のプレイでようやく得られるスキル。クリア後でないと開かない扉や宝箱が設定されてたりするからなー、「2周目のお楽しみ」ってやつで。「真のエンディング」は2周目以降のプレイでないとたどり着かないようになってたり。
 ドン・ジュアンにとっても、人生はそーゆーことだったんだなと。
 あんだけなにもかも持ち合わせていて、何周もしなきゃクリア出来ないとか切ないわ。


 「愛を知る」というミッションが、マリア@みちるちゃんと出会い、相愛になった、というだけではクリア出来ないことに震撼する。

 はじめての相思相愛、ベッドでじゃれてキャッキャウフフのおふたりさん、「家を建てて犬を飼おう」「白い壁に赤い屋根がいいわ」てなドリームを語ったり(会話はイメージです)、そんなしあわせ絶好調なだけでは、「愛」を知ったことにはならないのね。

 愛する女性が出来た。→STEP.1
 相愛になった。→STEP.2
 愛する女性に騙されていた。怒り、嫉妬する。→STEP.3
      ↓
 よーやくクリア!
 「ドン・ジュアンは"愛"を知った!」チャラララ~~(スキル取得メロディ)

 嫉妬に狂うドン・ジュアンを見てしみじみと。
 甘いだけの恋じゃない。ここまで経験してようやく「愛」を知ったことになるんだ、と思うとこわい話だ。

 作品のキャッチコピーとして、「愛」が使われているのもわかる。
 "愛に、呪われた男--"

 そして。
 この物語は、「愛」がいない。
 「死」のみが踊る、『ロミオとジュリエット』だ。

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