『ドン・ジュアン』千秋楽。
 全体を観たい気持ちはたしかにあったのに、最後の最後で前方席を得られた。
 どういうめぐりあわせなのかはわからない。

 ただ。

 最後の最後に、この位置から舞台を……だいもんを観られたことを、奇跡だと思う。感謝する。

 物語が進み、深まり、そしてついに最後の瞬間。

 だいもんが「ドン・ジュアン」である最後。
 ライトが落ち、暗闇になる。
 次にライトの中に登場するのは、もう「ドン・ジュアン」ではない。ドン・ジュアンを演じた、望海風斗だ。
 だいもんがドン・ジュアンである最後の瞬間を、「視る」ことが出来た。

 ライトが落ちる寸前。ほんとうに、一瞬のこと。叶う限りの近い距離から肉眼で、その変化を視ることが出来た。
 ドン・ジュアンから、だいもんに変わる瞬間が、視られた。

 目の光が消え、空虚になった。
 なにかが抜け落ちるように。

 本来なら、完全に暗転するまで「ドン・ジュアン」であるのだと思う。今までだってそうだったのだから。
 でもこのときは暗転の一瞬前に「ドン・ジュアン」が消えた。

 だいもん自身が、とまどい、惜しんでいるように見えた。
 自分の中から、「消えた」男のことを。

 ああ。
 消えたんだ。
 たった今、ドン・ジュアンは消えた。
 もうどこにもいない。
 ドン・ジュアンの衣装を着ただいもんが立っているけれど、彼はもうドン・ジュアンじゃない。

 役者って……!

 涙が、あふれだした。
 ドン・ジュアンが消えた瞬間。
 そして、かくん、となにかを失ったように、空虚さにとまどうだいもんを見て。

 なにこれ。
 なにを見たんだ、わたしは、今。

 公演が終わったあとも、その瞬間のだいもんばかりが脳裏をぐるぐる回り、平静でいられない。

 だいもんの芝居がすごいのは、ああやって入り込んでいるからなんだろう。
 「終わった」途端、中身が別になった。姿は変わらないのに。そしてそれは、本人ですら、どうしようもない次元のことなんだろう。
 ドン・ジュアンは消えた。
 もういない。

 何ヶ月もかけて少しずつ作り上げたものが、一瞬で消えた。永遠に失った。
 もしも次に同じ作品と役を得たとしても、あのドン・ジュアンはもういない。

 カーテンコールで、なにか言えとだいもんから振られた咲ちゃんが、「ドン・ジュアンに会いたい」と言ったのがわかる。
 「再演したい」でも「観たい」でもなく、「会いたい」。
 そこにいるのはドン・ジュアンの格好をした、だいもんだもの。彼はもうどこにもいない。

 ドン・ジュアンのいちばん近くで、ドン・ジュアンを恋する瞳で見つめていた咲ちゃん。
 同じ姿をした別人を前に、その言葉が出てしまう、気持ちはわかる。わかるよ。

 わたしも、ドン・ジュアンに会いたい。

 もう会えない。
 どこにもいない。

 かなしい。
 さみしい。
 つらい。
 苦しい。

 切なくて切なくて、泣けて仕方がない。

 もう会えない。
 大好きな人を、失ってしまった。


 そして、あの瞬間の、消失の目をした、だいもん。
 その身に別人の人生を刻んで、燃焼し尽くす人。
 舞台に生きるために、生まれてきた人。

 わーん、舞台の神様、この人に役目を。
 神様が与えた正しい役目を、果たさせてあげて。
 舞台の真ん中で、表現し尽くすこと。空気を動かし世界を変え、観る者に楔を打ち付けるような痕を残す。
 この役者に、使命を果たさせて。
 本人の望みと、才能が正しく融合した、稀有なひとりなの。

 だいもんに舞台を。
 彼がその才能を、表現欲を、とことん発揮出来る舞台を与えて。

 彼に正しい役目を与えたら、これだけのことをやってのけるのだから。

 ドン・ジュアンを失うことが、心底つらかった。
 だけど、希望はある。
 ドン・ジュアンの中の人は、健在だ。今、役者として充実期を迎えている。
 彼がいる限りまた、こんな風に愛しい人に出会えるはず。再演して欲しいとかではなくて、だいもんが「だいもん力」を発揮出来る、器のある役と作品に、めぐり会える可能性があるということ。

 それを心の支えにするよ。
 わたしはまた、「だいもん」と再会したい。

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