月組『NOBUNAGA<信長>』『Forever LOVE!!』東宝千秋楽日です。
 ラストディ中継を見るつもりだったけど、行けませんでした。残念。予定ではもう終わっているはずの仕事が、まだ終わらなくてな……ずっとパソコンに向き合ったまま、ここ数日。残念。
 スクリーンでまさおさんの美貌を見たかったよ……。
 大野せんせスキーとして、彼の作品をスクリーンで見たかった、というのもあるんだよね……。『エドワード8世』も中継は見られなかったから、まだ一度も大野作品をスクリーンで見たことナイ。


 てことで、今日タカラヅカを卒業するまさおさんに思いを馳せつつ、『NOBUNAGA<信長>』の話。

 勝手な思い込みですが。

 『NOBUNAGA<信長>』がアレな作品になってしまったのはすべて、制作発表会のせいだと思う。

 制作発表会は、初日の4ヶ月も前。
 ……4ヶ月前って、正気か? 
 4ヶ月前っていったら、脚本どころか、プロットすら出来てるかどうか危うい、「こんなのやりたいな」というイメージが漠然とあるだけの状態じゃないの?
 そんなときに制作発表会なんかやっちゃったら、百害あって一利なしでしょ?

 制作発表会のときは、「帰蝶の愛と憎しみ」を書くつもりだった。が、ふわっとしたイメージがあるだけで、具体的なことは決まってない。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 そしてとりあえず、一旦書き上げた脚本では、制作発表会パフォーマンスの帰蝶とは人格もエピソードも別モノになった。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 マスコミ相手にパフォーマンスした内容を、今さら撤回できない。人格もエピソードも別モノだけど、無理矢理パフォーマンスと同じ場面をねじ込んだ。
 前後のつながりもキャラクタの人格もめちゃくちゃだけど、しょーがない。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 脚本ってのは初日の前日までに8割出来ればいいんであって、10割完成するのは公演がはじまって有料公開舞台稽古を宝塚という田舎町で1ヶ月やってから、首都東京の初日に合わせればいいんであって、なんで東宝初日の6ヶ月以上前に制作発表会なんかやるんだ、出来るわけないだろ、そんなことをやらせた劇団が悪い。
 ……てことかなあ。

 制作発表会で「言質を取られた」せいで、変えたくても変えられず、盛大に自爆した、ってことかなと。

 書き下ろしオリジナル作品の制作発表会は、筆の速い人しかやっちゃダメだよ……。
 創作物なんて、最後の最後まで手を入れまくるに決まってるやん……。8割方出来ていても、全ボツにして最初から書き直したりとか、キャラクタひとり削ったり、反対に増やしたり、当たり前にするじゃん。
 最後まで好きなだけ推敲出来るようにしてやってよ……「帰蝶にこの衣装でこの台詞を言わせる」という縛りのせいで、作品も帰蝶もぶっ壊れたとしか思えん……。


 帰蝶のわけわからなさを心から「ひでー」と思っていますが。

 加えて、人望ナッシング信長という、新しい信長像にも不満ありまくりですが。

 それはそれとして、構成についても大きな不満があります。

 この作品がどーしよーもないのって、クライマックスがないことも大きいと思うの。

 いちばん大きく物語が動くのが、「全員信長@まさおを裏切った! 信長、人望ナッシング! でも簡単に心変わりして信長にへつらった! 軽っ! ますます人望ナッシング!」という場面よね?
 ヒロインの帰蝶@ちゃぴは死ぬし、2番手のロルテス@たまきちの野望は潰えるし、という、主要人物の人生が動く場面よね?

 信長もひどいし家臣たちもひどい、帰蝶の死体は出しっ放しだし、全員の株を下げるだけの場面なんだけど、とりあえず、クライマックスだと思うの。
 わたしはあまりのことにアゴが落ちて戻らなかったけど。

 メンタルは理解を拒むけど、フィジカルな盛り上がりはわかる。

 で、そうやって「最高の盛り上がり」を作ったあとで。

 なんともしょっぱいラストシーンになる。

 本能寺の変だーー! と盛り上がるネタを使っているのに、ナニも起こらない。
 光秀@カチャと秀吉@みやるりの「説明台詞」があるだけ。
 信長と数名の、植爺のようなカーテン前芝居があるだけ。

 しかも信長、自分のために命を捨てて戦う家臣たち見捨てて、自分だけ逃げ出すし。しかもしかも、家臣たちにはナイショでだし。蘭丸@あーさとかを「一緒に死のうね!」と死地へ送り出したあと、突然心変わりして逃げるし。え、なにこれひどい。
 展開のものすごさにアゴが落ちて戻らない。

 説明台詞とカーテン前芝居という、しょぼい画面に、まさかの卑怯者展開。
 何故、クライマックスのあとに、こんなしょっぱい場面を??

 最後、龍の帆の場面をやりたいがため、なんだろうけどさ。
 ラストの絵面のためだけに、他のすべて犠牲にする意味がわからん。

 『一夢庵風流記 前田慶次』も同じ作りだから、大野くんの癖なのかこだわりなのか。
 いちばんのフィジカルの盛り上がりは、宿敵との一騎打ち、大野くんが大好きな傀儡たち跋扈、ばたばた人が死に、主人公大活躍!
 でもラストシーンは別の戦闘。主人公が大見得を切って幕。

 同じ作りだけど、『一夢庵風流記』の方はまだ、ちゃんと「戦」を描いてたのね。兵士たちが舞台全体を走り回り、群舞したりする。
 カーテン前で説明台詞、じゃない。

 クライマックスの位置がおかしいわ……。

 いちばん派手に盛り上げたなら、その勢いのままENDにするか、反対に静かなENDにするか、じゃない? 本能寺で盛り下げるくらいなら、裏切りクライマックスからそのままENDへ、もしくは本能寺を最大のクライマックスにするよう演出する。

 かといって、どこをどう直せばいいか、わかんないのよ。てゆーか、大野せんせがナニをしたかったのかわかんないんだもん。
 信長の描き方ひどいし、帰蝶はまともに書き込まれてないし、テーマもキャラクタも、ナニがやりたかったのか見えてこない。
 目指したモノがわかんないんじゃ、「ここをこうすればこうなる」という、いつものアタマの体操をやる余地もない。

 ビジュアルセンス以外は、面白そうだったのになあ、制作発表会。
 ああ、やっぱり制作発表会の罪は重い。

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