洗濯機よ、武器を取れ。@アイラブアインシュタイン
2016年9月21日 タカラヅカ 『アイラブアインシュタイン』がものすごいぞ!という話の続き。
1幕まるまる使って解説やって、2幕の前半使って回想編やって、本編まだはじまってないけど、上演時間はあと何分あるんだっけ……? と不安になるところで、よーやくストーリーが動き出す。
これがまたひどい。
悪役たちは、アンドロイドを軍事利用するために、「アンドロイドは悪! 危険! 排除!」と民衆を扇動する。
このままだとアンドロイドが危ない……! なんの罪もない彼らが、悪のレッテルを貼られて戦争の道具にされてしまう……!
と、危機感を煽られたところへ。
悪役たちの前へ、彼らと戦う意志を示すために、銃を構えたアンドロイドのハンス@タソたちが現れる。
え。
目が点になる、口が開く。
アンドロイドが「差別されている社会的弱者(人間)」なら、この展開はアリだ。
いじめっこに乱暴されるままメソメソすることしか出来なかった子が、「負けるもんか!」と拳を握って立ち上がる、のは感動話に出来る。
しかし、扱っているのは「社会的弱者(人間)」じゃない。洗濯機や自動車と同じ、「便利な機械(道具)」だ。
「洗濯機はいらない、洗濯機のせいで手洗い業者が仕事を失った! 洗濯機を排除しよう!」と言っている場に、「銃を持った洗濯機」がぞろりと現れたら……。
こわい。
そんな洗濯機、廃棄するしかない。
作者が、「アンドロイド」の扱いを雑にしているせい。
「人間なら感動的なエピソード」を、安直にアンドロイドに行わせている。
でもさ。
これ絶対やっちゃいけないことでしょ。
人間に銃を向けるアンドロイドを、人間が許容するはずないじゃん。
結局撃てなかったことはどうでもいい、銃を向けることができる存在だ、ということが問題。
人間に武器を向ける洗濯機だのロボット掃除機だのを使い続ける家庭はない。向けるだけです、使いません、は意味ない、それ以前の話。
わたしは個人的に、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」という発想が好みではない。
や、最初からそれをテーマにしているならともかく、「アンドロイドに愛は理解出来るか」がテーマで、主人公以外のアンドロイドにとって「感情=不満、反感、復讐心」って描き方はフェアじゃないっつーか、好きになれないわー。
まあこれはわたしの好みの話なんで、作者はテーマパークのアトラクションとかで「ロボットが人間に対して反乱を起こした!」「未来の地球は、ロボットが人間を支配し、人間がレジスタンス活動をしている!」とかいう話が大好きで、「ロボット=反乱」に萌えちゃうのかもしれないけども。体感アトラクションやCGバリバリのハリウッド映画なら、画面を楽しむ意味でその単純明快なストーリーは価値があるけど。
タカラヅカでソレって、短絡的過ぎて、わたしはつまんない……。
わたしの好みはともかくとして。
べつに、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」でもいいのよ。そうしたいというなら。
でもさ、アンドロイドが一律そう考えるのが当然、となるほどひどい扱いを受けているのか描かれていない。
雇用を奪われた不満でいじめが起こっている、という解説があるだけ。
反乱を企てるほどの扱いには見えない。出て来るアンドロイドは着飾って歌い踊ったり、ハウスキーピングをしているだけで、人間以下の扱いを受けている様子はない。人間の方がつらい仕事してるよねえ。
自我=反乱としたいなら、それだけの証拠を提示しなきゃ。結果を導くためには、要因を提示しなくちゃ。
必要な情報を描くことなく、作者の都合だけで「反乱だーー!」「きゃーこわーい!」とやられてもなあ。
えーと、ともかく、だ。
どうやらすべてのアンドロイドには、自然と感情が備わっているように見える。……が、それでも「アンドロイドに感情はない」ということになっている。
ハンスやアンネ@イブちゃんやヨハン@ひらめちゃんの感情は、感情に含まれないらしい。
感情がないのに、アンドロイドは虐げられるとつらいらしいよ。反乱を企てるくらいに。
大変だね、みんなのうちの家電も、きっとなにも言わないだけで、つらい思いをしてるんだろうね。
アンドロイドは感情なんてないし、さらに、ハイクラスの感情である「愛」は絶対に得られない。
愛を理解するには知恵の実という、特殊アイテムが必要。
そして、ここでいう「愛」とは男女の性愛のみをいうらしい。
親子愛とか友愛とか、愛にもいろいろあるけれど、恋愛だけは特別ですから! だってタカラヅカだもん!
「自我に目覚める=反乱」「愛は至上のもの!」……思考回路がシンプルだ……。
エンタメはシンプルな方がいい、ってのはあるから、それはそれでいいと思うのだけど。
物語の嘘や省略と、ダブスタや設定のいい加減さ、不誠実さは、イコールではないと思うの。
1幕まるまる使って解説やって、2幕の前半使って回想編やって、本編まだはじまってないけど、上演時間はあと何分あるんだっけ……? と不安になるところで、よーやくストーリーが動き出す。
これがまたひどい。
悪役たちは、アンドロイドを軍事利用するために、「アンドロイドは悪! 危険! 排除!」と民衆を扇動する。
このままだとアンドロイドが危ない……! なんの罪もない彼らが、悪のレッテルを貼られて戦争の道具にされてしまう……!
と、危機感を煽られたところへ。
悪役たちの前へ、彼らと戦う意志を示すために、銃を構えたアンドロイドのハンス@タソたちが現れる。
え。
目が点になる、口が開く。
アンドロイドが「差別されている社会的弱者(人間)」なら、この展開はアリだ。
いじめっこに乱暴されるままメソメソすることしか出来なかった子が、「負けるもんか!」と拳を握って立ち上がる、のは感動話に出来る。
しかし、扱っているのは「社会的弱者(人間)」じゃない。洗濯機や自動車と同じ、「便利な機械(道具)」だ。
「洗濯機はいらない、洗濯機のせいで手洗い業者が仕事を失った! 洗濯機を排除しよう!」と言っている場に、「銃を持った洗濯機」がぞろりと現れたら……。
こわい。
そんな洗濯機、廃棄するしかない。
作者が、「アンドロイド」の扱いを雑にしているせい。
「人間なら感動的なエピソード」を、安直にアンドロイドに行わせている。
でもさ。
これ絶対やっちゃいけないことでしょ。
人間に銃を向けるアンドロイドを、人間が許容するはずないじゃん。
結局撃てなかったことはどうでもいい、銃を向けることができる存在だ、ということが問題。
人間に武器を向ける洗濯機だのロボット掃除機だのを使い続ける家庭はない。向けるだけです、使いません、は意味ない、それ以前の話。
わたしは個人的に、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」という発想が好みではない。
や、最初からそれをテーマにしているならともかく、「アンドロイドに愛は理解出来るか」がテーマで、主人公以外のアンドロイドにとって「感情=不満、反感、復讐心」って描き方はフェアじゃないっつーか、好きになれないわー。
まあこれはわたしの好みの話なんで、作者はテーマパークのアトラクションとかで「ロボットが人間に対して反乱を起こした!」「未来の地球は、ロボットが人間を支配し、人間がレジスタンス活動をしている!」とかいう話が大好きで、「ロボット=反乱」に萌えちゃうのかもしれないけども。体感アトラクションやCGバリバリのハリウッド映画なら、画面を楽しむ意味でその単純明快なストーリーは価値があるけど。
タカラヅカでソレって、短絡的過ぎて、わたしはつまんない……。
わたしの好みはともかくとして。
べつに、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」でもいいのよ。そうしたいというなら。
でもさ、アンドロイドが一律そう考えるのが当然、となるほどひどい扱いを受けているのか描かれていない。
雇用を奪われた不満でいじめが起こっている、という解説があるだけ。
反乱を企てるほどの扱いには見えない。出て来るアンドロイドは着飾って歌い踊ったり、ハウスキーピングをしているだけで、人間以下の扱いを受けている様子はない。人間の方がつらい仕事してるよねえ。
自我=反乱としたいなら、それだけの証拠を提示しなきゃ。結果を導くためには、要因を提示しなくちゃ。
必要な情報を描くことなく、作者の都合だけで「反乱だーー!」「きゃーこわーい!」とやられてもなあ。
えーと、ともかく、だ。
どうやらすべてのアンドロイドには、自然と感情が備わっているように見える。……が、それでも「アンドロイドに感情はない」ということになっている。
ハンスやアンネ@イブちゃんやヨハン@ひらめちゃんの感情は、感情に含まれないらしい。
感情がないのに、アンドロイドは虐げられるとつらいらしいよ。反乱を企てるくらいに。
大変だね、みんなのうちの家電も、きっとなにも言わないだけで、つらい思いをしてるんだろうね。
アンドロイドは感情なんてないし、さらに、ハイクラスの感情である「愛」は絶対に得られない。
愛を理解するには知恵の実という、特殊アイテムが必要。
そして、ここでいう「愛」とは男女の性愛のみをいうらしい。
親子愛とか友愛とか、愛にもいろいろあるけれど、恋愛だけは特別ですから! だってタカラヅカだもん!
「自我に目覚める=反乱」「愛は至上のもの!」……思考回路がシンプルだ……。
エンタメはシンプルな方がいい、ってのはあるから、それはそれでいいと思うのだけど。
物語の嘘や省略と、ダブスタや設定のいい加減さ、不誠実さは、イコールではないと思うの。
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