物語における、役の比重について、うだうだ。

 わたしが物語に必要だと思うのはまず、ストーリー。なにがどうなってどうなった。物理的な起承転結。なにも起こらない、あらすじを説明できないような物語もあるだろうけど、そういう芸術作品は俎上からはずす。タカラヅカで上演するエンタメ作品の話。
 まず、ストーリー。なにかが起こり主人公が関わって、なにかしら変化して終わる。
 だからわたしは、「物語に必要な役」とは、「ストーリー(物語の筋)」に関わる役だと思う。
 このキャラクタがいないと、ストーリーが成立しない。そういう役だ。
 探偵物ならば、探偵と犯人。犯人が罪を犯したときに物語はスタートする。そもそも罪を犯すものがいなければ、探偵はなにも捜査しない。

 次に必要だと思うのは、「主人公が強い思いを抱くキャラ」。
 出来事だけをロジックとして構築するなら探偵と犯人だけで成立するけど、物語には精神性も必要。心がないと、ストーリー(筋)はあってもドラマ(山場)がない。
 愛でも憎でもいいから、主人公が強い思いを抱く相手が必要。
 ヒロインでもいいし、仇でもいい。主人公が魂と人生を懸けて強い思いをそのキャラに向けている。

 その次に意味があると思うのが、「主人公に強い思いを抱くキャラ」。
 主人公がどう思っているかは度外視して、相手が、主人公に対してなにかしら思うところがある。
 主人公に片思いしている女性とか、逆恨みしている男とか。

 ストーリーを回すためのキャラがいて、心を向けるキャラがいる。
 うまく出来た物語は、このふたつの要素が重なっている。主人公に強い思いのあるキャラが、物語の根幹に関わる、と。

 や、まったく無関係でも物語は作れるけど、すごく難しいよ。主人公とまったく関わりのない、関心すらないキャラを使って、起承転結させて主人公を盛り上げてエンタメ作るなんて。
 『忠臣蔵』が浅野家とも赤穂藩とも、吉良ともなんの関係もない人たちが、なんの思い入れもなく討ち入りをしても、面白くもなんともないわけで。出来事だけドラマチックでも、バックボーンがないと感動にならない。
 主人公と関わり深い相手を使ってストーリー作った方が早い。


 だから。

 『私立探偵ケイレブ・ハント』がわかんないのよねえ。
 何故にこうなった。

 物語を整理しよう。

 まずストーリーの軸となる事件、これがないとそもそも話がはじまらない。
 なので、事件を起こした「悪者」が必要。
 その「悪者」の行動ゆえに、主人公ケイレブは動き出すことになる。

 次に、ケイレブが強く思いを向けているのは、恋人のイヴォンヌだ。ケイレブというキャラクタを語る上で絶対必要な存在。
 恋人の次に、ケイレブが大切に思っているのが、戦友のナイジェルだ。「あの戦争」がケイレブの人格形成に大きく関わっているのだから、当然だよな。
 その次に親しく心を向けているのが、刑事のホレイショー。同僚に快く思われていないのに、それでも友人関係を続けている。

 これが、『ケイレブ・ハント』のキャラクタの骨組みだ。
 ここから物語を作るなら、もちろん上記のキャラクタを使ってプロットを組む。

 ストーリーラインが「悪役」のはかりごとで女優が死んだり、その両親が死んだりしている。ケイレブはその事件を捜査する。
 ここに、イヴォンヌとナイジェルを組み込む。
 イヴォンヌはヒロインキャラのお約束、はかりごとに巻き込まれる被害者として。襲われたり、攫われたり、
 ナイジェルはもちろん、「悪役」側だ。かつての友が敵に?!
 そして、友人の刑事ホレイショーと共にケイレブは真実を追う……!

 これがいちばんシンプルな組み立てよね。

 実際マサツカせんせも、そうしようとしている。

 イヴォンヌは小悪党マクシミリアンの仕事を受け、彼に好意的な立ち位置にいるし、ナイジェルは「悪役」との関係をほのめかしている。

 ちゃんと根幹となるストーリー自体は組み立てられているみたいなのに。

 何故、キャストの比重を間違えている?

 タカラヅカには番手制度があり、トップから順番に、番手に沿って役を与えなくてはならない。
 出番や歌など、番手に準じた扱いをしなくてはならない。
 だからふつーは、重要な役は番手スターに振る。重要な役は書き込みが必要で、書き込みが許されるほど出番を与えていいのが番手スターのみだからだ。
 出番も掘り下げもしてはならない脇役者に重要な役を振ったら、物語が立ちいかなくなる。だってどんだけ深い物語とか設定とかあっても、「描けない」んだもん。
 ストーリーに関係ない番手スターの出番や歌に時間割いて、肝心なことは書かずに終了……ってソレ、「物語」として成立してない。

 ここまで語っても、2番手だいもんの役も、3番手咲ちゃんの役も出てこない。
 ジム@だいもん、カズノ@咲ちゃんは、ケイレブの同僚だ。探偵事務所の共同経営者。ケイレブとの関係は、以上。
 観る前は、同僚であり「親友」であるんだろうと、勝手に思っていた。なにしろ2番手と3番手だ。前述の通り、作劇ルールに従い、主人公との間に強い思いのある役に違いない、と思っていたからだ。

 まさか、ただの「同僚」だとは……。

 ケイレブの心のベクトルが向いているのはナイジェルで、ジムもカズノもそれ以下だ。
 親しくはあるのだろうし、信頼もあるのだろうけど、熱量はない。
 「ドラマ」がない。
 探偵事務所のメンバーは、大筋には関係ない。ケイレブの日常を表す装飾で、「こんな調子ですよ」とほっこりさせればそれでいい。

 ケイレブは己の信念に従い、無謀な戦いに挑むのだが、そこで手を取り合うのは別に探偵事務所のメンバーである必要はない。刑事で十分だ。

 ほんと意味わからんのだわ。
 どうしてこんなことになっているのか。

 ストーリーに関係ない、いなくても構わない役を、何故だいもんにやらせた? 3番手は割を食う場合もあるけど、最低限2番手は重要な役にしないか?


 『ケイレブ・ハント』って、ストーリーライン自体は間違ってないと思うの。ちゃんと線がつながっている。
 でも、その物語をどう描くか、それをものすげーわけわからん間違い方しまくっていて、観てて混乱した。
 作劇する身で、こんな間違い方するのは生理的におかしくないか?

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